作品一覧

  • 愛読の方法

    愛読の方法

    ビジネス・実用

    4.0
    1巻814円 (税込)
    本が読まれなくなり、基本的な教養すら欠いた人間が世に溢れるようになった――こう嘆かれるようになって久しい。でも、本を読めば人は賢くなれるものだろうか。もちろん、否である。見栄でするやたらな読書は、人をどこまでも愚かにする。私たちには、文字に書かれたものを軽信してしまう致命的な傾向があるからだ。どうすれば、このような陥穽から逃れられるのか? ショーペンハウエル、アラン、仁斎、宣長など古今にわたる愛読の達人の営みに範をとり、現代人が本によって救われる唯一の道を示す。
  • 小津安二郎の喜び

    小津安二郎の喜び

    ビジネス・実用

    -
    1巻2,035円 (税込)
    小津映画の代名詞とも言える「ロー・ポジション」に据えられたキャメラは、悠久の静けさを帯びた〈永遠の現在〉を捉え続けた──『学生ロマンス 若き日』(昭和4年)から遺作『秋刀魚の味』(昭和37年)まで、現存する全37作品を一貫したまなざしの下で読み解いていく喜び。本書を読み終えたなら、その人は小津作品だけが達成しえた驚異の地平を目の前にするだろう。映画を愛するすべての者に贈る渾身の1冊!
  • 剣の法

    剣の法

    ビジネス・実用

    3.5
    1巻2,464円 (税込)
    近世剣術「新陰流」の優れた術理を、批評家であり「新陰流・武術探求会」を主宰する著者が、明解かつ詳細に説き明かす。身体論、日本人論としても秀逸な一書。
  • 沈黙するソシュール

    沈黙するソシュール

    ビジネス・実用

    -
    1巻1,375円 (税込)
    ジュネーヴ大学就任講演、形態論、「書物」の草稿、ホイットニー追悼などソシュールの重要なテクストを訳出し、それに対する繊細かつ本質的なノートを付す。その往還自体がひとつのテクストとなって、本書でわれわれは、いつしかソシュールの思想の生の姿に立ち会うこととなる。あえて俗流解釈を排し、言語=ラングそのものを問い続けた記念碑的力作。(講談社学術文庫)
  • 独学の精神

    独学の精神

    ビジネス・実用

    3.7
    1巻748円 (税込)
    なぜ私たちはかくも「無教養」になったのか。本書は、現代の日本人が見失った「独学の精神」をめぐる思索である。「ほんとうに大事なことは何ひとつ教えることなどできない」「学ぶことは身ひとつで生きる自分が学ぶというあり方でしかなされえない」―単純で大切な事実について、根っこから考え抜く。
  • 日本人の信仰心

    日本人の信仰心

    ビジネス・実用

    5.0
    1巻1,716円 (税込)
    日本人は宗教心がないとよく言われる。だが、私たちの心の底流には古来、アジア的な生産生活の秩序に根ざした、この上なく純粋で普遍的な信仰心が脈々と息づいている──。この土地に生きた人々の静かな祈りに満ちた「信仰のくらし」とはいかなるものか。保田與重郎、本居宣長、柳田國男らの思想や、列島の文化・民俗をめぐる考察を通じ、“大和心”の古層をどこまでも深く掘りおこす。
  • 宣長とベルクソン

    宣長とベルクソン

    ビジネス・実用

    -
    1巻4,840円 (税込)
    宣長とベルクソンを並行させ、交互に輪唱のように歌わせて、 ふたりのなかにあった「ひとつの哲学」を取り出し、語り直す。 「持続の直観」と「大和ごころ」 そこにふたりは何を見たのか? 人類が「知性」のみを頼りとして思考し、しかもその考えが、有用ではっきりとした行動に向けられているわけでも、日々の暮らしに役立てられているわけでもない時、必ず無用にして危険、滑稽にして酷薄な精神の機構が、社会のなかに重々しく、頑強に作り出されることとなる。そうした機構が人心を支配し、人間の歴史を左右するさまは、まことに恐るべきものだとベルクソンは考えたのである。本居宣長が「からごゝろ」と呼んで排撃したものは、まさにベルクソンが戦ったこの精神の機構と同じものを指している。この戦いを敢行するために、二人が用いた言葉、扱った事実や出来事、成し遂げることに打ち込んだ述作の体系は、限りなく隔たっている。それでも、ふたりの戦いを為さしめている根源からの力は、ほとんど完全に同じものだと言えるのである。人間の歴史には、そういうことが起こり得る。――序章より 【目次】 序章 ひとつの啓示 第一章 初めは歌の言葉から 第二章 思考を阻んで在るもの 第三章 「もののあはれ」に立つこと 第四章 変化それ自体である心 第五章 光源氏なる人 第六章 もののあはれを知らぬ人 第七章 物に触れて動く心 第八章 見る心と在る物の姿 第九章 歌を詠むにさまざまな度合のあること 第十章 「過去」なるものの無数の水準 第十一章 皇国(ミクニ)は格別(カクベツ)の子細(シサイ)あるが故に 第十二章 生物の「進化」をいかに語るか 第十三章 天地(あめつち)の初めを説く言葉 第十四章 「本能」の全体をいかに語るか 第十五章 神々が生まれ出ること 第十六章 直観と知性とはいかに浸透し合うか 第十七章 「穢れ」という物 第十八章 自然に「意図」があること 第十九章 生が死に克ち続けること 第二十章 道徳の英雄と成りゆく者 第二十一章 天が地へと降りる 第二十二章 道徳と宗教とが、二つにして一(いつ)である時 第二十三章 『古事記』に沁み渡る天降(あまくだ)りの意図 第二十四章 人だけが、なぜ物語って生きるのか 第二十五章 神が人と戦って勝つ時 第二十六章 実践する神秘家たち 第二十七章 ほどほどにあるべきかぎりのわざをして 第二十八章 機械学(ラ・メカニック)に神秘学(ラ・ミスティック)が 結章 二つの遺言状が指すもの あとがき 人名・神名索引
  • 批評の魂

    批評の魂

    ビジネス・実用

    -
    1巻2,112円 (税込)
    それは、漢字文明に激突した『万葉集』編纂者たちに始まる。爾来、紀貫之、吉田兼好から西洋文明と対峙した福澤諭吉、内村鑑三まで、批評の魂が宿命を独歩した。この系譜に列なる白鳥、小林、河上徹太郎の、無心の信仰を秘めて無私を生きぬいた道程を、尊敬と愛読の一筋で歩み直す、真情の長篇批評。「今」を生きるために。
  • ベルクソン哲学の遺言

    ベルクソン哲学の遺言

    ビジネス・実用

    5.0
    1巻1,375円 (税込)
    フランスの哲学者アンリ・ベルクソン(1859-1941年)は、1937年2月8日に記した遺言状で「私は、公衆に読んでもらいたいものすべてを刊行したと宣言する」と断言し、生前に刊行した7冊の著書以外の死後出版を厳に禁じた。 ベルクソンが自身の著書として指定したのは、4冊の主著『意識の直接与件に関する試論』(1889年)、『物質と記憶』(1896年)、『創造的進化』(1907年)、『道徳と宗教の二源泉』(1932年)、2冊の論文集『精神のエネルギー』(1919年)と『思想と動くもの』(1934年)、そして『笑い』(1900年)である。現実には死後、遺稿集や書簡集のほか講義録まで出版された。それらが研究上、重要な資料をなすことは言うまでもない。だが、その一方で哲学者の遺志が無残なまでに裏切られたことも否定しようのない事実である。 本書は、どこまでも遺言状に忠実であろうとする。ベルクソンが自身の著書として指定した著作だけを愚直に、真摯に読んでいくこと。その当たり前の営みによってのみ浮かび上がるものがあることを、本書の読者は知ることができる。すでに定評を得た本書に新たな書き下ろしを加えた「完全版」を、ここに満を持してお届けする。 [本書の内容] 第I章 遺言状 1 生涯を貫くシンフォニー/2 単純なひとつの行為/3 自伝的遺書/4 哲学に欠けている「正確さ」 第II章 ほんとうの障碍物に出会う 1 「持続」は障碍物だということ/2 「持続」を語る困難/3 持続という問題への入口/4 予見不能であるとは 第III章 砂糖が溶ける時間 1 映画フィルムは回転する/2 砂糖水ができるまで/3 誤った回顧から解放されること 第IV章 直観が〈正確〉であること 1 思考を誂える/2 「直観」という努力/3 直観の対象/4 「直観」を定義する困難 第V章 〈記憶〉についての考え方 1 持続において思考する例/2 「記憶」と「過去」との関係/3 それ自体で在る過去/4 脳と記憶 第VI章 〈器官〉についての考え方 1 哲学はいかに〈努力する〉のか/2 持続において思考する例/3 器官としての「眼」/4 進化の原因としての持続 第VII章 持続が目指すところ 1 飛躍の結果としての人類/2 直観と本能/3 潜在的本能による仮構機能/4 持続において思考する例 第VIII章 哲学の目的 1 神秘主義と機械主義/2 〈停止〉を〈運動〉それ自体に送り返すこと/3 持続において思考する例/4 手仕事の効用、感覚の教え/5 〈深さ〉において思考する喜び 補 章 哲学の未来のために 1 科学の半身たるべき哲学/2 「共感」という事実/3 この地上に生きている哲学
  • 民俗と民藝

    民俗と民藝

    ビジネス・実用

    4.0
    1巻1,595円 (税込)
    柳田國男の民俗学と柳宗悦の民藝運動──。異なる方法、言葉遣いで展開されたそれらを、成長させた土壌は同じひとつのものだ。それを本書で著者は、〈原理としての日本〉とよぶ。時期を同じくしながら、交わることの少なかった二人の仕事によりそい、二人の輪唱に誘う力作。(講談社選書メチエ)
  • 保田與重郎の文学

    保田與重郎の文学

    小説・文芸

    5.0
    1巻14,300円 (税込)
    奈良に生まれ古典に通暁し、この国と文学のあるべき姿を終生説き続けた保田與重郎。日本浪曼派の中心人物にして、大東亜戦争賛美者と見なされた彼は、本当は何を書いたのか。日本武尊、大伴家持、後鳥羽院、芭蕉、そして戦場に赴いた無数の兵士たち――彼らの魂に共鳴し続けた文学者の著作を読み、文学の本道を改めて辿る。

ユーザーレビュー

  • ベルクソン哲学の遺言

    Posted by ブクログ

    遺言で「私は公衆に読んでもらいたい著作はすべて刊行した。そこでそれ以外の講義録や講演録、手紙の類の出版は禁じる。もしこの禁止を(自分の死後)破った者がいた場合妻と娘に裁判に訴え出て貰い、出版されたものの廃棄を要求する」なんて言った哲学者がかつていただろうか。びっくりした。
    普通哲学者の全集が出る場合講義録や講演録や手紙の類も含まれるし、ハイデガーのように生前から自分で出版するよう働きかける哲学者もいるのに。
    これはもう「持続において思考する」ベルクソンだからこその配慮であり、その人物の著作物なら何でも読みたいと思うのは人間のさがだとも思うので、その他の研究者にはできないものだった。ベルクソンはそれ以外の著作物が「単純な一つの行為」を読み解く道筋を塞ぐものだと理解していた。

    どういうことかというと、知性や知覚が停止させたものに運動を取り戻すこと。
    ベルクソンは読む人が唖然とするような転倒を行う。
    宇宙には物質と生命の二傾向がある。知性は生物上の発生時から物質を少数の要素に細分し、その組み合わせを自由に行い、物質を自由に取り扱うことを目的とする。宇宙を満たすもう一つの運動の側面は生命であり、こちらはそのような固定も合成も受け入れない。

    『意識の直接与件に関する試論』
    一つの心理状態から別の心理状態に変化するのではない。あるのは連続する心の変化それ自体であり、そこにはどんな切れ目もない。純粋たる持続とは、融合し、相互に浸透しあい、明確な輪郭を持たず、互いに他を外在化しようとする傾向を持たない。寄生的自我が形成され、人間が自動人形のように動くようになる。しかし人間は意志するより寄生体に任せた方が楽なのでそのままにする。この寄生からの脱却が自由となる。
    『物質と記憶』
    過去はそれ自体で実在する。脳は静止した個物としての記憶を保管する器官ではない。実在する過去を現在の行動に応じて不断に膨張、収縮させて、現在の地点で働かせている、これが脳の機能。円錐の比喩がこれ。脳は突出した器官だが思考そのものの器官ではない。脳は精神が考え感じ覚えたものを身体の行動に結びつける神経組織。人間は、静止した個物としての記憶をどうやって呼び出すのかといった問題はニセの問題に属する。松田氏の分かりやすい例では、オーケストラ(精神のシンフォニー)と指揮棒(脳)。指揮棒を失えばオーケストラはバラバラになるだろうが、指揮棒が音を出してるのではない。ここから、私達は脳があるにも関わらず持続を思考できる、持続において思考するとは、いわば脳の作用を突破して思考することだ、という説に至る。
    難解で有名な『物質と記憶』だけど、本書の4章と5章は分かりやすい解説でもあるので、『物質と記憶』のお供になると思う。
    『創造的進化』
    生命は進化によって器官を作ったのではない。私達が器官とみなす物質の通り道を運動の後ろに残してきた。物質の中を持続が貫くことで、惰性的な物質的傾向は深く入り込まれ屈折している。持続が貫通させた持続自身の路、これが有機物質としての器官だ。環境への適応ではなく、問題への回答という概念に作り直される必要がある。人間とホタテ貝の眼の構造が同じなのは、同じ持続の力が同じ強度で通過した物質的抵抗の痕だと考えれば納得いく。どちらの身体も視覚という問題に、同じ強度で回答した。
    『道徳と宗教の二源泉』
    人間は本能を知性で抑え込むことに成功した唯一の生物。本能の赴くままに、まるで機械のように反応することもなく、人間は自分の行動を自由に使うことができるようになった。これは個々の人間が利益を得るには大変有効だが、人類の生命を根本で支える群れに対しては危険なものとなる。人類が知性による個体の勝手な行動を許せば許すほど、人間社会は本能に起源を持つ道徳や宗教で自らを防衛しなくてはならない。人間の知性は、宇宙の半身である生命的傾向、本能がないと生きていけない。この本能とは人間にあっては「開かれた直観」というものに引き上げられた。直観とは精神を追う知性であり、物質を追う知性が普段実行していることをいつも前提にし、逆向きに辿る。

    本文庫には補章として昨今話題の人工知能(AI)を持続において思考している。
    知性は生物上の発生時から物質を少数の要素に細分し、その組み合わせを自由に行っている。AIとはそれの最たるものだ。人間が行っていた知性の行動を、情報を即座に記号関係に分類する能力を極限まで高めたロボットにやってもらう。これに人間がかなうわけがないのは当然だ。人間が持ち上げられない重量の鉄筋をクレーンでやすやす持ち上げられるようになったが、これと同じこと。しかし、これを生成AIと呼ぶことはどうだろうか。ベルクソンのいう生成とは、分割不可能な持続が、絶え間なく自己自身は創造している運動を指す。この持続は限られた極小要素の無限の組み合わせではない。つまり、創造ではなく、組み合わせ可能な状態であったものの顕現でしかない、という。ベルクソン芸術論では、芸術家は芸術特有の記号を使って勝手なファンタジーを織るのではなく、彼らは自然への知覚を、生活の注意から解放する。押し広げられた知覚は自然そのものである持続を対象とする。ここには限られた極小要素を無限に組み合わせる絵札のような作業とは質的な差異がある。実用に役立つ記号の群れや、社会的に受容されてる一般観念、つまり私達に実在を隠してる一切のものを取り除き、実在そのものに直面させてくれない。
    何をどう呼ぶかはその者の自由だが、生命の傾向をまっすぐに対象とする哲学者にとっては、生成という語をこのように用いることはできないという。この意見に賛同するか反対するかはともかくとして、考えさせられる。だから何だと思われそうだが、AIに対して「生成」というのは過大評価しすぎているような気がする。

    『笑い』について
    本書には『笑い』についての話がなかったので、私が勝手に補足してしまうことにする。笑うことがどう持続と関係してるんですか?という話。
    物質とは生命に浸透されており、注意深い生とは変化にとんだ継続であり、不可逆の進行であり、分割できない統一である。その生が突如放心してしまい、本来注意深く生きているはずの人間が、まるで機械人形や操り人形のように同じことを繰り返しだしたらどうだろうか。それはすごく滑稽だ。
    (『ベルクソン哲学の遺言』から)物質とは惰性的に繰り返すもの(101P)、記憶を持たない繰り返し(130P)生きた実感から離れたもの(140P)、実感に基づかない計算、こわばっている(150P)。物質と生命という二傾向の人間が、このような物質的傾向のみになってしまって(人が物に似てくる)、バネやネジで動かされてるように見えるとき笑いが生じる。この笑いはある種の矯正であり、放心してしまった人に生を取り戻させる。

    0
    2025年01月26日
  • ベルクソン哲学の遺言

    Posted by ブクログ

    前田英樹の著作からは、いつも深々とした読後の余韻と、大切なものに触れさせてもらったという実感をもらうことができる。

    やや図式的にまとめてしまえば、人間の知性は物質の解明には役立つが、生命、精神の解明には役に立たない、そのためには直観が必要ということを、最も明晰に語ってくれたのがベルクソンであるということを、味わい深く解説してくれている。

    一部引用する。

    数学が作り出した微分の観念は、純粋な持続への全体的な直観から生まれている。が、この直観は科学になることによって、元の直観が捉えていた運動、持続を犠牲にした。
    哲学とは、このような犠牲への抵抗でなくて何だろう。物質の、身体の、「人間的なもの」の水面へと浮き上がってきて科学に変貌しようとする直観を、始めの深さへと押し戻す努力でなくて何だろう。

    美しくも、正確な哲学の定義である、と私には思える。

    0
    2024年11月07日
  • 保田與重郎の文学

    Posted by ブクログ

    とてつもない読書体験だった。
    一冊の本読み終えて、これほど深い感銘を受けたことがこれまであったろうか、とわが読書人生を振り返させられた。

    ここに描き出された保田與重郎という人物のなんと魅力的なことだろう。
    文学の歴史を語っても、美術の歴史を語っても、凡庸な学者が教科書的に知識を羅列すると全く対照的に、物事の本質と核心に真っ直ぐに向かい、それを剔出してきて、端的に示す。
    そのようにして示されたわが国が守るべきものは、「日本」ではなく「くにがら」である。
    そのくにがらとは、天照大御神がその孫に授けた「稲穂の神勅」に始まる。この「事(言)依さし」によって、神と人が共に働く。米作りをする。その勤労のすべてがそっくりそのまま祭りの暮らしであり、神と共に生きて働く至上の喜びである。
    これこそ、平和に人々が暮らしをたてるための究極の道であると。
    さらに保田は断言してみせる。
    この道を伝えることができるのは、文学だけなのだ、と。
    そしてそれを伝えてきた隠遁詩人の歴史を語るのである。
    それにしても保田與重郎という人物の眼力と文章力、そして何より自らがその文学の力と使命を体現せねばならないという覚悟の透徹を、かくまで清澄で味わい深い文体で、しかも保田の内側に深く入り込んで描き切った、前田英樹のこの文業は特筆すべきである。
    読むことも、考えることも、感じることも、味わうことも、生きることなのだと、生きることの真髄を教えられた読書体験だった。
    これから、折に触れ、読み返すことになるだろう、大切な本だ。(だから一切書き込みや棒線引きはできなかった)

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    2023年11月30日
  • 日本人の信仰心

    Posted by ブクログ

    ずっと積読だった本を、日本人の原点について考えていてあらためて手に取り、読んで深く心を揺さぶられ、かつ、驚嘆した。
    日本人には宗教あるいは信仰心と呼べるものが希薄、というイメージが浸透しているが、著者はそうではないと言う。
    日本人にも信仰はある、などという軽々しいことを主張しているのではない。
    日本人の宗教には経典という形でまとめられた教義がないために宗教の存在が疑問視されるが、ことは逆さまである。日本人の信仰はその立ち居振る舞い、行動、とりわけ祭りという営みの中に端的に表現されているのだという。
    そして祭りの根源は、年祈祭であり、新嘗祭であり、とどのつまりは稲作民が神に祈り感謝し、神とともに稲の収穫を祝うという生活そのものである。
    このような米づくりそのものの中に生き生きと生きている信仰は、一神教のような闘争や競争、ひいては殺戮など起こしようがない。
    すなわち最も根本的なレベルでの平和の原理なのである。
    人が人を貪り食うカニバル(共喰い)資本主義がはびこる現代、人類の未来へのひとすじの希望がここにしたためられている。

    そしてこの本から教えられたことで、個人的に極めて大きかったのは、それまで読んだこともなかった保田與重郎という強靭な文人・思想家の存在である。
    これから少し保田を読まねばならない。

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    2023年08月20日
  • 独学の精神

    Posted by ブクログ

    二宮尊徳のことから始まって目から鱗の連続だった。自らの無知を恥じ入るばかりだ。目次から内容が予想できなかったここ最近初めての本である。最後は具体性をもって、幸福と平和の本質に迫っていた。

    ・畏怖や讃仰のないところに、教育は成り立ちようがない。
    ・人生のなかでほんとうに考え、学んだことは、みな口には出し難いものだ。
    ・国際人である必要など少しもない。
    ・進歩の思想ほど退屈なものはない。
    ・何から何まで人任せで、あれが旨いだのまずいだのと言っている。このことが、精神の独立性に影響を与えないはずはない。
    ・戦争の残酷さ、怖さを伝えるのは逆効果だろう。
    ・努力して生きることへの根本からの自信のなさがある。

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    2013年05月27日

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