日本史の教科書に必ず載っているであろうルイス・フロイス。
織田信長に気に入られたことから、長きにわたって日本文化の中枢を垣間見ることができ、記録を残した。
大著「日本史」が有名だけど、この本はそんな難しいものではなくて、ヨーロッパと日本の違いを箇条書きのように短い文章で書き連ねたもの。
これがすこぶ
...続きを読むる面白い。
天正という、江戸時代より前の戦国時代、日本人はこうだったと逆に知る部分も多く、大変ためになりました。
“彼らの習慣はわれわれの習慣ときわめてかけはなれ、異様で、縁遠いもので、このような文化の開けた、創造力の旺盛な、天賦の知性を備える人々の間に、こんな極端な対照があるとは信じられないくらいである。”
“われわれの間では白い目を奇異に思うことはない。日本人はそれを奇怪に思い、彼らの間では稀有のことである。”
「白眼視する」「白い目で見る」という表現はヨーロッパにないそうだ。黒目がちが好きな日本人。
“われわれの間では男たちは髪を刈っており、禿頭にされると侮辱されたと考える。日本人は毛抜きを用いて、自分で、毛の残らないように、全部抜いてしまう。そのことは苦痛と涙を伴う。”
涙を伴うんだ…。
“われわれの衣服はほとんど一年の四季を通じて同じである。日本人は一年に三回変える。夏帷子、秋袷、冬着物。”
季節によって気温差があるからね。
“ヨーロッパの女性は芳香ある香料を使って髪に香りを与える。日本の女性はいつも(髪に)塗りつける油で悪臭を放つ。”
かちーん。(-_-メ)
“ヨーロッパの女性は短い年月で髪が白くなる。日本の女性は油を塗るために六十歳になっても髪が白くならない。”
そうなの?
“ヨーロッパでは夫が前、妻が後になって歩く。日本では夫が後、妻が前を歩く。”
いつから変わったんだろう?
“ヨーロッパでは親族一人が誘拐されても一門全部が死の危険に身をさらす。日本では父、母、兄弟がそのことを隠し立てして、軽く過ごしてしまう。”
軽く?
“ヨーロッパでは娘や処女を閉じ込めておくことはきわめて大事なことで、厳格におこなわれる。日本では娘たちは両親にことわりもしないで一日でも幾日でも、ひとりで好きな所へ出かける。”
そんなこと、許しまへん!
“ヨーロッパでは妻は夫の許可が無くては、家から外へ出ない。日本の女性は夫に知らせず、好きな所に行く自由をもっている。”
自由であっても、知らせようよ。
“ヨーロッパでは普通女性が食事を作る。日本では男性がそれを作る。そして貴人たちは料理を作るために厨房に行くことを立派なことだと思っている。”
いつ変わったんだろう?
“われわれの間では四歳の子供でも自分の手を使って食べることを知らない。日本の子供は三歳で、箸をつかって自分で食べる。”
まだヨーロッパでナイフやフォークが発明される前の時代。基本手づかみ。
“ヨーロッパの子供は多大の寵愛と温情、美食と美衣によって養育される。日本の子供は半裸で、ほとんど何らの寵愛も快楽もなく育てられる。”
偏見じゃない?
“われわれはスープがなくとも結構食事することができる。日本人は汁がないと食事ができない。”
結構とはどの程度なのか?
“われわれの間ではすべての果物は熟したものを食べ、胡瓜だけは未熟のものを食べる。日本人はすべての果物を未熟のまま食べ、胡瓜だけはすっかり黄色になった、熟したものを食べる。”
ちょっとどういうことなのかよくわかりません。未熟な果物?熟した胡瓜?
“われわれの間では鍋の底に焦げついた飯は戸外に捨てるか、犬に食わせる。日本ではそれは食後の果物である。またはそれを終わりに飲む湯の中に投ずる。”
米を大切に!
“われわれは食物に種々の薬味を加えて調味する。日本人は味噌で調味する。味噌は米と腐敗した穀物とを塩で混ぜ合わせたものである。”
言い方!
“われわれの間では腐敗した肉や魚を食べたり、贈ったりすることは無礼なことである。日本ではそれを食べ、また悪臭を放っても躊躇することなくそれを贈る。”
それをなれ寿司という。普通に腐ったものは、さすがに食べたりあげたりしないよ。
ちょっと紹介と思ったら、ほとばしってしまった。
こんな感じで坊主や寺院、信仰に関すること、武具武器について、馬、病気や医療、書に関すること、家屋建築、船、歌舞音曲など、独断と偏見と勘違いが多少盛った文章で綴られております。
戦国時代の女性が結構自由な感じなのが意外でした。