鈴木芳子の作品一覧
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小説・文芸
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Posted by ブクログ
読書について
著:アルトゥール・ショーペンハウアー
訳:鈴木 芳子
出版社:光文社
光文社古典新訳文庫 Bシ-7-1
良書、おもしろかった。
「積読こそが完全な読書術である」で本書のおすすめがあったので購入しました
本書の中に、本をたくさん読むと、自分では考えなくなり、バカになるという記載があり、そうかもと思う反面で、「守破離」ということが浮かんできました。
ショーペンハウアーは、お手本があってこそ、成長ができる段階があることには言及していません。
いきなり、良書を渡されても、いきなり、ハシゴなしに、高見に登れといわれても、途方にくれるのがおちです。
でも、自分で苦労して考えて、ひとつひとつを積み重ねてゆっくり成長していくということは、〇〇パフォーマンスという亡霊に取りつかれた現代人には必要なのかもしれません。
相互に関連のある3つの話が含まれています
読み進むにつれて、おおまかに考えても、著者が生きた18世紀から19世紀においても、現代においても、文書や、書籍に対するアプローチ、基本的な考え方は、基礎となる部分はあまり変わっていないことに安心します。
それぞれ、気になったところは、以下です。
■自分の頭で考える
・たくさんの整理されていない蔵書より、ほどよい冊数で、きちんと整理されている蔵書のほうが、ずっと役に立つ
・自分で考えることと、本を読むことでは、精神に及ぼす影響に信じがたいほど大きな開きがある
・読書は自分で考えることの代わりにしかならない
さんざん苦労して、時間をかけて自分の頭で考え、総合的に判断して真理と洞察にたどりついたのに、
ある本を見たら、それが完璧な形でさらりと書かれていた
そんなこともあるかもしれない
だが、自分の頭で考えて手に入れた真理と洞察には、百倍の値打ちがある
・第一級の人物に特有の際立った特徴は、判断をすべて自分で直接下すことだ
■著述と文体について
・物書きには2種類ある
テーマがあるから書くタイプと、書くために書くタイプだ
第1のタイプは、思想や経験があり、それらは伝えるに値するものだ
第2のタイプは、お金が要るので、お金のために書く
・資料の寄せ集めで出来上がった本は、できるだけ読まないようにすべきだ
・できれば原著者、そのテーマの創設者、発見者の書いたものを読みなさい
その内容を抜き書きした解説書を買うよりも、そのもとの本を古書で買いなさい
・本は著者の思想を印刷したものに他ならない
思想の価値を決めるのは、素材か、表現形式だ
素材とは、「なにについて考えたのか」であり
表現形式とは、どう素材に手を加えたのか「どう考えたのか」だ。
・真の思想家はみな、思想をできる限り、純粋に、明快に、簡明確実に表現しようと試みる
したがって、シンプルであることは、いつの時代も真理の特徴であるばかりでなく、天才の特徴でもあった。
できる限り偉大な知者のごとく思索し、しかし、だれもが使う言葉で語れ
「話があるなら、そのへんの奴らの言葉でしゃべれ」シェークスピア、ヘンリー四世
より
・つまらぬことを付け加えるなら、よいものをカットしたほうがましだ。
・人間は一度にひとつのことしか、明瞭に考えられない
■読書について
・読書するとは、自分でものを考えずに、代わりに他人に考えてもらうことだ
かれらは、多読のために、愚かになっている
・ひっきりなしに次々と本を読み、後から考えずにいると、せっかく読んだものもしっかり根を下ろさず、ほとんどが失われてしまう。
・悪書は読者から、本来なら良書とその高尚な目的に向けられるべき時間と金と注意力を奪い取る。
・私たちが本を読む場合、もっとも大切なのは、読まずにすますコツだ
・良書を読むための条件は、悪書を読まないことだ
・「古人の書いたものを熱心に読みなさい」シュレーゲル 古代の研究 より
・反復は勉学の母である 重要な本はどれもみな、続けて二度読むべきだ
・2つの歴史がある。
ひとつは、政治の歴史であり、もうひとつは、文学と芸術の歴史だ。
前者は意思の歴史であり、後者は知性の歴史だ
目次
自分の頭で考える
著述と文体について
読書について
解説 鈴木 芳子
年譜
訳者あとがき
ISBN:9784334752712
判型:文庫
ページ数:200ページ
定価:800円(本体)
2013年05月20日初版第1刷発行
2019年02月20日 第8刷発行
Posted by ブクログ
アリストテレスによれば、人生における財宝は三つに分類される。すなわち、魂の財宝、肉体の財宝、そして外的な財宝である。この三つを起点に、ショーペンハウアーは次の三つが幸福を根本規定すると述べている。一つ、その人は何者であるか。二つ、その人は何を持っているか。三つ、その人はいかなるイメージ、表象・印象を与えるか。
"すべての中で最も直接的に私たちを幸福にしてくれるのは、心根が明るいことである。なにしろ、この良き特性は瞬時に効く。快活な人には、いつも快活でいられる理由があって、それはとりもなおさず本人が快活なためである。(中略)若く美しく金持ちで尊敬されている人間がいるとしよう。彼が幸福かどうか判定しようとすると、陽気な人かどうかが問題になるだろう。これに対して、彼が陽気なら、若かろうが老いていようが、背筋がぴんと伸びていようが、背中が曲がっていようが、貧乏だろうが金持ちであろうが、そんなことはどうでもよい。とにかく彼は幸福なのである。幼少のころ、あるとき古い書物を開いたら、「多く笑う者は幸せですし、多く涙を流す者は不幸せなのです」と書いてあった。たいそう簡素なコメントで、月並な言葉なのに、その明白な真理ゆえに忘れ得ぬものとなった。だからこそ、陽気さが訪れたら、いつでも直ちに門扉を開放なさい。「いま陽気さが来られたら困る」などということはないのだから"(pp.30-1)
"「客観的に現実にいかなる事態なのか」ではなく、「私たちにとって、いかなる事態なのか、私たちが事態をどう把握したのか」が私たちを幸福にしたり不幸にしたりするのである"(p.33)
"低級な頭脳の持ち主が退屈を大いにもてあますのは、かれらの頭脳が徹頭徹尾、意志を動かす「動機の媒体」以外の何ものでもないからである"(p.44)
"ただしデカルトの場合もそうだが、外的状況が引き立ててくれなければ、みずからが自分の主人となって楽しむことはできない"(p.50)
アリストテレス曰く、"人間の幸福は、自分の際立った能力を自由自在に発揮することである"(p.51)
"精神的にもっとも劣った人間が結局のところ、いちばん幸せだという主張は、いやというほど聞かされてきたし、またそう見えないこともないが、だからといって、そうした人間の幸福をうらやむ者はひとりもいない"(p.66)
"ホラティウスの「功績によって勝ち得た誇りをわがものとなさい」という言葉も却下しえない。謙譲の美徳にしたがうと、だれもが自分のことを語るのに「私もまたろくでなしです」と言わんばかりにせねばならず、そうなると世の中にはおよそ、ろくでなししか存在しないかのように、みごとに平準化されてしまうので、おそらく謙譲の美徳はろくでなしにとって、かなりの妙案なのだろう"(p.100)
"総じて、自分の一生に対して、何が起こっても大丈夫なように事細かな準備をするのは、もっとも頻繁にみられる最大の愚行である。そういう場合、何よりもまず完璧で十全な一生を当てにしている。ところがそれを全うする人はきわめて少ない"(p.204)
"キケロは、「完全に自分だけに左右され、自分自身に全幅の信頼を置く者が、完璧に幸福でないはずがない」と言っている"(pp.226-7)
"ずっと家にこもり続けていると、身体が外部の影響に対して敏感になって、少し冷たい風にあたっただけで病気にかかりやすくなるように、ずっと隠棲して孤独でいると、気持ちが敏感になって、何でもない出来事や言葉に、それどころか単なる顔の表情にさえも、不安になったり、感情を害したり、傷ついたりする。いっぽう喧騒のなかにいる人は、そんなことはまったく気にもとめない"(pp.242-3)
"とりわけ年が若いために、孤独のわびしさに長く耐えられないという方には、自分の孤独の一部を社交へ持ち込むこと、(中略)自分の考えをすぐ他人に話したり、他人の言うことを真に受けたりせずに、むしろ道徳的にも知的にも他人の言うことにはあまり期待せず、他人の意見などどこ吹く風という姿勢をくずさないようにしなさい。それが常に称賛すべき寛大さを発揮するもっとも確実な手段である"(p.243)
"自分が持っていないものを見ると、ともすれば、「あれが私のものだったら、どんなだろう?」という考えが頭をもたげてきて、ないものねだりをしてしまう。そうではなく、自分が持っているものに対して、「これが私のものでなかったら、どんなだろう?」としばしば自問してみよう"(p.257)
"ともあれ、各自が能力にしたがって何かすればよい。(中略)仕事らしい仕事もなく、いわば自分にしっくりくる自然な生活地盤から引き抜かれるため、時折かなり不幸な気持ちになる。(中略)「いつも同じ楽しみで十分」とすると、いつしか停滞を招き、人間はそうした停滞に耐えられない。(中略)障害を克服するとき、人間は生を満喫し、障害と闘って勝つことで幸せになる"(p.263)
"世人と交わって生きていかざるを得ないなら、個性は自然が定め与えたものである以上、どんなに劣悪で憐れむべき愚かしい個性であっても、絶対に排撃してはいけない。むしろ個性は永遠の形而上的原理ゆえに、こうでしかありえない不可変のものと受け入れるべきで、ひどい場合には「こういう変わり者もいるのだ」と思えばよい"(p.274)
Posted by ブクログ
本屋が好きだという人の気持ちがどうしてもわからなかった。そこに置かれている本のほとんどは悪書、より控えめに言えばピカソではなくラッセンであり、食えば9割腹を壊すレストランで嬉々として食事をするようなものだと思っていたからだ。出版不況の最中、どんな本であれ売れれば本というメディアが生き長らえるのだからそれでよいという妥協は、ショーペンハウアーのおかげで葬り去ることができるようになった。曰く、古典を読みなさい。新刊書のほとんどはすぐに忘れ去られるもので、逆に古典は賢者がずっと忘れなかったものだから。
2021年、この本は岩波じゃない方がよいと思って買って読んだが、再読してその直観は正しかったと言いたい。平易な翻訳でも節々に格調高さと明快さのある表現がショーペンハウアーの思索の広場で踊っている。
"どんなにたくさんあっても整理されていない蔵書より、ほどよい冊数で、きちんと整理されている蔵書のほうが、ずっと役に立つ。同じことが知識についてもいえる。いかに大量にかき集めても、自分の頭で考えずに鵜呑みにした知識より、量はずっと少なくとも、じっくり考え抜いた知識のほうが、はるかに価値がある。なぜなら、ひとつの真実をほかの真実と突き合わせて、自分が知っていることをあらゆる方面から総合的に判断してはじめて、知識を完全に自分のものにし、意のままにできるからだ"
"読書は自分で考えることの代わりにしかならない"
"良書を読むための条件は、悪書を読まないことだ"
"怒りのない人間は、知力もない。知力はある種のとげとげしさ、鋭さをはらみ、そのため毎日、実生活、芸術や文学で無数の事柄にひそかな非難やあざけりをおぼえるが、それこそ愚かな模倣を阻止してくれるものだ"
"無知は人間の品位を落とす。しかし人格の下落がはじまるのは、無知な人間が金持ちになったときだ"
"読んだものをすべて覚えておきたがるのは、食べたものをみな身体にとどめておきたがるようなものだ"
"思想体系がないと、何事に対しても公正な関心を寄せることができず、そのため本を読んでも、なにも身につかない"