【感想・ネタバレ】橋本治と内田樹のレビュー

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Posted by ブクログ

ネタバレ

橋本治と内田樹の2004~2005年の対談本。「私的なところがなく」「自分のことなんかどうでもいいと思っている」(ただし自己犠牲的な意味では全くなくて)とにかく天才としかいいようのない橋本治の魅力が浮き上がる内容になっている。早世といってもいい年齢での逝去が惜しい。

興味深い対話がたくさんあったが、今読んで特筆だなぁと思うのは、能力を必要とする「参考にする」という行為がだんだんできなくなり「参加」するしかなくなってきて、「全員参加型社会になる」という兆しを指摘している点。15年後のいま、まさに参加する/しないの二択しかないかのような世の中になっているが、中間である縁側を設けてそこに身を置き、ひととの距離を置いてひとを参考にしてひととの関係を深める、そんなありかたへの回帰の必要性に気づかされる。

多神教と神仏混淆に対する解釈も目鱗である。

P48 (橋本)「橋本さんの小説ってえが見えるんですよね」とか言われて、「おうやった!」とかって思って。そうしたらそういう言い方してくれる人ってビジュアルの仕事してる人だけだったんです。(内田)そうなんですか。僕は橋本さんの書いたものではむしろ音が好きですけどね。ものすごく音響的に非常に響きがいいんですよ。

P61 (内田)1950年代ってなんかね、まだ江戸時代の尻尾を引きずっているような感じだったじゃないですか。

P69 (内田)僕は橋本さんのその能力が多分ものすごく貴重な部分だと思いますね。歴史的に過去にも拡大して行けるけれど、多分同時代でも、水平方向に、性別とか年齢とか職業とか関係なしに、想像力で体感を追体験できる。

P78(橋本)アルバート・フィニーの時代って、男に天然が入ってるじゃないですか、エキスみたいな。[中略]今の人ってみんなそう(人工的)なんですよね。男も女も。だから、何かしない限り、その人工から脱せられないというのがあるんじゃな
いかなあ。だからえぐい役やりたがるっていうのがあって。

P89(内田)世の中というのは、向こうから「おいでおいで」って言ってこなきゃ入れないもんなんだから。誰かがどこかで「おいでおいで」してるから、それを探しなよっていうんです。(橋本)「入れて」って言って「だーめ」って言われるっていう経験を積んで、何回か後に「いいよ」っていう「承認を得る」っていう経験をしてない子はなんか人間関係が根本でダメですね。(内田)共同体というのは向こうからしかドアが開かない。どうやって開けてもらうかそれを考えなよっていうんですけれど。

P104 (橋本)技術ってある程度のところに行くと余分なことをしたくなるものだっていうことをわかってない人ってとっても多いですよね。[中略]でもできない人って「その余分は要らないから基本だけ教えてください」っていうんだけど、それは絶対に技術と結びつかない。余分という開花のしかたをしないから、決して幸福にならないんですよ。

P121 (内田)先生っていうのはね「君は才能があるよ。それはみんな気が付いてないけど」っていう、一種あれですよね、愛の告白と同じで。[中略]「この人だけしか、わたしの本当のいいところを知ってる人はいない」って思わせるのが先生の大切な仕事ですよね。(橋本)先生ってそういう意味で愛人じゃないから、「あなたの本当のいいところを私だけが知っているのよ」っていうことを、わからないようにいうんですよね。だから言われたほうはね「本当かな、嘘かな」って怯えてね、それで勉強するようになるっていう。

P124(橋本)こっちの体力から言ってもね、そんなにすべての人の中に潜り込んでその人のいいことを発見するってことはできないですよ。それはその人を好きになることなんで。嫌いになったまんまでいたい奴っているんだもん。

P156(橋本)「時代遅れになっている。けど当人は一向に気にしていない」みたいな。あ、それは素敵(笑)と思って。

P158(橋本)カミソリの小技はないんだけど、ナタ振り回して円空仏みたいのを作れるような、大技と小技の区別がないみたいな、そういう感じというのは年寄りになるとあるなぁと思いましたね。

P188(内田)橋本さんてすごくパブリックな人だっていう話をしたじゃないですか。基本的にあんまり「私的なところ」がないんですよね、橋本さんて。

P219(内田)ボランティアとか介護したいとか、スクールカウンセラーになりたいとか、その子たちの体が動いてないんです。動くんじゃなくて、まず観念があって...(橋本)あんたにその能力あるの?というそこから始まらなきゃいけないんです。役に立ちたいとしても役に立てないんです。(近所のうちで鳥にハコベを食わせるという話を聞いて)一生懸命摘んで「はい」って渡したんです。そのときに、「どうもありがとう」と言われたことが、すごくうれしかった。道ばたでハコベが咲いているのを見ると、柔らかくて鳥が好きなんだなと摘んで、自分の手で握り締めてて茎が萎れてた感じまで思い出すんです。

P228 (橋本)俺はパブリックな人だから自分の仕事の範囲は責任をもってやるけど、それ以外は他人の仕事で他人がやるもんだと思ってる。他人を信用してそこをやらないでいるというのがパブリックでしょう、と。

P241(橋本)偉い人は意地を張ってでも偉くなくちゃ駄目。[中略]なんか若い人に色目を使う年寄りって嫌じゃないですか。若い人に慕われてもピンとこない年寄りのほうが素敵でしょう。

P259(橋本)参考にするということができないから、参加するしかなくなってしまったんですね。(内田)「全員参加型の社会」ですか。(橋本)参考にするためにはある種の器用さみたいなのがなくちゃいけないし、上手な人のを見ながら自分もうまくなってみたいなことがあったけれども、参加というのは行くだけでしょう。「私には参加をする権利がある」と言ってしまえば、そういう、うまくなるもへったくれもないじゃないですか。

P283(橋本)戦うと戦うほうも戦われたほうもみんな傷つくじゃないですか。本当に戦う力があったら、モノを作っていけばいいのに。

P285(橋本)モーゼが杖をかざせば紅海が2つに割れるというのはあるけれど、そういう時代ではどんどんなくなって来てる。今は小さな人たちが何か能力を持っていなくちゃいけないんだけど、その能力の使い方を間違えているから、プライドだけ高くなって、統合障害になるみたいな方向に行くだけの話。やっぱり参加じゃなくて、何かを参考にしなきゃいけないんですよね。それで、参考にする以上、縁側なないと困るという、そういうものだと思う。人と人との間に微妙な距離を置かない限り、人との関係は深まらない。

P298(橋本)わたしは批評が要らないんです。ちゃんと紹介してくれれば。ちゃんとした紹介が最大の批評だと思ってるんです。「私がこう読みましたというのが紹介になっているけれども、それじゃ感想文じゃん。「これはこういう本だから読むべきです」というのがちゃんとした紹介文なんです。

P310(内田)使えるストックって「おや、こんなところにこんなものが。いやこれはラッキー、なぜか今しているこの仕事にぴったりだわ」というものですからね。
(橋本)わかるのは具体的なことだけで、わかったら一度忘れるんです。膨大な具体的なものでも「こうなのか、こうなのか、」と飲み込んでいったらすとんすとんと入っていって、その時に忘れていくんです。忘れたことによって自分の中で一変発酵して、「結局はこんなんだ」というわかり方をするんですけれども。

P314(橋本)拾えるものは拾えるのになんでいきなり(宗教に)救いを求めるんだよっていう。(内田)救いってよくないですよね。(橋本)貧乏ったらしいよね。

P315(橋本)「(古事記の最初は)結局自分の必要なものに一つずつ神様というものを存在させていく。そこのところがとても感動的だったんです。「初めに光があった」とかというんじゃないんですよ。[中略]でも一つだけ欠けているものは何かというと、「自分自身に対応する神」なんですよね。自分が病気になったときに助けてくれる神様がいないんですよ。病気を起こす神様はいるけれども。そうすると仏教は薬師如来が対応してくれるんです。人に対応する神が外国からやってきたから、地域共同体という前近代の中に近代がすっぽり入るという形で神仏混淆は起こるんだと。

P319(橋本)(アメリカに)王様がいないということと吸血鬼がいないということは同じですね。[中略]もう状況的にアメリカが馬鹿だみたいなところになっちゃってるけど、アメリカってかわいそうなんです。ものがなさ過ぎて。

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2020年05月10日

Posted by ブクログ

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大好きな橋本治と、最近興味を持った内田樹の対談集ということで読んでみました。

橋本治が自信を持ってあちこち話題が飛ぶのを、内田樹が常識でつなぎとめようという感じの対談でした。

たとえば、橋本治は桃尻娘を書くときに、

  俺が知っている十二年分、彼女が知らないんだな。そういう引き算をしちゃったんです。

と、主人公のキャラクターのパーソナリティの作り方を明かすと、内田樹が、

  先生は誰でもそういうことができると思ってるんでしょ。引き算が。あえてしないんじゃないんです。「できない」んですよ。引き算なんて。

と応じてみせる。うん。全般そんな感じのやり取りが続く本です。

★★★

また、内田樹が自身のブログの敷居が高いと言われたけど、敷居の下げ方が分からないとこぼすと、インターネットをしていない橋本治が、

  簡単ですよ。書き手の個性をもろ出しにしてしまえば、敷居は低くなるんですよ。テヘッとか、入れるとか。

  (snip)

  普通に書くということが、偉そうであるということに、もうなってしまったんですよね。

この回答が内田樹の役に立ったかどうかは分からないけど。ww

★★★

あと、これは大切だって思って思わずツイートしてしまったのだけれど、

  内田 壊すのは簡単なんですよ。物を壊すのって。作るのは壊す百倍くらい手間がかかるから。
  橋本 でも何かを作ると、ちゃんと壊れるんですよ。最大の破壊は建設なりと思っていますから。
  内田 すごい、これは名言! そうか、そういうことを考えるんだ。
  橋本 だって新しいものがあって、古いものあったら、もういらないな、となって、古いものって完全に捨てるじゃないですか。中途半端な捨て方は、捨ててないんですよ。破壊なんかされると、破壊しちゃったけれど、ちょっと惜しかったんじゃない? といわれますから。
  内田 ほんとうにそうですね。批判なんか、あまりしても意味がないんですよね。批判するくらいなら、批判されているものよりもいいものをこっちで作っていれば、自然に不用品は捨てられちゃうんだし。


ということで、おもしろいですよ。おすすめ。

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2012年05月01日

Posted by ブクログ

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本にマーカー引きすぎてえらいことになっている。
それくらい「そうだよな!」とか「そうだったのか!」が詰まっている。

身体知は大事。
水泳ばかりやってたら水泳に有利な身体になるように、
文句ばっかり言ってたら文句を言うのに有利な身体になる。
この前読んだ「ミラーニューロン」も、
人間が形から変化することを証明しているのではないかな。

特に唯物論的なことを言いたいのではない。
心というものはあると思う。
愛とか勇気とかと同じくらいには。

愛とか勇気とか国家とか常識とか、
それらすべては共同幻想だから、
なんとなく皆が「在る」と思っているものは「在る」ことになっている。
その方がこのよくわからん世界を生きるために都合がよろしいのだろう。

幽霊もそう。
天皇もそう。
天皇が万系一世というのも実際にそうである必要はなくて、
そういう物語が共有されているというのが大切。
その方が上手く社会が廻る。
少なくとも今までは廻ってきたわけであるからね。


以下、
興味のあった話題を羅列。

・文明化された都市で残された自然は身体である。
とするとピアッシングやタトゥーは身体の文明化になる。

・「、」と「・・・」の違い、タメの表現。

・タフネスの理由は幸福な思い出にある。

・「義務教育」を「教育を受ける義務がある」と思っている学生が多い。
「オレ様化する」のは無時間モデルの消費者思考だから、
少ない労力(授業に出ない・聞かない)で、
どれだけ利益(単位・点数・学歴)を得るかに執心する(コスパ)。
とりあえずクレームつける、とかは典型的な「賢い消費者」の行動だろうな。

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2012年02月22日

Posted by ブクログ

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天才橋本治について、内田センセイが尋常ならざる興味を持って切り込んでいく、という体の対談。したがってこのタイトルはちょっとヘンだな、と思う。内田樹ミーツ橋本治なのである。どちらも世の常識からすると相当ヘンな人なのだが、やはり橋本治という人はどこか超越してしまっているような風格がある。人を食ったような、でもこれ天然なのかな?とかよくわからない。それでいてその言葉がしばしば本質を鋭く突いているように感じるから始末が悪い。データで説得しない説得力の最たるものではないだろうか。

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2013年08月28日

Posted by ブクログ

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読む人を選ぶ本である。五十歳代の男性なら、共感できるところが多いだろう。対談集だが、どちらかと言えば、橋本治が主で、内田樹が控えに回っているところが面白い。内田樹といえば、今や飛ぶ鳥を落とす勢いで、次々と本を出しまくっている超売れっ子である。

一方、橋本治はといえば、「背中の銀杏が泣いている。止めてくれるなおっかさん。」のポスターで売り出したことを知っている人が今どれだけいるだろうか。それよりも、『桃尻娘』や、その桃尻語で訳した『枕草子』に始まる日本の古典の現代語訳シリーズのほうが今では有名かも知れない。美術、歌舞伎にも造詣が深いマルチ・タレントとして異彩を放つ。

ではあるが、橋本の本はまともに書評されたことがないのだそうな。「小説現代」でデビューした橋本は文芸二に属していて、「文学界」や「群像」のような所謂文芸一との間には、一本の線が引かれているらしく、文二のほうは中間小説と呼ばれ、文一の「純文学」とは同じ扱いをされないのだという。この文一、文二という分類の仕方が可笑しい(橋本と内田はともに東大卒)。

ジャンルを軽々と飛び越え、編み物の本も書けば、ちくまプリマー新書(このシリーズを企画したのも橋本)のように教科書風の本も書くという橋本のような書き手は、批評家としても批評しにくい相手にちがいない。そういう意味では、この対談集は内田による「橋本治」解剖という狙いがあるのではないだろうか。そう考えると、誰にでも喧嘩を売ると豪語する内田のここでの低姿勢ぶりが理解できる。

実際、東大の先輩にあたる橋本に対し、内田は以前から秘かに尊敬の念をあたためていたらしい。評者などは読んだこともない「アストロモモンガ」だとか「シネマほらセット」などというばかげたタイトルの本や「デビッド100コラム」や「ロバート本」などという巫山戯たものまで読破しているらしい。頒価が1100円だったところから『ナポレオン・ソロ』を洒落てみたというが、分かる人がどれだけいたことか。

『窯変源氏物語』九千枚を書く中で、夕霧中将が漢詩を書くのだが、紫式部も実際の漢詩までは書いていないのを平仄から勉強して漢詩を作ってしまったというから、橋本治、並みの凝り性ではない。また、それをごく自然にやってしまうというあたりにずば抜けた才能を感じるのだが、評者などから見れば対談相手の内田樹もそんじょそこらのインテリとは頭の良さがちがうと常々感じていたのに、橋本相手だと内田がただの優等生にしか見えないほど、橋本のパーソナリティはブッ飛んでいる。

橋本の放つ言葉に、「はあはあ」とか「ふーむ」と返事をするばかりの内田に、ファンはいつもとちがう焦れったさを感じてしまうにちがいない。「ひさしを貸して母屋を取られる。」ということわざがあるが、今売り出しの内田センセイが、どこかの知らないご隠居に説教されているような雰囲気が濃厚なのである。

しかし、そこは賢明な内田センセイのことだ。はじめから、そういう狙いでこの対談を受けたにちがいない。素晴らしい才能が世間にまともに評価されていないことに業を煮やし、自らヨイショに出たのだろう。狙いは当たったのではないか。ヨイショに気をよくしたわけでもないだろうが橋本治が結構素顔を見せている。

啓蒙家的な素質を持つ橋本治と大学教授でもある内田樹の対談である。若者や教育について卓見が光る。また、身体論、古典芸能への傾倒ぶりもある年齢を迎えた読者には興趣が深いものがある。喫茶店の隅で、煙草でも吸いながら、頭のいい二人の話を聞いているようで実に愉しい。特に近頃どこでも肩身の狭い思いをしている愛煙家にはお薦め。溜飲の下がる思いのすることうけあいである。

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2013年03月06日

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