グアテマラに行ったことがある割に、マヤ文明のことはよく知らないと思い、とりあえず読んでみた。図版が多く読みやすい構成で、生活、文化、技術、暦、遺跡など、マヤ文明について一通りのことはわかる。また、著者の専門が縄文時代であるためか、縄文文化とマヤ文明を対比する視点があり、この点が最も本書で新鮮だった(156-157頁)。
タイトルにある通り、私も行ったことのあるグアテマラのティカルのピラミッドは、マヤ文明が健在の時は赤色に塗られていたということが本書の一番驚かせたいポイントらしく、確かにジャングルの中のあのピラミッドが赤かったら驚くとは思うものの、個人的に一番驚いたのは、「サクベ」と呼ばれる漆喰で舗装された道がマヤの諸都市を繋いでいたという話だった(90-91頁)。漆喰で塗られているから雨でもぬかるまないということで、地味にこういうインフラ整備が文明の発展に大事だったのだろうし、逆にここら辺がしっかりしていたからこそスペイン人の征服の際に、征服者にとって都合よくこれらのインフラが利用されてしまったのだろう。チリ南部のマプーチェ人や北アメリカの先住民が19世紀後半まで白人に征服されなかったのは、恐らく彼らの居住地にマヤ文明のような都市が発展せず、道路などのインフラ面で不便だったことが、征服を防ぐためには有利に働いたからではないかと想像した。
マヤ文明といえば暦と生贄の儀式とインド人よりも先にゼロの概念を発見していたことだけれども、それらに関しても本書では記されている。本書によれば、神に人間を生贄として捧げる儀式が盛んになるのは、メキシコ中央高原のトルテカ文明に影響された、後古典期のユカタン半島の諸国からであり(118、155頁)、それ以前は王が自らの性器に棘を刺したり、高位の女性が舌にロープを通したりして大地に血を流儀式が主流だった模様(60-61頁)。想像しただけ痛そうである。
“ マヤの人々は、神々にお願い事をする際には感謝と畏怖の念から、神々の活力源になるよう、人間の血を捧げなければならないと考えていました。お願い事の代償と考えていたかもしれません。その人間の血は支配者である王や、捕らえた敵方の王など、高位の者の血でなければなりませんでした。
神々に血を捧げる方法とはどのようなものだったのでしょうか。それは例えば、コパルという香木を焚きながら、王さまが自ら自分の性器にアカエイの棘を刺し、大地に血を流す、というもの。このような儀礼を放血の儀礼といいます。放血の儀礼は、女性が行う場合もありました。舌にロープを通しそのロープ伝いに足下に置かれている器に血をしたたらせるのです。器には樹皮紙が置かれていて、それを燃やして地下の世界にいる祖先を呼び出し、託宣を得たといいます。
また、夜間に地下界で戦う太陽に活力を与え、再び太陽が昇るようにさせるためにも人間の血が必要とされました。
このような犠牲は、地域を支配し王として君臨するため、また特権を享受するための代償ともいえるでしょう。
マヤの王さまは文字通り、自らの身を削って、神々と庶民からの信頼を得ていたのです。”
(譽田亜紀子、寺崎秀一郎〔監修〕『知られざるマヤ文明ライフ』誠文堂新光社、東京、2023年7月17日発行、60-61頁より引用)
最後の方に少しだけ現在のマヤ人について書かれているが、これについてはもう少しここに触れて欲しかったな。
“ あまり知られてはいませんが、今でもマヤ諸語を離すマヤの人たちは存在しています。現代マヤ人といわれる人たちです。
スペインの植民地支配によって、白人との混血が進んだ地域もありますが、マヤの人たちは今もグアテマラを中心にメキシコ南部などでも暮らしています。グアテマラでは人口のおよそ60%以上がマヤ系先住民だといいます。
しかし彼らを取り巻く環境は、マヤ文明華やかなりし頃のようなものではまったくありません。
16世紀に次々とスペインから送り込まれてくる宣教師たちの苛烈なキリスト教布教により、彼らが大切にしていた精神世界までも破壊されたマヤの人びとは、以降、先住民族として長く差別と搾取を受け、貧しい暮らしを強いられる苦難の時代を生きることになったのです。
著者は、グアテマラに25年暮らす日本人に話を聞いたことがあります。マヤの人たちの月収は1000円にも満たず、それでも1割をキリスト教会に差し出す暮らしなのだと。これは一例であり、もちろんさまざまなケースがありますが、苦しい生活の中でさえ寄進をする。それほどまでに現代マヤの人たちの心にキリスト教が入り込んでいるのかと驚きました。逆に、現実の暮らしが厳しいからこそ救いを求めて信仰を深めているのかもしれません。中には残されたマヤの精神世界とキリスト教がミックスしたようなものもありますが、純粋なマヤの世界観は失われています。
一方で、マヤ文明を築いた人々の末裔であるとして、マヤ人であるということをアイデンティティにしようとする動きもあります。
長く続く差別や貧困問題は解決されていませんが、マヤの子孫たちは現代にも確かに生きており、新しいマヤの文化を創り出そうとしています。
今となっては当時の姿を取り戻すことはできませんが、かつてのマヤ文明の姿、そして現在のマヤの人たちを知り、心を寄せることが、私たちができるマヤの文化を守ることなのかもしれません。”
(譽田亜紀子、寺崎秀一郎〔監修〕『知られざるマヤ文明ライフ』誠文堂新光社、東京、2023年7月17日発行、147頁より引用)