フォークナーの作品一覧
「フォークナー」の「熊――フォークナー短編集」「八月の光」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
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「フォークナー」の「熊――フォークナー短編集」「八月の光」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
小説・文芸
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Posted by ブクログ
ディープサウスの田舎町を舞台に繰り広げられる、壮絶な物語。一つの事件を様々な登場人物の視点から語ることで、当時のアメリカ南部の宗教的価値観や人種問題を克明に描き出している。
内的独白や葛藤が究極の密度で描写されるため、多少読みにくい部分はあるものの、翻訳がとてもよかった。
この物語のテーマをあえて一言で表すならば、「孤独」。登場人物の誰しもが何らかの孤独・内面的葛藤を抱えており、それら「社会のはぐれ者」の視点から当時の南部の因習を語ることで、作品の深度を高めている。
リーナとバイロンがテネシー州に一緒に行くラストは、希望的に描かれていると感じた。バイロンの内的独白『人間ってたいていのことには耐えられる』(p.606)は、おそらく作中唯一の前向きなメッセージ。ふたりがその後どうなったかは語られないものの、結ばれてほしいなと切に願う。
以下、メモ書きおよび人物像
⚪︎ジョー・クリスマス
黒人との混血であることを原因に、自己認識に苦しむ姿を描き、読者に対してアイデンティティの倒錯を追体験させる役割を担っている。
⚪︎ジョアナ・バーデン
先祖から伝わる奴隷制度廃止論を、田舎町で静かに貫いている中年女性。善人として描かれると思いきや、クリスマスと情交に堕ちていく様はとても人間臭く、この女性の人物像をよりリアルなものとしている。
⚪︎ゲイル・ハイタワー
南北戦争で活躍した先祖に囚われすぎていることが原因で迫害にあってしまった元聖職者。孤独を抱えながらも、人には親切。
⚪︎リーナ・グローヴ
作者曰く、本作品の主人公。身重だが、まっすぐに未来に向かって進もうとする。暗い本作品において、唯一希望的に描かれている。
⚪︎バイロン・バンチ
最も普通の人物として描かれている。この人物の内面的葛藤は恋愛から来るものであり、他の人物より一回り軽いように感じる。50キロ離れた町で聖歌隊を指揮する一面も。リーナのことが好きすぎて、リーナの子供の父親と決闘するも惨敗。
Posted by ブクログ
1976年の夏、ぼくはフォークナーを三冊、続けざまに読んでいる。『サンクチュアリ』(1931年作品)『八月の光』(1932年作品)『フォークナー短編集』(1950年)。『響きと怒り』(1929年)も読んでいる気がするのだが、記録にはないので間違いかもしれない。いずれにせよ当時、ぐいぐい引っ張られたことを覚えているのと、何とも暴力的な世界だとの印象が残る。強烈な暴力の印象が。『サンクチュアリ』は二十歳のぼくにとってとても衝撃的で、しかも魅力的であった。それから半世紀近くが過ぎようとしている今、フォークナーの『野生の棕櫚』(1939年)が文庫化され目の前に出現。フォークナー作品で受けた衝撃は覚えているから、ただ事ではなかった。
そしてページを開いて呆気にとられる。この一冊の中には二つの小説作品が存在している。確かに本の帯には<二重小説>との特大文字が光る。目次を見ると『野生の棕櫚』の各章の合間には別の作品『オールドマン』が挟まれている。なので、二つの全く異なる作品を同時に読んでゆくという形式なのだ。いわゆる1930年代に書かれた極めて前衛的な構成の作品なのである。破壊的要素も強い印象のあるフォークナーだが、本書ではここまでやっていたのだ。
しかもフォークナーは、この作品を別々に書いたのではなく、『野生の棕櫚』を一章書くと、『オールドマン』の一章を連続して書き、また『野生の棕櫚』に戻るという書き方に徹したらしい。二つの小説を別々に書いたのではなく、二つの小説をセットとして意識して書いたのだ。
と、同じ構成の作品が何か身近になかったかと考えると一つだけ思い当たった。村上春樹『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』である。アメリカ文学に詳しい村上春樹のことだからフォークナーへのオマージュは既にあったのかもしれない。
さて『野生の棕櫚』は、いくつかの夏用貸し別荘の建つ湖畔だが、季節外れになると誰もいなくなる医師夫妻のもとに、とある男女が辿り着くところから始まる。別荘の一つを仮住まいとして住み着いた夫婦は何やら訳ありの空気が見られる。第二章からは彼らの放浪の出発地点からのことが過去に遡って語られ始める。
一方『オールドマン』は、大雨洪水災害に見舞われるミシシッピ川の堤防の修復に駆り出される囚人たちの光景から物語がスタートする。未曽有の災害と言われる大洪水は、もう何度もミシシッピ川を襲ったことがあるらしいが、今回のそれはまた桁外れの様相だ。第一章では獄中にある囚人たちに看守から、堤防の補強に駆り出されるところまでが描かれる。その後、囚人たちのグループも看守たちを含め作業中にバラバラになってしまう。生死を賭けた自然の猛威との闘いがその後描かれてゆく。
若い不倫男女のあてどない逃避行と、飢餓感、餓えたような愛と性、救いどころのないロードノベルのような『野生の棕櫚』。
一方、流され翻弄される囚人が、被災した妊婦を助け、ともにミシシッピ川を下るエネルギッシュなストーリー。
作者は、あまりに救いのないギリシャ悲劇のような一つの物語を、もう一つの災害中でありながら救いに満ちた物語と交互に語ることで、バランスをとるという考えでこの一冊を書き上げたらしい。なのでそれぞれを別々にではなく、交互にストーリーを書きながら二つで一つの世界として構築してきたものだと言う。
文章は、とても長く、長ったらしく、段落替えが極度に少ないが、その文体とて考えられ考え抜かれたものなのか、フォークナーという独特の作品用文体なのか。ともかく描写能力は際立っているし、心の流れもどんどん文章化されてゆくように思う。前衛さと、文章のディープさと、フォークナー文学を支える原初的な野生。自分は小説家ではないと豪語しつつノーベル文学賞までかっさらった天才の物語作風は、やはり強烈そのものであった。半世紀前に受けた衝撃からこの方、いささかも緩ぎないものだったのである。
Posted by ブクログ
フォークナーの野生の棕櫚。ゴダールの『気狂いピエロ』だったと思うけど、映画の中でJ・P・ベルモンドが読んでいた小説。『Perfect days』で役所広司も読んでいた。野生の棕櫚とオールドマンが交互に配置されることでフォークナー自身が言うように独特の効果を発揮している。単に野生の棕櫚だけだったら普通の?恋愛小説になっているところに、全く関係のないオールドマンを重ねることで、野生の棕櫚にそもそも飽きが来ないようになっているし、関係性を探るような深読みも誘う。
生き急いでいるように感じる2人を描く野生の棕櫚と、どこか達観した2人を描くオールドマンの関係がなおさら、野生の棕櫚の2人の痛々しいまでの関係性を際立たせる。
文体はやや難しく、全ての出来事を拾い切れていないと思う。特に重要なイベントをぼやかして書かれているので、イベントに気がつかないところも多かった。ただ、その表現は散文だけれど詩的でかっこいい。何度も読みたい小説。