あらすじ
人生一〇〇年時代、高度な医療の恩恵にあずかる現代人。でも、医療は「魔法」? 長生きだけが「幸せ」? 高齢者のフレイル、地域包括ケア、看取り搬送……医療技術と人間性の接点を、QOLから考えてみませんか。Quality of Life(生活の質)から考える、生命倫理学入門。
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Posted by ブクログ
様々な人にとってのクオリティーオブライフを知ることができました。自分や周りの人の終末期を考え直す良いきっかけとなったと思います。よく生きるとはどういうことか、終末期の在り方はどうありたいかこのようなことを考える参考となる本だと思いました。
また、イラスト付きでわかりやすく、さくさく読めるのが特徴です。
Posted by ブクログ
どのような最期を迎えたいのかは一人一人違う。最高の医療を受けたい人も居れば、自宅で自然死を迎えたい人もいる。最期を迎えるに当たって、自分らしい最期とはどのような形なのかを決めて、家族や医師と共有しておかなければならないと感じた。
緊急時には冷静さを欠いたり、後々気持ちの変化が起きたりもするので、難しい問題がである。定期的に考える習慣を付けておきたい。
Posted by ブクログ
患者さんは、長生きするのを望んでいると、思い込んでいた部分があったが、人によって寿命よりも優先したいことがある人もおり、患者さんひとりひとりとしっかり向き合う必要があると思った。
将来、医療関係の職に就く予定なのでとても勉強になった。
Posted by ブクログ
Quality of Life=生活の質(よりよく生きる)とはどういうことか、わかりやすく論じている。QOLとは何かというより、それについて考えをめぐらせるきっかけになると思う。
たとえば、本人が意識あるうちに延命治療拒否の意思を示していたら、私は本人がその後意思が変わっていたとしても、その示した意思どおりに対応すればいいと思っているんだけど、実際に生命を左右する手を下すことになる医師であったり救急救命士などとなれば煩悶するのもわからんでもない。特に、いまの責任をとりたがらない日本の人々を相手にしていては、とり返しのつかない生命を止めてしまう行為には二の足を踏んでしまうだろう。
私自身のことならば、いまと違う意思でもかつて表明したものが表に出ていてそうなるのなら、それはそれでしょうがないと思うけど、私でない人のこととなると迷うだろう。
しかもQOLは本人の意思ではあるのだが、「身内の彼らのことを思えば……」という本心とは逆の本人の意思もあるかもしれず、日本人のQOLって、生命倫理って難しいものだ。
Posted by ブクログ
QOLが主題に付されていますが、副題である「医療とケアの生命倫理」が内容の中心であり、QOLはそれにアプローチするためのフレーム、という位置づけだと解釈しました。むしろ生命倫理についてのホットな諸問題について、それぞれの問題の核心はなにかをコンパクトにまとめてくれています。当該分野の初心者に最適だと思いました。
本書を読んで、医療問題の解決策がわかるわけではありません。むしろ読みすすめるほど、この問題に汎用性のある答えが存在しないことが身にしみてわかります。どんな医療が正解なのかは当事者にすら容易に判断がつかない場合も多く、答えは各事例の関係者がその都度模索してゆかねばならないのでしょう。重苦しく、根気を要する課題ですが、本書はそれに向き合うための基礎体力を養ってくれます。
Posted by ブクログ
多死社会に向けて考えなければならない大事なことや重要なことが、サラッと読みやすく書かれている。
綺麗にまとめられているので、読者の中には釈然としない人もいるかもしれない(現実はもっと厳しいと感じる人もいるかもしれない)。
Posted by ブクログ
中高生向けの、生命倫理学についての本。
「QOL」とは「Quality Of Life」の略で、
すなわち、「生活の質」「人生の満足度」などに訳す事が可能な概念です。
本書では冒頭でソクラテスが言ったとされる
「大切なのは、ただ生きることではなく、よく生きることである。」
が引かれていて、「QOL」はまさに「よく生きること」、
わくわくしたり幸せだなと思ったりなど、そのような時間を過ごしているときではないか、
と解説されています。
ふだん、健康に過ごしている人にとっては、
QOLを特別に意識することは少ないのではないでしょうか。
たとえば、一日のあいだの短いひとこまに、
「よく生きている」実感をなにげなく得ていたりはするかもしれません。
しかしながら、QOLをきちんと考えなきゃならない場面は、
それこそ、死に直面するときなどです。
命を最優先して、数週間あるいは数カ月生きながらえる手術をするべきか、
それとも、死が近くなったとしても延命治療を拒否し、
衰弱して余計な苦しみを避けるほうが「よく生きること」になるのではないか。
そういう葛藤をするときに、QOLの考え方が際立ってくる。
また、本書に例としてでてきますが、
障害者や認知症になった人たちのQOLは、
本人たちがうまくコントロールできない場合があるので、
それを周囲の人たち(他人)が彼・彼女のQOLを推し量り、
決めつけてしまっていいのだろうか、という疑問もあります。
周囲の人が制御しないと健康上の不利益があるけれど、
周囲の人が制御してしまうと「生きている満足感(QOL)」が
損なわれてしまう。
そういう、どっちつかずのケースが多々でてきます。
なにがどうしても、生命を存えることこそが大事、
だという考えが根強くあると思うのですが、
本書では、そのような考えは、
「凝り固まったヒューマニズム」ではないか、と疑問を呈します。
これには、カトリックの生命観であるSOL(Snctitiy of life : 生命の神聖さ)が
深く関係します。
生命は神から与えられた神聖なもの、生命はそれ自体で尊い、という価値観。
それ自体、すばらしい考え方ですが、
どのような状況であっても死なせてはならない、という考え方に繋がっていきます。
自然のまま畳の上で往生するほうと、
延命措置をして身体にチューブを繋がれ、
意識も朦朧としながら何カ月か生き延びるのと、
当人はどっちが幸せなんだろう、と考えると、
十把一絡げに「なにがなんでも延命だ」とするものでもないように思えてきます。
最近は、元気なうちに「延命するかどうか」を書面にしたためておくだとか、
周囲に話して合意してもらっておくだとかがあるようです。
しかし、いざ本人が危篤になると周囲がびっくりして救急車を呼んでいまい、
救急隊員は救命が仕事ですから、搬送されてそのまま延命処置のほうへと
方針が変わるという「看取り搬送」というシビアな問題もあります。
このあたりも非常にむずかしく、
ケースバイケースだし、
本人のパーソナリティにもよるものなので、
これだ、という正解は無いようです。
あとは、認知症等を患っている人たちのQOLばかりではなく、
介護している側のQOLについても考えが及ばないといけません。
「個人の自律」だけで生きていけたら、
シンプルでストレスの少ない
比較的幸福な生活を送れるんじゃないかと想像できるところなのですが、
実際は「関係性の自律」のなかのどこのポジションに自分を置くかで四苦八苦します。
そして「個人の自律」を重視する昔からの西洋の生命倫理学の考え方に、
最近になって疑問の声が上がっているとのこと。
つまり、
世界の実情として、
独立した個がそれぞれに分散し自律して生きている「個人の自律」というものよりも、
個と個がたがいにケアしあい支え合いながら生きている「関係性の自律」ほうがどうも本当だ、
という捉え方。
介護する側のQOL、または生き方について、
当人も周囲も「関係性の自律」ベースで考えるべきではないでしょうか?
僕は以前から自律性と他律性について考えてはきたんですが、
他律性こそが幸福感を損なうので、
自律性を確保するよりも他律性を排除するほうをずっと重要視してきました。
今回、ちょっと宙ぶらりんだった自律性のほうにも方向付けが得られた感覚です。
そんな気づきをもたらし、思考のための背中を押す役割をしてくれた本書は、
読者に「自ら考えなくてはならない!」という状況を投げ与えてきます。
急にボールが回ってくるんです。
自分なりの泥臭いシュートは一応うてたかな? と思いつつ、
でも、まだまだ考えていくことが必要ですね。
本書は、テレビドラマや小説などの場面を例示して、
読者に「考えてみよう!」とする本であり、
解説や教示してくれるタイプとはちょっと違います。
ただ、そこは入門書の塩梅として上手だと思いました。
知識を入れながら、自ら考えていくため、
脳を解きほぐす役割もあります。
正解がなかなか出るものではないので、
考えすぎると疲れちゃいますが、
著者は、一度徹底的に考えてみるべきだ、と言います。
考えすぎて疲れても、そこで得たものはとても大切なものになるでしょう。
また、序盤で、
感染症のパンデミックが起こると、
QOLよりも公衆衛生が重んじられるので、人権がちょっと軽くなる、
というような記述も見られ、
ここもこの新たなコロナの時代に、もっと考えなければならないのではないか、
と思えました。