あらすじ
自然淘汰と適者生存の事実を科学的に実証して進化論を確立し、自然科学の分野においてはもちろん、社会観・文化観など物の見かた全般に決定的な影響を及ぼした著作として、この『種の起原』の名を知らぬ人はないであろう。底本には一八五九年の初版を用い、最終版たる第六版までの各版の異同をくわしく記した決定版である。
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「しかし奇形を何らか明瞭な境界線によって軽微な変異と区別することはできない。一緒に生活している多くの個体中に現れるこのような構造の変化のすべては、極めて軽微であるか非常に顕著であるかにかかわりなく、生活条件が各個体に及ぼす不確定な効果であると見なすことができる。それは同一の寒さが様々な人に不確定な仕方で影響し、身体の状態または体質に応じて咳や感冒、リューマチあるいは種々の器官の炎症を起こすのとほぼ同様である。」
—『種の起原(上)』チャールズ・ダーウィン著
「その郷土においてほとんど自由な状態に保たれながら、なお子を産まない動物がいかに多いことか! これは一般に本能が損われたせいになっているが間違いである。多くの栽培植物は最高度の活力を現すが、それにもかかわらず稀にしか、もしくは全く実を結ばないのである! ある少数の例では、極めて些細な変化、例えばある特定の生長期の水分のわずかな多寡が植物に実を結ぶか結ばないかを決定させる、ということが発見されたのである。私が収集し、他のところで公にしたこの奇妙な課題の詳細を今ここで述べることはできない。しかし監禁状態の動物の生殖を決定する法則がいかに奇異なものであるかを示しておく。食肉動物は、熱帯地方からきたものでさえも、我が国においてかなり自由に監禁状態で繁殖する。ただ例外は蹠行動物すなわちクマ科で、これは稀にしか子を産まない。しかるに猛禽類は、稀に例外はあるが、受精した卵を滅多に産まない。多くの外来植物は最も不稔性の雑種の場合と同じように全く無用な花粉をつける。」
—『種の起原(上)』チャールズ・ダーウィン著
「例えば何百万の個体中にただ一回――そしてそれが再びその子に現れたとすれば、確率の理論だけからでもその再現は遺伝のせいでなければならぬはずである。白皮症や鮫肌や多毛症などが、同じ家族の数人に現れることは誰でも聞いたことがあるに違いない。もし奇異なそして稀な構造の偏向が本当に遺伝されるとすれば、それよりももっと珍しくなくもっと普通な偏向が遺伝するものであることは率直に認められるであろう。あらゆる形質はすべて遺伝するのが常則で遺伝しないのが変則であるとするのが、おそらくこの主題全体に対する正しい見解であろう。」
—『種の起原(上)』チャールズ・ダーウィン著
「 遺伝を支配する法則は大部分未知である。なぜ同じ種の異なる個体における、または異なる種における同一の特質が時として遺伝し、時として遺伝しないのか。なぜ子供はある形質においてしばしばその祖父または祖母、あるいはさらに遠い祖先に逆戻りするのか。なぜある特質がしばしば一つの性から両性に、またはどちらかの性にのみ伝えられ、しかも普通には、例外もなくはないが、同性に伝えられるのか。これらに対しては誰も答えることができない。飼育品種の雄に現れる特質がしばしば、例外なくあるいははるかに多い割合で雄にのみ伝えられることは、我々にとってかなり重要な事実である。」
—『種の起原(上)』チャールズ・ダーウィン著
「この見解を有利にするものとして次のことを附け加える。まず第一に、野生のコルンバ・リヴィアがヨーロッパとインドにおいて飼育可能であることが発見され、またその習性と構造の多くの点がすべての飼育品種と一致していることである。第二に、イングランド伝書鳩または短顔宙返り鳩はある形質においてカワラバトと大いに異なるけれども、これら二品種の多くの亜品種を比較し、とりわけ遠くの地域から持ってこられたものを比較すると、これらとカワラバトとの間にほとんど完全な系列をつくることができ、これは全部の品種についてではないが、幾つかの他の場合にも可能である。第三に、各品種を区別する主な形質はそれぞれが著しく変化し易いことである。例えば伝書鳩の肉垂および嘴の長さ、宙返り鳩の嘴の長さの短いこと、またクジャクバトの尾羽の数などがそうである。この事実の意味は『淘汰』を論じるときに明らかとなるであろう。第四に、鳩はこの上ない注意のもとに保護と世話を受け、また多くの人々に愛されてきたことである。鳩は何千年もの間世界各地で飼育されてきたのである。分かっている最も古い鳩の記録は、レプシウス( Lepsius)教授が私に示してくれたところによると、紀元前三千年頃の第五エジプト王朝時代である。しかしバーチ( Birch)氏からの情報によれば、それ以前の王朝時代において料理の献立表に鳩が記載されているという。またプリニウスの伝えるところでは、ローマ時代には鳩に莫大な値がつけられ『のみならず彼らはその血統や品種を品定めできるほどになっていた』という。インドのアクバル・カーン( Akber Khan)は千六百年頃、鳩を大いに大切にして、その宮廷に受け取られた鳩は二万羽を下らなかった。『イラン王およびツラン王がすこぶる珍稀な鳥を献じた』そして『陛下はかつて行われたことのない方法で諸品種を交雑し、驚くべき改良を行った』と宮廷史家は書いている。これとほとんど同時代にオランダ人も古代ローマ人と同じく鳩に熱中した。鳩が受けた甚だしい変異を説明するのにこれらの考察が何よりも大切であることは、これまた『淘汰』を論じるときに明らかとなるであろう。そしてまた、どうして多くの品種がしばしばやや奇形的形質を現すのかを知るであろう。また別な品種を作り出すのに最も好都合な要因は、鳩の雌雄を容易に一生涯連れ添わせておくことができることであり、それゆえ種々異なる品種を同じ鳥小屋の中で飼っておくことができるのである。」
—『種の起原(上)』チャールズ・ダーウィン著
「また奇形とよばれるものがあるが、これは次第に変種に変わる。私の考えでは、奇形とは種に対して一般に有害もしくは無用なかなり大きい構造上の偏向を意味する。ある学者は『変異』という言葉を物理的生活条件に直接起因する変容という意味の専門用語として使い、この意味の『変異』は遺伝されないものと仮定するのである。しかしバルト海の半塩水中の貝類の矮小化した状態、あるいはアルプス山頂の矮小化した植物、あるいは極北地方の動物の厚い毛皮が、ある場合に少なくとも数世代の間遺伝されないと誰がいえようか? そしてこの場合、その形態は変種というべきであろうと考える。」
—『種の起原(上)』チャールズ・ダーウィン著
「ずっと以前、私はガラパゴス諸島のごく接近した島々の鳥を相互に比較し、またこれとアメリカ大陸の鳥を比較し、また他の人々が比較するのを見て、種と変種の間の区別が全く曖昧で気紛れなのに非常に驚かされた。小マデイラ諸島の小島には、ウォラストン( Wollaston)氏の見事な著書では変種として特徴づけられている多くの昆虫がいるが、それらは多くの昆虫学者からは確実に別種として分類されるであろう。アイルランドでさえも、今日一般には変種として見なされているが、若干の動物学者によって種と認められている少数の動物がある。数人の経験豊かな鳥類学者は、英国のアカライチョウをノルウェー種の著しい特徴をもった一品種にすぎないとしているが、大多数の者はこれを英国に特有な疑いのない種として位置づけている。二つの疑わしい形態の棲息地の間が広く離れていれば、多くの博物学者はこれらを別異の種として分類する傾向がある。しかしどれだけの距離があれば十分なのかというもっともな疑問がある。もしアメリカとヨーロッパの間が十分な広さであるとすれば、ヨーロッパとアゾレス、あるいはマデイラ、あるいはカナリー諸島との間、またはこれら小さい諸島の幾つかの小島の間の距離は十分なのであろうか?」
—『種の起原(上)』チャールズ・ダーウィン著
「地質学は、小さい属が時間の経過の中で時々甚だしく増大し、また大きい属がしばしばその極大に達し、衰微し、そして消滅したことを明らかに我々に物語っているからである。私がここで示そうとするものはすべて、ある属に多くの種が形成されてきた場所では平均して多くの種が今も形成されつつあるということである。そしてこれは確かに正しい。」
—『種の起原(上)』チャールズ・ダーウィン著
「人間が淘汰によって確かに偉大な結果を生み、また自然の手によって彼に与えられたわずかであるが有用な変異の累積により、生物を自分の用途に適合させることができることはすでに論じた。しかし後に見るように、『自然淘汰』は絶えず作用する力であり、自然の作品が人間の工芸に対し優っているように、人間の微力な努力に比べると格段に優っている。」
—『種の起原(上)』チャールズ・ダーウィン著
「自然を見るには前述の考察を常に心にとどめておくことが最も重要である――すなわち、個々の生物のすべてはその数を増やそうとして極力努力しているといえること、各生物はその生涯のある期間闘争によって生きること、苛酷な滅亡が各世代、あるいは周期的な間隔をおいて老若いずれにも不可避的に襲いかかること、を決して忘れてはならない。抑制を軽くし、少しでもその滅亡を緩和すれば、その種の数はほとんど一瞬のうちにどこまでも増加するであろう。」
—『種の起原(上)』チャールズ・ダーウィン著
「同属の諸種は、必ずというわけではないが通常その習性と体質、また常に構造において大きな類似性をもつので、もし互いに競争することになれば、その闘争は一般に別属の種の間よりも厳しいであろう。我々は近頃合衆国の諸地方に燕の一種が広がって他の種を減少させたことを見る。近頃スコットランドの諸地方にオオツグミ( missel-thrush)が増加してウタツグミ( song-thrush)の減少の原因となった。鼠の一種がひどく違った気候の下で他の種に取って代わることをいかによく聞くことか! ロシアでは小さなアジアのゴキブリが至るところで大きな同類を駆逐してしまった。オーストラリアでは輸入されたミツバチが急速に土着の小さな針のない蜂を根絶しつつある。カラシナの一種は他の種に取って代わることが知られている。その他の場合も同様である。我々は自然の秩序においてほとんど同一の場を満たす類縁の形態の間になぜ競争が最も厳しいかを漠然と理解することはできる。しかしなぜある種が生命の厳しい闘いにおいて他の種に勝ったかについては、おそらくただの一つも正確にいうことができないであろう。」
—『種の起原(上)』チャールズ・ダーウィン著
「すなわち、あらゆる生物の構造は、その生物が食物や棲息地のために競争したり、あるいは逃げたり、あるいは餌食とする相手である他のすべての生物の構造と、最も本質的であるがしばしば隠された方法で関係しているというものである。」
—『種の起原(上)』チャールズ・ダーウィン著
「なぜならすべての国で土着の生物が帰化生物によって征服されており、その結果ある外来者はその土地を確実に占領しているからである。このように外来者はあらゆる国で土着のあるものを打ち負かしているのであるから、我々は土着のものが有利な変容をすることによって侵入者に対してもっとよく抵抗できたかも知れないと結論して差しつかえないであろう。」
—『種の起原(上)』チャールズ・ダーウィン著
「人間はしばしば半奇形の形態によって淘汰を始める。あるいは少なくとも、十分眼をひいたり、明らかに人間に有用であるような目立った変容によって淘汰を始める。」
—『種の起原(上)』チャールズ・ダーウィン著
「自然淘汰は親に関連して子の構造を変容し、子に関連して親の構造を変容する。社会的動物では、もし淘汰された変化によって共同社会が利益を得るならば、自然淘汰は各個体の構造を全共同社会の利益に適応させるであろう。」
—『種の起原(上)』チャールズ・ダーウィン著
「花粉は受精という唯一の目的のために造られたものであるから、その破壊はその植物にとって単に損失になるだけのことのように見える。しかしこの花粉を食う昆虫によって、最初は偶然的に、後には習慣的に花から花へ少量の花粉が運ばれ交配が成されれば、花粉の十分の九が破壊されても、その植物にとってはこうして掠奪されることがやはり大きな利益であろう。そしてますます多くの花粉を生じ、より大きな葯を有する個体が選択されるであろう。」
—『種の起原(上)』チャールズ・ダーウィン著
「無数の花で覆われた大木の場合では、花粉は木から木へ運ばれることは滅多になく、せいぜい同じ木の花から花へ運ばれるだけであり、また同じ木の花は限られた意味でしか別々の個体と見なすことができないのではないか、という反対理由が持ち出されるかもしれない。私はこの異議を正当なものと信じるが、しかし自然は雌雄分離した花をもつ強い傾向を樹木に与えることによって、十分にこれに対する対策を備えている。雌雄が分離されていれば、雄花と雌花が同じ木に生じても、花粉は規則正しく花から花へ運ばれなければならない。そしてこれは、花粉が折にふれて木から木へ運ばれるのに一層よい機会を与えるであろう。すべての目に属する樹木が他の植物よりも雌雄別々になっている場合の多いことを私はこの国で見出した。そして私の求めに応じてフッカー博士はニュージーランドの樹木を、またエイサ・グレイ博士は合衆国の樹木を表に作ってくれたが、その結果は私の予想したとおりであった。もっともフッカー博士はこの規則がオーストラリアでは通用しないことを私に告げた。しかしもし大部分のオーストラリアの樹木が雌雄異熟であるとすれば、雌雄分離した花を備えているのと同じ結果を生じるであろう。以上樹木について数言を費したのは、ただこの主題に注意を喚起するためにすぎない。」
—『種の起原(上)』チャールズ・ダーウィン著
「組織的淘汰の場合には、飼育家はある明確な目的のために選択するのである。そしてもし多くの個体が自由に交配することを許されていれば、彼の仕事は完全に失敗するであろう。しかし多くの人が、品種を変えようというつもりはなくとも、ほとんど共通の完成規準をもっていて、そしてすべての人が最良の動物を求めそれから繁殖させようと試みるときには、選択された個体は隔離されないにもかかわらず、この無意識的な淘汰過程によって徐々にではあるが確実に改良が行われる。」
—『種の起原(上)』チャールズ・ダーウィン著
「淘汰の過程は緩慢であるが、もし微力な人間が人為淘汰によって多くのことを成し得るのであれば、自然の淘汰力すなわち適者生存による永い時間の経過の間の相互の影響、また生活の物理的条件から受けた変化の量とあらゆる生物の間の相互適応の美しさと複雑さに限界を認めることはできない。」
—『種の起原(上)』チャールズ・ダーウィン著
「自然淘汰は何らかの点で利益があり、その結果として持続することのできる変異の保存をとおしてのみ作用するのである。すべての生物が高度の幾何級数的増加率を有する結果、各々の区域はすでに十分に棲息者で満たされている。従って恵まれた形態がその数を増加するのと同様に、恵まれないものは一般に減少し稀になるであろう。」
—『種の起原(上)』チャールズ・ダーウィン著
「しかし一般の規則としては、ある一つの種の子孫の構造がもっと多様化すれば、彼らはもっと多くの場を獲得することができ、そしてその変容した子孫はもっと増加するであろう。我々の図では、系列の線は変種として記録するほど十分に異なった連続する形態を表示する番号つき小文字によって、規則正しい間隔に区切られている。しかしこの区切りは仮想的なものであって、分岐する変異をかなりの量累積させるのに十分な長い間隔の後ではどこに挿入してもよいのである。」
—『種の起原(上)』チャールズ・ダーウィン著
「ここにしばらく新しい種 F-14の形質について考察するのも価値がある。 F-14はあまりその形質を分岐せず、 Fの形態を変えずに、あるいはわずかに変えただけで保持してきたものと想定される。この場合、これと他の十四の新種との類縁関係は奇妙で間接的な性質であろう。母種 Aと Iの間にあり、今は絶滅して不明と想定される形態から出たものなので、それは形質においてある程度これら二種に由来する二つの群の中間にあるであろう。しかしこれら二群はその祖先の原型から形質を分岐してきたのであるから、新種 F-14は直接的にこれらの中間でなく、むしろ二群の原型の中間であろう。そして博物学者はだれでもこのような事例を念頭に浮かべることができるであろう。」
—『種の起原(上)』チャールズ・ダーウィン著
「種の生命形態がそれらの幾つかの条件と場所に適応する際に、自然淘汰が本当に上述のように作用したかどうかは、以下の章にあげる証拠の一般的進行方向と比較考量によって判断しなければならない。しかし我々はすでにいかにしてそれが絶滅をひき起こすかを見た。そして世界の歴史上絶滅がいかに大きく作用したかは、地質学がはっきりと宣言している。自然淘汰はまた形質の分岐を導く。というのは、より多くの生物が構造、習性、および体質において分岐すれば、ますます多くの数をその区域に維持できるからである――その証拠はある小さい地点の棲息者や外国の土地に帰化した生物を見れば分かる。それゆえある種の子孫が変容している間、またはすべての種がその数を増加しようとして絶えず闘争している間は、子孫が多様化すればするほど生活の闘いにおける成功の機会は大きいであろう。こうして同じ種の変種を区別する小さい差異は、同じ属、あるいはさらに別な属の種の間の大きな差異に等しくなるまで着々と増加する傾向を示す。」
—『種の起原(上)』チャールズ・ダーウィン著
こんな可愛い人が百合書いてるのアツイよな。むしろ、可愛い人とか美人程、百合に抵抗ない人多いし、そもそもレズビアンで美人な人は美人だからね。特に清楚系美人は女子校出身が多いから百合に抵抗ないイメージある。平成初期にレズ小説書きまくってた松浦理英子とかも綺麗だよね。
「なぜ自然は構造から構造へ突然飛躍しないのであろうか? 自然淘汰の理論によれば、我々は自然がなぜそうしないかをはっきりと理解することができる。なぜならば、自然淘汰はただわずかな連続的変異を利用することによってのみ作用するからである。自然は決して大きな突然の飛躍をせず、緩慢ではあるが短く確実な歩みでもって進まなければならないのである。」
—『種の起原(上)』チャールズ・ダーウィン著
「もし美しい物が単に人間の満足のためにのみ創造されたのであれば、人間の出現以前にはその登場以後よりも、地球の表面に美が少なかったということを示さなければならない。始新世の美しい巻貝やイモ貝、また第二紀の優美な彫刻のあるアンモナイトは、後に人間がその陳列室で歎賞するために造られたのであろうか? 珪藻類の微小な珪質の小函ほど美しいものはほとんどない。」
—『種の起原(上)』チャールズ・ダーウィン著
「花は自然界の最も美しい生成物に属している。しかし花は緑色の葉と対照をなして目立つようにされ、その結果として同時に美しくなったのであって、このため容易に昆虫類の眼につくのである。私がこの結論に達したのは、風によって受精する花は決して華美な色の花冠をつけないという例外のない規則を発見したからである。」
—『種の起原(上)』チャールズ・ダーウィン著
「他方、私は最も華麗なすべての鳥類、幾つかの魚類、爬虫類、および哺乳類、さらに華麗に彩られた蝶の大群のような多数の雄の動物は、美のために美化されているということを進んで認める。しかしこれは雌雄淘汰をとおして、すなわちより美しい雄が絶えず雌に好まれてきたことにより生じたのであって、決して人間の喜びのためではないのである。」
—『種の起原(上)』チャールズ・ダーウィン著
「鳥の音楽についても同様である。我々はこれらのすべてから、美しい色に対しまた音楽の音色に対してほとんど類似の嗜好が動物界の大きな部分にゆきわたっていることを推論してよい。雌が雄と同様に美しく彩られているような鳥類や蝶類には稀でない場合には、その原因は明らかに雌雄淘汰をとおして獲得された色彩が雄だけに伝わらないで雌雄両性に遺伝されたことにある。最も単純な形における美の感覚――すなわちある色彩、形、および音から特有の種類の喜びを感受すること――がいかにして人類や下等な動物の心に最初に発生したかということは極めて不明瞭な問題である。」
—『種の起原(上)』チャールズ・ダーウィン著
「最後に、自然淘汰は緩慢な過程であり、これによって何らか著しい効果が生じるためには同じ好適な条件が永く続かなければならない。このような一般的な漠然とした理由を示す以外には、なぜ世界の多くの地方で有蹄四足獣が樹木の高い枝の枝葉を食うために非常に長く伸びた首あるいは他の手段を獲得しなかったのか、ということを我々は説明することができない。」
—『種の起原(上)』チャールズ・ダーウィン著
Posted by ブクログ
訳がいいのですんなり頭にはいってくる。だだし、挿絵があったらもっと理解が進むと思われると残念である。原本には挿絵がなかったのであろうか。訳本だけだとわからない。
古典として読む価値があるし、読みやすい本である。
Posted by ブクログ
進化論を提唱した、ダーウィンの名著。
彼の文章は中々回りくどく、難解であった。
ただ一つ言いたいのは、彼は「創造論者」を避難してはいるが、決して「キリスト教」を攻撃してはいない。
彼が進化論の根拠とするのは、「今知られている動物が、絶滅した動物に比べて少数であることを考えれば、少しずつあゆみがあったと考えるのが当然である。自然は多様性を浪費するが、改革は節約する。自然は飛躍しない。」と述べる。
また古代ギリシャのアリストテレスの著書「自然学」において、自然選択の原理の萌芽を見て取ることができるとする。それは「例えば歯が噛み切るように、または草をすりつぶすようにできているのは、そのために造られたのではなく、結果である。あらゆる器官がそのためにできているように見えるのは、内在的な変化の結果である。」としたところである。これについては、自然選択ではないよねとダーウィンは云っている。
とにかく、完全に理解するには至っていない。下巻もあるのだが、光文社古典新訳文庫からも出ているし、合わせて読んでみたい。
Posted by ブクログ
生き残る強い種(個人・家族・組織)になるためのヒントがあるかもしれないと思い、購入しました。
内容も勉強になりますが、「神が人間を創造した」と皆が信じていた時代に、全く異なる理論を構築・主張して世間を納得させたという事実に感動を覚えました。
Posted by ブクログ
ダーウィンといえば進化論ですが,本書下巻の最後尾の付録に「進化evolution」とようやく,それも,ダーウィンと同時代の博物学者は生物が環境にあわせて身体を変化させること自体は承知している,という文脈で使っています.その原動力が自然選択なのだ,という言い方です.本編では変化を伴う由来,descent with modificationという表現がよく用いられます.迂遠な言い回しが生真面目に訳出されているので,読みにくいです.ですがおそらく,当時としては平易な語り口で書かれており,現代で一般的な科学エッセイとに相当すると思います.目を引くイラストなどは一切なく,唯一の写真は著者ご本人の肖像写真です.それでも,第四章「自然選択」に掲載されたただ一枚の系統樹の図版は印象深いです.ダーウィン自身,「生命の大樹」と表現しています.三葉虫とか恐竜も全くでてきません.そのかわり登場するのは飼育ハト.地味です.しかし,なるべく身近なものからよく観察,分析していくという姿勢は現代でも大事ですね.ハトを通じて,飼育栽培下で生き物は姿形を変えていくことー変異ーは自然においても起きうると主張.その原動力が「生存闘争」です.この訳出は見事でですが同時に,自然界に対する一種の誤解を生みだす原因にもなっているのではないでしょうか.それは訳者の方も解っていたらしく,訳注にわざわざstruggle for existence,struggle for lifeと原典を掲載しています.このstruggleとは「もがく,あがく,努力する」と辞書にあります.つまり,喧嘩や暴力的対立,果ては戦争へと至る「闘争」とは完全には一致していないのです.ダーウィン自身もstruggleに対して,「広義に,また比喩的な意味にもちいる」「飢餓におそわれた二頭の食肉獣は,食物をえて生きるためにたがいに闘争する・・・しかし砂漠のへりに生育している一本の植物も,乾燥にたいして生活のための闘争をしている」と述べています.生存闘争の過程で,「自然選択」が起きます.「各生物にとって・・役だつ変異が,数千世代をかさねるあいだに,ときどきおこる・・たとえ軽微ではあっても他のものにたいしなんらか利点となるものをもつ個体は,生存の機会と,同類をふやす機会とに,もっともめぐまれる」.上巻後半は,学説の難点を自ら点検する形をとって,移行種の未発見の問題,本能の問題,雑種の問題を取り上げます.上巻の付録は種の起源にかんする意見の進歩と歴史的概要」としてダーウィンに至るまでの歴史的経緯をまとめてくれています.現代の参考文献としても十分使える内容に見えます.
Posted by ブクログ
ダーウィンの『種の起原』は、予想を超えて、
ボリュームのある作品である。
何か、もっと短いものだという印象があったのであるが。
読み始めて、
八杉龍一氏の訳がかなり注意して翻訳しているのだと思うが
なかなか、その中に入り込めない。
言葉は、ゴツゴツしている。
この『種の起原』は・・1859年11月に出版されている。
いまから、約150年前のものだ・・が。
その『古さ』を感じさせないのは、どういうことだろう。
博物学というジャンルは、
今の時代になくなってしまったのだろうか。
非常に新鮮に感じる・・
今風に言えば、エコロジストのような感じである。
地質学、植物学、動物学、人間学・・・
広いジャンルの分野にわたって論じていることに
おどろく・・・
そのころは、グーグルなぞはなかったはずなのであるが、
情報収集能力は 時代を凌駕している。
種の起源の表題は・・
『自然選択の方途による、すなわち生存競争において
有利なレースの存続することによる、種の起原』
ここで、やはり重要な概念は・・・
natural selection 『自然選択』・・・・
この訳語は 自然淘汰もあてはまるというが・・
やはり、『自然選択』が 一番いいのだと思う。
はじめに・・・・で重要なところは・・
『博物学者が,種はどれもみな個々に創造されたものではなくて、
変種と同様に他の種に由来するものだという結論に
到達するであろうということは、十分に予想できることである。
だが、このような結論は、たとえもっともな理由に基づいていたとしても、ではこの世界に生息する無数の種がどのように変化してきたものか、そしてわれわれをまったく驚嘆させる構造の完全さと相互適応とがいかにして得られるにいたったものかを明らかにしうるまでには、満足なものとはならないであろう。』
このダーウィンの徹底した姿勢が、
やはり、すごいですよ。
ダーウィンは言う・・・
『変化と相互適応の方法について
明確な洞察をうることは、きわめて重要である。』
進化は、『自然選択』であると説明したとしても
なぜかくも沢山の種が存在するのか・・・
という命題が解けていない。
生命における、ビッグバンがあったのだろうか?
それが進化はなぜ起こるのか?
ダーウィンは、話の展開の仕方がうまいですね。
『変異と奇形』というものを
飼育栽培をケースにして説明している。
人間の行為から、自然へと発展させている。
自然界では、変異は起こるものであり・・
(なぜ変異が起こるのか?・・・というのが重要であるが。
その変異の中から、人間の手によって選択される。
ということを説明する。
それが、自然によって選択されるという論旨へと展開する。
選択 というのは、あくまでも人間的な行為であるが、
それを自然がする ということを言及することによって
神が創造したということを否定する。
起原という言葉を考察すると、
『それらの品種の祖先種がひとつなのか、それとも二つ以上なのか?』
ダーウィンは言う
『すべてのイヌが単一の野生種に由来するとは、
私は信じていない。』
『ウマに関しては、すべての品種が単一の野生原種に由来するものであることを信ずるほうに傾いているが、なお疑いも残している。』
ダーウィンの言い回しのうまさは、
はっきりさせないままで、はっきりさせようとしていることだ。
Posted by ブクログ
言わずと知れたダーウィンによる生物学における世界古典の傑作。
環境について語るなら、まずこの一冊を・・・ということで、いつかは読みたいと思っていた。
この本を自分の頭で理解し消化しようと思うと、生物学についてのある程度の知識も必要では?という難しさは感じる一方で、生命の神秘さ、生態系というものの尊さを感じずにはいられない。
ダーウィンは、公の仕事としてアメリカへの航海から動物学の著作をまとめ、地質学の本を出版。そして、1856年に種の起源について大著の執筆に着手したほか、地質学、植物学、人間学に及ぶ巨大な業績を残したという。
「自然選択」の作用や「進化論」といった尊い研究結果をムダにしないよう、人類は正しい選択をしていきたいものです。
Posted by ブクログ
論文、という感じの内容。非常にとっつきにくく、平易な言葉に置き換えたものを出版してほしい。種の起源について軽く知りたい方にはおススメできない。
Posted by ブクログ
「利己的な遺伝子」を読む前に急いで読み始めた。
が、読みにくい。私が門外漢だからか、読書力が足りないのか、訳がよくないのか。目が文字面を滑ってしまう。
原本は6版まであるそうだが、これは初版の翻訳。
自然選択(淘汰)説を提唱したことで有名。だが、ウォーレスとの共著の形で発表された論文をもとにした著作であることや、ダーウィン以前にも自然選択説を示唆する学者がいたことが記されている。
Posted by ブクログ
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開始:2023/6/5
終了:2023/6/20
感想
観察の末にたどり着く結論。しかし現代の観点からすれば間違いもままある。それを加味して翻訳することの困難さを思い知る。