あらすじ
甲虫の羽音とチョウの舞う、花咲く野原へ出かけよう。生物たちが独自の知覚と行動でつくりだす〈環世界〉の多様さ。この本は動物の感覚から知覚へ、行動への作用を探り、生き物の世界像を知る旅にいざなう。行動は刺激への物理反応ではなく、環世界あってのものだと唱えた最初の人ユクスキュルの、今なお新鮮な科学の古典。
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Posted by ブクログ
ありがとう。良いものを読みました。
私の語彙と読解力でざっくり内容を書き記すと、こうです。
「動物は全て反射と本能で行動しており、機械と同じ」という思想に対する、反証。
動物のみならず、単細胞生物も含んだ、生物は主体であり、物事を知覚し行動していることの解説。
動物は機械じゃないんですよ
Posted by ブクログ
読み難く十分に理解することはできなかったが、環世界(Umwelt)という考えはとても面白かった。
すべての生物は、自分の感覚器官と運動器官を通して「独自の世界」を構成している。生物が感覚できる環境である知覚世界(Merkraum)と生物が働きかける環境である作用世界(Wirkraum)の両者が繋がり、その生物にとって完結した環世界(Umwelt)がある。
読む中で感じた、人間中心主義からの脱却というのがとても好ましく感じる。ヒトが生きる世界もまた一つの環世界にすぎず、その周りにはおびただしい数の環世界が多様に広がっている。
また、環世界を観察する際、われわれは目的という幻想を捨て、設計という観点から動物の生命現象を整理しなければならない。私が生物の構造や仕組みについて知ることを面白いと思う所以がわかった気がする。
小説ばかりではなく、生物系の新書にも積極的に手を出していきたいと思った。
Posted by ブクログ
めちゃくちゃ面白い本でした。
著者は1864年生まれの大学教授です。
この本は、「生き物(主体性)には、それぞれの世界(環世界)がある!」と論じています。
とても古い本ですが、現代でも役に立つ、名著だと思いましたー
「世界は一つ」ではなく、「生き物の数だけ世界はある!」という考え方は、とても刺激的で良かったです!!
世界が広がった読後感があり、とても良かったですねー!
Posted by ブクログ
面白かった。動物行動学の本で、「環境」ではなく「環世界」という観念から動物の行動を解説する。環世界とはそれぞれの動物の知覚物で埋められた世界のことで、同じ環境にいても動物によって環世界は違う。動物行動学を齧った人には当たり前のことなのかも知れないが、ど素人の私には知らないことが多く引き込まれた。ドイツ語で1934年に出版された本が2005年に新たに訳されたというだけでも読むに値するかもしれない。
本日の「終わらない読書会」の課題図書。間に合って良かった。
Posted by ブクログ
主体を取り巻く客観的な「環境(Umgebung)」とは異なり、主体が真に現実的に生きる場として存在する「環世界(Umwelt)」。生き物が見ている世界をより「生物」学的に研究しようと試みた傑作
マダニやコクマルガラスが生きる環世界から、人間という種の内部─天文学者や物理学者などの違い─に存在する環世界についても論じられており、約100年前に書かれた本ながら根幹となる理論は現代にも問題なく通用するし、この理論を呈示したユクスキュル本人が猛烈な問題意識をもっていたためにこの時点で射程を広く取って問題を呈示しているのも素晴らしい
私としては、実はこの本を読む前に環世界という概念に触れたことはあって、それ以来自分なりに色々と考えてきたが、ユクスキュルも似た問題意識をもっていたことがこの本を読んでわかって感動した
客観性を重視する現代科学において、生物の主観的世界(=環世界)に着目して基礎理論を打ち立てたユクスキュルの功績は計り知れないものであり、現代に生きる私たちもそうした考え方をもちつつ生きていくのが良いのだろう
Posted by ブクログ
甲虫やチョウは野原をどう見ているか.行動は環世界あってのものと本書は唱える.生物の世界像を追って環境の世紀に先駆けた名著.
「岩波文庫」内容紹介より
「環世界」
人には人の見え方があるように、人以外の動物や昆虫にもそれぞれの見え方がある.
意味のないもののようにみえて、そうでないものもある.
意味のあるようにみえて、そうでないものもある.
世界は多様だ.
Posted by ブクログ
これは面白い。
生き物は皆、各々の環世界を生きている。
ーーーーーー
マダニ
酪酸を嗅覚で受信→飛びつく→温度感覚で温血動物に降り立ったことを知覚する→毛のない場所を触覚で見つける→頭から食い込んで吸血
環世界
知覚と作業の相互作用
概念、システム
動物を主体とみなすか客体(機械)とみなすか
生物学者と生理学者
三半規管→その主体にとっての三次元空間を作る、コンパスの役割
→世界は一つではなく、生物毎に座標系が存在する
昆虫や魚の帰巣本能
時間軸すらも、生き物毎に異なる。
カタツムリは自分自身がノロマだとは思っておらず、そもそも時の流れが早い(フレームレートが荒い)
目的があるとみなすのは人間のバイアス
ただし実際に目的に適った行動が自然設計に組み込まれている。環世界、知覚標識がデザインされる。
→ガはコウモリが発する高音だけを聞き取る。保護色の模様のガはその場で止まり、派手模様なガは逃げる。
本能は、個体を超えた自然の設計というものを否定するために持ち出される窮余の産物に過ぎない
生き物はそれぞれ独自の環世界という主観的現実世界を生きる。
客観的現実世界ではない。
Posted by ブクログ
とても面白かったです。日本語の翻訳も秀逸で読みやすかったです。本書は、それぞれの生き物が固有の環世界を持っていること、また同じ種(例:人間)の中でも環世界は異なっているのだ、ということを、ダニや犬、昆虫、鳥、魚など様々な生き物を例示しながら説明しています。
本書は哲学書的な意味合いもある一方で、様々な生き物の生態についてイラスト付きで解説していて、NHKの「ダーウィンが来た!」のような面白さもあります(イラストが素晴らしい)。哲学的という意味では、マルクス・ガブリエル氏の新実在論との共通点を感じました。ガブリエル氏は「唯一無二の世界は存在しない」とし、同じ場所にいても各人それぞれにとっての「意味の場」が存在すると述べていますが、まさにそれを生物大で述べているのが本書ではないでしょうか。
私は本書を読んでいて2つの関心がわいてきました。1つ目は、「AI(人工知能)は環世界を持つのか否か」です。2024年時点のAIは、言葉や画像を多次元空間のベクトルデータとして把握しています。人間では理解できないAという言葉とZという言葉の類似点もAIは見つけている可能性があります。まるでAI独自の環世界があるかのようですが、ここは大きな論点でしょう。
2つ目は、「AIが人間を分析することで、人間の環世界が明らかになっていくのではないか」という点です。例えば人間は赤外線や紫外線を見ることができませんが、AIを搭載したカメラはそれらを認識できるはずです。そのほかにも、人間は識別できないがAIには識別できることがあるとしたら、人間の環世界というものがAIという外部の力を借りることでより明らかになってくるのではないか、と思うわけです。「環世界(Umwelt)」、とても大事なキーワードだと思います。
Posted by ブクログ
物の見え方(空間把握)だけでなく、時間という感覚すらも生物(主体)によって異なる。そんなことを、教えてくれる本。生態学の本だけど、哲学的な本でもある。
Posted by ブクログ
生物(主体)は自分が持つ感覚器で世界を捉え、作用器で世界を変化させる。外界の物体(客体)は生物からの作用によって変化させられ、その結果生物に与える作用を変化させる。この環状構造を環世界と呼び、全ての生物がそれぞれ固有の環世界を持っているという。
感覚器の空間方向の分解能(例えば視力)によって世界の捉え方が変わるのはイメージしやすいが、時間方向の分解能(人間は1/18秒)によって時間の捉え方が変わるというのは面白かった。我々は自分の感覚器で感じられる世界を"実世界"と捉えがちだが、それはあくまで人間の感覚器が受け取れる側面で切り取られた世界である。普段1人の人間として主観的にしか捉えていない世界を、メタ的に「それは人間の感じる世界でしかなく、真の自然は永遠に捉えることができたない」と教えてくれるのは、とても知的好奇心をくすぐられた。
本の読みやすさに関しては序盤に知らない言葉が多く出てきて戸惑ったが、その後に具体例で説明をしてくれるので、きちんと読めば理解できると思う。本文を通しての主張は基本的に同じで、様々な例が挙げられているという感じ。エーテル波という概念が例の中によく用いられており、時代を感じた。
Posted by ブクログ
「環世界」という概念を学ぶことができました。
生物ごとに見ている世界は違う、というのはわかっていますが、見えている範囲(近くしている範囲)やその認知の仕方など含めて大きく違うことを知ることができました。
そして、やはり生物においては、身体性を抜きにして世界を認知することはできないことを学びました。つまり、世界の在り様を認知しているのではなく、個の身体に対する影響度として世界を認知しているというのは面白く、納得感のある本でした。
Posted by ブクログ
面白かったです。
イヌやハエの世界の見え方と人間の見え方は異なるというのが「環世界」の概念。
ダニに至っては三つの知覚標識と作用標識しかないという。
難しい専門用語は分からないけど、ネコが獲物を咥えていると歯が隠れて戦闘能力を失うので、コクマルガラスの攻撃対象になるとか、猛禽の巣と狩場の間に中立地点がかり、そこではいっさい獲物を襲わないなど、環世界で起こるエピソードがひとつひとつ面白かった。
Posted by ブクログ
久しぶりの岩波文庫の青本!
あらゆる生き物には、そのそれぞれが主体となって知覚し、行為する「環世界」がある。
特に「なじみの道」の章はとっても腑に落ちた。
難しい部分もあって、すっかり理解できたとは言えないけど、楽しかった。脳がほぐれた気分です。
Posted by ブクログ
難解な部分もあったがおもしろかった!環世界の概念の理解が深まった、と自分では思ってるけどどうかな。
いい研究者が謙虚な理由が少しわかった気がする。思い込みから抜け出すことの大切さと難しさ。やっぱり進化の話はぞくぞくしておもしろい!
Posted by ブクログ
環世界。生き物によって同じ世界が全く違って見える。結びには、人間一人ひとりも同様に同じ世界を違う捉え方をしているとある。
本当にその通りだと思う。
別の生き物は人間と違う見方をしている。人間の中でも、自分の常識は他人の非常識。それを前提として理解しておくことで穏やかに生きていける。
Posted by ブクログ
生物を学習する上で古典的名著であると聞き手に取って読んだ。
「環世界」という、客観的に世界を捉えるだけでなく主体に依存する世界の捉え方を、具体的な事例とともに解説している書籍である。
文体に癖があり読みづらい部分(特に前半)があるが、今では生態学、動物行動学では当たり前に考えている観点が最初どのように出てきたのか含めて、勉強になった。
また、この文庫の訳者がこの本に最初に出会ったのが戦時中の学徒動員の中というエピソードを聞いて、改めて時代を感じた。
Posted by ブクログ
一風変わった性格の子どもだったので、環世界というものの見方で一人遊びをしていた記憶があります。
虫に対しても動物に対しても人に対しても、私主体にならないようにできる限り虫、動物、他人目線になるように集中して大真面目に取り組んだ覚えがあります笑
その頃にユクスキュルの本に出会っていれば、もっともっと楽しめただろうなと惜しい気持ちです。
どの章も面白いが、特に好きな章は「なじみの道」。
その章までに読んだことを踏まえると、盲導犬の素晴らしさがよくわかります。
小さな生き物から大きな生き物まで、さまざまな生き物の環世界を感じることができて最後までずっと興味深く読めました。子どもには少し難しい表現もあるけれど、子どもたちにぜひ頑張って読んでもらいたいな。
Posted by ブクログ
友達と筋トレしてサウナ行って二郎食ってカフェでも行くかって時に本持ってなくて、本屋行って見つけた。ユクスキュルの「環世界論」が何冊かで引用されてて、大事そうだからいつか抑えよーって思ってたら目黒の有隣堂に置いてあって購入。『暇と退屈の倫理学』は覚えてるんだけど、他何で引用されてたっけかな。
人間は客観的世界という「環境」を常に想定していて、その中に全ての生物が詰め込まれていると考えている。しかし実際は、生物はその主体そのものに固有の「環世界」という主観的現実を生きていて、客観的対象は主体への刺激(厳密ではない)としてしか存在していない。(→主体が受け取れる刺激を発さないものは、環世界内に存在していないのと同じである。)
この概念が当時画期的で、哲学に応用されたっぽい。
主観/客観、認識/物自体、とかはまだ全然理解が浅いんだけど、とりあえず古典抑えて知ったかはできるようになった。
Posted by ブクログ
環境とは、何億何兆というそれぞれの主観的な世界の重なりってことか
動植物はもちろん人間同士でもそれは変わらない
学術的かつ翻訳のムズい単語が多くてちょい混乱もした
Posted by ブクログ
人と生物(動植物のことだが本書では主に動物)の関わりについての一考察。人と生物を比べる、あるいは生物の活動を解釈する際に、どうしても人の基準で見てしまう。すなわち、目で見て、耳で聞いて、鼻で嗅いで、舌で味う、など。しかし、よく知られているように犬の嗅覚は人の何万倍も鋭いのだから、感じ方や解釈の仕方が異なるはず。昆虫が複眼で見ている世界は色も見え方も違う。猫は目が見えなくなっても、髭さえあれば大抵のところは移動できる。イソギンチャクは触覚で動くものと動かないものを見分け、天敵のヒトデが近づくと防衛姿勢をとる。人間の世界も同様で、価値観を共有するもの同士、などという考え方は、甘いのかもしれない。
Posted by ブクログ
インターネットで「男女の世界の見え方の違い」というような画像を見たことがある。主には性的な視線の違いを面白おかしく誇張した内容だが、それ程おかしくもない、こんなものかなーという感じだった。人間は、目に入る世界に意味づけをして知覚する。∵を顔として見たり、飾り付けたケーキを美味しそうに感じたり、逆に牛や鶏そのものには食欲をそそられなかったり。生得的に意味付けされたものが、母親、危険な発色、異性などのシグナルだろうか。これが、人間と動物、昆虫で違う。実存世界や観念世界とも違う、環世界という、タイトルの生物から見た世界のことだ。
この環世界の見え方から、下等な生物は、単に知覚して反射的に運動する「動物機械」ではないか、という議論にまで発展する。私も虫と機械は違うのか、そんな事を感じた事があるので、よく分かる。ダンゴムシに心がある、と言われてもいまだにピンとこないままだ。
ー われわれは、ダニの知覚器官には知覚細胞があるはずでそれが知覚記号を送りだしているということを確認できればそれで十分であり、美食家の知覚器官についてもこれを想定している。ただし、ダニの知覚記号は酪酸の刺激を彼らの環世界の知覚標識に変えるが、美食家の知覚記号はその環世界でレーズンの刺激を知覚標識に変えるのである。
この知覚標識だが、生物により体感時間も異なるし、見た目だけじゃなくて、臭い、音、フェロモンなど多様だ。
ー 私が彼に短い梯子に登るようにというと、彼はこうたずねた。「支柱と隙間しか見えないけど、いったいどうすればいいんですか」。もう一人の黒人が彼の前で登ってみせたところ、彼はそれを難なくまねることができた。それ以来、彼にとって知覚的に与えられた「支柱と隙間」は登るというトーンをもつようになり、いつでも梯子と見なせるようになった。支柱と隙間という知覚像はみずからの行為という作用像によって補われ、これによってあらたな意味をもつようになった。そしてこれが新たな特性のように、行為のトーン、すなわち「作用トーン」の形であらわれたのである。この黒人の例からわかるように、われわれは自分の環世界の対象物でおこなうあらゆる行為について作用像を築きあげており、それを感覚器官から生じる知覚像と不可避的にしっかり結びつけるので、その対象物はその意味をわれわれに知らせる新たな特性を獲得する。これを簡単に作用トーンと呼ぶことにしょう。
宗教や教育、集団の価値観の解釈により、後天的に意味付けされ、記憶となり、人格や行動パターンが形成される。また、それを基にしてホルモンが分泌され、個々の性質、性格が生まれてくる。生物から見た世界が、逆に生物を規定する。どのような意識で何を見ようとしているのか。生きる上で、とても大事な事だと思う。
Posted by ブクログ
暇と退屈の倫理学の元ネタが載ってる。
環世界。
とても面白い視点。普通に生きてると、主観的な視点から全てのものを見てるという根本的なことを忘れがち。だから、相手も自分と同じように周りの世界を認知してると思ってしまうけど、少し引いて考えると全くそんなことはない。一つの客体をたくさんの主体が共有してるという考え方は生きるための方法論としてとても好き。
Posted by ブクログ
現代において思想的に新しいところはないんだけど、どちらかというとこの本によって僕らの常識が変えられた、という言い方の方が正しいんだろうな。
本書が厳しく批判する「動物機械論」はデカルトに端を発していると思うけど、今からすれば人間原理がすぎるよなぁ。動物をひとつの機構としてしまうなら、人間だって機械として見なせてしまうわけで(だから"魂"という発明が必要だったんだけど)。
ユクスキュルの引いた高等生物のラインは、刺激などに対して中枢部からの指図(フィードバック)があるかどうかなのかな。「犬が歩くときは、この動物が足を動かすが、ウニが歩くときは、その足がこの動物を動かす」とは分かりやすい比喩だ。
しかし現代において、中枢管理されたAIなんかはこの括りなんかだと高等生物になってしまうんじゃないだろうか?
あとサラッと「いまや生きた主体なしに時間はありえないと言わねばならないだろう」とか言えちゃうの先見の明がありすぎだな…。徹頭徹尾、あるがままの世界など私達には分からないという態度。ここらへんは僕もカントの勉強をしなきゃと思った一冊でした。
Posted by ブクログ
あらゆる生命は、それぞれの時間軸をもち、その多様な時間軸がたまたま歯車のように噛み合って世界が回っていると思っており、そのイメージからこの本を読み始めた。
すると、空間も時間も、まず先にあるものだと思っていたが、主体があってから始まるという話がかかれており、新鮮かつ腑に落ちるような話だった。
また、つい、種族の異なる生き物同士で考えてしまうが、人間同士でも既にそれぞれ持っている時間が違うことが、「なじみ」の道の概念で描かれている。
「環境世界」と「環世界」の微妙なニュアンスの違いも、著者の気にかけている点の一つ。
確かに、生物学を知る上で必読書となる1冊だった。
Posted by ブクログ
ビジネス書として読めました
生物ごとの物理的センサーの話と、人間のバイアスに共通点があるように感じます
認知の話もよかったです
視界には入っているのに、そのものが、自分のにとってのスキーマに当てはまらなければ、見えなくなる
いかに主観的な世界観で生きているのかという事
そうすると同じ人間であっても、視界に入るものは同じでも、その解釈に差が出るのは当然と言えましょう
その特性を踏まえて、コミュニケーションの際には、相手の視点を想像しながら臨みたいと思いました
Posted by ブクログ
まず生物のことを知りたい人がはじめに読む本ではない。流石に知識が古すぎる。しかし、認知科学・神経科学・進化心理学をざっくり知っていればユクスキュルの先見の明には驚かされるであろう。
また、科学と哲学が不可分だった頃の書物特有の語りも面白い。主体、客体、認識などのこだわり方はカントの本を生物学的に解釈している感覚に襲われる
Posted by ブクログ
「環世界」という聞き慣れない単語が主題である。かなり古い科学の本。
環世界というのは生物の知覚能力に従って、生物自身が知覚することにより理解できる環境のことである。主観的な環境とも言える。
一般的に環境という場合は物理的、物質的な環境、すなわち客観的な環境のことを指していて、環世界とは異なる。
当然、ゾウリムシのような単純な知覚能力しか持たない生物の環世界は単純である。
といったような話。
大切なのは、自分自身が知覚していると思っている環境とはあくまで自分自身の環世界でしかなく、鳥や昆虫など別の生物はまったく別の世界を知覚しているのだということを理解したうえで想像力を働かせることなのかなと思った。
Posted by ブクログ
僕は写真を撮る。写真撮影をやっていると、何を撮ったらよいものか、わからないという話を見聞きすることがある。写真撮影はカメラを構えてシャッターを切りさえすれば写真は撮れる。「何を撮れば?」その回答は「撮りたいものを撮れ」としか言いようがない。写真の内容そのものには主体性が必要ないから、写真撮影において“産みの苦しみ”的な悩みはありえないというのが、僕の考え。写真を撮る、という行為自体に主体性が存在するのだから、撮影者は、シャッターを切ることのみに専念すればいい。考えて撮る必要はない。シャッターを切りさえすれば写真撮影は可能だからだ。それでは良い写真を撮ることができないと反論を受けるかもしれないけれど、良い写真を撮るために考えてしまうから、誰が撮っても同じような写真ばかり目にすることになる。そのくせ、自分だけの写真を撮りたい、と悩み始めるのだから、呆れてしまう。主体性の喪失こそが近道であるのに。
“反射弓”とは、つまりシーケンサーなのね?
と僕なりの言葉、解釈に変換してみたら、納得できた。主体性をメインに据えて読み進めると、これまた、わかりやすかった。正直、僕には難しかったけれど、読み応えがあった。タイトルに釣られて手にした一冊だったけれど、硬質な本だった。僕の意識だけでは、気づかなかった世界へ、ひとつ、視点が増えたかな。