あらすじ
人間は自由意志を持った主体的存在であり、自己の行為に責任を負う。これが近代を支える人間像だ。しかし、社会心理学や脳科学はこの見方に真っ向から疑問を投げかける。ホロコースト・死刑・冤罪の分析から浮き上がる責任の構造とは何か。本書は、自由意志概念のイデオロギー性を暴き、あらゆる手段で近代が秘匿してきた秩序維持装置の仕組みを炙り出す。社会に虚構が生まれると同時に、その虚構性が必ず隠蔽されるのはなぜか。人間の根源的姿に迫った著者代表作。文庫版には自由・平等・普遍の正体、そして規範論の罠を明らかにした補考「近代の原罪」を付す。
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Posted by ブクログ
「正義論の正体は神学であり、自由と平等は近代の十戒である」という言葉に本書の立場は明確に示される。
今の世の中に生きていると建前と本音の乖離が大きくなりすぎ、もはや建前が建前として機能していないのではないかとさえ感じることがある。しかし著者の問題意識はより徹底しており、誰もが「〜ということにしてある」と認識する「擬制(建前)」ではなく、その存在や価値を疑わない自由や平等、主体、責任、能力主義といった近代社会を構成する本質的概念の「虚構」性を俎上にあげる。
責任の議論は自由意思の不在からホロコーストのアイヒマン、麻原彰晃の死刑判決にまで及び非常にスリリングであり、学術界からの反論も多かったようだ。補考ではそうした原著への批判に対する回答がなされており、増補として文庫化された。
全編を通して非常に読みやすく、微妙な問題を扱っているにも関わらず主流派(多数派)の陥りがちな誤りを鮮やかに指摘して説得力がある。
現代人を生きづらくさせている諸々の「正しさ」から降りつつ、相対化の無重力空間へ放り出されずに繋ぎ止めておく「虚構」はあり得るのか、そんな疑問が浮かんでいる。
Posted by ブクログ
責任とは、何らの実体ももたない社会的現象=虚構であり、近代的な自律的個人像は根拠をもたないイデオロギーと断じる。
自由に伴う責任、という因果律的な認識は単なる誤謬であり、人間が何らかの内因で行為できるような自発的主体という観念も幻想であると説く。
普遍的真理など存在せず、その時代・社会ごとに受け入れられる価値観が存在するのみだ。人間が集団の中で生きるために〈外部〉と〈内部〉を虚構として創りだしてきたということを、決して否定的に述べることなく個人から集団への変遷において必然的だと主張する。
「虚構のおかげで現実が成立する。」
目を背けたくなるような事実、あるいはそれとして認識できないような事実について、冷静かつ精緻な筆致で淡々と記述していく。
規範論を遠ざけ、徹底的に記述的態度を取って責任の本質・正体を見出そうとする様子には好感が持てた
衝撃を受けた箇所・感心させられた箇所が多すぎて述べることが出来ないが、取り敢えず言えるのは、この500頁という厚さでリーダビリティを損なわせることなく、しかも誰でも理解できるようなところから議論を始めているところは凄い。
聞いたことあるようなホロコーストに対するアーレントの「悪の陳腐さ」の議論から、タイムリーな冤罪の議論まで、集団が自律稼働したことによる影響について網羅的に論じられているため、各章を読むだけでも充分大きな成果が得られると思う
個人的には、『アルコホリズムの社会学』で扱われたアディクション、『イルカと否定神学』で扱われた引きこもりなどの社会性の問題などの根本原因である近代社会の欺瞞について、また新たな視点を追加してくれるような本ですごく満足。
いつの時代もそうなんだろうけど、「当事者としては」やっぱり近代ってとんでもない時代なんだなと思った。神を殺した罪かな
「虚構のない世界に人間は生きられない。」
Posted by ブクログ
一般的には自由と責任は表裏一体の因果関係であり、なので法や規範の判断の元になる自由意志によって罰される。
ただ、人の行動は脳の信号を起点に人が意識を持つ以上、自由意志はないので責任はないはず。それにもかかわらず規範で人を罰する矛盾をつく。
結局自由も責任も、社会が決めた虚構であり、自由意志みたいな内側にあるものじゃなくて外側にあるもの。普遍的な規範を追い求めても袋小路じゃないかと問題定義している。
Posted by ブクログ
本題は4章からだが、個人的には1.2.6章が1番面白く感じた。社会秩序というものがいかに根拠のないもので支えられていて、薄氷の上に成り立っているかという事がわかる。絶対的な神が消えた現代において法や道徳、自由、責任、これらのものを証明する根拠は存在しない。だが虚構は(たとえそれが虚構だとわかったとしても)それが真理であると信じないと社会が成り立たないため、そういう意味ではこの本は役に立たない。しかし、この本は確実に新たな視座を読者に与えるだろう。
Posted by ブクログ
責任は、秩序を保つために必要な虚構である。決して、その当人に原因があるから罰せられるわけではない。罰するために、当人に原因があったと決めるのである。
こういった「見たくないもの」を直視して社会のあり方を根本から問うことができる力は、早いうちに身につけておきたい視座だ。思春期にこれを読めば、もっと早くから社会課題に直接対峙できたかも。30代の今だからこそ刺さるのかもしれないですが。。
Posted by ブクログ
死刑制度は、誰もが責任を感じさせないシステムになっているからこそ、維持可能である。
この指摘が、本当にショッキングだった。
第1章で、ホロコーストは、高度な組織化のもと作業分担が行われ、責任が分散化することによって可能だったということを具体的かつ丁寧に論じた後、第2章(表題は「死刑と責任転嫁」)で、終局的な死刑執行場面のまざまざしい描写にはじまり、死刑制度はホロコースト同様、分業体制がこれを支え責任が分散化されているからこそ(あるいは「無責任体制」だからこそ)、維持可能だと説得的に論じていくので、全体として第2章は、心情として読むのが非常につらかった。つらすぎた。
死刑を執行する者、言い渡す者、求刑する者、執行命令に署名する者、それぞれの心理負担を軽減するメカニズムなしには、制度が機能しない。
「受刑者を死に至らしめる罪悪感は、こうして組織全体に限りなく転嫁・希釈される。」
第3章以降では、責任の虚構性を論じています。
責任は、因果関係ではとらえられず、「主体」「責任」「自由意思」は、虚構性を巧妙に隠された、社会に必要な虚構にすぎない。これらを、脳科学の知見などあの手この手で論じています。
ただ、自由意思という概念を持ち込まないと、近代の処罰制度は機能しない。
スケープゴートを正面から受け入れる制度に戻ることは、もっとできない。
他方、処罰がない、社会規範からの逸脱がない社会は、突き詰めると恐ろしい全体主義でしかない。
死刑への責任の分散化は、さらに辿れば「国民の大半は死刑制度の維持を望んでいる」とする法務省、死刑制度の正当化の「根拠」たる国民の「意思」へ行きつく、とも考えられますが、その「意思」すら無根拠の虚構となってしまい、もうどうすればいいのか。
できることは、虚構性を認める視点を持ち合わせ、その上に立っていることを自覚して、社会に、処罰制度に、向き合うことでしょうか。
その他。
「殺意は、殺そうという心理状態でなく、このような状況では殺意があったと認めるという了解だ。つまり、意思と行為の関係は物理的な因果関係でなく、社会規範である。」
Posted by ブクログ
実験から導かれる結果では、人の行動は権威に弱く、同調圧力に流され、役割を与えられると演じようとする。さらに、意思決定以前に脳内では活動が始まっていることも測定されている。
そこから自由意志を否定しながら、責任論を哲学的に考察する。禅問答のようになって当然結論は出ないのだが、そのままでは秩序ある社会は回っていかない。
だから、もやもやしていても、多数決が正義と決めつけて、どこで線引きするか決めつけながら、進んでいくしかないのでしょうね。
まあ、数々の実験の結果が正しいかどうかは諸説あるようですが、行きつくところはそれほど変わらないかもしれません。
Posted by ブクログ
べき論も倫理も道徳も「人間の現実から目を背けて祈りを捧げているだけ」の「雨乞いの踊り」にすぎない
ブラックボックスの最後の扉を開けたとき、内部ではなく外部につながる逆転の位相幾何学
虚構の物語
近代における神の代役
個人の内部に宿る「とされる」自由意志
Posted by ブクログ
正直長いし、読むのに時間をかけすぎた。むしろ尾崎さんの解説が端的にまとめられていてわかりやすかった。ナチスの実験はなかなかに興味深かった。
責任が分散化されると所在が曖昧になる、というのは今も便利に使用されている。
線を引きながら読んだので、時間をあけてから再読したい。
Posted by ブクログ
責任を根拠付ける自由意志は存在するのか、虚構とは何を意味するのか。著者は実証科学の知見に従いながら、丹念に規範論に挑戦していく。文庫版に補考が加筆され、著者の問題意識がより明確に示されたのは、本作全体を理解する上で大変助けになった。