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-『二月二十四日』はアレクサンドル・デュマが1850年にゲテ・リリック劇場で上演した「1幕ドラマ」である。デュマは100作を超える台本のうち、この劇についてだけ、極めて例外的に「Z・ヴェルナーによるドイツの戯曲から模倣」という断り書きをつけている。フリードリヒ・ルートヴィヒ・ザカリアス・ヴェルナー(1768 – 1823)は、ドイツの詩人であり、劇作家、説教者でもあった。物語は、一九世紀初頭の極寒のスイスの山の宿である。多額の借金で訴追された宿屋の主人クンツと妻ガートルードは、翌朝、刑務所に収監される最後の夜を過ごしている。時は二月二十三日の深夜、明日は運命の二月二十四日である。その時、長い間帰っていなかったこの土地の出身の若者カールが一晩泊めてほしいと入ってくる。薪もない宿は自分たちの寝室の間仕切りしかない小部屋を提供することにした。クンツは金だけ取ろうと小部屋に忍び込むが、若者に騒がれて短刀で殺してしまう。パスポートを確かめると逐電した自分たちの息子だとわかる。カミュの『誤解』への影響もあると言われる戯曲の初訳である。デュマはヴェルナーの『二月二十四日』の舞台になったスイスのシュヴァルトバッハの宿屋にみずから行った。『スイス旅行記』の中から「ゲンミ山」を収録したのはそのためである。
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-舞台は田舎。山勘と玉の夫婦喧嘩から始まる。口論の末に山勘は玉を殴りつける。玉が復讐を考えているところに、娘が奇病にかかった轍之丞の命を受けて腕の立つ医者を探している眉唾と太郎丸が登場する。出会った玉は山勘を「棍棒で思い切りぶん殴らないと、医者であることを認めようとしない」優秀だが変人の医者として紹介する妙案を思いつき、それで殴られた夫への仕返しと考え、眉唾と太郎丸に紹介する。木こり仕事から帰ってきた山感は当然医者ではないと言うが、ひどく殴られるので医者であると言わざるを得なくなる。後に引けなくなった山勘は、何の知識も持たないが医者になりきり、轍之丞に紹介され、菖蒲の治療に当たる。菖蒲の病は実は仮病であることがわかる。それも恋煩いなのだ。相手は誰だろうか。
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-権左衛門は成り上がりの商人であるが公家になることを夢見ている。三味線の教師と踊りの師匠の会話で幕を開ける。二人の師匠は権左衛門に音曲を教えている。武術の先生が到着し、3人の師匠はそれぞれの専門を巡って激烈な喧嘩を始める。哲学の教師がもめごとの仲裁に入るが、却って自分が袋叩きに合う。権左衛門は論理学、道徳はあきらめて発音の練習を始める。彼は仕立屋に公家風の服を作らせたり、公家の奥方に言い寄ったりする。妻はそんな権左衛門に腹が立っている。娘の菖蒲と鮎之介との結婚が進まないからだ。貴族妄想の権左衛門は見事公家になることができるだろうか?
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-舞台は京都。権左衛門の家。鮎之介と鯉之助は権左衛門の娘たちに軽くあしらわれ、ひどい振られ方をしてしまった。2人は鮎之介の下男である橘氏を使って、復讐をしようと企む。善良な町人である権左衛門は彼らを婿にするつもりであったが、彼らが家から怒って出て行ってしまったので、菖蒲と瑠璃を呼びつけた。衒学的な姿勢をとる「才女気取り」たちは権左衛門を怒らせる。彼はさっさと結婚するように言い残して出て行ってしまう。 そこへ貴族のふりをした橘氏が登場。彼は貴族ぶるのが好きな男で、詩作やお洒落など身分にふさわしくない趣味を持っているため「才女気取り」たちとは話がとても弾む。そこに鯉之助の下男である桔梗氏が加わり、一同は知識をひけらかしあって会話を楽しんでいた。そのうちに橘氏は気を良くして、三味線弾きを呼んで踊り始めた。するとそこへ、鮎之介が闖入し、持ってきた根棒で橘氏をぶん殴り始める。どういうことかわからず才女気取りたちは戸惑うが、目の前の貴族だと思っていた男たちがただの下男だと知って、驚き悔しがる。彼女たちはただの下男を相手にいい気になっていたのであった。こうした侮辱を受けても、涙を飲んで耐えるしかない権左衛門は、こうなったのはすべて娘達の身から出た錆であり、物語だの和歌だのと才女を気取るのはいい加減にしろと激怒する。
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-舞台は京都、八坂神社の境内 菖蒲は相思相愛の恋人鮎之介がいるにもかかわらず、父親権左衛門が財産のある蝉丸との結婚を迫る。菖蒲は気が遠くなって鮎之介の姿絵を手から落とす。通りがかりの山勘に召使が助けを求めると、介抱している姿を山勘の妻が見咎めて浮気を疑う。妻は菖蒲が落として行った姿絵を拾い上げ、ためつすがめつ見るのを山勘が浮気と疑う。お互いに浮気を疑う夫婦である。旅から帰った鮎之介は、菖蒲が他の男と結婚するという噂に動揺する。 山勘は姿絵と鮎之介とを見比べながら女房の浮気相手と邪推し、鮎之介は山勘を菖蒲の新郎と勘違いする。この勘違いが最後まで山勘を苦しめ、鮎之介を悩ませるが、最後には意外な結末が待っている。一幕ものにしては込み入った筋立てで見ごたえのある喜劇となっている。
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-舞台は京都、苦利右衛門の家 瑠璃と杏は苦利右衛門と菖蒲夫婦の娘である。杏は蝉丸と結婚するつもりでいるが、瑠璃は結婚を否定し、女性は学問に身を捧げるべきだと考えている。蝉丸はかつて瑠璃に言い寄ったが撥ね付けられて、今は杏と結婚することを望んでいる。杏は蝉丸に、結婚の話を進めるためには母親の菖蒲を説得する必要があると伝える。蝉丸は苦利右衛門の弟の鮎之介に力添えを頼むことにした。鮎之介は苦利右衛門に話をしに行き、紫の勘違いという邪魔に遭いながらも承諾をもらった。菖蒲に杏の結婚の話をする苦利右衛門。ところが菖蒲は、杏を轍之丞と結婚させるつもりであった。何も言えなくなって帰ってきた苦利右衛門を見て、鮎之介はその優柔不断さに呆れ、もっとしっかり、家長らしくするよう散々説教する。菖蒲たち女学者は轍之丞を囲んで和歌の観賞会をしている。轍之丞の歌の出来栄えに感動のあまり騒ぎ立てる菖蒲たち。そこへ轍之丞の紹介で、真安がやってきた。初めのうちは仲良くやっていたが、真安が轍之丞の作った歌をけなしてしまい、詩作の能力を巡って途端に喧嘩になる。菖蒲は杏を轍之丞に嫁がせると言い出す。杏は、愛に応えることはできないと轍之丞に伝えるが、轍之丞は耳を貸そうとしない。菖蒲と苦利右衛門の対立、轍之丞と蝉丸の対立、杏の運命はどうなるのであろうか。
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-鮎之介の母の橘の奥方と鮎之介は信心に凝り固まって、乞食同然の樽兵衛を聖人君子と崇めているが、息子の鯉之介たちは樽兵衛が鮎之介家で大きな態度を取っているのが我慢ならない。鮎之介の樽兵衛信仰はとどまることを知らず、娘の瑠璃と蝉丸の結婚を破断にして瑠璃と樽兵衛の縁談を進めようとする。しかし、樽兵衛の目当ては後妻の菖蒲で、2人きりになった樽兵衛は菖蒲を口説き始めた。菖蒲は拒絶し、鮎之介に言わない代わりに、瑠璃と蝉丸の結婚を手助けするように要求した。こっそり聞いていた鯉之介は鮎之介に事の次第をすべてぶちまけたが、樽兵衛がへりくだった態度に出たので、鮎之介はすっかり騙されて、鯉之介を勘当した。一計を案じた菖蒲は樽兵衛の不義を目の前で見せつけることにした。再び菖蒲と2人きりになった樽兵衛は本性を表した。さすがの鮎之介もようやく目を覚まし、樽兵衛を追い出そうとした。ところが、樽兵衛は屋敷の権利書も手に入れていて、「この家は俺のものだ。出ていくのはお前だ」と開き直った。さて、結末はどうなるのであろうか。
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-舞台は京都。 歳の離れた兄の勘一と弟の山勘の兄弟が登場。二人は対照的な性格で、服装の流行に対する考えも正反対、自分が面倒を見ている瑠璃と菖蒲の扱いも正反対である。勘一は瑠璃に自由を与え、無理に自分と結婚させようとしないが、山勘は菖蒲の自由を奪って家に閉じ込め、家庭仕事に専念させ、いずれ自分の嫁にしようとしている。鮎之介が眉唾を伴って山勘に近づき、一目惚れした菖蒲に会いに行こうとするが山勘に阻まれる。 鮎之介を恋している菖蒲は一計を案じて、山勘に鮎之介が自分に横恋慕していると信じ込ませ、断りに行かせた。さらに、山勘に鮎之介から手紙が届いたと嘘をつき、手紙を返しに行かせるが、その手紙は山勘から救い出してほしいという願いを込めて菖蒲が書いたものだった。この計略が首尾よく進んで、菖蒲は鮎之介に直接会い、自分の本心を伝えることに成功するが、山勘だけはそれに気づかない。しかし、山勘は6日後のはずだった結婚を明日に早めようと言い出した。 菖蒲は山勘と結婚するくらいなら死んだほうがいいと覚悟を決め、大胆な賭けに出る。姉の瑠璃が瑠璃のふりをして鮎之介と結婚したいのだと山勘に思い込ませて、密会している瑠璃と鮎之介の2人を結婚させてしまおうと代官と執筆に頼んで結婚の制約を取りまとめる。最後にはそれが菖蒲と鮎之介との結婚だとわかり愕然とする山勘であった。
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-スペインのドン・ファンは女たらしの別名となっているが、日本にも源融、在原業平、光源氏と女性で浮名を流した色自慢は多い。これらの先輩に倣って、わが主人公壽庵の君は従者の山勘を従えて、菖蒲という妻を持つ歴とした妻帯者でありながら、新しい女を求めて放浪の旅を続けている。相手は貴族だろうが田舎娘だろうが、美人だろうが醜女だろうが、新しい獲物を手にいれるまでの駆け引きとスリルが至上の快楽と言い張る不信心者である。その一方、窮地に立たされた武士に危険を顧みず助太刀するとみれば、また神仏を恐れぬ壽庵の君を諭す父を、改心したふりをして騙す偽善者ぶりを見せる複雑な人物である。モリエールの「ドン・ジュアン」やモーツァルトの「ドン・ジョヴァンニ」が作り上げた新人類とも言うべき人物を日本の伝統演劇狂言劇として表現できたかどうか、ぜひ上演してもらいたいものだ。
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-山勘は日ごろから、界隈の亭主立ちを馬鹿にしては楽しんでいた。亭主はせっせと金をため、その金を女房は男に貢ぐ。彼にとってはどちらも笑いの種でしかなく、女房にするなら賢い女よりも、何も知らない無知な女こそ素晴らしいというのが口癖であった。持論を実行に移すべく、孤児であった菖蒲を引き取って尼寺に入れて育ててきた。成長した菖蒲はひどく無邪気で、まさに望み通りに育っていたので、明日にも祝言をあげる決心を固める。山勘のところへ親友の轍之丞の息子、鯉之介がやってきた。彼は無垢な女性と恋仲になったことを告白して山勘の手助けを頼む。親友の息子の頼みだと快く受け入れた山勘だったが、なんとその相手は菖蒲であった。鯉之介は菖蒲をこれまで修道院に入れていたのが山勘であることを、全く知らなかったのだ。驚いて菖蒲を問いただすと、菖蒲も鯉之介に惹かれており、結婚したいと言い出す。取り返しがつかないことになる前に急いで菖蒲と結婚するべく執筆に頼んで祝言の約定を急がせるが、結局は鯉之介が菖蒲の心を奪ってしまう。山勘はまさに「女房を教育するための塾長」としての役割を務めただけなのであった。
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-太閤は最近結婚した将軍の妻菖蒲に横恋慕して、なんとかモノにしようとしている。第一幕:太郎冠者は将軍の家来の次郎冠者になりすまして、太閤が将軍に化けて菖蒲を騙すのを手伝う。戦場で戦っていた将軍は大活躍をしたが、それを知らせるために次郎冠者を家へ向かわせた。次郎冠者は、彼そっくりに変身している太郎冠者によって迎えられ、太郎冠者にぶちのめされ、力づくで太郎冠者こそが「本物の次郎冠者」であると納得させられてしまう。次郎冠者はすごすごと退散する。二人が立ち去った後、将軍に身をやつした太閤が菖蒲に戦勝の報告をして愛の睦言を囁く。将軍に扮した太閤は、菖蒲に対して「夫としてではなく、恋人として愛して欲しい」と不思議な言い方をして菖蒲を驚かせる。次郎冠者の妻瑠璃はその二人をみて、次郎冠者になりすました太郎冠者に夫としての冷淡さをなじる。第二幕:本物の将軍は、次郎冠者が言いつけを守らないばかりか、自分とそっくりなもう一人の次郎冠者に阻まれて菖蒲の待つ家にも入っていないことを知って激怒した。ようやく菖蒲と再会するが、すでに帰ってきて一夜を共にした将軍がまた戻ってきたと思った菖蒲のそっけない対応に、状況が呑み込めない将軍は困惑し菖蒲の冷淡さをなじる。贈り物として次郎冠者に託した翡翠もすでに菖蒲の手に渡っており、自分以外の誰かが将軍に化けて床を共にしたことを知って愕然とする。瑠璃も偽の次郎冠者から受けた冷たい仕打ちの恨みを本物の次郎冠者に晴らそうとする。本物の将軍が去ったあと、将軍に扮した太閤が再度登場して菖蒲の機嫌を直すのに必死になる。夫としての愛情と恋人としての愛情の違いを理由にして恋人として自分を愛してくれるように懇願する。第三幕:菖蒲との納得の行かない諍いさかいいのまま別れて、不思議な妖術にかかったようになっていた将軍は家に戻ってきた。そこには次郎冠者に変身した太郎冠者がいた。太郎冠者は家の中には本物の将軍がいる。お前は偽物だと相手にしない。そこに本物の次郎冠者が現れてこれまでの雑言の落とし前を付けされられようとする。決着をつけようと将軍が似非将軍に出てくるように叫ぶ。本物の将軍と似非将軍の直接対決となる。最後に太閤は身分を明かし、本物の将軍に彼女の節操の硬さや献身的な姿勢のこと、すでに彼女が懐妊していることを伝える。
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-若武者と菖蒲の対話で始まる。菖蒲の従姉妹の瑠璃が父の大名に望まない相手と結婚させられそうになっており、それを少しでも引き延ばすために仮病を使っている。愛する若武者と監視されずに逢引できるように、医者に転地療養を勧めてもらってはどうか、と菖蒲は提案する。そのために医者が必要なのだが、若武者の家来の山勘にそれをやらせることになった。最新医療だと言って患者の尿を飲んで病気の診断をするなど思い切った医者ぶりを見せて見事に医者になりきって、まんまと大名を騙して瑠璃は離れに移ることができた。そこに大名の娘の病気を心配した代官までやってきたなか、山勘はヤブ医者たちとは違った高邁な医者だと代官に信じ込ませることにも成功した。ところが、魔の悪いことに若武者と山勘が一緒にいるところを大名に見られてしまう。山勘は医者の格好をしておらず、普段着だったので、とっさに「医者の兄に双子のようにそっくりな弟」であると嘘をついて取り繕った。しかしさすがの山勘も1度に2人になり切ることはできない。最後は大名の従僕の太郎冠者によって正体を暴かれ、大名の怒りを買ってしまう。危うく縛り首になるところだったが、大名が若武者を立派な婿と認めたことで大団円となる。
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-太郎冠者は若武者に好きな女が出来たために、面倒事を押し付けられて困っている。若武者は大将に囲われている菖蒲に恋をしているが、大将が常にそばにいるため話をする機会さえも得られず困り果てている。そこで太郎冠者におわら風の盆の人たちを連れてこさせ、家の前で音楽を奏でることで菖蒲を誘き寄せてみることにした。一座が歌い演奏を始めたが、夜の暗闇で出てきたのが菖蒲ではなく大将だった。大将が聞き耳を立てていることにも気づかず、太郎冠者と若武者は計略の相談事をしてしまう。計略を知った大将は菖蒲を連れ去ろうとしたが、菖蒲が拒む。菖蒲は大将によって奴隷から解放された身分であったが、大将の妻は奴隷以上に耐えられない。今度は太郎冠者が歌の師匠になりすまして菖蒲に計略を知らせようと登場する。大将はその歌が気に入らないどころか、太郎冠者の正体をも見破ってしまう。そんな中、若武者は自力で菖蒲と会う算段を見つけた。古い知り合いの浮世絵師の歌楽が菖蒲の肖像画を描くことになっていたので、その代わりとして絵のうまい加賀武者になりすまして来ることにしたのだ。それを聞いて一計を案じた太郎冠者が計画を実行するべく支度のために立ち去る。 画家になりすました若武者はまんまと大将を騙して菖蒲に会うことに成功した。相変わらず大将がそばについているが、肖像画を描くと称して菖蒲との会話を楽しむ。そこに坂東武者に成りすました太郎冠者がやってきて大将に相談事を話し始めた。その隙を見て若武者は、菖蒲に本心を打ち明け、諒解を得たのであった。若武者は肖像画の制作を切り上げて帰ったが、そこに壺装束を着た瑠璃が現れて、嫉妬深い乱暴な夫に追いかけられて逃げてきたので助けてほしいと訴える。大将は家に瑠璃をかくまったが、その乱暴な夫が坂東武者であることを知り、驚きながらも瑠璃をなだめ、何とか丸く収める。家から壺装束を被って出てきた瑠璃と思しき女性と今後仲良くするように言って見送った大将であったが、なんとその壺装束を被った女は菖蒲であったのだ。まんまと一杯喰わされた大将は裁判に訴えようとするが、裁判官はおわら風の盆の準備に忙しく、まるで相手にしてくれない。そこで踊りが始まり、幕切れとなる。
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-舞台は難波(なにわ) 第1幕 太郎冠者が独白している。太郎冠者の大名は次郎冠者の親方の船主と共に2か月前から船に乗って旅に出ていた。2人は自分たちの雇い主が帰ってくると知って焦っている。太郎冠者は、大名から船主の娘との結婚を押し付けられる上に、すでに瑠璃という女と秘密裡に結婚をしてしまったからだ。太郎冠者は上手く策略が思いつかないため、機知縦横を誇る従者のすっぱに助けを求めることにした。すっぱは太郎冠者に、大名への弁解の仕方を練習させるが、いざ大名が現れると、怖気づいて逃げ出してしまった。しかたなくすっぱは独力で大名を言いくるめ、いくら大名と言えども、太郎冠者の結婚を破談にするのは難しいと言い立てるのであった。大名が納得しないままその場を去ると、そこに次郎冠者が現れる。すっぱは一計を案じて次郎冠者に一肌脱がせることにした。 第2幕[編集] ジェロントに会って感激するレアンドルであったが、ジェロントは違った。アルガントに息子の不埒行為のことで嫌味を言ったら、逆に「スカパンからレアンドルの方がもっとひどいことをしでかしたと言っていた」と切り返されたからだ。スカパンにだけ打ち明けていた秘密をあっさりばらされたと知って、激怒し、スカパンを斬り倒しかねない勢いで問い詰めるレアンドル。そこへカルルがやってきた。ゼルビネットがジプシーに連れ出されそうになっており、2時間以内に身代金を届けてもらえないと永遠に会えなくなってしまうという。そこでスカパンは、イアサントのために金が必要なオクターヴ、ならびにレアンドルのため、金を各々の父親から巻き上げることにした。初めにアルガントからだますことにしたスカパンは「イアサントの兄は殺し屋なので、彼に賄賂を贈れば結婚を破断にできる」と話をでっちあげ、金を巻き上げようとするが、成功しかかって失敗してしまった。だがそこへ、イアサントの兄に扮装したシルヴェストルがやってきた。金にありつけないことが分かって、アルガントを含む何人もの人をぶった斬ると息巻く。それを隠れて聞いていたアルガントは、ふるえながら金を出すことを決意するのだった。無事1人片付けるのに成功したので、今度はジェロントに取り掛かる。「レアンドルがトルコ軍艦にうっかり乗り込んでしまい、身代金を請求されている」という話をでっちあげた。こちらも無事金を巻き上げるのに成功したが、先ほどレアンドルに危うく斬り倒されそうになった件を忘れられず、ジェロントに対する怒りが収まらないので、ちょっとしたいたずらを決意するスカパンであった。 第3幕[編集] ジェロントへのいたずらを実行に移すスカパン。ジェロントに「イアサントの兄である殺し屋が、旦那様を殺すために探し回っている」と吹き込む。助けを求めたジェロントは、スカパンの策にしたがって袋の中へ入ることにした。スカパンにそれを背負わせて、逃げ出そうという算段である。歩き出した途中で、殺し屋に出会ったふりをし、声を変えて1人で2役をこなすスカパン。その話の成り行きとして、袋をぶん殴ることで、ジェロントへの軽い悪戯としたのであった。それを2度繰り返すが、3度目の最中にジェロントが袋から顔を出したことで、ばれてしまう。そこへ笑いながら登場するゼルビネット。彼女は目の前にいる男がジェロントとは知らず、スカパンがジェロントから金を巻き上げた話を、笑い話として話してしまった。すべてに気づいたジェロントとアルガントは、仕返ししようと考えるが、そこへネリーヌがやってきた。彼女をきっかけに、イアサントがジェロントの娘であること、ゼルビネットはアルガントの娘であることが判明したのだった。親同士のもくろみ通りの結婚は果たされ、アルガントの亡くしたと思っていた娘は見つかり、すべてことは丸く収まる。幕切れ。
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2.0あらすじ 桃山時代の大阪。豊臣秀吉は大阪城を築城した。淀川に浮かぶ大阪城、その郭の一角に男子禁制の姫櫓があった。 第一幕 大阪城下、森之宮神社近くにある西蔵の居酒屋の内部。人夫たちが淀川から上がる奇怪な水死体の噂をしているなか、大阪に出てきたばかりの若武者立原日之介が親友の住吉時之介に宛てた手紙を書いている。人夫たちが時之介を孤児呼ばわりしたことに腹をたてた日之介が、彼らと一戦交えているところに偶然来た大野治長が助太刀して両者を引き分ける。 第二幕 関白殿下の入城にあたり、城下でその準備が行われている最中、またもや二人の土左衛門が打ち上げられた。淀君は城下にいた陰陽師を呼んで占いをさせると、太政大臣の丸川安之丞の三日後の死を予言する。時之介には日之介がその土左衛門の一人だと言う。さらに、淀君には日之介を殺させた犯人だと暴露する。日之介が血で真犯人の名を書いた書付は時之介に渡した。それを脅しのタネに、治長は太政大臣になって淀君と二人で天下を治める野心を実現したいのだ。 第三幕 第一景 大阪城は開門の時刻を迎えてもまだ閉じたままである。そこに侍を従えた治長が登場して丸川安之丞の身柄を拘束する命令書を読み上げる。潔く縄につく丸山の高潔さに打たれる治長が今度は捕縛される番であった。 第二景 治長が牢屋に縛られている。勝利を味わうために淀君が見にくる。治長は淀君に最後に昔話を聞くことを所望する。秘密の話をした治長は牢屋を出て関白の次の位にまで上り詰めることに成功する。 第四幕 時之介に固執する淀君に対して、治長は最後の賭けに出る。姫櫓で関白の目を盗んで逢い引きをしてくれれば、手紙を返して淀君の不安のタネを取り除こうと約束する。淀君は手下に命じて忍び込んでくる男を殺せと命じる。一方、治長は淀君の失脚を望んで前川に命じて姫櫓にいるすべてのものの逮捕を命じる。 第五幕 姫櫓で淀君は逢引に来る者の殺害を命じていると、その治長が入り口ではなく窓から侵入してきた。治長が淀君に時之介が自分たちの子どもであることを告げると淀君は狂乱する。
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-一般に日本でのフランス・ロマン主義の研究は手薄だが、なかでもアレクサンドル・デュマについての研究は皆無に等しい。デュマと言えば『三銃士』や『モンテ・クリスト伯』といった大衆娯楽作品の印象が強く、また数知れない代作者を使ったという理由で悪名も高い。また、その作品の全体について正確な総数すらわからないほどのいわば濫作者であったからよけいに始末が悪いのかもしれない。いったいどれだけ作品を出版したのだろうか。 カルマン・レヴィー出版社が1920年に出したアレクサンドル・デュマ作品総カタログによる作品分類は以下の如くであった。 (1)歴史小説および歴史研究128作品218冊 (2)小説、短編、個人伝 41作品、64冊 (3)回想録、閑談九作品、11冊 (4)少年少女物語五作品、6冊 (5)旅行記十八作品、35冊 (6)戯曲66作品25冊。以上合計271作品、359冊 アレクサンドル・デュマ協会のウェブサイトでは325作品がリストされている。また、個人のデュマ愛好家が作っているサイトによれば、すべての作品を取り混ぜて688作品としている。 「誰もが皆デュマの話は聞いたことがあるし、彼の作品の何冊かは読んだことはあるが、彼の才能の大きさを意識している人はごく少ない。『アンリ三世』から一夜明けた日の彼の栄光はたくさんの妬み屋のしつこい中傷をひき起した。彼らの言を信じれば、デュマは先人を剽窃し、代作者たちに自分の作品を書かせた無知無学の人間ということになるだろう」(フェルナンド・バッサン) 「『アンリ3世とその宮廷』を研究した人間はデュマの公式が一挙に分かる。彼はまことに多様な戯曲を書く。ところが本質的なものは最初の戯曲『アンリ三世』にある。つまり、民衆的な登場人物、地方色、変化、アクション、情念があるのだ。」(イポリット・パリゴー)この戯曲は、デュマ最初の本格的な五幕散文ドラマであり、スタンダールの理想の実現でもあり、ヴィクトル・ユゴーの『エルナニ』に先立つこと1年、ロマン主義演劇の最初の勝利を獲得した記念碑的作品でもある。 時は1578年7月20日のことである。フランス国王アンリ3世の母、フィレンツェから亡き国王アンリ2世に嫁いだカトリーヌ・ド・メディシスと占星術師ルッジェリは、アンリ3世の寵臣サン=メグランがギーズ公爵の夫人に恋い焦がれていることを利用して、サン=メグランとギーズ公爵の両方から気弱な国王への影響力をそごうと画策する。カトリックとユグノーの殺し合いの宗教戦争の只中で、後にアンリ4世になるナヴァール王アンリを加えて3アンリの戦いと言われる時代である。ルッジェリは眠り薬で眠らせたギーズ公爵夫人とサン=メグランを引きあわせて二人が両思いであることを悟らせる。 新教徒に対抗するカトリック同盟の盟主に自らなって、次期国王の座も狙おうとするアンリ・ド・ギーズのカトリック同盟に盟主の任命という性急な要求に、ブロワの三部会まで待てと諭すアンリ三世。事態は切迫していると反論するギーズ公。甲冑で登場したギーズ公が弾丸が飛んで来ても正面で受けてみせようと豪語するのを、サン=メグランが吹き矢筒でボンボンを命中させる。怒りに燃える両者の間で決闘が決まる。 怒りに任せたギーズ公爵は鉄の籠手で青癒ができるほど夫人の腕を締め上げ、無理強いにサン=メグラン伯爵をギーズの館におびき出す偽手紙を口述させる。 一方、宮廷ではカトリック同盟の盟主の任命決議に入り、「余の権威において余自身を盟主と宣言する」と自ら盟主になることを宣言したアンリ3世。ギーズ公爵はカトリーヌ・ド・メディシスに何事か訴えようとするが、アンリは早く署名せよとダメ押しをする。第1の企みは失敗に終った、埋合せはつけてやる、憤怒のなかで署名するギーズ公の前で会議の閉会が告げられる。 半信半疑でギーズ公爵夫人の元に忍んできたサン=メグラン伯爵は来ないようにと祈る夫人の声を手がかりに部屋までたどり着く。危機一髪で部屋から逃げ出したサン=メグランは待ち伏せした手のものに暗殺される。公爵が最後の台詞を吐く。「よし!さあ、家来の始末はつけた、今度は主人の番だ!」 劇場が興奮のるつぼであった。臨席していたオルレアン公爵は名前も知らない自分の使用人が詩人として聖別されるのをきいたのである。こうしてアレクサンドル・デュマはフランス演劇史にみずからの名前を深く刻んだのである。
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-室生犀子(さいこ)は金沢の西茶屋の水琴楼の娘で女優である。自分が見つけた新人女優の吉宮令佳と共に新作の『細川ガラシャ』の稽古に励んでいる。令佳(れいか)は悩みごとがあるために演技に迷いがある。稽古を見ていた戯曲の原作者のフォークロア学教授の泉鏡(いずみかがみ)は、演技術を伝授することで令佳の悩みを救おうとする。令佳の悩みの原因は引きこもりの弟のが新興宗教に入信したことであった。実は圭は新興宗教「心の友」から相次いで亡くなった両親の遺産「風茶楼(ふうちゃろう)」の寄付を迫られているのであった。東京の検事職を辞めて最近金沢で弁護士を始めた徳田秋子は犀子と鏡の共通の友人である。鏡の親戚である多美が女将を務める主計町(かずえまち)の鍋の「太郎」で久しぶりに三人が再会した会食会で秋子が令佳の相談に乗ることが決まる。金沢を拠点に北陸方面に信者拡大を図る宗教法人「心の友」が、偶然にも水琴楼で慰労会を開くことになった。それを母の女将から聞いた犀子は、一計を案じて、秋子と令佳を芸妓に仕立てて客を迎えた。宴会客との話の中で西茶屋出身の夭折の天才小説家島田清次郎が水琴楼の女将の母と泉鏡の祖母菊乃(きくの)の幼友達だったことがわかる。回想の中、自称天才の島清は同世代の芸者菊乃と水琴楼の先代の女将から散々にたしなめられる。宴会は女将の三味線で犀子、秋子、令佳の唄と踊りで華やかに盛り上がった。料理は楓茶楼の元板長の高橋が圭と鏡を従えて作った極上の加賀料理だった。もともと料理を作ることが好きだった圭はすっかり料理の魅力に目覚め、宗教団体から脱退して調理士を目指し、姉と共に楓茶楼の再建を決意する。圭が高橋の下で板前見習い、令佳が女将見習いと、水琴楼は楓茶楼の再建を目指す兄弟の修業の場となることになった。すっかり迷いが晴れた令佳を従え、犀子は見事に『細川ガラシャ』を演じきり、歌劇座の客から大喝采を浴びる。客の中には鏡、多美、秋子、圭、高橋がいたことは言うまでもない。
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-この本は以下の5本の論文で出来ている。 1 ステファンヌ・マラルメの実存的精神分析――《マラルメ 1842-1898》註解―― 2 サルトル思春期考 3 もうひとつの「負けるが勝ち」 ジャン・ロトルーの『聖ジュネ正伝』――その構造と意味―― 4 メロドラマからサイコドラマへ――デュマの『キーン』とサルトルの『キーン』―― 5 ボーヴォワールとその時代 1「ステファンヌ・マラルメの実存的精神分析――《マラルメ 1842-1898》註解――」(初出 1976年9月)は実存的精神分析の構造を非常にコンパクトに提示している。この論文の出発点は、サルトルのシチュアシオン九に収められた9パラグラフ、10頁たらずのテクストが、マラルメの全生涯を示す1842-1898という副題をもっていることに驚いたことが発端となっている。文章の構成に立入ると、サルトルがこの9パラグラフを実に周到に計算して構成していること、毎パラグラフがそれぞれマラルメの内的発展の各段階を跡づけ、ほとんど正確な年代記を心がけていることがわかった。サルトルは過去のトラウマや挫折から現在の人格を分析するフロイトの決定論的精神分析に反対して、ある人間がなりたかった目標とその人物を照合することで、目標とした未来から人格分析をする精神分析を提案した。それを実存的精神分析と名付けたのである。ボードレール、ジュネ、フローベールと並んで、マラルメもその実例に加えようとしたことはよく知られている。実存的精神分析の作家論、しかも大部分が大部の作家論の雛形として、この9パラグラフは有効であろう。 第2論文は「サルトル思春期考」(初出 1977年9月)と題してる。サルトルの自伝的年代期のなかで、1917-1929というちょうど狭間にあたる12年間がすっかり欠落している。だから、1917-1929年のサルトルの思考や文章を対象とした論文としては珍しいものと言えるだろう。1970年、サルトル研究家のミシェル・コンタとミシェル・リバルカが『サルトルの著作』Les Ecrits de Sartre という詳細な年代記的書誌を刊行し、この時期のサルトルの習作を発掘した。その作品のなかに、この12年間の伝記的空白をいくらかでも埋めるような材料をみつけだすこと、それがこの小論の目的である。 第3論文は「もうひとつの『負けるが勝ち』 ジャン・ロトルーの『聖ジュネ正伝』――その構造と意味――」(初出 1978年9月)である。サルトルの実存的精神分析の大著『聖ジュネ』の副題「殉教者にして反抗者」はたんにジャン・ジュネのことを比喩的に示しているのではなくて、林達夫が『思想のドラマトゥルギー』で示したように、17世紀のバロック劇作者ジャン・ロトルーの『聖ジュネ正伝』の主人公ジュネを指しているのである。 第4論文は「メロドラマからサイコドラマへ――デュマの『キーン』とサルトルの『キーン』――」(初出1979年9月)である。この論文は、劇作家サルトルに焦点を当てている。「サルトルの戯曲のもつイデオロギー的意味と、それが提起した広範な美学上の問題とを同時に論じる」ために、「演劇としてのサルトル演劇」に照明を当てて、サルトルの劇作術の一端を解明することをめざした。アレクサンドル・デュマを原作者とするサルトルの翻案『キーン』を取り上げたのは、大デュマとの比較を通して、劇作家サルトルをフランス演劇史のなかに位置づけるために他ならない。サルトルの翻案の妙を原作と翻案を対比して解明した。 最後の第5論文は「ボーヴォワールとその時代」(1980年及び1981年)である。前の4つの論文と比べて2分冊分のこの論文はボリュームが大きい。名古屋の朝日文化センターに頼まれてボーヴォワール講座を担当したことをきっかけに、それまでまともに研究していなかったボーヴォワールに本格的に取り組んだ成果である。この論文は結果的にボーヴォワールの生涯を論じたものになった。このなかでは『第二の性』の成立事情と構造分析に関して、特にレヴィ=ストロースとの関係を明らかにしている「間奏曲(インテルメッツォ)『第二の性』」は『第二の性』を読む時の参考になるのではないかと思う。また、メルロー=ポンティの『ヒューマニズムと恐怖政治』を論じた「政治のなかの実存主義」は哲学者ではなく、政治学者としてのメルロー=ポンティに照明を当てている点を強調しておきたい。サルトルが実存主義と共産主義との間でどのように苦闘したかをボーヴォワールの目を通して見ている。
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-『三銃士』(ダルタニアン物語を含む)や『モンテ・クリスト伯』を始め『王妃マルゴ』、『モンソローの奥方』、『黒いチューリップ』などの小説で世界的な文学者となったアレクサンドル・デュマは、最初、劇作家としてデビューしたという事実は意外に知られていません。今回、デュマの劇作品の中でも傑作の呼び声が高い『ネールの塔』をお届けします。フランス王妃とビュリダンとの権力と知力の戦い、尊属殺人、嬰児殺し、近親相姦、恐るべき人倫の蹂躙を舞台にのせた作者の勇気と革命と戦争を通じて権力に潜む非人間性を知ったためにそうした表現を受け入れることができた観客を感じていただければ幸いです。 ネールの塔にまつわる歴史は次のようなものでした。 中世の物語、特にネールの塔の伝説的な物語は当時流行であった。史実では、女王マルグリット・ド・ブルゴーニュ(1290-1315)と義妹のブランシュは、それぞれフィリップ・ドルネとゴーティエ・ルネという兄弟を愛人にし、モービュィッソンの修道院で逢い引きをしていた。1314年、四人は密告されてルイ強情王と呼ばれたLouis Xの命令で全員逮捕された。一人の若者は尋問によって自白(しかし、裁判の一切が秘密であったために、すべて憶測の域を出ない)し、拷問の果てに死んだ。1315年4月のことであった。1322年、女王は、伝説の語るところでは、1315年4月30日王の命令によりシャトー・ガイヤールで絞殺されて死んだ。ブランシュは1322年解き放たれ、僧籍に入り、モービュイッソンの修道院に赴いて翌年そこで死んだ。この姦通を手引きした端役たちは死刑か、または逃亡した。さらに二番目の義妹ジャンヌは一旦告発されたが、身の潔白を証明することに成功した。これがこの事件にたった2頁しか割いていない同時代人のド・ナソジの『年代記』の継承者が教えてくれるすべてである。ネールの塔がフィリップ美男王の嫁たちの放蕩三昧(ほうとうざんまい)の本山であり、一夜限りの愛人の死体を翌朝セーヌ川に投げ落とさせたという、これといった根拠もない一つの伝説が生まれたのはかなり古いことである。これらの情夫のうちビュリダンなる人物が問題である。事実、ビュリダンという人物はどこにも見当たらないうえに、さらにもっと可能性が薄いのはパリ大学の総長であった哲学者ジャン・ビュリダン(1290-1358頃)がマルグリット・ド・ブルゴーニュの愛人であったということである。様々な伝説がジャンヌ・ド・ブルゴーニュあるいはマルグリット・ド・ブルゴーニュとの関係を彼に負わせ、その二人のどちらかが(ヴィヨンが書いているように)彼を袋に入れてセーヌ川に投げ入れ、そのために死んだかどうかは様々な異本がある。ブランドームはその『艶婦列伝』のなかで有罪の女王のことには触れることなく、ネールの塔における王家の血みどろの乱痴気騒ぎの伝統について言及している。 これを題材にしてフレデリック・ガイヤルデという若者が脚本を書きました。着想はよかったが、劇場に上げるまでではなかった原案をロマン主義演劇の傑作に仕上げたのがアレクサンドル・デュマでした。熱狂をもって受け入れられた『ネールの塔』はその後、著作権を巡るガイヤルデによる執拗な訴訟が作者2人の死後まで続く因縁の作品でもあったのです。『ネールの塔』に付けた解説では、この問題を詳細に説明しています。お楽しみ下さい。
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-明治村幻想は、タイトルどおり、博物館明治村を舞台に現代と明治時代のパラレルワールドが共存する不思議な空間で物語が進行する。明治村は普段は見学者が明治時代の代表的な建造物に触れて楽しむ建築物の博物館でしかない。ところで、建物にはそこに住んでいた人間の魂が宿るという。もしそうなら、明治村にある森鴎外・夏目漱石邸にはどこかに鴎外と漱石の魂が漂っていても不思議ではない。夏の別荘とともにラフカディオ・ハーンこと、小泉八雲がそこに住み着いているかもしれない。名古屋にある私立女子校の生徒綾乃が何らかの事件か事故に巻き込まれて明治村で失踪した。大学のレポートを書くために明治村見学に来た女子大生なるみが、夏目漱石の小説の主人公らしい猫に導かれて現代の明治村から明治時代の明治村というパラレルワールドにタイムスリップしてしまった。そこで出会ったのが博物館明治村を作った二人の人物であった。二人の人物は明治村に住み着いた歴史上の人物が現代にタイムスリップしないように監視を続けているのであった。二人は明治村の住人と現代人との間にトラブルが起こらないように、なるみに綾乃を元の世界に連れ戻してくれるように懇願する。綾乃が若い鴎外と深い関係に陥らないか心配しているのだ。奇妙なことに、漱石はなるみを綾乃に引き合わせる役割を引き受ける。 なるみと綾乃は無事、元の世界に戻れるのだろうか?
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-アレクサンドル・デュマの最も一般的な略歴は以下である。 1802年フランスのヴィレール・コトレ生まれ。 19世紀フランスを代表する作家の一人。幼少よりラテン語、古典文学を学び、17歳で『ハムレット』を観て劇作家を目指す。20歳でパリに出た後、『アンリ三世とその宮廷』、『クリスティーヌ』の大成功によって劇作家としての地位を得る。その後も数多くの劇作を発表し続けるが、フランス・ロマン派の影響を受け、徐々に歴史小説に移行する。1844年、「ル・シエークル」誌に連載された『三銃士』が爆発的な人気を得た他、『王妃の首飾り』、『黒いチューリップ』などの大作を世に送り出す一方で、革命に積極的に参加するなど当時のフランス国内に多くの影響を与えた。晩年はフランス、ベルギー、ドイツ、オーストリアなどを転々としながら創作活動を続け、1870年、ピュイの別荘にて死去。 主な作品は、『三銃士』、『二十年後』、『モンテ・クリスト伯』、『王妃マルゴ』、『王妃の首飾り』、『黒いチューリップ』など多数。 もちろん、フランス文学史がロマン主義を避けて通ることができないかぎり、デュマに触れないわけにはいかないが、ヴィクトル・ユゴー、アルフレッド・ド・ミュッセ、アルフレッド・ド・ウ゛ィニーなどと比較すると、デュマは明らかに挿話的な扱いしか受けないのが普通である。しかし、2002年11月、ついにアレクサンドル・デュマの亡骸が国葬としてパリのパンテオンに移され、国民作家の列に加わったのだ。 一般に日本でのフランス・ロマン主義の研究は手薄だが、なかでもアレクサンドル・デュマについての研究は皆無に等しい。デュマと言えば『三銃士』や『モンテ・クリスト伯』といった大衆娯楽作品の印象が強く、また数知れない代作者を使ったという理由で悪名も高い。また、その作品の全体について正確な総数すらわからないほどのいわば濫作者であったからよけいに始末が悪いのかもしれない。いったいどれだけ作品を出版したのだろうか。 カルマン・レヴィー出版社が1902年に出したアレクサンドル・デュマ作品総カタログによる作品分類は以下の如くであった。1)歴史小説および歴史研究128作品218冊。2)個人伝41作品、64冊。3)回想録、閑談9作品、11冊。4)少年少女物語5作品、6冊。5)旅行記18作品、35冊。6)戯曲66作品25冊。以上合計271作品、359冊(若干数の作品は重複の可能性がある)。シャルル・グリネルの『アレクサンドル・デュマとその作品』ではカルマン・レヴィー版全集で298作品142巻という数字を出している。Webサイトで検索すると688作品がリストされていて、270作品とか289作品とかをはるかに超えた多作家であることは間違いがない。ジャンルも小説、伝記、回想録、おとぎ話、旅行記そして戯曲と多彩である。 ≪Elle me resistait, je l’ai assassinee!....≫ 「俺を拒んだ、だから殺したのだ!」 有名なこの幕切れの台詞と共に、愛人アデルを殺した暗い目付きの主人公アントニーは、1831年以後しばらくの間フランスの若い世代を席巻した。1831年5月3日ポルト・サン・マルタン座で初演された『アントニー』は、当時の上演事情から見ると異例としか言いようのないほどの連続上演記録を作った。「このドラマはパリで連続131回上演された。内訳はポルト・サン・マルタン座で100回、オデオン座で30回、イタリアン座で1回である。そればかりか、またフランス中で巡回公演され、その年1831年は非難ごうごうであったが、1833年から1837年までは大成功を収めた。 今日のわれわれから見るといささか大時代なこの姦通劇が、どのように着想され、どうしてこのような熱狂的な反響をもたらしたのであろうか。
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-パリといえば、なんといってもまだ日本では観光地として人気が高い。ファッションやブランドやフランス料理や世界遺産、なんでも揃っていて、その上、建物や街並みが魅力的である。ツアー旅行でヨーロッパといえば、まずパリは必ずと言っていいほど旅程に入っているのが当たり前になっている。 そんなパリだが、しばらく滞在してみると駆け足で街並みや歴史的記念物を見ているのとは違った表情を見せる。まず、聞き取れないフランス語やパリジャンやパリジェンヌたちの冷たいあしらいにがっかりさせられたり、国鉄職員やデパートの店員の横柄な態度に憤慨したり、すっかりフランス嫌いになる人も多い。また、スリやひったくりやジプシーの物乞いなどに怖気づく人も多い。 著者はかつてフランス語を教えていたが、定年退職になったので久しぶりにパリに3週間、妻とともにアパルトマンを借りて生活してみようと思い立った。この本は毎日の生活を暮らしてみた著者夫婦の日常体験を通して、これからパリに行こうと思う人や、しばらく滞在してみたいと考えている人の参考になればと思って書いたものである。
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-この電子ブックは「追悼吉本隆明 ミシェル・フーコーと『共同幻想論』」の電子書籍です。吉本隆明はかつてフランスの哲学者ミシェル・フーコーと対談した。そのとき、フランスにはなぜか隆明という名前を「りゅーめい」と音読みして、Ryumeiという名前で紹介されていることもあって、「よしもとたかあき」という名前が通じない可能性もあることが日本ではなかなかわかりにくかったのではないかとおもわれる。さらに、『共同幻想論』の書名が通訳ではillusion communeという翻訳ではなく、fantasme collectifという翻訳で伝わったために吉本隆明の主著の真意がフーコーに正しく伝わっていないのではないかと思われた。この本ではこうした誤解がどのように生じたかの原因を究明するために、『共同幻想論』のフランス語訳者である著者が書いた本です。 「消費資本主義の終焉から贈与価値論」と「吉本隆明『共同幻想論』を語る」の2つの対談は、それぞれ時期と対談者を異にしながら、吉本隆明が『共同幻想論』の現代的意味とミシェル・フーコーの仕事と人柄にかんして率直に語っています。 「『共同幻想論』のフランス語訳の完成にいたるまで」は著者の中田平が『共同幻想論』をフランス語に翻訳した経緯を書いています。 また書名になっている「ミシェル・フーコーと『共同幻想論』」は『共同幻想論』をフーコーの仕事の全体と比較しようとした論文です。 この本は、日本を代表する思想家吉本隆明がフーコーとの対談を契機にフランス思想界に知られるに至った経緯と、彼の主著『共同幻想論』を世界思想にもたらすことを願ってフランス語に翻訳した格闘の経過を世に問うものです。 また、この本はかつて光芒社から出版された「ミシェル・フーコーと『共同幻想論』の新装改訂版でもあります。【※本作品はブラウザビューアで閲覧すると表組みのレイアウトが崩れて表示されることがあります。予めご了承下さい。】
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-1巻660円 (税込)本書『ウジェーヌ・スクリーブ演劇に対する批判と擁護』はウジェーヌ・スクリーブの「アカデミー入会演説」、テオフィル・ゴーティエの「フランスにおける演劇芸術の最近25年史」、アレクサンドル・デュマ・フィス「『放蕩親父』序文」、フランシスク・サルセー「演劇40年史(劇評)で構成されている。オギュスタン・ウジェーヌ・スクリーブ(1791年パリ生 - 1861年パリ没)は合計400作品以上を書いて上演させた19世紀を代表するフランスのヴォードヴィル作家、劇作家であり、オペラ台本作家である。しかし、日本では残念ながら、私と妻の二人が最近になって初めて翻訳に手を染めたばかりで、ほとんどどの作品も翻訳されることがなかった。現在我々が翻訳出版したのは、「スクリーブ傑作ヴォードヴィル選 『熊とパシャ・外交官』」、『貴婦人たちの闘い』、『鎖』、『水のグラス』の4冊だけである。こうした状況のなかで、日本でスクリーブを取り上げているのは進藤誠一であり、本書の成立には進藤の『フランス喜劇の研究』がガイドラインになっている。
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-この本の書名La chuteは、かつて「転落」と訳された。転落という語はあまりにも地上的、人間的で、何らかの失敗、あるいは過失が原因で、ある一定の高い社会的地位からその身分を失って、社会的下層に落ちたことを示すだけの印象が強い。キリスト教では、最初の人間が創造主である神(天主、絶対者)に背いて堕落し、原罪を持ち、死ぬ者となったことを人間の堕落(chute)と呼び、神学上は堕落前の世界と堕落後の世界を分けて考える。最初、この翻訳では「堕落」あるいは「堕罪」としようかと考えたが、書名というのは一度翻訳されると定着力が強く、読者が別作品と誤解する可能性を考えると、書名に拘るデメリットの方が大きいことを思い、あえて、『転落』を踏襲した。ただ、「新訳」と冒頭に加えることで、別の訳書であることを示した。
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-アレクサンドル・デュマの『キーンまたは狂気と天才』(1836年初演)の翻訳。サルトルが翻案した『キーン』(1953年初演)はすでに翻訳があるが、原作のデュマ版はこれが初訳である。当時のフランスのロマン派演劇の俳優フレデリック・ルメートルがイギリスの伝説的名優キーンの1833年の死にさいしてキーン自身を演じたいと願い、デュマが完成したのが本作品。イギリス皇太子の友人でデンマーク大使夫人を愛するキーン。舞台上でロミオとジュリエットを演じていたキーンは、伯爵の桟敷にいるエレナとプリンスの姿を認め、財産目当てで女優志願のアンナとの強制結婚を目論む悪徳貴族ロード・ミーウィルを罵倒しながら、舞台上で気絶する。さて、キーンの最後はどうなるだろうか。
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-ルイ15世の宰相、ブルボン公の愛妾ド・プリー侯爵夫人は、リシュリュー公の愛人でもある。二人の恋人は双方の合意によってのみ関係の解消をする取り決めをしているが、リシュリュー公はガベル=イル嬢に、侯爵夫人はその婚約者ラウル・ドービニーに恋したため約束が反故になった。リシュリューは若い男性に挑戦して、出逢った女性を24時間以内に陥落させると賭けをした。通りがかったのが偶然にもバスティーユ牢獄に囚われている父と兄の釈放の嘆願を侯爵夫人に願うベル=イル嬢だった。(第一幕)。嫉妬した侯爵夫人は、公爵が24時間以内にベル=イル嬢に合わせないように、バスティーユの長官に依頼してベル=イル嬢を父にあわせる段取りをしてパリに出かけさせる。リシュリュー公爵は秘密の扉からベル=イル嬢のいるはずの部屋に入って首尾よくものにしたと証明した。(第二幕)。翌朝、婚約者のドービニーがベル=イル嬢に説明を求めるが、彼女は口外しない誓いを破れないため、公爵に嘘だと白状するように求めるが、公爵はベル=イル嬢と夜を過ごしたことを確信しており、婚約者は彼女の裏切りを信じて絶望する。(第三幕)。ドービニーはリシュリューと決闘を挑むが止められ、やむなくトランプで勝敗を決する。ドービニーが負けて8時間後に自殺することになる。おりしも内閣が瓦解してブルボン公が拘束され、プリ侯爵夫人も蟄居、リシュリュー公爵も逮捕となる。リシュリュー公爵はようやく侯爵夫人に騙されたことに気づく。(第四幕)。最後に連行されたパリから早馬で駆け戻った公爵が現れてすべての誤解が解けて和解になる。(第五幕)
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-本書は、一九世紀フランス演劇界に君臨したヴォードヴィル作家、劇作家にしてオペラ台本作家ウジェーヌ・スクリーブの『初恋、または子供時代の思い出』(コメディ=ヴォードヴィル全一幕)の初訳である。驚くべきは、キルケゴールがデンマークでもドイツでもフランスでもこの劇を観て、『あれか、これか』のなかで「初恋」という題でこの劇についての卓越した構造分析を書いている。日本でも明治四十年に榎本虎彦が『ふたり紳士』という題で翻案しているほどである。本国フランスでも省みられなくなってしまったスクリーブのヴォードヴィルの醍醐味を楽しんでいただきたい。
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-ウジェーヌ・スクリーブは歌、音楽、舞踊、曲芸など様々の要素を含んだ喜劇としてヴォードヴィルという演劇形式を作り、1810年頃からヴァリエテ座のために矢継ぎ早に脚本を書き始め生涯で累計244作品を書いた。しかし、今日に至るまで、フランス文学界では全く翻訳されることがなかった。今回、2人の共作者と書いた『熊とパシャ』と『外交官』の2作品がようやく翻訳出版できたので、肩の荷を下ろした思いである。
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-この本はメディアの本質について卓越した分析を残したマーシャル・マクルーハンの思想を現代にどのように適用することができるかにチャレンジします。第1部「マクルーハン思想の骨格」は、できるかぎり彼の生の思想にそって、その仕事の全体像をまとめます。『グーテンベルクの銀河系』の要約、『メディア論』の26のメディアの解説をします。第2部「ポスト『メディア論』」は、マクルーハン最後の主著『メディアの法則』と『Understanding McLuhan』というCD―ROMを取り上げます。このCD―ROMにはマクルーハン思想の解説となる重要な2時間分の講義が録音つきで収録されています。第3部の「ポスト・マクルーハン」はコンピュータやインターネット、携帯電話から教育。経済の問題まで、ポール・レヴィンソンに手掛かりを得ながら、マクルーハン理論の現代への適用です。また、レジス・ドブレの『メディオロジー宣言』批判、アルビン・トフラーの『第三の波』の解説、『インターネットの心理学』の解説も提供しました。マクルーハンの著作は難しくて読みにくいので、彼の本を手にとって読み始めては読み通すことをあきらめた読者や、これまで気になっていても読むまでには至らなかった人たちがたくさんいるでしょう。そんな人たちにとって本書が再挑戦のための手引きになればと思います。メディアの進化がメディア論を風化させないための工夫が功を奏することを願っています。
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-この新訳『ペスト』は、新型コロナウィルスが人類史上初めて全世界に蔓延して、なかなか終息しない中で、アルベール・カミュの『ペスト』が改めて話題になったことが引き金である。第二次世界大戦直後の一九四七年にフランスで出版され、一九五〇年に日本語訳が出た『ペスト』は、当時、戦争やロシア革命やユダヤ人問題といった国家間の対立に背を向けた時代錯誤の小説と思われた。あの当時、東西冷戦や紛争の中に埋没した『ペスト』は、実は、政治思想や体制の異なる国々に、いわば平等に災厄をばらまく病気が蔓延するという未曾有の出来事が起こりうることを予言していた。今日のコロナ禍のなかで、われわれはその先見性に改めて驚いた。原文を最後まで読みすすめると、アルベール・カミュが今、自分たちが見ている世界の現状を予知しているかのような作品を七十三年も前に書いていることに感動を新たにした。今回、この新訳をもって同時代の日本人の皆さんにもう一度『ペスト』を読み返してもらう機会にしていただければ幸いである。
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-本書は、アンリ・モニエとギュスターヴ・ヴァエズ作『ジョゼフ・プリュドム氏の栄光と凋落』(五幕散文喜劇)の全訳である。作者のアンリ・ボナヴァンチュール・モニエは、風刺画家、挿し絵画家、劇作家及び俳優。共作者ギュスターヴ・ヴァエズはベルギーのオペラの台本作家。空威張りの低俗なブルジョワ「ムッシュ・プリュド厶」はパリの流行の風俗となった。19世紀半ばのパリのブルジョワの喜劇の一例として楽しんでいただければ幸いである。
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-本書は、一九世紀フランス演劇界に君臨したヴォードヴィル作家、劇作家にしてオペラ台本作家ウジェーヌ・スクリーブの『初恋、または子供時代の思い出』(コメディ=ヴォードヴィル全一幕)の初訳である。驚くべきは、キルケゴールがデンマークでもドイツでもフランスでもこの劇を観て、『あれか、これか』のなかで「初恋」という題でこの劇についての卓越した構造分析を書いている。日本でも明治四十年に榎本虎彦が『ふたり紳士』という題で翻案しているほどである。本国フランスでも省みられなくなってしまったスクリーブのヴォードヴィルの醍醐味を楽しんでいただきたい。
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-サッター大尉の蒸気水車で、おそらく世界の様相を一変させるであろう数個の金の粒が飛び散ってから三年が経過しました。カリフォルニアは今日、あらゆる国から二十万人の移民を受け入れ、世界で最も美しく最も大きな湾の近くの太平洋沿岸に、ロンドンやパリに対抗する役割を果たす運命にある都市を建設した。 そうこうしている間に、スエズ鉄道のおかげ、ニカラグアの運河のおかげで、私たちは十年以内に、三カ月で世界一周ができることになる。友よ、それがカリフォルニアに関するこの本は絶対に印刷する価値があると私が信じている主たる理由です。 アレクサンドル・ デュマ。
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-19世紀フランス演劇界はウジェーヌ・スクリーブに明け暮れたと言っても過言ではない。歌って踊るヴォードヴィルという新しい演劇ジャンルを作るとともに、5幕のフランス喜劇を量産するばかりか、グラン・トペラ(本格オペラ劇)の台本を提供した。残念ながら日本ではスクリーブの演劇は全く翻訳されなかったため、『貴婦人たちの闘い』は本邦初訳になる。スクリーブは共作することが多く、この戯曲も女性の権利擁護者であり、劇作家でもあったエルネスト・ルグヴェとの共作である。1817年王政復古下の騒然たるフランスで貴族社会に生きるドートルヴァル伯爵夫人を中心とした王党派とナポレオン派の知恵比べと恋の駆け引きを巧みに組み合わせた「良くできた芝居」になっている。
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-クリーブの頭を占めているたった一点、それは、状況を説明し明るみに出すすべての出来事を状況の周りに展開することである。不意打ちの恐怖、横取りされた手紙、決闘、そして身を隠す女、そしてまた、彼の友人である彼女の夫の心の平安を乱すまいと、心ならずもいつの間にか姦淫の共犯者になった少女の父親。一つの不倫関係が次々引き起こすすべての不都合が、二時間半の舞台にまとめられて、明るみに出されるのである。(フランシスク・サルセー『演劇四十年史』より)
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-Le Verre d’eau『水のグラス』5幕喜劇は、1840年コメディ・フランセーズで初演されるが、翌1841年アレクサンダー・コスマーによってドイツ語に翻訳されるなど、いくつかの言語に翻訳された。最近では、2018年に『女王陛下のお気に入り』(The Favourite)として、イギリス・アイルランド・アメリカ合作の歴史コメディ映画が上映された。これはアン女王とサラとアビゲイルの三人のレズビアン競争のように描かれている。スクリーブの影響は言及がないが、参考にしていることは間違いなさそうだ。
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-『カリギュラ』はアレクサンドル・デュマが1837年にコメディー・フランセーズで初演したプロローグ付きの五幕韻文悲劇である。デュマは劇作家として一世を風靡したが、古代ローマの退廃とキリスト教の普及を対比した皇帝カリギュラを取り上げたのは当時、大きな反響を呼んだ。後にアルベール・カミュが同じ題材で書くことを思うと極めて先駆的な作品であったと思われる。
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-アレクサンドル・デュマの短編小説『弓使いオトン』は、フランスの日刊紙『ル・シエクル』(Le Siècle)に連載され、一八三八年十二月二十五日の創刊号から翌年一月二十四日まで掲載されました。その後、一八四〇年に単行本として出版されたこの作品は、神聖ローマ帝国時代のドイツを舞台に、第一回十字軍の逸話を巧みに絡めた幻想小説の体裁をとっています。しかし、その本質は、デュマの最初の歴史小説の大著『ソールズベリー伯爵夫人とエドワード三世 上下二巻』(拙訳による二〇二五年、デジタルエステイト社刊)の拾遺物語とも言うべき、深い歴史的背景と豊かな想像力に満ちた短編小説です。物語はイングランド国王エドワード三世に従軍し、カンブレーの戦いから帰還したホンブルク伯爵カールが、友人のルートヴィヒ・フォン・ゴーデスベルクと再会する。ルートヴィヒはカールに、もはや息子も妻もいないと告げる。子は逃走し、妻は修道院に閉じこめられる。これはすべて誤解によるものだった。さて、物語は予想外の展開となる。
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-彼はあなたの偉大な能力を生み出したのです。そして彼はあなたには借りはないと思っているのです。 ・・・ときには自分の父の父にならざるを得ないということは、ちょっと辛くて、 むずかしいことです。このような優れた人物に、どうして変らぬ愛情を抱けないことがあろう。彼は突き出た腹で白いピケのチョッキを支え、そのチョッキの上に大きな金の鎖をぶら下げて、「放蕩親父」に喝采を送っていた。観客たちが作者を歓呼して迎えるときになると、彼は立ち上がってお辞儀をしていた。その嬉しそうな得意の様子は、みんなに向って、「いいですか、この芝居を書いたのは、わたしの男の子ですよ!」といっているようだった。(アンドレ・モーロワ『アレクサンドル・デュマ』より)
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-『三銃士』、『モンテ・クリスト伯』、『アンリ三世とその宮廷』など、フランスを代表する大作家アレクサンドル・デュマのイタリア三部作最終巻ナポリ編『コリコロ』の全訳上巻である。『コリコロ』は、『スペロナーレ』(シチリア)と『キャプテン・アレーナ』(エオリア諸島とカラブリア)を時系列的に継承しながら、当時ロンドンとパリに次ぐヨーロッパで三番目の大都市であったナポリで『旅の印象』を締めくくった。全体が四十八章という三部作の中でも最大のボリュームで、この翻訳も上下二巻の上巻にあたる。
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-本書は、ウジェーヌ・スクリーブとエルネスト・ルグヴェ作『アドリエンヌ・ルクヴルール』(五幕散文コメディ・ドラマ)の全訳である。毒殺によって殺されたと噂されたコメディ・フランセーズの伝説の女優アドリエンヌ・ルクヴルールをタイトルロールにした作品で、コメディ・フランセーズで上演された入れ子構造の劇作品。名作の誉れ高く、半世紀以上たって『アドリアーナ・ルクヴルール』というイタリア・オペラが作られたことでも知られている。
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-イタリアに限らず、世界中でガリバルディの名前のついた通りや公園などがいたるところにある。それほどガリバルディは世界中で慕われた人物である。アレクサンドル・デュマのガリバルディに関する本は本書『ガリバルディ回想録』と『ガリバルディ千人隊』の二作品ある。『ガリバルディ回想録』はまさしくガリバルディ の正伝となっていて、ガリバルディが一八〇七年七月二十二日にニースで生まれてから一八四九年六月三十日までの記録である。我々はこの『ガリバルディ回想録』を日本語で出版することで満足するが、その理由は、第二巻『ガリバルディ千人隊』は一八六〇年の第二次イタリア独立戦争当初の一年間弱だけだからである。この貴重なガリバルディ伝を日本語にすることでガリバルディ理解が深まることを期待しています。
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-本書はエミール・ゾラが一八六七年から一八六八年にかけて世に問うた長編小説『マルセイユの秘密』の全訳である。厳密に言えば、本書は初版から十七年以上経て再刊された一八八四年の再版である。この頃のゾラはルーゴン・マッカール叢書を次々に世に出して、自然主義文学の代表作家として世界的に有名になっていた全盛期にあった。百五十年以上前に書かれた弱冠二十七歳の駆け出しの作家の小説とは思えない極めて現代的なシリアスな内容である。貴族と平民の身分違い結婚をめぐるトラブルに端を発し、婚資と未成年の後見人制度、高利貸から不動産取引詐欺、ギャンブル依存症、公証人の詐欺、宗教者の欺瞞まであばいている。さらに歴史的事件としてバリケード闘争とコレラ・パンデミックを背景にしている。まるで現代の日本の深刻な社会問題を予見しているかと思われるほどの若きゾラの筆力と構想力には舌を捲く。『マルセイユの秘密』は、今こそエミール・ゾラの文学作品の中で正当な地位を占めるべきである。
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-アレクサンドル・デュマは旅行案内本の作家でもあった。1841年に出版された『南フランス物語 フォンテーヌブローからマルセイユまで』は新しい旅行書を目指した作品の一つ。ローマ以上にローマの遺跡が残る南フランスを紹介する三十一章を含む旅行の印象シリーズの一冊である。歴史の蘊蓄から同時代の作家や画家、研究者などの逸話も満載の南仏紹介本である。
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-アレクサンドル・デュマは『パンフィル船長の冒険』という子供向けの動物小説の外見を装った奇想天外な空想小説を世に出した。一八三〇年代のパリの演劇から美術、グルメまでの流行を背景にして読者を楽しませるばかりか、猿、熊、カエル、猫、犬といった動物を登場させ、パンフィル船長という破天荒な人物の冒険を語るのである。この希代の冒険家はマルセイユからアフリカ、果てはアメリカ大陸のセントローレンス川からフィラデルフィアにまで進出し、奴隷商人になり、最後にはどうやら架空国家投資詐欺事件を起こすらしい。パリの画家のアパルトマンと世界を股にかけるパンフィル船長の息もつかせぬ二重の物語をどうかご堪能ください。 French Translation Alexandre Dumas a fait ses débuts brillants en 1829 avec Henri III et sa cour, enchaînant les succès théâtraux avec Antony, La Tour de Nesle, Kean, Caligula, et Mademoiselle de Belle-Isle. Ce n'est qu'après 1839, avec le roman historique La Comtesse de Salisbury et Édouard III, qu'il a fait ses débuts dans le monde du roman, où il captiverait plus tard le monde entier avec Les Trois Mousquetaires et Le Comte de Monte-Cristo. C'est durant cette période, alors qu'il commençait à s'aventurer dans le genre romanesque, que Dumas publia Les Aventures du Capitaine Pamphile, un roman fantaisiste excentrique déguisé en histoire animalière pour enfants. Ce récit, qui divertit les lecteurs en les plongeant dans les tendances du Paris des années 1830, de la scène théâtrale à l'art et à la gastronomie, met en scène des animaux tels que des singes, des ours, des grenouilles, des chats et des chiens, et raconte les aventures d'un personnage extravagant, le Capitaine Pamphile. Cet aventurier hors pair voyage de Marseille à l'Afrique, et même jusqu'au fleuve Saint-Laurent en Amérique et à Philadelphie, devenant marchand d'esclaves, et finissant apparemment par orchestrer une escroquerie à l'investissement dans un État fictif. Nous vous invitons à savourer cette double narration haletante, qui se déroule entre l'appartement d'un peintre parisien et les pérégrinations mondiales du Capitaine Pamphile. English Translation "Othon the Archer," a short story by Alexandre Dumas, was serialized in the French daily newspaper Le Siècle from its inaugural issue on December 25, 1838, until January 24 of the following year. Published as a standalone book in 1840, the work is a fantastic tale set in the Holy Roman Empire, skillfully weaving in an anecdote from the First Crusade. At its core, however, the story can be considered a companion piece to Dumas's first major historical novel, The Countess of Salisbury and Edward III (translated into Japanese by the author of the original text, published by Digital Estate in 2025). "Othon the Archer" is a short story rich with historical context and vibrant imagination. The narrative follows the protagonist, Othon, who returns from the Crusades to face challenges and adventures in his hometown. Through his journey, the story vividly depicts the social conditions, religious beliefs, and nuanced human relationships of the era. The addition of fantastical elements blends historical fact with fiction, inviting readers into a timeless world of storytelling.
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-馬車が近づいてきた。サンタンドレ元帥とその娘、そしてギーズ公が乗った。 ところで、魔女が暗殺されると予言したギーズ公、サンタンドレ元帥、コンデ王子という三人の登場人物の名前に、彼女が暗殺者になると予言したポルトロ・ド・メレ、ボービニー・ド・メジエール、モンテスキューという三人の登場人物の名前を集めてみよう。 疑いもなく、天の摂理が警告の意味でこの六人を「赤馬」荘に集めたのだが、前者たちにとっても、また後者たちにとっても、いずれも無意味な警告であることは間違いなかった。
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-『ソールズベリー伯爵夫人とエドワード三世』上下2巻、は『三銃士』や『ホロスコープ』という歴史小説を書いて世界文学史上に金字塔を建てたアレクサンドル・デュマが1836年から新聞連載小説として世に出した最初の歴史小説である。時は1337年、ロンドンのウェストミンスター宮殿での宴会における「サギの誓い」と言われるロベール・ダルトワの挑発で始まった。イングランド国王エドワード3世がフランス王の正当継承権を賭けてフランス王国へ挑戦するところから英仏百年戦争は開始された。ウォルター・スコットに触発され、フランスに歴史小説を誕生させようと意欲満々の若きデュマの精力みなぎる作品となった。ソールズベリー伯爵夫人はエドワード三世の横恋慕で悲劇の最後を遂げるが、ガーター勲章のエピソードで英国史に残った。この小説はエドワードとソールズベリー伯爵夫人アリックスの悲恋の物語と1377年に没するまでエドワード3世が執念を燃やした王位継承戦争の年代記と言うべきものである。