あらすじ
「現代社会を深く考えるための必読書」――養老孟司
「ダイアモンド文明論の決定版的集大成」――福岡伸一
■現代西洋社会の特徴はインターネット、飛行機、携帯電話といった技術や、中央政府、司法、警察といった制度ばかりではない。肥満、座りっぱなしの働き方、豊かな食生活から生まれる疾病や、社会が豊かになったことによる宗教の役割の変化もまた、現代西洋社会の特徴なのである。
■伝統的社会に強く惹かれ、その研究者としての人生の大半をニューギニアなどの伝統的社会に捧げてきたジャレド・ダイアモンドが、現代西洋社会に住む私たちが学ぶべき人類の叡知を紹介する。
「19世紀、ダーウィンは『種の起源』などの3部作で世界の歴史と自然に対する認識を一変させた。これから1世紀先の学者たちはジャレド・ダイアモンドの3部作――『銃・病原菌・鉄』『文明崩壊』『昨日までの世界』――に対し、ダーウィンの3部作と同等の評価を下すだろう。壮大なる本書は、世界の歴史と自然のみならず、人類の「種」としての運命も描いている。ジャレド・ダイアモンドは現代のダーウィンである。『昨日までの世界』は実生活の喫緊の問題に対する解決案をとおして人々に希望を与えてくれる、時代を変える作品である」(マイケル・シャーマー 作家、科学史家)
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Posted by ブクログ
さすがな内容だった。読み応えがあったし、説得力もあった。ただ、説得力が勝ちすぎて少々不満が残る本でもあった。主題がわかりやすいことを汲んで、★は5つにした。
Posted by ブクログ
下巻読み終わりました。
個人的には、下巻の方が上巻より面白かった。
危険な事への対応と宗教や健康について、小規模社会と現代の西洋社会の違いについて説明しています。
面白かったのは危険に対する建設的パラノイアと健康について。
建設的パラノイアとは、ニューギニア人が、さほど危険では無い事について、被害妄想なくらいに心配するという行動から付けた作者の造語です。
作者がニューギニア人と森に出かけ、野宿をするとき、大木の下で寝ようかと持ちかけたところ、木が倒れて死ぬかもしれないので、絶対に嫌だ、と断られたという。ニューギニア人は一年に100日、40年で4000日くらい野営をする。たとえ、1000回に1回しか起こらない事でも、彼らの生活からすると10年以内に死んでしまう確率になってしまう。なので、細心の注意を払うことは理にかなっている、ということだ。
普段、私たちはスピードを出している車のすぐ脇を歩いていたりする。でも、さほど危険を感じていないことが多い。このケースでの事故の確率が10000分の1でも、一生で10000回くらい車の脇を通ることがあれば、1回は事故になる計算になる。であれば、そうした状況では細心の注意を払うことが理にかなっているのだ。
もう一つ、印象に残ったのは健康に対すること。西洋化する前のニューギニアの人たちは現代病として悪名高い高血圧や糖尿病の人が極端に少なかったのだ。当時のニューギニア人は現代の西洋社会での生活とは異なり、塩分も糖分も少ししか摂取していなく、朝から晩まで生活のために身体を動かす生活をしていた。私たちの身体は現代においても、このような暮らしに適したつくりになっているようだ。だから、急激に西洋化した発展途上国であった国の人々(インドとか)が、現代病に罹る割合はひどく大きくなっているらしい。
これは、衝撃的でした。そういうことか、と妙に納得しました。全部が全部、本当の事なのかは分からないので、鵜呑みにしてはいけないのかもしれませんが。
生活を改めるきっかけとなりました。
Posted by ブクログ
本書(下巻)では「危険に対する対応」「宗教、言語、健康」についての考察。中でも「危険」という概念に関する考え方が面白い。それは我々にも重要な教訓を与えてくれます。
言うまでもなく「伝統的社会」における危険とは、我々の世界とはかなり異なります。例えば「倒れてきた木の下敷きになる危険」というのは我々にはほぼ考えられないリスクですが、ニューギニアの密林の伝統的社会ではそれはリアルなものです。毎日のように密林のどこかで木が倒れる音が聞こえ、年間に100日くらいは村を離れて野営しているとしたら、その頻度は充分にリスクを計算すべき数字になります。我々が交通事故に注意するくらいのリスク回避はするべきなのです。それで彼らは「大きな枯木の下で眠らない」というルールを守っているのです。それを著者は「建設的なパラノイア」と名付けます。他にも病気にや怪我、あるいは見慣れぬ他者に対する病的なまでの警戒心は、一見過敏にすぎる反応に見えるかもしれませんが、それは生存するために必要な知恵を継承してきた結果といえるのです。
その考え方を現代に置き換えるとどうでしょう。原発の重大事故がが起きる確率が、仮に1000年に一度だとしましょう。しかし世界中に100基の原発が稼働したら、10年に一度は重大事故が起きることになってしまいます。現実的に我々はそんな世界に生きていて、残念ながら重大事故も一定のペースで起きているのです。「建設的なパラノイア」は現代社会においてもなお、失うべきではない生存の為のセンスなのではないでしょうか。
最後に言語の多様性について、著者はそれが失われつつあることを嘆いています。現在、地球上にはおよそ7000もの言語が存在しているそうですが、今世紀中に数百の言語を残して消滅するだろうと言われています。それが良いことなのかどうか。バベルの塔をはじめ、世界中の様々な神話において、人類は別々の言語を話すようになったことで意志を統一できず、争いが生まれたとも言われています。しかし著者は共通言語を学ぶ必要は認めながらも少数派の言語をなくすことはないと言います。多様性をなくすことの危険性を上回るメリットはないということでしょう。言語のみならず、部族や国家、文明の多様性を失うことは、一定の条件下において全滅する危険が大きくなる。その事実に逆行しているのが現在の文明であり、グローバリゼーションという言葉に表される単純化された構造の社会なのではないでしょうか。
Posted by ブクログ
下巻。
「危機とそれに対する反応」として、伝統的社会における「建設的なパラノイア」という態度が説明される。他部族との遭遇や怪我、病気などによる命の危険が多い社会では用心深い態度が求められ、現代社会の観点からするとパラノイア的にも見えるが、確率の低い出来事も数多く繰り返されると危険であることを教示している。たとえば交通事故など。
・狩猟や採集など、食物の獲得が不安定な社会では誰かがとったものは全て集団全体に分配する。これによって収穫の不安定さをならすことができる
・われわれは「危険」をマスメディアを通して知るため、めったにおこらないような事故を過大評価する。上巻の「建設的なパラノイア」の観点から言えば、飛行機事故よりも交通事故の方を重視して生活すべき
・糖尿病や高血圧など、非感染性疾患による死亡が現代社会では多い。カロリーや塩分を容易に摂取できる食生活の影響。
・宗教の役割は
説明することー科学にとってかわられた
不安を軽減することー国家にとってかわられた
死への恐怖(死後の世界を約束する)
規範・道徳を与える
戦争の正当化(異教徒は殺してもよいという理由付け)
に用いられてきたが、死への恐怖以外の点ではかつてほどの重要さはない。