あらすじ
壬申の乱の勝者である天武天皇以降の日本は、律令に基づく専制君主国家とされる。だが貴族たち上級官僚とは異なり、下級官僚は職務に忠実とは言えず、勤勉でもなかった。朝廷の重要な儀式すら無断欠席し、日常の職務をしばしば放棄した。なぜ政府は寛大な措置に徹したのか。その背後にあった現実主義とは。飛鳥・奈良時代から平安時代にかけて、下級官僚たちの勤務実態を具体的に検証し、古代国家の知られざる実像に迫る。
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Posted by ブクログ
文章が読みやすいです。
国家形成期やその直後というと専制君主と機械的な官僚たちというイメージがありましたが、必ずしもそうでないことを学びました。
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真面目な題材乃新書で、面白かった!笑った!という感想を持てるのは珍しいこと。
第一章で古代日本の官僚制度や位階の仕組みを説明し、二章以降は数多くの実例で官僚の怠業の実態を明らかにする。
天皇列席の儀式に出ない、なんなら3日続けて無断でサボる。それを咎める側も、決して厳罰を与えない(理由についての考察も本書内で展開される)。
その他、古臭い礼法が(禁止されてから)数世代にわたって受け継がれるなども。帯に「桓武天皇は顔をしかめた」とあるが、なぜ桓武の顔が歪んだのか、必読です。
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古代日本の官僚-天皇に仕えた怠惰な面々。虎尾 達哉先生の著書。古代日本の中下級官僚たちの「怠惰な」勤務実態を検証したとても個性的な一冊。怠惰な中下級官僚たちはいつの時代にもいるということ。怠惰な中下級官僚たちは古代でも現代でもきっと将来でも存在している。怠惰な中下級官僚を上から目線で批判したり非難したり罵ったりするのは簡単なこと。でも人間はもともと怠惰な生き物というあきらめも必要なのかも。自分は怠惰でないと思うこと自体が自信過剰の思い上がり。
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律令制と聞くだけで何やら、スーパー官僚などがいて、一糸乱れず行政を遂行するイメージを持っていたが、古代の官僚(貴族)は、まったくの反対であった。
今までの常識を覆えされただけで本書を読み価値がある。
決してワクワクしたり、為になったり、読みやすいわけではないのだが、知らないことを知れただけで★5としました。
儀式には無断欠席するわ、仕事はさぼるわ、目が届かなければ私腹を肥やすわで、もう「ザ・未開国」という状況。
それも天皇が出席する儀式に、6位以下の下級官僚が集まらず儀式が始められず、偉い人達が、昼夜問わず出席者が来るまで待ち続けるとか、サボタージュしても、1年に1回の昇進が遅れるくらいで、罰則が緩すぎるなど、驚きの連続でした。
無断欠席者が多い場合、主催者側(偉い人たち)が「代返」して、出席したものとして扱って議事を進行するとか、本当にどうなっていたのでしょう。
日本人は勤勉だというのは、昭和にはいってからですね。きっと。
無断欠席、職務放棄の目を覆いたくなるような怠慢に対しても驚くべき寛容で、厳しく統制することはなく、現実的な対処法で運営していくという、とてもしたたかさというか、変な意味での根性を見習いたいものです。はい。
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なるほどこういう見方もできるんだと目からうろこの本。「続紀ばかりボーっと読んでんじゃねえよ」といわれたような気が。やはり詔勅や官符など含めいろんな史料をちゃんと読まなければいけないよう。しかし、古代史もかなり進んでいるんだなと感じた。もっといろいろ本や講座などで様々な説に触れていこうと思わせる本だった。(もちろんすべて鵜呑みにするということではない)
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古代の天皇や国家の姿を勤怠から考えた本。
律令などを見ていると、勤怠についての規定は厳しくて精勤の度合いは少なくとも6つくらいの段階で細かく定められているような印象だったが、結構怠ける人がいたというのは驚きだ。
驚いたのと同時に、きちんと精読すればこういった視点からも新たな研究ができるのだということに感動した。
また、これほど儀式や日常の執務に欠席する人がいても様々な大規模事業が行われていたのはなぜなのかも改めて考えると面白い。
どうやって中国由来の律令をローカライズしたのか、従来の日本列島で築かれてきた大王と豪族の関係や支配の構造とどのような齟齬があり、どうやって解決していったのかという点を改めて考えるきっかけとなった。
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目から鱗が落ちるとはまさにこのこと。今まで何の疑いもなく、古代官僚は律令制のもと勤勉に働いていたと思い込んでいました。ところが、怠業・怠慢が当たり前で、「位階は天皇からの距離を示す」「儀式は君臣関係を確認する場」といった古代史の共通理解が誤ったイメージだったと思い知らされました。あまりにも衝撃的すぎて、読み終えてもなおまだ心のどこかに信じられない思いがあります。
虎尾さんの律令官人制のご研究は個人的にとても興味があり、私のかつての研究テーマとも近いので、頑張って専門書の方も読んでみようと思います。
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虎尾達哉「古代日本の官僚」(中公新書)律令国家の官人達がいかに職務をサボってきたかについて多くの事例で語る。律令国家が緩んだから官人がサボるようになったのではなく、そもそも律令国家が成立する前から官人は働かなかったのだという。
5-6世紀の日本では大王とマエツギミ層が朝廷を主導し、実務をトモノミヤツコ層が世襲的に務めていた。大化の改新から天武・持統朝までの間に、それを律令官僚に転化しようとしたが上手くはいかなかった。トモノミヤツコ層は6位以下の官人となったが、元は地方豪族であり官からの給与はそう有難いものではない。忠勤して官位が上がっても上級官僚になれる訳でもない。官人として免税特権を得られれば、田舎に引きこもっている方が得だ。
マエツギミ層が転化した5位以上の上級官人も、なぜか勤労意欲は高くない。
よく絵にある天皇の面前に官人達が居並ぶ姿も実はあやしく、歯抜けだったのが実情。上級官人にしても昼の儀式は欠席して夜の宴会だけでる、それも挨拶などがある前半はパスして最後に引き出物が配られる頃に顔を出すなどが常態だったと。天皇や式部省(人事管理の役所)も怒るどころか甘々の管理しかしていなかったらしい。
途中から同じような話が延々と続き、メリハリに乏しいので4点にした。
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キャッチーで読みやすいのに中身は予想以上に硬派でよかった。
中国に倣って専制君主国家の体制を整えたものの、元々礼を美徳とする精神を持ち合わせない日本人による国家運営はいかに緩いものであったか。
官庁もそれをよく承知した上で、官僚機構を維持しようとしたことが分かる。官僚も官庁も現実的で強か。
Posted by ブクログ
『天皇に仕えた怠惰な面々』というサブタイトルに惹かれました。
常々、日本の公務員の堅苦しいまでの生真面目さがどこから来るのだろうと思っていました。
他の国での、露骨な賄賂要求のようなことはもちろん、業務をサボタージュするのが当たり前になっていないという、生真面目さ。
いやいや、田舎での役場の職員に対する評価の厳しさは知っていますよ。
公務員ほど楽な商売はない、的な。
でも時間に厳しいところとか、書式にうるさいところとか、まあ生真面目でしょ?
いーよ、いーよ、適当で、なんて絶対言わない。
アジアって緩そうなイメージあるじゃないですか。
古代日本は全然緩かったですな。
古代日本の官僚というのは貴族のことです。
執務をするのは日の出からお昼まで。
だから朝廷。
ということは知っていたのですが、まさか仕事しに来ないなんて。
日常的に無断欠勤や詐病でのずる休みも当たり前、何なら天皇の面前で行われる式典にすら出てこない。
しかし式を執りおこなうためには許されないわけで、主催者側が「代返」をしてしまうので、ずる休みの事実は残らない。
これだけでもびっくりなのに、式典後の宴会にはしれっと参加して、天皇からの賜りものはもらって帰るという図々しさ。
上を上とは思わない強かさ。
いや~、やるなあ、古代日本。
多分江戸時代まではこんな感じだったんじゃないかなあ。
鎌倉時代や室町時代も、一部、貴族が執りおこなう業務はあったけれど、天皇の力に密接に関わる部分、例えば暦の作成とか、国家安寧や五穀豊穣祈願にかかる実務は貴族がやっていたと思う。
ただし、武士に対してマウントを取らねばならないから、きっちりやったと思うけど。
で、貴族に変わって官僚になったのが武士。
この本では平安までの官僚しか書いていないけれど、鎌倉初期の坂東武士にそれほど教育があったとは思えないし、官僚仕事が好きとも思えないので、京都から公家を連れてきたりしていたのだろう。
私が思うに、融通の利かない生真面目なお役人のもとになったのは、江戸時代の武士なのでは。
倫理観にかける人はもちろんいただろうけど、当時は儒教でガチガチに縛っていたし、一族郎党の連帯責任でお家お取り潰しになりかねないから、まじめに励んだんだと思うわ。
で、明治維新でも引き続き保たれてきた倫理の糸が、令和の今、そろそろ緩んできたということかな。
昔は政治も行政も官僚(貴族なり武士なり)が一手に行っていたのが、政治と行政を分けて、権力を握った方が先祖がえりをしているということか。なるほど。
そういえば、黒田清隆だったかな、「体調不良につき伊豆で30日ほど静養していたところですが、引き続きあと20日ほど那須で静養したい」なんて言う休暇願を国立公文書館で見たことがあります。
これ、絶対ずる休みだよねと思ったものです。
ちなみにこれ、珍しいことではなく、明治政府のえらいさんは意外とあちこちで静養していました。
さすがにここまで長いのは稀なようで「早く体を直して、職務に戻って来てね」的なことが決裁印の脇に書いてありました。
ああ、本の感想じゃなくなってる。
それでも、地方豪族が律令国家に簡単に取り込まれたわけではなく、自分優先でのびのびやっていたというのは、初めて知ったことなので、大変面白かったです。
役職はあるけれど人材がいないというのは、律令国家草創期の現実で、とりあえず名簿に名前が乗せられる程度に人材を集めることが喫緊の課題だったのでしょう。
で、長きにわたってずるを認めざるを得なかった、と。
ちなみに明治も、ポストはあるけど名簿は空欄というのが明治5年の官人録などに大量にみえました。
歴史は繰り返すんだね。しみじみ。
Posted by ブクログ
まず、帯のコピーにやられた。
「古代の役人たちの怠慢ぶり」
「天武天皇は目をつぶり、桓武天皇は顔をしかめた」
こんなコピー掲げられたら、読むしかない。
この本は、天武朝から平安初期までの官僚の勤務実態に迫る。
官僚制度の仕組みを説明する部分など、少し難しいところもある。
それに、やはり特有の用語もある。
だから、誰でもすいすい読めるとは言わない。
が、そういうところを読み流したとしても、なかなかのインパクトを感じられると思う。
さて、その天武朝あたりのころ。
律令制の移入期にあたる。
だから、天皇に対し忠勤するという観念がない。
が、律令により、官人の身分が家柄で縛られる。
六位以下の非貴族の下級官人たちは、どんなにがんばっても貴族に離れない。
さらに位階と職が一致しないこともあり、昇進がインセンティブにならない。
制度がダメすぎる。
なるほど、これでがんばれ、と言われてもな、と私でも思う。
そこは朝廷もわかっていたようで、罰則の規定が作られても、厳格に適用することはなかったそうだ。
もう少し上位の人々も、忠勤しないという意味では大差なかったようだ。
京の外へ狩りに出かけていて、朝議に無断欠席とか。
少納言が自分の遅参のせいで、政務時間中に詔勅に内印(御璽)をもらい損ね、常の御殿に引き上げた嵯峨天皇のもとに押しかけるなんてことも起きている。
下級官吏はというと。
朝服は自前なので、規定を守らない。
天皇臨席の儀式に出ない。
自分の叙任式さえ出ない。
儀式の所作を覚えない。
勅使として派遣されるのも断る。
他にもいろいろあったが、ここらにしておこう。
ここまでいくと、何か清々しささえ感じる。
最近、「平安貴族は(イメージほどまったりしておらず)過労死スレスレのハードワーカーだった」という話も聞く。
150年かそこらで、そんな風になるのか…。
少ない椅子を奪い合うからそういうことになるのだろうけれど。
結節点になるような出来事はあるのだろうか?
ちょっと気になってくる。
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主に9世紀までを対象に、律令国家の担い手であった官僚達の怠惰な勤務実態を具体的に検証する内容。事例そのものも興味深いが、取り入れた律令の運用がローカライズされ、日本独特の国家運営となっていく様子が面白い。
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目次からもう面白い。儀式に出ない、無断欠勤、遅刻…などなど古代の官人たちはこんなに怠慢な態度であり、それを国家として許容していたことが現代とはあまりに違い、笑いながら読んだ。だが後半で不正を働く官人の様子が語られるようになると、この怠慢の陰で当時国民とも見なされていない市井の人々がいかに苦しんだのかに思いをよせてしまい、もう笑えなくなった。特権を許されると、職務を果たさずに特権だけを享受しようとする、現代にもいる人間や組織の姿と重なった
Posted by ブクログ
官僚というと、今時だと忖度、改竄、隠蔽とかネガティブなイメージが浮かんでくる。高級官僚ではない一般の公務員というと、真面目に働いているというイメージが今でもあるだろう。
古代の日本が大陸の唐などに倣って、天皇を頂点とした律令国家となり、それに仕える官僚たちもさぞかし真面目に働いていたとばかり考えていた。、しかし、そうではなかったという話である。その怠慢ぶりもすごい。重要な儀式には出てこない、勤務時間がルーズ、転勤先には行かない、行ったら行ったで、その地で私腹を肥やす。
そんなではさすがに、今でいうところの懲戒処分や刑事罰をくらう。しかしそれが本来の規定とか通達より、かなり緩々の運用となっていたのだ。出世しなくてもそれなりに食っていける貴族(元は豪族)のなれ合い社会だなのだ。
儒教思想が国内に定着したのは、江戸時代以降だから、中国のマネをし始めた古代の日本は、のんびりした緩い社会だったのだろう。
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仕事をしない、覚えもしない、そもそも出勤してこない。
忠良にして勤勉でなくてはならない、律令官人達の姿。
飛鳥から平安まで、政府と天皇を支えた役人たち。上級官僚から下級役人に至る、目眩を起こしそうな勤務実態を抜き出すことで、官僚としての姿と豪族としての姿をしたたかに使い分けた律令官人達の姿を描き出す。
古代ものを見聞きしたときのイメージがそれはもう大きく変わるインパクトと、そんなひどいのに国家はきちんと動いてた、と言う事実に瞠目する一冊。面白いです。
Posted by ブクログ
重要儀式を平気でサボるなど古代日本の官僚たちの決して勤勉でない怠慢な実態と、そのような官僚たちに寛容な律令国家の姿を明らかにしている。
少し著者が想像をたくましくして盛っている部分もあるように感じたが、これまで知らなかった非常に興味深い史実を知ることができ、面白かった。
Posted by ブクログ
帯にひかれて思わず手に取った。日本史関連の本を読むのは久しぶりだったが、いやぁ面白かった。軽い筆致で、「昔の官僚は真面目だったのか?」というユニークな問に答えていく。飛鳥時代から平安時代にかけての新生・官僚たちが実はそんなに真面目ではなかった…ということが見えてくるのがただただ愉快であるとともに、自分が今生きている価値観というのが、あくまで「最近」作られたものだったのだなぁと気づかされる。新書の醍醐味を味わわせてくれる、素敵な題材。
Posted by ブクログ
2024.10.7再読
怠惰なのは儒教的な勤勉さが我が国に根付いてない
ことと、朝賀儀で天皇臨席への君臣関係意識が薄い
下級官人(六位以下)は位階の昇進は給与に反映し
ない(逆も同じ)からか制裁されない
2021.8.27 古代の専制的と思われる天皇の元
優秀な官僚たちは、その智慧をサボる事に費やした
規則は規則が官僚的だと思うのだが、どうにも怠惰
な出来事ばかり記録に残り、遅刻したらダメみたい
な、つまらない事が法律で何度も出される
出席しなければ〇〇を失う、という条件でも平気で
欠席して〇〇だけはチャッカリ受け取ろうと詭弁を
弄するし、天皇や官僚機構もなし崩しに許そうとす
る、歯がゆい時代なのが面白い