教育 - グーテンベルク21の検索結果
検索のヒント
検索のヒント
■キーワードの変更・再検索
記号を含むキーワードや略称は適切に検索できない場合があります。 略称は正式名称の一部など、異なるキーワードで再検索してみてください。
■ひらがな検索がおすすめ!
ひらがなで入力するとより検索結果に表示されやすくなります。
おすすめ例
まどうし
つまずきやすい例
魔導士
「魔導師」や「魔道士」など、異なる漢字で検索すると結果に表示されない場合があります。
■並び順の変更
人気順や新着順で並び替えると、お探しの作品がより前に表示される場合があります。
■絞り込み検索もおすすめ!
発売状況の「新刊(1ヶ月以内)」にチェックを入れて検索してみてください。
-
江戸から東京へ
本書は明治15年(1882)金沢生まれの矢田挿雲(やだそううん)が、1920~23年(大正9~12年)に「報知新聞」に連載した東京歴史散歩で、全9巻からなる。大正12年の関東大震災で瓦礫と化した街を見て、連載は中止となったが、江戸の面影が濃厚に生きていた当時の街と風俗を生き生きと物語る稀有な見聞記。綿密な考証を加えた豊富なエピソードが軽妙な筆でつづられる。第一巻は、築城当時の江戸から説きおこし、鹿鳴館、丸の内、越後屋、日本橋、福沢塾、湯島天神、丸橋忠弥、上野公園、寛永寺、笠森お仙と、麹町から神田・日本橋・京橋・本郷・下谷までをめぐる。各巻表紙を飾るのは葛飾北斎の「絵本隅田川両岸一覧」で本巻は「三俣の白魚」である。 -
江戸繁昌記
書名が示すように、江戸の天保年間の繁昌を写したものであることはいうまでもないが、単にその表面を書いたものではない。大江戸の繁華をつくり出した根底をとらえ、それをえぐり出した、卓抜な文明批評なのである。しかも、著者は、それを生(なま)の理論としてではなく、江戸に生きる人間の姿態を描いた作品として、われわれに提供している。著者は儒者であるが、かれの学問は、幕府の御用哲学の朱子学や学者の業績のための考証の学ではなく、人間としての儒学であった。上巻では「相撲、吉原、芝居、富くじ、女義太夫、両国の花火、易者、書画会、火事、縁日、髪結い、古着市、魚市、銭湯、葬式、かげま茶屋、猪牙舟」などを、下巻では「神仏の開帳、祭り、侠客、妾宅、永代橋、書肆、寄席、長屋、吉原火災、学塾、百花園、角(かく)乗り、千住、品川、深川、本所、茶店」などを取り上げてある。漢文の原本は、訳者によって読みやすい本となった。 -
昨日の世界
世紀末ウィーンで多くの詩人、作家、音楽家たちの作品に親しんだツヴァイクは、ウィーン大学を卒えてベルリン大学に学び、パリ、ロンドンをはじめ、各国を旅行しながら知識人との交流に精をだす。少年時代に出会ったホーフマンスタールの衝撃にはじまり、リルケ、ヴェルハーレンとの交友、二つの大戦の同時代人であったロラン、ジイド、ヴァレリー、トーマス・マン、バルトーク、フロイト、ゴーリキーら知識人との回想を織り交ぜつつ、彼はヨーロッパの知性と文化を信奉する、よき意味での汎ヨーロッパ精神を具現する。だが、「私が物語るのは、私の運命ではなくて、ひとつの世代全体の運命である」彼はこのように記した2年後、ブラジルの寓居でみずからの命を絶った。ツヴァイクの事跡は世界史そのもののドキュメントとなり、ヨーロッパ文化のひとつの終焉をつげるものともなった。 -
東方見聞録
中国元朝のフビライ・ハーンの時代、ヨーロッパから中国におもむいて長年フビライに仕え、26年ぶりに故郷ヴェネチアに帰国した商人マルコ・ポーロ(1254~1324)の大旅行記・博物誌。たまたまマルコが帰国した時期はヴェネチアがジェノアと争っていたため、軍艦に乗っていたマルコはジェノアの捕虜となって、その後の講和で釈放されるまでの約1年間ジェノアの獄にあった。その獄中で知り合ったのがピサ出身のルスティケロという物語作者で、「東方見聞録」はこのルスティケロの手によって初めてまとめられた。マルコはフビライの使者として、または商売で長期間、中国各地を旅行したので、モンゴルの歴史や風習、中国や中央アジアに関して、きわめて幅広い知識をヨーロッパに初めてもたらすことになり、そのアジア観に深い影響をあたえた。 -
77人の侍アメリカへ行く
幕末の万延元年(1860年)、日米修好友好条約批准のために、幕府は77人からなる大規模な使節団をアメリカへ派遣した。正使・新見(しんみ)豊前守、副使・村垣(むらがき)淡路守、監察・小栗(おぐり)豊後守であったが、役人、多数の従者、勘定方、目付方、医師、まかない方などまで同道した。年齢は30代前半くらいが最も多かった。この珍客を迎えて、アメリカは国をあげての大騒ぎ、歓迎の嵐だった。一行は臆することなく行動し、珍談奇行の数々を披露、そこには初めて触れる西洋文明への素朴な驚きと巧まざる批判も生まれた。だが、帰国した故国の風は冷たかった。一行を送り出した井伊大老は暗殺され、この痛快無類の親善旅行の成果も、時代の大波にのまれてしまった。本書は村垣淡路守の子孫、服部逸郎が長年をかけてまとめた行状記で、多くの図版とともに忘れられた歴史の1ページがありありと眼前によみがえる。 -
日本滞在記
幕末期の激動時代、ハリスは下田の玉泉寺に設けられた米国領事館に初代駐日領事として赴任した。彼は日本到着前日の日記に記している。「私は、文明国から日本に派遣される最初の公認の代理者となるであろう。このことは、私の生涯に一つの時期をかくするとともに、日本における新しい秩序の発端となるであろう。私は日本と、その将来の運命について書かれるところの歴史に名誉ある記載をのこすように、私の身を処したいと思う」ハリスは言葉どおりの活躍をみせ、ついに2年後、日米修好通商条約の締結に結実する。自身はその後、舞台から退くが、この間に記した詳細な日記が本書だ。日米交渉の虚々実々のやりとりのみならず、当時の日本人の暮らしのはしばしがうかがわれる貴重な記録である。翻訳者坂田氏による日本側記録の併載が臨場感を増している。 -
札差
江戸時代、幕府から俸禄を蔵米として受け取る旗本や御家人は、浅草の蔵前にあった幕府の米蔵から配給を受けることになっていた。しかし彼らのほとんどは、その地に店を構える札差にその仕事を頼んだ。札差は蔵米の換金、運搬の手数料を取り、のちには蔵米を担保に金を貸し、利息を取った。やがて彼らは巨富を蓄え、なかには十八代通と呼ばれるような金満家をも輩出して、江戸の経済を牛耳るようにさえなった。この札差の実態を詳述した「札差考」のほか、米価の変遷や米問屋による相場の壟断等を考証した「米価の話」など、江戸庶民や武家の生活を経済面から探った6編を収録した鳶魚江戸ばなし続編。 -
横から見た赤穂義士
「忠臣蔵」で知られる赤穂義士ほど有名な伝説はない。だが、「その真相は?」となると、「伝説」の言葉どおり、これほど五里霧中の闇の中に沈んでいるものはない。つまり、謎が多く、いろいろな解釈ができ、自由自在に料理できる素材ともいえる。そうしたなかにあって、三田村氏のこの本は、あくまで実証・考証に立場を置きながら、自在に観察した一件の顛末を記した貴重なもの。章立ては「義士に仕立てたのは誰か」と問う「四十六人の偶像化」にはじまり、「浅野の殿様かたぎ」「粋を通す内蔵助」「百二十五人から四十六人」「二月四日 の切腹」「講談の根本資料」「女の子のゆくえ」「後室瑤泉院」「義士ぎらい」まで。義士の切腹時のようすなど、興味深い話もいっぱい。 -
歴史
この書は、人間の功業が時のたつうちに忘れ去られるようなこと、また、ギリシア人と異邦人によって示された驚嘆すべき偉業が顧みられなくなるようなこと、特に、彼らが互いにしのぎを削るに至った原因が不明になるようなことがないようにするために発表するものである──「歴史の父」ヘロドトスは巻頭にこう記し、紀元前5世紀のアケメネス朝ペルシアと古代ギリシア諸ポリス間の戦争(ペルシア戦争)を中心に、小アジア、エジプトをはじめ、オリエント世界各地の歴史・風俗・伝説を豊饒絢爛な見聞記としてまとめた。この上巻では、ペルシアの勃興と覇権の確立、「エジプトはナイルのたまもの」という有名な言葉で知られるエジプトの地誌、スキタイ人の生活習慣などが興味深く描かれる。エドワード・ボーデンの親しみを増すイラストを多数収録。