あらすじ
なぜみずから屈し圧政を支えるのか。圧制は、支配される側の自発的な隷従によって永続する――支配・被支配構造の本質を喝破した古典的名著。シモーヌ・ヴェイユが本作と重ねて20世紀の全体主義について論じた小論を併録する。
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Posted by ブクログ
西谷修氏の解説『不易の書『自発的隷従論』について』の中に「一人の支配者は独力でその支配を維持しているのではない。一者のまわりには何人かの追従者がおり、かれらは支配者に気に入られることで圧政に与り、その体制のなかで地位を確保しながら圧政のおこぼれでみずからの利益を得ている。そのためにかれらはすすんで圧政を支える。」とある。これは、中国や北朝鮮や日本など国家だけでなく、企業や各種団体などあらゆる集団に当てはまる。多くの人が自分は他者より利益を得ていると感じるから隷従に甘んじているのだろうか。目を覚まさないと。
Posted by ブクログ
とても色々なことを考えさせられる刺激的な本だった。読むことができて大変良かったと思う。
この本はとても素朴な疑問から出発している。なぜ何百人、何万人もの民衆が、数の上では圧倒的に有利なのにも関わらず、たった1人の圧政者に従うのか。
著者はその疑問を考察していき、本来自由なはずの人間が習慣の力によって堕落し、自ら自発的に服従を求めるようになるのだと述べている。
なるほど、と思う。
思うに、この『自発的隷従論』が説く帰結の一つは「権力は存在しない」ということではないだろうか。
国家の権力なるものは暴力だとか社会契約といったものに起因するのではなく、ただ人間が生まれながらにして(あるいは習慣として)持つ「服従したい」という欲望によって生じる。
この本でボエシ(執筆当時まだ10代だったそうだが)が主張していることは権力から社会秩序を考えるのではなく、服従を求める人間の欲望が社会秩序を作る、という発想につながるのではないか。
だから権力にはいかなる実体的な内実も無く、ただ人々が服従することをやめるだけで「土台を失った巨像のように、みずからの重みによって崩落し、破滅」(P.24)するのだ。
そうすると、人間の「服従を求める欲望」はどこからくるのか、というような疑問も湧いてきて、西谷修がこの本のあとがきで、人間が言語を使うということ(言語というルールに従うこと)にその原因があるのでは、というような事を述べているのも面白い。
本の内容から派生して、色々なことを考えさせられた。
いい本。