小坂井敏晶の作品一覧
「小坂井敏晶」の「答えのない世界を生きる」「格差という虚構」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
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「小坂井敏晶」の「答えのない世界を生きる」「格差という虚構」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
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Posted by ブクログ
難解だったけど、なんとかかんとか読み終えれた。
衝撃を受けたのが、外部の視点(概念)。
神を殺した人類は、個人の中に自由意志があるとしてきた。しかし意志とは何かと問われると無限遡及する。因果論(原因-結果)で意志は特定しない。とは言え決定論(全ては決まってる)とするなら意志はもはやないことになる。
神を殺して、個人主義的に生きてきたのに、意志はないというなんとも無茶苦茶な世界。
では我々は何をもって生きているのか。
社会・文化・常識・慣習・法・制度・規範などだ。
しかし、それぞれの出発は「個人」だ。
社会は個人の集団、文化は個人の歴史、常識は個人が集まった意識、慣習は個人のならわし、法・制度・規範は個人を縛る。これらは個人から成る。
個人(意志)はないのに、あるじゃないか。
それを著者は「虚構」と呼ぶ。
我々はその虚構のおかげで生きている(神もそうだった)。現実と虚構は相補的に成り立っている。
個人の中にあると信じた「意志」。意志があるとする。「あるとする=虚構」だ。
この虚構の存在を「責任」から遡り立証していく。
様々な哲学者や思想家の文献を引用し、議論を重ねて辿り着いた通過点が『責任という虚構』だった。
Posted by ブクログ
やはり小坂井敏晶宇治の本は好きだ。
「社会心理学講義」と重複する箇所も多いが、それだけに理解が促進される。研究者はもちろん、研究者を志す人にも、現代社会を生きながらも苦しさを感じている人にも勧めたい一冊である。
これまでの価値観が揺すぶられ、未来を見据える礎の一部となるに違いない。
裁判についての記載は「社会心理学講義」にもあったが、ふと「中東 世界の中心の歴史 395年から現代まで」を思い出した。太古の昔から、人間が人間を支配するために、依拠するべき「真実」の存在が必要不可欠だった。今は違うが、中東においても新たなる支配者は「我に正義あり」と、外在的な存在を示すしかなかった。それは本書だけでなく、全くの別人が書いた歴史書からも伺い知れることだった。
Posted by ブクログ
私は読書の効用の一つは「常識の破壊」だと思っています。
その点において、小坂井敏晶さんの本ほど常識を鮮やかに破壊してくれる本はないのではないか。そう思わせるほどの筆力があります。
今回読んだ『民族という虚構』においても、読みながら自らの常識がガラガラと崩れていく音が聞こえました。
その一つが、私たちは虚構に支えられているという事実。
虚構を暴くことが正義ではなく、虚構がないと生きていけない現実を直視しながら、世の中の不条理に目を向けなければならないと、背筋が伸びる読書体験でした。
私たちが何に支配されているかに気づく道具こそが“教養”なのだと思います。
小坂井さんの本は、間違いなくそんな教養を与えてくれます。
Posted by ブクログ
すごく面白かった。
自分の価値観が広がっていく瞬間が、読書をする中で随一の快感である。
個人に主体があるという概念が近代以降のものだとは思いもよらなかった。社会あるいは集団の中の個人、そして社会または集団を別個のものとして、もしくは実体的なものとして研究しても答えは出ない。認識とはあくまでも社会と個人の相補的なものである。
まさに目から鱗だ。だが同時に、納得感が強い。こうして変化することにより、私自身の自己の同一性が保たれているのだろう。そして、認知不協和状態になると、安定させようと自己を変化させる。それの限界が訪れた時に、自身の変化が難しい時や、折り合いがつかない時──人は精神が参ってしまうのではないか?
特に今は仕事の影響で私自身が脅かされている印象があり、その意味でも本書は有益だった。
第13講では日本の異文化受容について触れていた。日本人が特殊な民族だという信仰こそが、異文化受容を進めることになるという。〈外部〉と〈内部〉の融合を阻止するが故に、〈外部〉の内部化に成功するのだ。印象的な一文があった。
「日本の西洋化の背後に見るべきは、新しい物好きで好奇心旺盛な模倣者でなく、荒々しい野生の外部を馴致された〈外部〉とすり替えて内部化する奇術師の姿でしょう」
そのほかにも、印象的な文言が数多くあった。
以下にいくつかを備忘のために記す。
矛盾が創造を生む泉である。
知識とは常識を破壊する運動である。
常識や従来の理論ではうまく説明できないから、矛盾が起きる。
心の論理にしたがい、社会と歴史の文脈でしか生きられない人間という存在に対する侮辱、これが合理性の正体です。
そして、今の自分に一番、響いた言葉が後書きにあった。
「確かに迷いは誰にもあります。私などは今でも迷ってばかりです。しかし文科系の学問なんてどうせ役に立たないと割り切って、自分がやりたいかどうか、それしかできないかどうかだけ考えればよいのだと思います。落語家もダンサーも画家も手品師もスポーツ選手もみな同じです。やりたいならやる。親や周囲に反対されてもやる。罵られても殴られても続ける。才能なんて関係ありません。やらずにはいられない。他にやることがない。だからやる。ただ、それだけのことです。研究者も同じではありませんか。
死ぬ気で頑張れと言うのではありません。遊びでいい。
人生なんて、どうせ暇つぶしです。理由はわからないが、やりたいからやる。
それが自分自身に対する誠実さでもあると思います」