小針誠の作品一覧
「小針誠」の「アクティブラーニング 学校教育の理想と現実」「〈お受験〉の歴史学 選択される私立小学校 選抜される親と子」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
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「小針誠」の「アクティブラーニング 学校教育の理想と現実」「〈お受験〉の歴史学 選択される私立小学校 選抜される親と子」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
ビジネス・実用
ビジネス・実用
Posted by ブクログ
本書は、教育現場を席巻する「アクティブラーニング」の、これで生徒は主体的・能動的に学ぶようになる「はず」、生きる力が高まる「はず」という前提を、本当にそうなのかどうか検証し、大正時代、戦時下、戦後、平成以降と教育史をたどりながら、「アクティブラーニング」が強力に推進される背景について考察した本である。
「アクティブラーニング」という言葉は現在、公式には使われておらず、「主体的・対話的で深い学び」と言い換えられているが、考えてみると「主体的」と「深い」は、実は何も言っていないに等しい。「主体的」も「深い」も、目指すべき望ましい学びに決まっているからである。「隷属的で浅い学び」など「学び」ではない。この2語はあらゆる時代の教育に普遍的に通用し、学びの方法について言及しているわけではないので、とりあえず無視するべきだろう。残るは「対話的」であるが、これについて著者は興味深いテータを紹介している。
2012年の国際学習到達度調査PISAで、数学の授業において、問題解決のためのグループワークをどれくらい行っているかが尋ねられた。実はこの質問に「まったく/めったにない」と答えた生徒の割合が高い国ほど、数学的リテラシーの平均点が高い。例えば、「まったく/めったにない」の割合が71.7%のアクティブラーニング後進国日本が7位であるのに対し、割合が17.7%のアクティブラーニング発祥国アメリカは、36位だった。PISAの高得点で注目されたフィンランドも、「対話的」であるはずのグループワークには積極的ではない。
なんのことはない、つまり、教える側から見た場合、教える事項、教材、教える環境、対象等、様々な条件によって、最良の指導法が決まる。対話的な方法が有効な場合ももちろんあるし、教える者が説いて聞かせる授業形式が最善な場合もある。至極当然だが、それだけのことだ。そもそも、人の話を真剣に聴くという行動は、極めて「アクティブ」であるはずだ。
こんなことは教える側にも学ぶ側にも自明であるにもかかわらず、現在この国が「アクティブ」「アクティブ」と呪文のように連呼するのはなぜか。背景には何があるのか、その考察が本書の白眉である。詳しくは是非本書を読んでほしいが、いつの時代も「アクティブラーニング」的な指導法は推奨されていた。「アクティブラーニング」の対極にあるとつい考えがちな、戦前・戦時中においても、である。
注入主義の教育を排し、「常に自ら進んで学習せんとする強き興味と習慣を養うこと」
まさに「アクティブラーニング」だが、これは1938年12月の教育審議会の答申「国民学校ニ関スル要綱」の文言である。戦時体制下の教育でも、一方的な知識の注入は非とされ、「アクティブ」な作業や体験を通して、主体的、自発的に学ぶ生徒の育成が目指されていた。ただしそれは、生徒を「皇国ノ道ニ帰一セシメ」るためであり、そのためには生徒に、無理矢理やらされているのではなく、自ら望んで、進んでそうしているという感覚を持たせることが必要だからであった。この図式を現代にあてはめて考えてみると、見えてくることがある。「アクティブラーニング」が教育界ではなく、経済界の要請で始まったことを忘れてはならない。
本書は、本物の教育関係者必読の本である。教育関係者のみならず、一人でも多くの人に読んでもらいたい。特に、あまりものを考えないように躾けられている若い教員が、本書を「アクティブラーニング」の指南書と勘違いして手に取り、読み通してくれることを願う。
Posted by ブクログ
本書に、仮設実験授業についても触れられているということを耳にしたので、手に取った新書。
でも、読んでみるとほんの数行でしかなかった。
へー、そうだったのか、と思ったのは、大正自由教育の流れから戦前の教育へ移行したときの、教育内容と教育方法の変化についての部分だ。
それまで、なんとなく、教育全体の締め付けがキツくなり、自由度がなくなり、教え込み教育になったのだろうと思っていたのだがー実際の教室ではどうであったのかは知らないがー少なくとも、文部省の考え方は違うようだ。
しかし、だからこそ、形だけのアクティブラーニングを求めようとする現代教育に、警鐘を鳴らしている。
批判的な考え方をすることはアクティブラーニングの一部どころか学習の本質でもあるだろう。それを抜きにしてのアクティブは、似非でしかない。
気をつけよう はみ出しを許さない アクティブラーニング
というところかな。
Posted by ブクログ
2020年コロナ前、センター試験を共通テストに変える変革で世間が騒がしくなってきた2018年の一冊。大学では、やたらと「授業にアクティブ・ラーニングを導入しているか」という調査、問い合わせが、教員に対して始まっていた時期。
本書は、「学校教育においてアクティブ・ラーニングを実施せよ!」というお達しを受けた困った教員が手に取る「アクティブ・ラーニング」ハウツー本ではありません。政策として導入(強制)されようしているこの「アクティブ・ラーニング」とか「主体的・対話的で深い学び」の問題点を、教育研究者の著者がどちらかというと批判的に論じている内容です。
「アクティブ・ラーニング」とは何なのか?その歴史は?近年の教育「改革」でこの言葉が叫ばれるのはなぜなのか?近年、いったいどういう経緯でというこの言葉が騒がれているのか、その背景を知ることができます。
本書では、「アクティブ・ラーニング」は大正デモクラシー時代にも実践され、問題点も明らかとなり、それが戦争に向かう次期の「国民学校」における教育にも利用され、戦後は戦後で、再び「民主主義」を担う子供たちを作り出すために実施されていたことなども示されている。
そして現代も過去を検証せず、子供たちの多様性も無視し、理想だけを掲げて、現実の運用のことも考えずに現場に政策を押し付けている様子が良く分かります。人間が入れ替わる度に、同じようなことを繰り返していることが分かる。