医学生が生命倫理を学ぶって当たり前だが、意外と一般人は知らないんじゃないかと思う。私も法学や心理学などは学ぶだろうなと思っていたが、「生命倫理学」という学問があることも知らなかったくらいだ。
そして、この本を読むと、医師は患者とその家族の命や生き方に(時にはかなり深く)関わるのだから、医師になる前に
...続きを読むこれを学ぶのは絶対に必要だということがわかる。そして私たちは本書を読むことで、「いのち」という概念がいかにあやふやなものであるかを知る。
人間はいつから人間なのか?という問に、受精の瞬間と考える人もいれば、着床した時(受精しても着床するのは20%というのは初めて知った。)と考える人もいる。胎内で人の形になったら人だという人もいれば、胎児には「潜在的人格」はあるが、「現実の人格」とは言えないと考える人もいる。胎児は母親の一部だと考えれば、妊娠中絶は許される(プロ・チョイス)。しかし人と考えるなら中絶は殺人である(プロ・ライフ)。これはどちらが正しいとは言えない問題である。
妊娠中絶は女性の権利である、と聞くとその通りだな、昔、生みたくなくても(レイプでできた子どもでも、自分の命が危うくなっても、避妊方法がなく既に子沢山で貧しくても)産まなくてはいけなかった時代のことを考えると、それが進歩だ、と考えていた。しかし、出産を楽しみにしていた妊娠中の女性が交通事故にあって胎児が死んだら、胎児に対して「致死罪」を認められないということに納得はできないだろう。しかし、これは両立できないのである。
そこまで考えたことがなかった。
結合双生児のケースもそうだ。
分離手術をしなければ二人とも死ぬ、すれば一人が死ぬという場合、どちらが正しいのがで、大きな議論となった。(両親がカトリックで、神から授かったいのちに、人間が手を加えるべきでないと考えていたため、さらに議論を呼んだ。)
同じ結合双生児でもインドのラクシュミと呼ばれた少女は、結合している片方には頭がなかったため、分離手術に反対するような議論は起こらなかった。
しかし、頭がなければ殺しても良いのなら、脳が全く機能していない(恐怖も痛みも感じない)人にも同じことができるのか。
この議論に「正解」はなく、家族、医療者、法学者、ありとあらゆる人々が話し合い、着地点をケースごとに見つけるものだ。そのために必要なのが「生命倫理学」であるということがよくわかった。
これまでアメリカなどの妊娠中絶反対運動が報道されてもどこか他人事だったが、これは胎児の問題にとどまるものではなく、「いのち」という途方もなく大切なもののどこに線を引くかということなのだから、大きな運動になるのは当然だと思うようになった。
新しい視点を得られる本は素晴らしい。