小坂井敏晶のレビュー一覧
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ネタバレやはり小坂井敏晶宇治の本は好きだ。
「社会心理学講義」と重複する箇所も多いが、それだけに理解が促進される。研究者はもちろん、研究者を志す人にも、現代社会を生きながらも苦しさを感じている人にも勧めたい一冊である。
これまでの価値観が揺すぶられ、未来を見据える礎の一部となるに違いない。
裁判についての記載は「社会心理学講義」にもあったが、ふと「中東 世界の中心の歴史 395年から現代まで」を思い出した。太古の昔から、人間が人間を支配するために、依拠するべき「真実」の存在が必要不可欠だった。今は違うが、中東においても新たなる支配者は「我に正義あり」と、外在的な存在を示すしかなかった。それは本書だけで -
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私は読書の効用の一つは「常識の破壊」だと思っています。
その点において、小坂井敏晶さんの本ほど常識を鮮やかに破壊してくれる本はないのではないか。そう思わせるほどの筆力があります。
今回読んだ『民族という虚構』においても、読みながら自らの常識がガラガラと崩れていく音が聞こえました。
その一つが、私たちは虚構に支えられているという事実。
虚構を暴くことが正義ではなく、虚構がないと生きていけない現実を直視しながら、世の中の不条理に目を向けなければならないと、背筋が伸びる読書体験でした。
私たちが何に支配されているかに気づく道具こそが“教養”なのだと思います。
小坂井さんの本は、間違いなくそん -
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ネタバレすごく面白かった。
自分の価値観が広がっていく瞬間が、読書をする中で随一の快感である。
個人に主体があるという概念が近代以降のものだとは思いもよらなかった。社会あるいは集団の中の個人、そして社会または集団を別個のものとして、もしくは実体的なものとして研究しても答えは出ない。認識とはあくまでも社会と個人の相補的なものである。
まさに目から鱗だ。だが同時に、納得感が強い。こうして変化することにより、私自身の自己の同一性が保たれているのだろう。そして、認知不協和状態になると、安定させようと自己を変化させる。それの限界が訪れた時に、自身の変化が難しい時や、折り合いがつかない時──人は精神が参ってしま -
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「正義論の正体は神学であり、自由と平等は近代の十戒である」という言葉に本書の立場は明確に示される。
今の世の中に生きていると建前と本音の乖離が大きくなりすぎ、もはや建前が建前として機能していないのではないかとさえ感じることがある。しかし著者の問題意識はより徹底しており、誰もが「〜ということにしてある」と認識する「擬制(建前)」ではなく、その存在や価値を疑わない自由や平等、主体、責任、能力主義といった近代社会を構成する本質的概念の「虚構」性を俎上にあげる。
責任の議論は自由意思の不在からホロコーストのアイヒマン、麻原彰晃の死刑判決にまで及び非常にスリリングであり、学術界からの反論も多かったようだ -
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自分以外の他者の存在は、その思考や身体機能と完全には同一化できないという意味で、実はAIと大差がない。また、それは自動運転でもある。
小坂井氏による『人が人を裁くということ』『格差という虚構』を読んだが、人間のバイアスを取り除いて深く考えさせるのが、著者の面白さだと感じている。本書も例外ではない。また本書は注釈にページが多く割かれ、そちらの重量感もあって、読み応えある本だ。
― 内視鏡検査のために全身麻酔をかけられたことがある。目が覚めた時、検査終了を意識すると共に、このまま死んでしまえばよかったという不思議な気持ちが浮かんだ。麻酔から醒めぬまま命が尽きれば、自分の死を知らず、それ以降の幸 -
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責任とは、何らの実体ももたない社会的現象=虚構であり、近代的な自律的個人像は根拠をもたないイデオロギーと断じる。
自由に伴う責任、という因果律的な認識は単なる誤謬であり、人間が何らかの内因で行為できるような自発的主体という観念も幻想であると説く。
普遍的真理など存在せず、その時代・社会ごとに受け入れられる価値観が存在するのみだ。人間が集団の中で生きるために〈外部〉と〈内部〉を虚構として創りだしてきたということを、決して否定的に述べることなく個人から集団への変遷において必然的だと主張する。
「虚構のおかげで現実が成立する。」
目を背けたくなるような事実、あるいはそれとして認識できないような事 -
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近年よく議題に上がる格差について論じた本。とはいうものの経済格差や教育格差などによる問題に焦点を当てたというよりは、格差というのはそもそも何かなぜ生じるのかを様々な観点から述べている。
印象的だったのは、能力主義や法の下の平等は格差を覆い隠すためのイデオロギーだという主張。実際には環境と遺伝によって最初から差が生じているにもかかわらず、形式的な機械の平等を与えることで現状の格差は自己責任だ・努力の結果だと思わせることができる。すなわち、自由のための自己責任ではなく、格差があるからこそ自由だとされるのである。また、現状に不満を抱き民衆が行動に移すのは差が縮まった時だとの主張もあった。フランス革命 -
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同著者の『社会心理学講義』や『責任という虚構』読もうとしたが重かったので、ちょっと寄り道。紆余曲折の末にフランスで社会心理学者として教鞭を執った著者の半生を振り返った本。
異文化の中で培った普遍性を疑う感性から見た世界を綴る。
「文科系学問は役に立つのか」という章の〆の一文が象徴的だった。
「文科系学問が扱う問いには原理的に解が存在しない。そこに人文学の果たす役割がある。何が良いかは誰にも分からないからだ。いつになっても絶対に分からないからだ。(···)技術と同じ意味で文化系学問の意義を量ってはいけない。」
文科系学問の意義は「人間の原理的な限界に気づく」ことにあるいう。
その認知は知識 -
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考えるとは悩むこと。
人は他人の頭で考えることができないのだから、借り物の知識だけでなく、”不思議だな”と思うことをしつこく追及していくしかない。しつこく悩み考えるなかにスッキリした瞬間があらわれる、たとえそれが大したことない”なーんだ、そんなこと当たり前じゃないか”と言えるものが、実は思考の結果だ。
劣等感と劣等は違う。理想と現実の乖離があるからこそ悩む。悩みが多いということは野心を持っているということだ。
本書を読んで、目の前が明るくスッキリしたという読者は少ないだろうが、確実に自分の体内に小坂井さんの毒素が回っていくとこは実感できる。
10年後にまた再読したい。 -
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今までの世の中の見方を揺るがすような知との出会いが大きな生き甲斐で、この本はそんな出会いの1つ。
メリトクラシーについてや学校が格差再生産装置であることについては、サンデルの最近の著作で読んでいて既視感があったが、そもそも格差とは何かということについて深く掘り下げており、しかもその過程で話題が広範に及ぶので面白い。他の虚構について論じた著書も併せて読んでみたい。民族という社会現象を生む集団同一性の虚構、責任という社会装置を機能させる自由意志の虚構、格差のヒエラルキーを正当化する能力という虚構。
能力は生じた格差の裏返しで、格差を正当化するための政治装置に過ぎない。貴族制が家系を持ち出して正当化 -
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社会心理学と聞いて心理学の一部門というくらいにしか考えていなかったけれど、社会学や哲学にも造詣が深い著者の目線からの話が全体像を把握しやすかった。
volumeも多く読むのに時間がかかったけれど、どの章もとても内容の濃いものばかりで、改めて読み返したいと思うほどだった。
読み終わって改めて感じたことは、世の中を一つの真理で説明することはできないと。多様性や自由が大事だというけれど、社会で揺るがない普遍的価値があるとすればそれはもう閉ざされた社会になってしまう。
開かれた社会というのはあらゆる法律ルール道徳、いずれにおいても変わることのない絶対的なものは存在しない。全ては相対化されたものに過ぎ -