あらすじ
日の神は、いま、私の生を見棄てられた――!
落日の砂漠に葬列は消えゆく。哲人皇帝の波瀾の生涯、最終巻!
輝かしい戦績を上げ、ガリア軍を率いて首都へ戻るユリアヌスに、コンスタンティウス帝崩御の報が届く。皇帝に即位した彼の果断な政治改革にゾナスら旧友は危惧を覚えるのだった。そして、ペルシア軍討伐のため自ら遠征に出るが……。歴史小説の金字塔、堂々完結!【全四巻】
〈解説〉山内昌之
〈巻末付録〉対談「長篇小説の主題と技法」
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Posted by ブクログ
私はこの本は、本知人が「思春期の青少年にぜひ読んでもらいたい」と言っていたので(思春期ではないけど)読みました。
確かにその推奨の言葉の通り、古代ローマ帝国時代の話ではあるけれど、困難な人生に投げ出された若きユリアヌスが迷ったり苦しみながらも自分で進んでゆく姿は、現代の読者も彼の気持ちに沿いながら読んでいけます。
だからこそこの4巻は、ユリアヌスの危機、もどかしさ、空回り感が息苦しかった…(T_T)
青少年の皆様、ぜひユリアヌスと共に人生の道のりを体験してください。
私のような青少年をとっくに過ぎている皆様(笑)にもおすすめです!
※※※以下ネタバレしています※※※
皇帝コンスタンティウス二世の軍隊の前に苦戦を強いられるユリアヌス。だが、、なんと「皇帝コンスタンティウス二世が熱病で急死した。遺言では唯一の肉親であるユリアヌスを皇帝に指名した」との知らせが入る。ユリアヌスは首都コンスタンティノポリスの宮廷にり、反ユリアヌス派を退け正式に皇帝指名受けた。
だが彼の皇帝就任の演説は宮廷の人々を戸惑わせた。ユリアヌスは、正義を持ってローマ帝国の広大な土地のあらゆる人々の秩序を解き、そのためには一人ひとりの力が必要なこと、そして寛容を持って帝国を治めることを宣言したのだ。
現代感覚では、寛容とか、一人ひとりが当事者として国を作るとか、施政者として素晴らしいではないか!と思うんだけど、この頃のローマ皇帝には全く求められていなかったんですね…。宮廷の人々は「正義?秩序?寛容?それは学校で哲学者が言うことだよな?皇帝が言うことか??」という反応だった。
この後も皇帝としての勅令を出してもあらゆることがうまく伝わらない。
ユリアヌスは国政のために哲学者を呼び寄せたが、哲学者はあくまでも議論や学問として哲学を用い、責任や困難が伴う政治に関わりたがらなかった。
ローマ帝国の精神は古代ギリシャ・ローマの神々への信仰により培われたと考えるユリアヌスは、古代の神殿を再興し儀式を命じるが、神官たちはすでに形式だけの儀式しか行う気がなく、いまさら本気で信仰を戻すことはできない。ユリアヌスの古代宗教回帰は、人々の笑いものになるばかりだ。
さらにユリアヌスはキリスト教も認めてはいたのだが(宗教の自由を認めた)、キリスト教徒たちは「皇帝は絶対に禁止令を出す!」と決めつけて暗殺計画や暴動を起こしまくる。それに対して寛容で対応しても、キリスト教徒たちはさらに暴動を起こすばかり。
ユリアヌスが現実的に一般市民の経済や食糧安定を図るが、上級役人が名ばかりの役職で膨大な給与を得たり、飢饉のときには役人や商人が食料を買い占めて市民が飢え死にするのを見ながら料金を釣り上げて膨大な資金を得る。
人々は、哲学や宗教(古代神へもキリスト教でも)で「平等、秩序」を口にするが、実際には飢え死にする人が増えれば「買い込んだ食料の値が上がる!」と大喜びする、これが人間の現実だ。
歴史的に、ユリアヌスの死後彼の古代の神々回帰は全て反故にされ彼はキリスト教にとって「背教者」の名前をつけられる。
ユリアヌスは「民衆一人ひとりがローマ帝国」といいながら、「古代ギリシャの神殿に一日100頭の牛を生贄にすることを命令する!」などと、現実が見えていないこともしてしまっている。
しかしユリアヌスはあくまでも「融和」を唱えた。ユリアヌスにもっと余裕と味方があったなら、宗教による迫害や戦争は少なくなっていたかもしれない、というあり得なかった未来も考えちゃうんだよなあ。
そして物語の終盤。ユリアヌスは大群を率いてペルシアに進軍する。
はじめこそユリアヌスの戦略があたり、そして軍人にとってユリアヌスは熱狂的に指示されていたので、この本では久しぶりの明るい展開。…いや、大いなる犠牲が出た戦争で「明るくなった」ってのはおかしいんですが、あくまでも本の印象ってことで…。
そんな戦争の折にもユリアヌスは哲学書を読みふけっていた。戦争、政治、経済、宗教に悩まされているからこそ、それら全てよりももっと大きい真理が哲学なのだ。
物語の最後はユリアヌスの死。(その後の歴史のことは一切触れない。物語として潔いいなあ)まだやることはたくさんあっての死だ。しかしユリアヌスは、人間の生を越えた真理を感じて目を閉じるのだった。