【感想・ネタバレ】ある明治人の記録 改版 会津人柴五郎の遺書のレビュー

あらすじ

明治維新に際し、朝敵の汚名を着せられた会津藩。降伏後、藩士は下北半島の辺地に移封され、寒さと飢えの生活を強いられた。明治三十三年の義和団事件で、その沈着な行動により世界の賞讃を得た柴五郎は、会津藩士の子であり、会津落城に自刃した祖母、母、姉妹を偲びながら、維新の裏面史ともいうべき苦難の少年時代の思い出を遺した。『城下の人』で知られる編著者が、その記録を整理編集し、人とその時代を概観する。

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Posted by ブクログ

江戸から明治という、現代からすれば教科書の世界に生きた、しかも官軍側ではなく会津側の武士の子の記録。

涙なしに読めないと帯にあるが嘘はない。
通常薩長による明治維新から西南戦争までを英雄たちの話のように語るがそれは勝者の糊塗された歴史であり、その過程で敗者となり祖母、母、姉妹全て自刃しながらも、生き延びる姿が想像を超える苦難。
のちに義和団の乱の指揮をとり、陸軍大将にまで昇る柴五郎という人の内面がとても興味深い。

明治人の特性なのか、武士道の名残なのか、多くは語らず人の道を外れることはしない。

もちろん薩長への復讐たるはあるが、その恩讐を超えて生きる姿に感銘を受けた。

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2025年10月03日

Posted by ブクログ

明治維新前後からの、会津藩の辛苦を、被害者でありその場で遭遇・直面した柴五郎の経験から知る。

歴史は勝者のための、当時の今の政治体制のためのものだと改めて認識する。
藩の若輩の暴走によって起こった明治維新。旧藩主や重臣たちは、彼らを危惧し、漸進改革を考えていた。軽輩は、統治してきたものとは考え方が違うが、本人たちはそれに気付かず、自分たちが正義と思い込む。謙虚さや誠実さを感じない。

会津藩が藩として流刑のように下北半島に移封されてたことは初めて知ったことであり、その他にも薩長土肥藩の占有や立場の違いなど、直面した人の目と耳を通じて、初めて知ることばかり。

能力無き者が軍に多くなり、中国通を退けたことによって、収拾できないほどに拡大した先の大戦。

謙虚に、先を見通し、構想を練る。
誠実に。

今も当時と同じではないだろうか。

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2025年09月22日

Posted by ブクログ

幕末のことはほとんど知らないし、そこまで興味もない。なんのきっかけでこの本を知ったのかも忘れた。ただ、壮絶な環境を生き抜いた人の記録という点に興味を持った。

自分自身いろいろ辛いことがあるが、他の人に比べれば、自分はまだまだ甘いのだろうと思っていた。実際読んで、さぞ大変だったろうと想像する。そんな言葉さえぬるいかもしれないが。家族が自害する、飢えと寒さに耐え犬肉さえ食べる、武士の子でありながら様々な人に下僕同然に仕える。その屈辱感は、計り知れない。それでも懸命に生き抜く。いつかは春が来る、生きて薩長に一矢報いると言い聞かせて。

これだけの強さが自分にあるかどうか自信はない。振り返れば、自分には必死さがないのかもしれない。今日食べるものに困るとか、寒さを凌ぐことに苦労するとか、そういう差し迫った危機に直面していない。だから弱い、甘い。苦労が足りない。と同時に恵まれてもいる。今あるものに感謝し、苦労をいとわず生きることが大切だと感じた。

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2024年03月10日

Posted by ブクログ

僕にとって格別な一冊になりました。

常日頃、

大切なことは得手して伝わらない、
と痛感していますが、

これほどの偉人と、それが形成された背景(歴史)を知らないことは日本人にとって、

元来の日本持ちうる理想を逸しているようで、

今回、柴五郎翁を知れた喜びと同時に、少し残念な気持ちする抱きました。

兎にも角にも、僕の憧れの人に出会えた気持ち。

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2022年01月26日

Posted by ブクログ

メチャクチャ面白かったし、現代の自分の生活の幸福を感じる事ができた。そして祖先に誇りを持つ事ができた。とても感動した。全ての日本人に読んでほしい。

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2022年01月06日

Posted by ブクログ

「名著、刷新!」ということで復刻されたものです。会津の柴五郎氏の遺書を第一部に、その後や解説を第二部にまとめています(第一部は文語体ですが、徐々に慣れて読みやすくなります)。

「西郷どん」に見られるようないわゆる薩長からの視点ではなく、反対側に立った会津の視点がよくわかります。かつては京都や幕府を守り、ロシアと事が起これば駆けつけながら、最後には朝敵・賊軍と呼ばれるようになった会津。そのため、塗炭の苦しみを味わった柴五郎氏(後に陸軍大将)の真情の吐露は、旧来の歴史観だけに固まってはいけないのだと思わせます。

西南戦争での政府軍の派遣にあたっては、「芋(薩摩)征伐仰せ出されたりと聞く、めでたし、めでたし」と日記に記し、西郷・大久保ともに去ったあとには、「両雄非業の最期を遂げたるを当然の帰結なりと断じて喜べり」と書き残しています。

明治150年も、会津地方などに配慮して、戊辰150年とも呼ぶそうですが、150年たっても人々の記憶に残るのはさもあらんと思う次第です。

歴史を見る上では、さまざまの立場への目配り、心配りが必要なのだと、しみじみ感じさせる一品です。

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2021年07月11日

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 1971年の初版から改版も含めると60版になる、このようなロングセラーがあることを知らなかった。柴五郎は、会津藩士の子として生まれ、10歳の時に戊辰戦争が起こった。父や兄たちは戦場に向かった。そして祖母・母・姉妹(妹は7歳!)等は、会津の籠城戦前に自刃している。五郎は家系を残すため、それとは知らされず親戚に預けられていた。
 
 戊辰戦争の終結後、会津藩のみ処罰的ともいえる現在の青森県への移封がなされる。実際は流刑ともいうべきもので、生活は辛酸を極めた。「野垂れ死に」を期待するかのように。しかし武士の意地で、薩長を見返すために生きた。犬の肉を無理やり飲み下すというくだりでは、望月三起也「ワイルド7」で、飛葉が小便まみれの腐った肉を食うシーンを思い起こした。目的があるなら、何としてでも生きるのだ。
 
 そして現代と違って「自己責任」で片づけない、困窮している人がいれば助けるのを是とする人たちの支援で、陸原幼年学校に入学を果たす。長州閥が幅を利かす陸軍で閑職に補されることもあったが、最後は大将まで昇進する。晩年、「近頃の軍人は、すぐ鉄砲を撃ちたがる、国の運命を賭ける戦というのは、そのようなものではない」と語っていた。昭和17年秋には既に「この戦争は負けです」とも。昭和20年12月没、享年87歳。

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2020年10月22日

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心に深くしみる名作。武士の誇り高さを感じるとともに、この精神性を失ってしまった日本を見て、果たして維新は本当に良い選択だったのかと、疑問に思う。
厳しさの中にも、深い愛情がある柴家。苦境の中でも家族や仲間を思いやる場面は、涙なくしては読めない。

歴史は常に勝者の側から書かれていることを思い知らされた。維新の歴史は、薩長の活躍ばかり描かれているため、会津藩は旧体制にしがみつく抵抗勢力だと誤解していた。

本作は、古い文体で書かれているが、文体に慣れていなくても、音読すると、読みやすい。
また、柴翁の幼少期の回顧録として書かれており、所々に、翁幼少期の可愛らしいエピソードが盛り込まれているため、読んでいて飽きることがない。
日本人として読んでおきたい一冊だ。

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2020年08月21日

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ある明治人の記録と言うことだが無名な方ではなく会津藩出身の元陸軍大将、軍事参議官などを務めた方の物語である。ただしこの方の生き方や生き様、若い頃の苦労は涙なくしては語れないほどの刻苦精励さ、隠忍不抜、臥薪嘗胆といった内容が、その単語を使わずとも滲み出ている日記録である。若い頃のとてつもない苦労と誠実さが文面より溢れ出ている書籍であり、本来公にするものではない日記録であった。これは当時の柴五郎と言う方の直筆の記録であり江戸幕府から討幕、維新を迎える頃の会津藩出身の一武士の物語である。
最終的には日本にとって莫大な功績を残した人物と言えるのですがほぼ知られていないのが、悲しい所です。日本の歴史の中で偉大な人として称賛に値される方でしょう。

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2020年08月07日

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これほど淡々と心を打つ文章は久しぶり。日本が世界に誇る日本人の言葉を、薩長が作った嘘の歴史に埋もれさせてはならない。

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2018年06月04日

Posted by ブクログ

ネタバレ

古い文体でだいぶ読みにくいが良書。下記に適宜、付箋を貼った個所を記そうと思う。

二部構成になっていたので、二部の感想をここで。柴翁に日記の原稿を見せてもらった本書の著者の記述。昭和の人らしく、先の大戦への自虐的反省が時代を感じた。付箋を貼るような箇所はなく、著者の思い出と歴史観の記述。

第一部は星五つ。感動もあった。第二部は星三つ。本書の-部分。

下記には付箋を貼った個所の要約:


26-27:柴五郎翁の晩年(先の大戦中の本書執筆のころ)には、すでに会津戦争の嘘がまかり通っていたらしく、心を痛めている。曰く、会津は武士階級のみの戦闘であったなどは事実とだいぶ違い、自由意志による農民町民の応募兵が数千人規模でいた、との事。それだけ藩が慕われていた。

51:会津戦争のさなか、御山という場所には、敵味方を問わず負傷者を見る病院が開設されていた。会津側か、新政府側か、それとも他藩か個人か、どの勢力の病院かは記載なし。

56:敗軍の将兵として会津から江戸(東京)に護送されるさなか、他藩の武士とすれ違う時、彼らは目礼をするか一切興味なしといったふうで接した。武士としてのたしなみと感じたとの事。

76:下北半島に配流され、貧農生活をしている時の父の言葉。「会津のあだ撃つまでは、ここも戦場なるぞ」と心得た、とのこと。

86:薩長の下郎どもに一矢報いる、との執念で日々の仕事、縄を編む仕事に没頭した。

129:縁あって草創期の陸軍幼年学校に入学。そのさなか、西南の役が勃発。学友に薩摩のものもいて帰郷するしないで騒動。多くの者、帰郷。柴五郎も戦闘配備に回され、歴史が動く時の証言者としての記述をしている。

137:草創期の幼年学校は色々と不備や不公平があった。それに黙っておらず、生徒らはいまでいうところの学生争議のようなことを大いにしたもよう。然しながら晩年の著者は、それでも出世には影響なく、みな出世していたと述べる。

第二部は柴五郎から記録を受け取ることになる、石光氏の記録。

146:昭和17年のまだ緒戦のころ、柴翁は「この戦争は負けだよ」と見抜いていた。石光氏がいくら状況を説明して、勝てると述べても、柴翁は負けると分かっていたとの事。

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2025年10月29日

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本書は薩長藩閥政府が華やかに維新を飾り立てた歴史から、全く抹殺された暗黒の一節である。それは生き残った会津人柴五郎、上級武士の5男として生まれ、少年期から陸軍大将まで昇りつめた生涯の遺書となった。10歳の時、会津戦争で祖母、母、姉妹は会津城で自刃し、落城後に江戸に俘虜として収容され、その後2年間、氷点下20度を超える下北半島の火山灰地に移封、飢餓生活を余儀なくされ、脱走、下僕、流浪の果てに兄の伝で青森県庁で給仕、15歳から軍隊に、31歳で清国、42歳で北京駐在武官で総指揮官として活躍、陸軍大将、台湾軍司令官などを歴任、軍事参議官を最後に65歳で退役、87歳で没。新政府では薩長の「軽い者」が権力の座につき専横、巨額の俸給など浪費に明け暮れた激動の時代と解説、それにしても会津藩出身者(主に少年と農民)への処罰は正に「飢餓させるための移封」(下北半島の極寒の厳しさと農作物が育たない火山灰地帯)であり怨みを持ったからこそ飢えにも寒さにも耐え生き延びた強靭な精神は想像を絶する。印象ある言葉は「薩長の下郎どもが何かをなすかを見届けよ、もし辱めを受けくれば、江戸にても何処にても斬り死か、腹掻っ捌いて会津魂を見せてくれようぞ」
「軽い者」脳のない輩たちが権力を持つ世界はどの国も、どの時代も同じだ、と痛感する。

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2025年10月03日

Posted by ブクログ

小学校高学年になって「日本史」を学び、その最後の方に「明治維新」や「尊皇攘夷」等を習う。そして、幕末の偉人達の話をあたかも物語のヒーローの話を聞くかのように学ぶ。あとは、NHKの大河ドラマが色合いを与え、そして「あなたの日本史の理解は正しいですよ」と太鼓判を押してくれる。これで、典型的な日本人が出来上がる。だが、本当にそうなのだろうか?
この本は、ある意味そんな典型的な日本人の曇った眼を覚まさせてくれる一冊である。
「明治維新」とは、兎に角よいイメージのワードであるが、実は立派なクーデターである。薩長土肥の田舎下級武士と農民上りの武士もどきが、それまで天下を収めていた江戸幕府を滅ぼしたクーデターだ。そして、江戸幕府の中心にいた人物達は、逆襲を恐れた新政府が生かさず殺さず状態に留め、そのツケを何も悪いことをしていない会津藩の人達に払わせた。それが、このクーデターの真実である。それが、手に取るようにわかる。そのやり方が、やはり田舎の農民上りや下級武士らしい。しょせんは、臆病者なのである。
そんな連中に地獄のような思いをさせられた会津藩の人達はさぞ悔しく、無念であったことと推察する。それが筆者の言葉から十二分に伝わってくる。それが、悲しい。
また、もうひとつわかったことは、やはり「正しい生き方をした人間が幸福になり、悪いことをした人には天罰が下る」とういうことは、誠に残念ながら人間の単なる妄想であるということ。筆者の姉妹や母親等、何も悪いことはしていない。しかし、理不尽にも自刃する道を選ばざるを得なくなった。これが人間社会。人の世であるということ。その時、その後、薩長土肥の人間達は、美味しい思いをしたのだろうなと思うと、これがたまらない。
色々考えさせられる本である。










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2024年06月21日

Posted by ブクログ

いくたびか筆とれども、胸塞がり涙さきだちて綴るにたえず、むなしく年を過して齢すでに八十路を越えたり。

柴五郎翁遺書冒頭の一文です
ハードSFの名作のあとにこれ、我ながら振り幅がエグいw

柴五郎とは
戊辰戦争で朝敵とされ新政府軍と戦い敗れた会津藩の生き残りであり、藩主松平容大と共に斗南藩(現在の青森県むつ市周辺)へと移住
寒冷地で極貧の生活を耐え抜き、陸軍大将にまで上り詰めた人物
清国駐留時の義和団の乱に於いて防衛戦の実質的な指揮をとり、その有能さと人柄から欧米各国からも尊敬された

そんな翁の戊辰戦争から士官学校までの半生を「遺書」という形で自ら綴ったものを編者が分かりやすく整えたのが本作です
まさに明治維新を会津の側、裏側から見た歴史的にも価値のある記録と言えます

明治を生き抜いた人が書いた文章ですので、冒頭の様にはっきり言って読みにくいんですが、なぜか非常に引き込まれました
うーん、読んでるうちにあんまり気にならなくなってるんよね
日本人の血というやつか?違うか

この明治維新の会津視点って多分初めて読んだと思うんですが、やっぱり新鮮でした
歴史を振り返るときは勝者からの視点だけでは足りないよねって感じました
かなりひどいことしてます、薩長

そして西南戦争で西郷隆盛が自害し、時を置かず大久保利通が暗殺されると「芋征伐仰せ出されたりと聞く、めでたし、めでたし」と喜んだというから、やはり恨み骨髄だったんでしょうな

歴史というのは時々の為政者つまり勝者によって都合良く記されていくというのは歴史の必然でもあるのだなぁとあらためて感じた一冊でした

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2024年04月17日

Posted by ブクログ

明治前後の過酷な環境のもと、10歳にも満たない少年が様々に感じた絶望や理不尽や苦労、その中でも生き抜け!との父母の思いに挫けず生きた柴五郎さんの声が聞こえる本。

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2024年01月12日

Posted by ブクログ

この本を読みながら、次の二つのことを思い出した。1つは、国による暴力装置の独占。もう1つは、教育は社会移動の装置ということ。

国による暴力装置の独占は、近代国家のあり方の基本だか、明治維新の時代は、暴力階層が過剰だったのではないかということである。武士階級は、江戸時代には、朱子学によって、何とか抑えられていたが、そこから解放されてしまい、暴力過多の状態が生まれ、それが、この本で語られる会津撲滅、西南戦争にも繋がったのかもしれないということ(意図したかどうかは別にして)。

どん底に追いやられた柴五郎少年は、開設されたばかりの陸軍幼年学校に入り、そこから、立身出世を遂げる。まさに、恵まれない階層の、しかも、賊軍出身の少年が、教育を獲得することで、社会移動を実現する。明治日本には、このような社会移動装置としての教育が機能していたということ。ただ、この機能があまりにも上手く機能したことで、社会階層を固定化する装置になってしまったのが、今の状況なのかなということを感じた。

 

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2022年06月09日

Posted by ブクログ

下手な小説よりもリアルな描写で、読んでいて引き込まれる部分が多かったです。妻の父母の実家が下北なので、知っている地名も出てきて親近感もわきました。

文章は古い日本語体ではありますが、読み進めるにあたっても特に問題ありませんでした。

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2019年12月26日

Posted by ブクログ

明治維新の際、汚名を着せられた会津藩は過酷な処罰を受けた。会津藩士の子として生まれた柴五郎の苦難の少年時代の思い出を遺した記録である。
「いったい、歴史というものは誰が演じ、誰が作ったものであろうか」過酷な処罰事件が今日まで伝えられずにいたことを、驚きと不安を感じ、歴史というものに対する疑惑、歴史を左右する闇の力に恐怖を感ずるのである。
 歴史は勝者が語り継ぐものである。敗者からの目線は抜け落ち歪曲されて作られている。歴史だけでなく、今、受け取っているメディアからの情報も同じことが言えるのではないだろうか。

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2019年11月08日

Posted by ブクログ

ネタバレ

この本は書評よりも実際に読んでほしい、そんな書です。書評として要約して描くには一貫して感情にあふれ、濃密です。

本書は2部で構成されており、第1部が柴五郎の遺書、第2部は本書の編者である石光氏による柴五郎と彼の生きた時代の概観となります。
第1部が本書の中心を成しますが、第2部も編者の目を通して柴五郎の人となりに触れられるのでとても興味深いです。
例えば柴五郎が編者に日記の整理をお願いするくだり

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翁(柴五郎のこと)はこれを私に貸与するにあたって、きわめて謙虚慇懃に添削、訂正を求められ、私は恐縮当惑するばかりであった。

「私は少年時代に戊辰戦争のため勉強する機会がありませんでした。その後も下男のような仕事をしていたので、十分な教育が得られませんでした。
 ・・・
幼年学校の教官はすべてフランス人で、私たちもフランスの軍服を着て、フランス語でフランスの地理、歴史、数学などを学び、日本文、漢文、日本の地歴を学ぶ機会がなく、このことが私の生涯において長い間苦しみになりました。
 ・・・
そのような基礎教育を十分に受けられなかったので、フランス語なら不自由なく読み書き喋れるのに、日本文が駄目なのです。
ここに書いてある文章と文字、いずれも死後に残す自信がありません。余計なことをお願いして済みませんが、添削してください。
書き足りないところ、疑問に思う個所についても指摘してください。」

このような謙虚な言葉に私は恐縮した。
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柴五郎といえば、大正期に陸軍大将までのぼりつめ、軍事参議官にも任じられた重鎮。それがこのような謙虚な態度で接するのは氏の人柄をよく表していると思います。


柴五郎の遺書は、戊辰戦争前の会津での暮らしの描写から始まります。高級武士の子弟として満ち足りた境遇にありましたが、その躾は厳しかったようです。
しかし徳川慶喜の大政奉還後、次第に不穏な空気が東北に立ち込め、会津に戦争の足音が近づくにつれて日記にも緊張感があらわれてきます。
会津では兵員不足のため、農民や猟師だけでなく力士、修験者、僧侶までも編成に加えた言及があり、総力戦で戦いに臨んだことがわかります。

官軍が会津に進軍する中、五郎は姉の誘いを受けてしばし城下を離れます。その誘いに母親もすぐに賛同し、上等な洋服や小刀、手拭い、懐紙など一通りそろえて五郎に持たせています。おそらく五郎を戦火から逃れさせるために一芝居打ったのでしょう。
その後城下が戦場になった折に、祖母、母、姉、妹は全員自害することになります。

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これ永遠の別離とは露知らず、門前に送り出たる祖母、母に一礼して、いそいそと立ち去りたり。
嗚呼思わざりき、祖母、母、姉妹、これが今生の別れなりと知りて余を送りしとは。
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この時の家族との死別は柴五郎の心に大きな傷を残したのでしょう。
第2部に、編者が五郎から話をうかがっている描写においても以下のようなくだりがあります。

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思い出すままぽつぽつと語られ、時折言葉が途絶えてしまう。気が付くと翁はひそかに腰の手拭いを手にして両目をおおわれていた。その心境が少年時代をただ懐かしむ懐旧の情だけではないことを、本書をお読みになった方にはお分かりいただけると思う。
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このとき五郎の脳裏に浮かんだのは、戦時に死別した家族の顔だったのではないでしょうか。


戊辰戦争において会津は薩長軍に敗れ、斗南藩に移封されます(※)。
 (※)この斗南藩での状況は『斗南藩ー「朝敵」会津藩士たちの苦難と再起』(星亮一/中公新書)が詳しいのでぜひ読んでみてください。

斗南藩での暮らしは過酷の一言。
氷点下10~15度にもなる極寒の中、寝る際にも掛ける布団がなく、粥も石のように凍る世界。餓死か凍死かの極限の世界の中で生活することになります。特に驚いたのが、厳冬の中においてさえも「裸足」で過ごさなければならなかったという点!

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氷点下十五度を降ること稀ならず、常に足踏みしてあるか、あるいは全速力にて走るほかなし。
足先の感覚を失いて危険を感じ、途中の金谷村の三宅方に駆け込んで少時暖をとり、夏のままの衣類を風に翻して、また氷雪の山道を飛ぶがごとく馳せて・・・
父上、兄上もこれを見て、履物を工面戦とセルも容易ならず、ある日、余は耐えかねて野口叔母を訪ね、履物の借用を願いたるも、貸す余裕なしと断らる。
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このような境遇において子供心においても薩長を憎まないわけがない。
しかしこの境遇から脱するきっかけを作ってくれたのは図らずも薩摩出の野口豁通で、全体を見ても柴五郎の人生の潮目が変わったのはこの人物との出会いだったと思います。
彼は薩摩出にもかかわらず東北各藩の救済に奔走し、彼が取り立てた書生からは後藤新平や斎藤実などの傑物が数多く輩出されています。
柴五郎は西郷隆盛や大久保利通に対して辛辣に評価し、彼らの死にも一片の同情も表していない一方で、野口豁通に対してはその温情への感謝を重ねて表しています。人との出会いの大切さがよくわかります。

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野口豁通の恩愛いくたび語りても尽くすこと能わず。熊本細川藩の出身なれば、横井小楠の門下とはいえ、藩閥の外にありて、しばしば栄進の道を塞がる。しかるに後進の少年を見るに一視同仁、旧藩対立の情を超えて、ただ新国家建設の礎石を育つるに心魂を傾け、しかも導くに諫言をもってせず、常に温顔を綻ばすのみなり。
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柴五郎が陸軍幼年学校(の前身)に入校できたのも野口豁通の力が大きいでしょう。

この第1部(柴五郎の遺書)自体はこの幼年学校在籍時の途中で終わります。そのため不完全燃焼というか、中途半端感があります。
しかし若いうちに過酷な経験をした一人の会津人の気概や悲哀に、当人の言葉で触れられるのは読んでいて新鮮です。
また当時の時代状況(国軍創立や西南戦争など)を当事者視点の描写も参考になります。

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2019年03月24日

Posted by ブクログ

歴史の教科書では学ぶことのできない(←ともすれば抹消されている)明治維新という大きな変革の中での会津藩に対する理不尽な処遇。 読んでいて苦しくなるくらいの衝撃があるけれど、本来、こういう事実こそしっかり教えるべきで、知っていなければならないなのではないか。 そんなことを深く考えさせてくれる一冊。
イス

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2019年01月25日

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