あらすじ
著者青春の苦悩をリアルに描いた大作、完結。
高校三年に進学し、同級生たちが進路に悩むなか、津島サトルは音楽家としての自分の才能に見切りをつけようとしていた。その頃、南枝里子は人生をかけた決断を下す。
青春のすべてをかけてきた恋人と音楽とを失い、自暴自棄になったサトルは、思いもしない言葉で大切な人を傷つけてしまう。サトルは、人間の力ではどうにもならないことに向かって泣いた。
自らの人生を背負い、それぞれの想いを楽器に込めて演奏する合奏協奏曲。これが最後の演奏となってしまうのか? そしてそこへ現れたのは――!?
サトルの船は、青春を彩るニーチェの言葉とともに、大海へと漕ぎ出る。
すべてを飲み込み、切なく美しく響く青春音楽小説三部作、最終章。
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
私立高校の音楽科に通う男の子の物語
以下、公式のあらすじ
---------------------
青春の苦悩をリアルに描いた大作、完結
高校三年に進学し、同級生たちが進路に悩むなか、津島サトルは音楽家としての自分の才能に見切りをつけようとしていた。その頃、南枝里子は人生をかけた決断を下す。
青春のすべてをかけてきた恋人と音楽とを失い、自暴自棄になったサトルは、思いもしない言葉で大切な人を傷つけてしまう。サトルは、人間の力ではどうにもならないことに向かって泣いた。
自らの人生を背負い、それぞれの想いを楽器に込めて演奏する合奏協奏曲。これが最後の演奏となってしまうのか? そしてそこへ現れたのは――!?
サトルの船は、青春を彩るニーチェの言葉とともに、大海へと漕ぎ出る。
すべてを飲み込み、切なく美しく響く青春音楽小説三部作、最終章。
巻末に、宮下奈都さんによる解説を収録。
---------------------
音楽一家の金持ちのボンボンで、チェリストを目指していたが芸高に落ち、失意のまま祖父が創設者である新生学園大学付属高校に入学した津島サトル
フルートの名手で美少年の伊藤慧
ポニーテイルで気さくな関係を築いているヴァイオリニストの鮎川千佳
努力家のヴァイオリニストでサトルと良きライバルでもあり恋人のような関係性になる南枝里子
サトルの副科でピアノを教える北島先生
大人になってからの回顧録という形式で綴られている
そのアドバイスから察するに、チェリストか、少なくとも音楽に携わる立場から書いているのかと思いきや、最後まで読むと「そうなってしまったのかー」という若干の残念さを感じる
わかりもしないのにニーチェなどの哲学書を読み、自分が特別で他の人とは違うという傲慢さを持つあたり、中二病にどっぷりと漬かっている
1巻の解説で、津島という名字は太宰治の本名と同じという指摘で、もしかしたら碌な将来を送っていないのでは?という疑問を持つ
実際、その恵まれた環境の自覚と、それに付随する挫折は高校2年生の頃に訪れるわけだけれどもね
ドイツのハイデルベルグで二か月間のチェロ留学という機会
これさえなければなー…… とは想うけど、サトルはいずれこんな事になってたような気もする
ただ、南さんの行動にも個人的には納得いかないものがある
詳しくは語られていないけれども、それなりの関係性を築いていたからこその選択なのではとも思う
その事実を知ったショックによる自暴自棄な八つ当たりとしての金窪先生への問い
「何故人を殺してはいけないのか?」
結局は自分が折れてその場を治めたと思っていたけれども、先生の態度に嘲りを感じ、結果として先生を退職に陥れるという暴挙
そんな事をしても何もならないのにねぇ
後は転がるように自尊心が剥がれ落ち、結果として音楽を辞める事になる
入学時は芸高に落ちたというコンプレックスもありながら、1年生にして学内で一番のチェリストという自負もあったのに
様々なものが壊れ、手にしていたものがこぼれ落ちていき、せっかく得た大切な人を失い、謝罪をしても許される事のない傷を自ら追う
後の人生を見るに、そんなに幸福には思えないように書かれている
まぁ回顧録として書かれてあるので、実際どうかはわからないけどね
1巻の解説で太宰治に触れていた事は、全部読み終わって納得した
それにしても、本屋大賞のノミネート作はちょいちょい音楽関係の作品が選ばれるけど、個人的には音楽に詳しくないので、いまいち入り込めない
知っている人にとってはリアルなんだろうけどね……
音楽の世界で必要な才能、努力、環境など元々狭き門なのにそこに挑むにも様々な求められる条件があるのがわかる
ただ、これは音楽の世界に限らず、世の中にはそれを生業にするには狭き門というのがそこかしこにある
その苦悩と挫折に関しては理解できる
私自身だったら、研究という世界で生きているのは自分には無理だなと自覚したし
そもそも、そこまでの意欲があったわけでもないし
作中でいうその他大勢の生徒のようなものだったからなぁ
タイトルの由来は、ニーチェの哲学書を金窪先生が訳してくれた一節から
今いる現実から目をそらさず、努力し続けろというメッセージなのだろうな
そこに希望がある
先生の授業で、哲学とは善く生きる事について考える事としていたように
どんな人生であれ、自分の人生に向き合う姿勢はいくつになっても必要
音楽に関してはよくわからないし、サトルに共感するようなところもそんなにない
だけど、タイトルの意味を知るところは良かったなぁと思う
Posted by ブクログ
これは、音楽の小説というより哲学の小説だった。第1巻を読んでいるときは、音楽がテーマの十代くらいが対象のほのぼの青春小説だと思っていたが、いえいえ、私のように大人になってから何年も過ぎた者の胸にずっしりくる作品だった。
主人公のサトルは通っている音楽高校で一年生の時には「学校で一番チェロが上手い」と言われていたが、二年生のある時の事件を境に、チェロを弾くことが楽しくなくなってしまった。そしてまた、自分には思っていたほど才能がなかったことを悟り、「チェロを辞める」ことを決心する。サトルはプライドの高い人間なので、チェロを続けるかぎりはソリストや有名なオーケストラのチェリストにならなければ意味がないとその時は思っていたのだ。
決意を伝えた周りの大人のなかで、一番理解があったのは、サトルがチェリストになるように先回りして線路をひいてきた、新生学園大学学長でもある、お祖父様だった。「食うために腕を上げていった芸術家が一番好きだ。モーツァルトはどうして山のように名曲を残していると思う。いい曲を仕上げなきゃ、次の注文が来なかったからさ。精一杯いいものを書かなきゃならなかったんだ、生活のために。……芸術は芸術家が気ままに作ったもんなんかじゃないんだ。家賃のために、お上の機嫌をそこねないために、次の仕事に困らないように、切羽詰って作られたんだ。しかもそんな苦労は、ほらこの音楽からはこれっぽっちも聴こえてこやしねえ。」と音楽を辞めたところでその何倍も苦労するであろうサトルに花向けの言葉を送った。サトルはお金だけではなく、家族の愛情にも恵まれていた。
上の音大(新生学園大学)には進まず、普通大学を受験すると決めても、高校卒業までの音楽活動は全うする。文化祭での三年生ばかりの小編成オーケストラなど、団結して練習、演奏する中で、一年生の時からの音楽科での友情を再確認する。
その中で、再び現れた南枝里子(サトルの元恋人でサトルが二年生の時、留学から帰ったあと、突然退学してしまった)は、サトルへの手紙の中で、望まない妊娠、結婚をしてしまったが生まれてくる赤ちゃんが幸せでいるために、いまの家族への愛情を一番大切にしているということを書いてきた。
枝里子も数カ月の間に大人になってしまったのだ。そして枝里子は枝里子の道徳によって生きていた。
この小説の1巻で、「合奏は皆でお互いの音を聞き、一つの音楽を作り上げる音楽だが、協奏は一人一人のソリストが相手より前に出ようと競いあう演奏だ。」というようなことが書かれていた。ではこの「合奏協奏曲」という副題がついているこの三巻は、調和しながらも各ソリストが個性を出して凌ぎあう演奏ということなのか。それが、ニーチェの「道徳の地球にも、その正反対に立っている人がいる!」という言葉に通じるということなのか。 ニーチェは私には難しいのだが、音楽の世界と哲学と青春と人生を結び付け、それを繊細なサトルに語らせた重厚感のある魅力的な小説だった。
Posted by ブクログ
日出処の天子を思い出しながら読んでしまったよ伊藤慧くん…
哲学の先生も人間味溢れる先生で非常に良かった。
音楽と青春と恋愛と友情と、夢と自意識と現実と挫折と、永遠の問い。
永遠に揺られ続ける終着点を見出せない全ての人のための物語。
Posted by ブクログ
完結編。
だが、何かがスッキリと解決したわけでもないのだ。
「船に乗れ!」
誰かからそう叱咤されなくても、誰もが人生という船に乗って、いや、乗せられているのではないか。
そして、現在の、これを書いている津島サトルは、
「船に乗ることは乗っているのです。でも僕は、櫂を無くしてしまった」
そう言っているようだ。
くたびれた大人になった、津島はしかし、高校の三年間を眩しそうに目を細めて見ている。
書き切ったところで、告白を終えたところで、少しもすっきりしないと言っているが、彼は音楽と和解しつつある。
ひとつ。
私は、南枝里子という女が許しがたい。
誰もが悩み、思い通りにならない人生にどこかで折り合いをつけて行く中で、この人物だけは、やりたいことをやり切って、自分の価値観の狭い世界の中で「正しい者」になったような顔で退場して行ったのだ。
しかも、イタチの最後っ屁みたいに、「サトルくんがみんな壊した」とか言って。
最終章の解説は、私の好きな作家の一人である、宮下奈都さんだ。
しかし、そこで「サトルはいけすかない」と書かれていて、ちょっと目が覚めた気分になった。
そうか、いけすかないやつだったのか…
そういえば、最初のほうで少しそう感じたかもしれないが、自分にはほとんどその思いが無かった。
ほとんどサトルを息子のように思って読んでいたのかもしれない。
バカな子ほど可愛い。
音楽に挫折しようが、会社を四回辞めようが、生きていてくれればいいのだ。
南に嫌悪感しか感じないのは、可愛い息子を苦しめ抜いたからだろう。
しかし、サトルがダメ人間の方に属している事くらいはわかる。
でも、もう一度言う。
サトルは音楽と和解しつつあるのだ。
そして、人生は良くも悪くもない、そんなものだ。
Posted by ブクログ
青春特有の、何者にもなれるという期待と、結局何にもなれない現実。
平凡な大人になったサトルの過去の回想。
どこまでも肥大した自意識が痛い。
もっと楽に生きられるのに…
サトルは音楽に対して真摯で、誠実だった。
南は強く、
千佳は思いやりに溢れ、
伊藤くんは潔い。
ブランデンブルグ協奏曲が、ジュピターが聴こえてくる。
音楽が輝きを与え、哲学が深みを与え、この作品を力強く、美しい青春小説にしている✨
私たちもまた、船に乗っているのだろうか…
Posted by ブクログ
音楽学校を出て音楽家になるのは一握り。
これを一般の人はどれだけ知っているだろうか。
普通の音大だけではなく芸大や桐朋の一流でもある話です。
この本のテーマはブランデンの5番。
演奏会って一期一会なのでそういうのもありかなと思う。
逆に譜面は一生残るのでサトルに届いた譜面は今でもあるでしょう。
最後に「船に乗れ!」の題名の理由が出てきます。
「音楽は趣味の方が良いのよ、一生続けられる趣味よ」
「仕事にしないほうがいいのよ、楽しめないから」
と昔自分の師匠が言った言葉をこの本を読んで思い出しました。
Posted by ブクログ
向き合うことも、認めることも、許すことも、
今はできないかもしれない。
(以下抜粋)
○僕には先生の言葉より、その前の一瞬の沈黙のほうがはるかに重要だった。(P.20)
○僕に限らず、自分が懸命にやっていたことを、新参者がさらに器用に、そして熱心にやっているのをまのあたりにすれば、ショックを受け、無力感を覚えることは誰にでもあることだ。(P.37)
○「オーケストラに出られないんですか、って訊いたんです」(P.45)
○本当になりたいものになるには、僕はあまりに不徹底で、卑怯だ。なまけもので才能のかけもない、情けない人間なんだ。(P.153)
Posted by ブクログ
高三の秋。サトルはチェロを辞めることを決意する。
これだけ音楽の美しさと喜びを知っている人が音楽から離れられるのかとも思うが、十八歳の主人公には0か100かの答えしかなかったのかも。
ミニコンに南を参加させたことは理解できないけれど、妊娠発覚後から彼女がとった行動はとうてい高校二年生の女子ができるものではないので強い人だと思う。
祖父、佐伯先生、脇を固める人が良かった。そして金窪先生との再会。タイトルは先生がくれたニーチェの言葉から。
分かってはいたけれど、主人公がさえない中年になっていたことを少なからず残念に思う気持ちがあったのは、それが甚だしく現実的だったからに他ならない。
ポプラ文庫版ではサトルと伊藤の27年後を描いた短編が収録されていたみたいだけれど、小学館文庫にはなかった...