あらすじ
科学を毛嫌いする反知性主義も、過度に信奉する権威的専門家主義も、真に科学的であることはできない。科学の意味を問い直す「新しい科学論」。
専門家だけに任せるの間違っている!
私たちは科学技術とどう付き合えばいいのか?
科学における「事実」とはなにか?
「普遍的な知識の体系」である科学だが、「いつでもどこでも正しい」わけではない。
なぜか? どう考えればいいのか?
科学を毛嫌いする反知性主義も、過度に信奉する権威的専門家主義も、真に科学的であることはできない。
日本の科学技術力はなぜ衰退しているのか?
疑似科学信仰はなぜ拡大するのか?
研究不正を個人の責任にできない理由とは?
科学の意味を問い直す、「新しい科学論」。
【もくじ】
はじめに──新しい科学論が必要な理由
第1章 「なぜ」「どのように」科学について語るのか?
第2章 科学の事実と日常の事実──科学技術の方法論
第3章 科学技術は誰のものか──(1)近代科学の誕生以前は
第4章 科学技術は誰のものか──(2)「科学のあり方」が変質していくなかで
第5章 科学知と生活知──科学技術の飼い慣らし方・理論編
第6章 「二正面作戦」を戦い抜くために──科学技術の飼い慣らし方・実践編
第7章 「今」「ここ」で科学技術を考えること
終章──科学技術を生態系として見る
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Posted by ブクログ
科学技術をどのように使っていくか?
科学(知識)と技術(力)の社会における在り方や認識を時代を追って特徴を明らかにし、これからの科学技術に携わる者、つまり専門家だけでなく一般の人々含めすべてが、どのように科学技術を扱うべきか述べた本。
科学の知識は何か人が行動するときの理由付けの手段となる。しかしそれは唯一絶対ではないし、行動は善のために、また公共のためにあるべきである。科学的知識は何回もの再現実験を経てようやく確からしいと認定されるが、一般の市民が求めるのは「今、ここの、自分にとって」である。それは夕日の例えからよくわかる。地動説が正しいけれど、夕日は沈むのである。だから専門家はそのような行動を取る市民に対してわかっていないというのではなくて、専門家の知識を生活の実際に良く活かすためにはどうしたらいいかを共に考えてほしい。
サイエンス・コミュニケーションという考え方が東日本大震災後よく耳にするようになった。新型コロナウイルス対策にもこの考え方は重要である。別に理系じゃないし、専門家では全然ないけど、科学的知識を生活に取り入れて、よく生きることから逃れられないのだから。ここでも分断は大きな問題となってくる。エコーチェンバーやフィルターバブルとの戦いは、民主主義社会においてもはや必然であり、しかもなかなか有効な作戦が出てこない。
明確な光は見えないけど、この本で整理された考え方について、これからも考えていきたいと思った。