中里京子の作品一覧
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ユーザーレビュー
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運動に関して私たちが抱いている態度は神話に過ぎない
“現代の産業化された運動に対するアプローチは、身体活動に関する進化論的・人類学的な視点を無視あるいは誤って解釈しており、誤解、過大評価、誤った論理、散見する誤り、そして許しがたい責任転嫁により損なわれているという事実を、論拠を挙げて明確にしたい
...続きを読む。”(p.16)
著者は、文明が発達した現代社会において、人間が運動するのは正常なことであるという神話のもとで「私たちは運動をしたがってあたりまえだ」、「私たち人間は運動をするために生まれてきた」という、運動愛好者による誤った吹聴や誇張された表現も多く、そのことは運動しない人々に手を差し伸べないにもかかわらず運動しない人々を不当に避難する結果となっているとを指摘する。
運動に関する多くの言説は、矛盾する神話で溢れておりその多くが誤っているとした上で、
・なぜ、運動が身体に影響を与えるのか
・なぜ、多くの人が運動に消極的なのか
・なぜ、身体を動かさないと老化が早まり病気になる可能性が高まるのか
これらの疑問を、欧米人やアスリートに焦点を当てた従来の研究に加えて、進化論的、人類学的な視点から明らかにしていくという内容。
本書の結論をまとめると、人間の進化における必要性から、運動をすることには多くの利点があるが、人間にはエネルギーを節約したいがために運動を避ける本能があるため、それらを覆し運動することを選択する必要があるということだった。
人間は運動するために進化してきたという表現は明らかに誇張された表現であるとした上で、運動をすることで得られるメリットについても多く書かれていた。運動を避けるのは人間の本能であるということなので、運動することの利点をよく理解した上で、楽しいと思う運動を無理なく生活に取り入れて習慣にしていく必要があると思った。
以下に本書で紹介されている有酸素運動がもたらす多くの体へのポジティブな効果をメモしておく。
(有酸素運動の効果)
▫️心臓の機能を高める
・心臓の心室を刺激して、より大きく弾力的にする
・心臓の機能が改善し、血液を送り出しやすくする毛細血管が拡張し、細動脈や酸素交換の効率が良くなる
・悪玉コレステロールや中性脂肪を減らし、動脈を不純物の付着していない、詰まりのないものにする
▫️体内のほぼあらゆるシステムの成長と維持を促す
・筋繊維の成長を促す糖質を蓄えて脂肪燃焼能力を高める内臓脂肪を燃焼させ、糖分を利用する能力を向上させる
・多くのホルモンのレベルを有益に調整する
・骨を大きく高密度にする骨の修復とともに、他の結合組織を強化する免疫系を刺激して、一部の感染症を予防する能力を高める
▫️脳の機能を高める
・脳への血流を増加させ、脳細胞の成長、維持、機能を刺激する分子の生産を高める
・認知能力や気分を向上させる
Posted by ブクログ
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前から研究者レベルでは言われていたことだが、昆虫の絶滅は危機的な状況にある。
解決に向けて進める方法のヒントに、自分が小説の中で作った昆虫憲法もあると思う。そういう意味で自分の仕事も重要だと感じた。
危機感をもったが、読後の印象は爽やかで、未来に可能性も感じた。
Posted by ブクログ
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「憎悪の科学」読んだ kawade.co.jp/sp/isbn/978430… 誰もが持つ嫌いという感情が、強い憎しみに変わったりさらにある人は暴力や殺人を起こすのは何故なのか、一線を越えるきっかけは何か、越えない人との違いは何か、脳科学にフォーカスして論じててすごくおもしろい(つづく
性犯罪者の
...続きを読むように脳の先天的な特徴が原因かと思いきや、後天的つまり生育環境とか成長過程で決定的な体験を重ねてするとか、トラウマの共有による強い帰属意識(信仰心も)とかによって脳反応が次第にカスタムされていく、というのが驚き。事例がどれも陰惨でしこも実例なのでものすごい疲れながら読んだ
Posted by ブクログ
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著者は英国カーディフ大学の犯罪学教授。
同性愛者でもあり、そのことで暴行をされたことをきっかけに研究者の道を目指す。
研究の結論が、憎悪の根底には偏見があるということ。
偏見は全員にあるけど、行動にする人しない人の違いとは?
偏見はどんな時に憎悪に変わるのか?
を探る憎しみの科学。
憎しみを持
...続きを読むった個人が集団になると、私たちvs彼らという対立を作り出す。
集団になると没個性化といった個人と集団の壁が曖昧になる現象が起きる。
そのため、群集心理として個人の責任が希薄化する。
集団は怒り、怖れ、屈辱、恥、共感の欠如といったネガティブな感情も助長する。
最終形態には相手の絶滅があり、ナチスドイツのユダヤ人撲滅のような過激な行動に繋がってしまう。
このような行動背景には行き過ぎた「情熱」と「執着」といった共通点がある。
それにより、道徳的大義や正義は自分達にあると思い込み、憎しみの対象を道徳的な敵とし手段の正当化をする。
集団になると個人では絶対にしないような行動、心理状態になる。
人の残酷さが分かる一冊。
Posted by ブクログ
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(上巻より続く)
パートⅢは3章を割いて持久力が取り上げられる。ランニングを趣味とする自分としては最も興味深く読めた部分。
ウォーキングを扱う章では、「代償性代謝」即ち運動を多くすると安静時代謝が抑えられる現象のせいで、活動的な人と非活性な人で結果的に1日あたりのカロリー総予算がさほど変わらない
...続きを読むという「制約された総エネルギー消費量理論」が面白い。歩行などの低負荷の運動ではカロリー予算に大きな影響はないのだ。著者はpedestrian(歩行者、歩行の) という言葉が「平凡な、ありふれた」という意味でも使われることを引き合いに、人間にとってありふれた行為である歩行がカロリーを消費しないよう効率的に進化してきたことは当然で本質的なことだ、というようなことを述べているが、なかなかうまい説明だと思う。
ではマラソンなどの高負荷の運動はどうか。著者らの主張によれば、ホモ・エレクトスは腐肉漁りや狩猟のために暑さの中で長距離走行が可能なように体の構造を進化させたのであり、つまりその子孫である人間は元来長距離ランナータイプなのだという。他の動物より長く弾性に富む脚と、大量発汗が可能な汗腺を多く持つおかげで、ランニングする人間はトロット(速足)する馬や犬に比べ長い距離を走ることができる(著者も出走したという馬vs人間のマラソン大会の描写が面白い)。人間は生まれながらにしてラノファイル(ランニング好き)なのだというこの主張以降、本書では長距離走ひいては有酸素運動が典型的な「運動」として扱われることになる。
しかし人間は年老いると結局は非活動的になるではないか。この反論に対し著者は進化生物学的見地から、生殖適齢期が過ぎても活動を維持し、子や孫の世代の繁栄に貢献する人間が自然選択により優遇されるという「アクティブな祖父母仮説」を提唱している。これによりメダワー「自然選択の影(生殖可能年齢を過ぎると自然選択が働かなくなる)」を逃れている可能性があるというのだ。もちろんそのような選択の対象となる遺伝子自体が発見されているわけではないし、結局は年齢を経るごとに自然選択の影響は弱まっていくのだが、それでも運動には身体を長期にわたり維持する効果があるという。
それを説明するのが、運動に起因する各種損傷(ストレス関連ホルモン上昇、活性酸素発生、筋細胞破壊など)がその後の組織修復を惹起し、結果として基礎代謝が上昇する(アフターバーン)という「コストのかかる修復仮説」だ。つまり激しい運動がホメオスタシスのレベルを一段ギアアップし、身体組織により多くの恩恵をもたらすということらしい。そしてここが若干ややこしいところだが、我々が生殖以外の活動(運動)に必要以上のエネルギーを消費しないよう進化したのだとすれば、運動とその後の修復によりエネルギー効率を高める能力を備えたよく運動する活動的な個体こそが自然選択を受けるはずだ、というのだ。
しかし非活発的な人間が長寿を享受することも稀ではないことはどう説明するのか(「運動は体に悪い」と嘯くドナルド・トランプが例に挙げられている)。著者は寿命と健康寿命を分離して考えるべきだと主張する。人間の主な死因は長きにわたり急性期感染症や事故死であり、生活習慣病などの慢性疾患がそれにとって代わったのは比較的最近のことだ。著者は、人間の身体に対する自然選択の作用が、未だこの慢性疾患メインの新しい環境条件に追いついていないという「ミスマッチ」が、健康寿命の伸びが寿命に追いつかない現代の状況の原因であるとし、修復仮説に基づき健康寿命を伸ばす可能性のあるランニングを称揚している(ランナーとしては喜ばしい限りだが、健康寿命は短かろうと著者に決めつけられたトランプその他の運動嫌いにはやや気の毒な感じもする)。ともあれ、年をとってもアクティブでいることに意義があることは確かなようだ。
パートⅣではいよいよ本書のテーマであるパラドックス「人間はなるべく運動しないよう進化してきたのに、運動が健康に良いのはなぜなのか」に焦点が当たる。
これまで見てきたように人間の「体」は運動で最適化されるのだが、い人間の「心」は基本的に運動を快いものだとは思わない。これを克服するための動機づけのため、「運動を大学のように扱う(費用などの社会的コミットメントを用いて人々を運動するようナッジする)」ことが提唱されている。また、運動量と死亡率の間には強力な用量反応関係があり、よく言われる「開かれた窓(高強度の運動による免疫力の一時的低下)」もさらなる研究による検証が必要だという。
そして、いよいよ最終章ではさまざまな病気に対する運動の効能が具体的メカニズムとともに説明されるが、ようやく前述のパラドックスに対する著者の解答が提示される。
我々の祖先が生きた工業化以前の社会においては、人間は生殖によりエネルギーを割くよう淘汰圧を受けてきたため、運動による調節でカロリーを合理的に節約できるよう進化した(コストのかかる修復仮説)。当時の生活はそもそも活発な身体活動を前提としていたため、そのような運動嫌いの性質が優遇されたはずだ。しかしその後人間はほぼ一瞬の間に座りっぱなしの脱工業化社会を作り上げてしまったため、一変して不活性となった新環境に身体が適応できず運動不足となり、カロリー消費合理化のための修復機構が発動する機会が減った。これが先祖から見たら不合理とも言えるほど我々が運動に血道を上げなければならなくなった理由だ。我々は、さまざまな口実を設けて運動するよう、自らをナッジしなくてはならなくなったのである。
「体の使い方に関する哲学は、人生の生き方に関する哲学と同じくらい有用だ」。終章での著者の言葉である。これまで運動も哲学もともに苦手だったが、人生も半ばを過ぎてようやく両者の面白さに気付いた僕にとって、これほど勇気づけられる言葉はない。
Posted by ブクログ
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