著者の依田高典さんはその昔『ブロードバンド・エコノミクス』(2007年)を書かれていて、ブロードバンド市場の競争環境と政策についてアンケートをベースとした統計的な手法を使って分析していた。当時、FMC (Fixed Mobile Convergence)やIP電話の仕事をしていたので、何かヒントが得られることがないか、やたらと細かな表が出てくる内容をよくわからないながらも真剣に読んだ。この本で、ロックイン効果、WTP (Will to Pay)、コンジョイント分析、需要の価格弾力性、といった用語と適用法を初めて学んだのではないだろうか。あの本に書かれた内容が、実は行動経済学の研究につながってい...続きを読む るのかと思うと軽い感動を覚えた。
著者によると、行動経済学は、経済学に人間の心を取り戻す試みとして捉えられるという。そのことが本書のタイトルを『「ココロ」の経済学』としたゆえんでもある。行動経済学だけではなく、経済学一般の歴史についてもわかりやすい解説書になっている。特にモラルサイエンスとしての経済学について歴史的観点も絡めた擁護に力を入れている。
本書を読むと、フレーミング効果、認知的不協和、ヒューリスティックス、代表制バイアス、アベイラビリティバイアス、アンカリング、プロスペクト理論、クラウドアウト、確実性バイアス、確実性バイアス、現状維持バイアス、ナッジ、といった行動経済学の知見について一通り学ぶことができるようになっている。赤文字や囲みなど工夫もあって読みやすい。勘どころに挿入される経済学の巨人たち(ポール・サミュエルソン、ハーバート・サイモン、ダニエル・カーネマン、アダム・スミス、J・S・ミル、アマルティア・セン、ケインズ、ジョージ・シャックル、リチャード・セイラー)の紹介もよくまとまっている。『ブロードバンド・エコノミクス』とは大違いで、著者に対する印象が大きく変わった。
さらに進んで、これまでの主流派経済学の「ミクロ経済学」「マクロ経済学」「計量経済学」に対して「行動経済学」「実験経済学」「ビッグデータ経済学」を二十一世紀の経済学(エビデンス経済学)の三本柱とするという構想も大きな射程で素晴らしい。フィールド実験やデータが重要になるというのは、まさに『ブロードバンド・エコノミクス』で実践しようとしていたことのエッセンスがそこに含まれているように思う。
特に強調されるのは、脳神経科学の進展と経済学の融合だ。次のように書くとき、著者自身が抱く危機感と期待感が伝わってくる。
「21世紀は生命科学、なかんずく脳科学の時代だと言われます。いつか、人間の脳機能が遺伝学と神経科学の視点から、もっと本質的に解明される時代が来た時に、ココロをブラックボックス化する主流派経済学、それに気の利いたスパイスを振りかける行動経済学は、時代の流れに付いていけずに一気に陳腐化し、昔のスコラ哲学のように、時代の徒花として忘れさられてしまう危険性を感じるからです。牙を抜かれて、飼い慣らされた行動経済学が本来の野性を取り戻すことができるかどうか、行動経済学のこれからに注目していきたいと思います」
ここで「野性」という言葉を著者が敢えて使うとき、ケインズの「アニマル・スピリット」が頭にあることは間違いない。ケインズは経済学がモラルサイエンスであり、自然科学と違い、内省と価値判断を用いて、動機と期待と心理的不確実性を取り扱うことを強調した。それこそが経済学の強みであるが、その強みが脳神経科学によって自然科学的に丸裸にされてしまい、経済学の知見がその上で解釈される虚構のごとくなることを期待とともに恐れている。
fMRIなどの脳神経科学の知見と実験を活用した経済学の新しい領域であるニューロサイエンスを簡単に紹介した後、著者は次のように宣言する。
「皆さんは経済学の数十年に一度の大きな進化・変化を目の当たりにしているのかもしれません」
行動経済学の知見は一般的にも知的興味を喚起し、一分野を確立し大きな潮流を作った。これに「実験経済学」「ビッグデータ経済学」を加えることで、さらに新しい経済学を進化させて変えていこうとする幸せな意志が感じられた。本書自体わかりやすく素晴らしい内容だが、新書ではない単行本の形でしっかりと体系立てられた著作を読んでみたいと思った。
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『ブロードバンド・エコノミクス』の帯に書かれている「「IT後進国」日本がなぜ逆転出来たのか?」という文言が今となっては痛々しい。確かにFTTHの普及は早かったが「IT後進国」から抜け出したという認識はどこから来たのか。当時、この帯の宣言は決して違和感のあるものではなかったはずだ。どこで躓いてしまったのかは、おそらく分析に値するテーマだと思う。副題にある「情報通信産業の新しい競争政策」とあるが、現在の日本の通信産業の競争政策が迷走してしまっている状況を鑑みると、ますますそう思う。依田さんの新しい試みがまた情報通信政策の発展に寄与する形で回帰することを期待してみたい。少しかもしれないが、そうする責任が依田さんにはあるような気がするのだ。