あらすじ
樋口一葉の師・中島歌子は、知られざる過去を抱えていた。幕末の江戸で商家の娘として育った歌子は、一途な恋を成就させ水戸の藩士に嫁ぐ。しかし、夫は尊王攘夷の急先鋒・天狗党の志士。やがて内乱が勃発すると、歌子ら妻子も逆賊として投獄される。幕末から明治へと駆け抜けた歌人を描く直木賞受賞作。
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Posted by ブクログ
恐るべし、朝井まかて。
久々の満点評価作品です。
本書は、第150回直木賞受賞作だが、歴代受賞作の中でもトップクラスの完成度&面白さだと思う(直木賞作品をあまり読んでない私が言うのもなんだが…)。
物語の背景にあるテーマは、(解説の大矢博子氏も指摘しているが)幕末維新に最初に「桜田門外の変」で火を付けた藩なのに、新政府要人に水戸藩士の名前がないのはなぜかという疑問。
簡単にいえば、藩内での無為な勢力争い(天狗党と諸生党との血で血を洗う権力抗争のみならず、天狗党内での勢力抗争もという乱れよう)で有為な人材がことごとく殺されていたため。為政者の優柔不断さが、水戸藩の内部崩壊を招いた。
そんな骨肉相食う近親憎悪の様な藩勢の中で翻弄された人々が主人公。
そして作者が目をつけたのは、明治の歌人、中島歌子。門下生に樋口一葉や三宅花圃らがいるが、水戸藩での過酷な運命を生きてきた女性が、心の叫びを吐露するかの如く読んだ異質な歌《君にこそ恋しきふしは習いつれ さらば忘るることもをしえよ》に注目した。
本書は、簡潔で格式高い文体のみならず、後半に待ち受けるある意外な事実にも注目して欲しい。
本書をこれから読む人には、読書の楽しさを存分に謳歌出来る好著です。
【朝井 まかて(1959年8月15日 - )は、大阪府羽曳野市生まれの女性作家。大阪市在住。ペンネームは沖縄県出身の祖母、新里マカテの名に由来する。
略歴:
甲南女子大学文学部国文学科卒業。広告制作会社でコピーライターとして勤務し、結婚とともに退職して企画制作会社「あんばい房」を設立。
2006年より大阪文学学校で学ぶ。2008年に文学学校の文芸誌「樹林」(通称在特)2006年12月号に本名名義で掲載されたものを改良した『実さえ花さえ』(応募時のタイトルは『実さえ花さえ、その葉さえ』)で小説現代長編新人賞の奨励賞を受賞し小説家デビュー。
人生を変えた一冊として、ユクスキュル / クリサート著『生物から見た世界』を挙げている。人間や動物のものの見方、つかみ取り方を相対化する点が、小説執筆に通じることがあるという。
琉球王国に仕えてきた家柄の曾祖父は琉球処分で禄を没収された。「まかて」の由来は「分かるものなら知りたい」、沖縄については「薩摩にやられっぱなしだったのかな、とも思うと悔しい。」】(ウィキペディア)
Posted by ブクログ
明治36年、小説家三宅花圃が「師の君」中島歌子の手記を発見したのをきっかけに、40年前に歌子(本名・登世)の身に起きた物語が展開されている。
手記は一人称で書かれており、前半は豪商の娘として水戸に嫁いだ経緯と水戸での生活が描かれている。自分が望んだ結婚でありながら、夫は尊王攘夷の志士として家にいないときのほうが多い。「天狗黨之亂」の後は完全に生き別れ、そして死別。なので、恋愛から始まった小説なのだが、物語自体は恋愛感がやや薄い。多くは登世が激動した時代に生き抜いた姿である。
水戸を舞台にしたこの小説は、普段よく聞いた幕末の話と一線を画し、示しているのは敗者の物語。水戸藩の主張した尊王攘夷が珍しい考え方ではないものの、薩長のような財力もなく、内部の闘争も抑えできぬ水戸藩は破滅に瀕していた。
そのような時代のなかに、「勝てば官軍」という言葉があると同時に、「世が世であれば」と考えずにはいられないことも少なくもない。でも、本のなかに、こう言った。
「「世が世であれば」などと詮方ない想像はよそう。誰もが今生を受け入れてこの骸だらけの大地に足を踏みしめねば、一歩たりとも前に進めぬのだから。」(361)