作品一覧
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-この男、陰謀好きにつき―― フランス革命から帝政、さらに復古王政へ。この激動期に現れた「完全なマキアヴェリスト」ジョゼフ・フーシェ(一七五九―一八二〇)。ある時はギロチンよりも効率的な方法で反動者を殺戮し、ある時は秘密警察を駆使し、ナポレオンをも心理的に追いつめる。陰謀と変節と裏切りの限りを尽くして生き抜いた政治的人間の生態を浮き彫りにする本格評伝。 『マリー・アントワネット』と並ぶ著者の代表作。改訳版。 目次 第1章 売りだすまで 1759―1793年 第2章 「リヨンの虐殺者」 1793年 第3章 ロベスピエールとのたたかい 1794年 第4章 総裁政府と統領政府の大臣 1799―1802年 第5章 皇帝の大臣 1804―1811年 第6章 皇帝にたいするたたかい 1810年 第7章 気のすすまない間奏曲 1810―1815年 第8章 ナポレオンとの決戦 1815年 百日天下 第9章 失脚と最期 1815―1820年
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-あるときは残忍な殺人者、または聖なる殉教者、あるときは愚かな陰謀家として、16世紀ヨーロッパの政治権力とからむ宗教的分裂の時代を背景に生きたスコットランドの女王メリー・スチュアート。生後6日にして女王に。58年にはフランス皇太子と結婚、翌年フランス王妃となり、61年には夫の早世により帰国。以後新旧両教派の争いと家臣間の内紛を極めた政治情勢の中に生き、さまざまな争いの渦中に、エリザベス女王廃位の陰謀荷担の疑いで監禁され、19年間各地に幽閉後、処刑された。ツヴァイクは豊富な資料をもとに、悲劇の女性を、対照的なリアリスト、エリザベスとの心理的対立の中に捉えて描く。「ジョゼフ・フーシェ」「マリー・アントワネット」とならびツヴァイクの三大伝記小説とされる。
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5.0『ゴリオ爺さん』『谷間の百合』ほか全九一篇、登場人物二〇〇〇人による壮大な「人間喜劇」を構想したバルザック(一七九九―一八五〇)。富と名声を求めて旺盛な創作活動に邁進し、天才と俗物の間を生きた人間の魅力をあますところなく描き切った本格評伝。 【目次】 第一篇 青春と初舞台 第一章 少年期の悲劇 第二章 運命への早まった問いかけ 第三章 オラース・ド・サン・トーバン小説工場 第四章 ベルニー夫人 第五章 商業的幕間狂言 第六章 バルザックとナポレオン 第二篇 仕事部屋のバルザック 第七章 三十男 第八章 書斎のうちとそと 第九章 カストリー侯爵夫人 第十章 バルザック自己の秘密を発見す 第三篇 小説を地で行く 第十一章 未知の女
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-『ゴリオ爺さん』『谷間の百合』ほか全九一篇、登場人物二〇〇〇人による壮大な「人間喜劇」を構想したバルザック(一七九九―一八五〇)。富と名声を求めて旺盛な創作活動に邁進し、天才と俗物の間を生きた。その彼を終生敬してやまなかった伝記作家が、五一年の生涯を情熱的に描いた遺作にして最高傑作。〈解説〉宮下志朗 目次 第一篇 青春と初舞台 第一章 少年期の悲劇 第二章 運命への早まった問いかけ 第三章 オラース・ド・サン・トーバン小説工場 第四章 ベルニー夫人 第五章 商業的幕間狂言 第六章 バルザックとナポレオン 第二篇 仕事部屋のバルザック 第七章 三十男 第八章 書斎のうちとそと 第九章 カストリー侯爵夫人 第十章 バルザック自己の秘密を発見す 第三篇 小説を地で行く 第十一章 未知の女 第十二章 ジュネーヴ 第十三章 ウィーンの別れ 第四篇 小説家バルザックの栄光と悲惨 第十四章 破局の年一八三六年 第十五章 イタリア旅行 第十六章 転機の年 第十七章 サルデーニャの銀山 第十八章 芝居の投機 第五篇 『人間喜劇』の作者 第十九章 ハンスカ夫人征服の戦い 第二十章 『人間喜劇』 第二十一章 最初の挫折 第二十二章 蒐集家バルザック 第六篇 事の成就と終り 第二十三章 最後の傑作 第二十四章 ウクライナのバルザック 第二十五章 結婚と帰国 第二十六章 おわり
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-世紀末ウィーンで多くの詩人、作家、音楽家たちの作品に親しんだツヴァイクは、ウィーン大学を卒えてベルリン大学に学び、パリ、ロンドンをはじめ、各国を旅行しながら知識人との交流に精をだす。少年時代に出会ったホーフマンスタールの衝撃にはじまり、リルケ、ヴェルハーレンとの交友、二つの大戦の同時代人であったロラン、ジイド、ヴァレリー、トーマス・マン、バルトーク、フロイト、ゴーリキーら知識人との回想を織り交ぜつつ、彼はヨーロッパの知性と文化を信奉する、よき意味での汎ヨーロッパ精神を具現する。だが、「私が物語るのは、私の運命ではなくて、ひとつの世代全体の運命である」彼はこのように記した2年後、ブラジルの寓居でみずからの命を絶った。ツヴァイクの事跡は世界史そのもののドキュメントとなり、ヨーロッパ文化のひとつの終焉をつげるものともなった。
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-私は大自然に対して最初に戦いをいどんだ、あの大航海時代の人々のことをもっとくわしく知りたいと思った。そのなかで、ただ一つだけがこの上なく私を感動させた。それは、世界探検史上、もっとも大規模な事業を果たしたと思われる男、すなわちフェルディナント・マゼランの偉業であった。彼は五隻のとるに足らぬ小帆船でセビーリャから出航し、全地球を一周した――おそらく人類史上もっともすばらしいオデュッセイアと言えるであろうが、堅い決意を抱いて出帆した265名の男たちのうち、わずか18名のみが朽ちはてた船に乗って故郷へ帰りついた。そこに彼の姿はなかったが、その船のマストには偉大な勝利の旗が高くかかげられていた。
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4.1
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ユーザーレビュー
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Posted by ブクログ
594
初版1932年、オーストリア
ツヴァイク,シュテファン
1881‐1942。オーストリア、ウィーン生まれ。ユダヤ系作家。20歳で発表した詩集『銀の弦』でリルケやデーメルから絶賛される。哲学、独・仏文学を修め、ウィーン大学卒業後はヨーロッパ、インド、アメリカなどを遍歴。国際的教養人としてロマン・ロランやヴェルハーレンら各国の文化人と親交を結んだ。30代半ばでザルツブルクに邸宅を構え、そこで短編小説集『アモク』、戯曲『ヴォルポーネ』、評伝『三人の巨匠』『デーモンとの闘争』、そして卓抜な手腕を発揮した伝記『ジョゼフ・フーシェ』『マリー・アントワネット』『メアリ・スチュアート』など、数々の -
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594
初版1932年、オーストリア
ツヴァイク,シュテファン
1881‐1942。オーストリア、ウィーン生まれ。ユダヤ系作家。20歳で発表した詩集『銀の弦』でリルケやデーメルから絶賛される。哲学、独・仏文学を修め、ウィーン大学卒業後はヨーロッパ、インド、アメリカなどを遍歴。国際的教養人としてロマン・ロランやヴェルハーレンら各国の文化人と親交を結んだ。30代半ばでザルツブルクに邸宅を構え、そこで短編小説集『アモク』、戯曲『ヴォルポーネ』、評伝『三人の巨匠』『デーモンとの闘争』、そして卓抜な手腕を発揮した伝記『ジョゼフ・フーシェ』『マリー・アントワネット』『メアリ・スチュアート』など、数々の