あらすじ
不意の出会い、気まぐれや衝動。無数の偶然に促されて、私たちみんな、進んでいく。自分にしかたどり着けない、見知らぬ場所に向かって――
幼い頃、泰子の家でいっとき暮らしをともにした見知らぬ女と男の子。まっとうとは言い難いあの母子との日々を忘れたことはない泰子だが、結婚を控えた今になって再び現れたふたりを前に、確かだったはずの「しあわせ」が否応もなく揺さぶられて……。水面に広がる波紋にも似た、偶然がもたらす人生の変転を、著者ならではの筆致で丹念に描く力作長編小説。
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
一般常識に囚われずに本能のままに生きるってわがままなようで でもよほどの強い信念がないと生きられない。
人の目を気にせず奥深いところでの愛は決して忘れずに自分のやりたいように生きる
そんな人は邪念がない。
そんな人に心のどこかで憧れる自分が確実にいる
そんなお話だったかな
Posted by ブクログ
ドラマ化するなら、智は岡田将生さんのイメージだ。そのイメージでずっと読んでしまったね。
泰子や智はきっとどこかに居る!と思わされる、具体的にイメージがぶわぁと描ける、そんな作品でした。
Posted by ブクログ
最初から最後までひどくふわふわしていて掴みどころのない小説。それは私がこの登場人物に比べて普通な生き方をしているからであって、たぶんこの感覚は泰子が太郎に対して感じる「腑に落ちない部分が怒りに感じる」感覚に似ているのだろうなと思う。そして、文章のみで読者の気持ちをコントロールできる著者の筆力の高さに圧倒させられる。
自分とは違う世界と感じる一方で、「誰かの無意識のきまぐれ」によって自分の人生が大きく左右されていくという感覚はわかる。今自分がいるのも、きっとどこかの誰かが何気なく行動した結果の積み重ねで、その力は時としてとても大きくただ身を委ねる他ない時もある。その力に100%身を委ねて生きてきたのが直子で、一方泰子はその中でも自らの人生の舵を取ろうと決め一歩踏み出す。
「縁」ではなく「誰かの無意識のきまぐれ」という表現があまりに適切すぎて、ふとした時に思い出しそう。
Posted by ブクログ
気持ち悪いながらもありそうな。いるよねー、こーいう人、と流されて流されて生活している人を側から見ているつもりだったけど、実は誰でもちょっとした選択で人生がコロッと変わったり決まったりする事があって、始まったら終わらせるしかないのかなと思った。
Posted by ブクログ
どの人も目標を持って、前向きに生きてはいないし、流されてしまうことも、意志を持たずにいることもある。
しかし、この話に出てくる人たちの、ダメさ加減にはウンザリしてしまう。でも、惹きつけられる。
タイトルの意味も掴めぬまま、終盤になってわかった。
完璧な人はいないし、流されて生きていくことがダメではなく、そういうところが人間なのだと。
月の、欠けているように見える時間が多いように。
雷の、突然やってくるように。
Posted by ブクログ
「堅実」の真逆をいく生き方が、自分には決してできそうもなく、かと言って羨ましくも可哀想でもなく、そういう人生もあると描かれている。
何かに必死になって生きて行かなくても、ただ流されてもそれもちゃんと生きているんだな、と眼から鱗。
不思議すぎて謎すぎて、でもそれに納得のいく説明なんかもなく。
それをただ受け入れるということ。
こんなに誰にも感情移入できない小説もめずらしい。
でもそれはそれでちゃんと小説として面白いんだよなぁ
Posted by ブクログ
この小説に登場する、「生活」ができない人たち。
なぜそうなってしまってるのか、あれこれと理由を探すのは簡単だし、ともすれば彼らがちゃんと「生活」できるようになるためにはどうすればいいか、なんてことまで考えてしまいそうになる。
でも、彼らは確かに生きている。
彼らが一日一日をちゃんと送っていることは間違いない。
そのことを肯定したいと強く思う一方で、同じ場所に留まり続けて日々を蓄積していくとの重みと尊さもあらためて感じる、そんな読後。
Posted by ブクログ
秩序ある生活に息苦しさを感じること。同じ生活感を持つ人と一緒にいる時に自分らしくいられ、心から楽だと思える気持ち。沢山共有できる内容がありました。
人生で人との出会いによって大きな変化や苦難があると思いますが、過去や未来について考えすぎず、直子の様に1日1日を楽しくありのままで生きていきたいと思いました。
Posted by ブクログ
何と比べて“普通”なのか。大なり小なり他者とは違うものが内在するのであるが、そのことに違和感を覚えるのか、あぁそうなのね、と感じ入るのか...。ただ、そこにある。そして死んでいく...。
○○のターンが唐突に、それでいてそこにしかスッポリとハマらないのではないかという絶妙な配置...。流石です。
Posted by ブクログ
あなたは、『首まわりののびた、色あせた、息子や娘のお下がりらしいTシャツを着て』、『触るなと書いてあるのに桃に触れてやわらかさをたしかめ』、『やっぱり要らないと思った鯵を精肉売場に戻』す女性を目にしたらどのように思うでしょうか?
『年齢より若く見えるどころか老けて見え、若いころはさぞや美しかっただろうなと思わせる面影もない』というその女性。『妻から夫を奪うようには見えず、また、父に恋した女を死に追いやるようにも当然見えない』というその女性。
この記述を読む限り、そんな女性にマイナス感情を抱くことはあっても、プラスの感情を抱くことは普通にはないと思います。しかし、そんなあなたの理解は実は間違っています。なんとそんな女性のことを『困っている』と考え、『助けようと思って』、『食事を奢り酒を飲ませ金を与え』るという男性がこの世にはたくさんいるのだそうです。そして、さらには、妻を『追い出してそこに』彼女を住まわせた、という男性さえいるそうなのです。
さて、この物語は、『人に好かれる能力、もしくは運を引き寄せる能力』が異様に発達したというある女性の生きる力に驚愕する物語。そして、そんな女性とその息子の出現によって『不幸に追いつかれてしまった』、人生を『変えられてしまった』という思いに苛まれる女性が、それでも力強く生きていく様を見る物語です。
『どうやら自分は女にもてるらしいと』『小学生のころに』気づいたのは主人公の東原智(ひがしばら さとる)。中学で『それは確信になり』、高校で『ふつうのことになった』という智は、いつも『ふられる格好で終わったが、べつの相手に乗り換えればすむことだ』という日々を送ります。しかし、『二十代も後半にさしかかったとき、智はふと不安を覚えるようにな』りました。『どうやら自分には関係を持続させる力が欠如している』と気づいた智。結婚を持ちかけても『その話にのってくれる女性はいないばかりか、彼女たちは見てはいけないものを見てしまったかのように逃げ出す』という状況に戸惑う智。そんな中、『三つ年下で、出版社の経理部に勤め』る野崎史恵に『別れたい』と言われた智は理由を聞きます。『ふつうのことがふつうにできないでしょ、あなたは』と言う史恵に、『ふつうのことって何』と訊くと、『生活よ』と答える史恵。『あなたといると生活している気がしないの。そして私は生活がしたいの』と、もう『連絡もしないでね』と離れていった史恵。そして、智は『幼いころのことを思い出し』、『史恵の言ったこと』がわかるような気がすると感じます。『そもそも母親が生活のできない女だったと』考える智。『父親はいなかった』、そして『母、東原直子にも父親がだれであるのかはわからない』のだろうと思う智。『男がいないと精神的にも経済的にも生きられないような女』だったという直子は、『生活能力』が『徹底的に欠落していた』と思う一方で、『人に好かれる能力、もしくは運を引き寄せる能力』が異様に発達していたと考えます。『決まってだれかが助けてくれるから、直子はひとりで立つことを覚えなかった』と断じる智。そして、そんな状況は今も続いていると、『六十歳を過ぎ』ても『五歳年上の男と暮らしている』直子の現状を思います。『一年半ほど前に、妻を亡くしたひとり暮らしのその男に拾われた』という直子。一方で、智は『小学校に上がったばかりのころ、いっときいっしょに暮らし』た泰子のことも思い浮かべます。『直子との交際がばれたのが原因で』出て行った妻に困り果てた辻井の元に転がり込んだ直子と智。そこにいたのが辻井の娘・泰子でした。『泰子ちゃんと子犬のようにじゃれ合って遊んだ』という小学生の智。『素っ裸で布団に入り、たがいの体を撫でさすり合った』というその時代が『三十四年間のうちで最も楽しかった』と振り返る智は、『泰子ちゃんに会いたい』と、唐突に思い立ちます。『あのめちゃくちゃな日々がたしかにあって、あの女の子が空想ではなく実在』することを確認したいと思う智。そして、再開を果たした二人。そして、もう一人の主人公であるそんな泰子の人生が智と直子の出現によって『変えられていく』物語が始まりました。
“どうしようもなくだらしない人物を描かせると右に出る者はいない!“とも言われる角田光代さん。私が今まで読んできた作品の中でも”ダメ親父”が娘を”ユウカイ”して旅をする「キッドナップ・ツアー」、”自分よりもひとまわりも下”の金にだらしない男に貢いで身を滅ぼしてく女性が主人公の「紙の月」、そして、”大人になれない痛い人たち”が”わちゃわちゃとした”関係性を演じていく「三月の招待状」と、登場人物のダメっぷりにイライラさせられる作品が多数存在します。そんな角田さんの作品の中でも、この「月と雷」の主人公三人のダメっぷりには、耐え難いほどのイライラを経験させられました。まずは、『どうやら自分は女にもてるらしい』と小学生の頃から意識してきた智です。複数の女性と関係を持ちながら今日までを生きてきましたが、『あなたには生活ができないと思うから別れたい』とそんな女たちは、結局智の元を離れていきます。理由が分からない智は、その感覚を『一日三回のごはんがお菓子でも平気でしょう』と指摘されます。それが、『生活をできない』という感覚だと知り戸惑う智。片付けができない、という次元を超えたこの指摘。たった一言でなるほど、と納得させる角田さんの言葉選びは流石だと思いました。しかし、そんな智は、その原因が母親の直子にあると責任転嫁します。普通なら、さらに智を見下す一言になりますが、母親・直子のダメっぷりは想像を絶するものでした。男の元をただひたすらに転々とする生活を送ってきた直子。それは六十歳を超えても変わらないというある意味の奇跡。どこにそんな魅力が隠されているのか?読者はそれを読み取ろうと必死になります。しかし、そこに描かれる直子の姿は、一日中じっと部屋の同じ場所に座ったまま酒をただただ飲み続けるだけのだらしない女性の姿でした。さらにたまに作るというカレーの表現は強烈です。『市販のカレールーを使っているにもかかわらず、まずかった』というそのカレー。『生煮えのじゃが芋と、大量のモヤシと、「安かったから」という理由で豚のモツ肉が下処理をされないまま入っていた』と、しばらくカレーを食べる気が失せるような気持ち悪さにリアルな吐き気に襲われました。そして、そんな智と直子と暮らすようになった泰子。彼女だけは…、という一縷の望みも虚しく、『結婚するんだよ』と、婚約者の話をしつつも『泰子は智の性器を自分の内に導くように入れていた』と堕ちていってしまいます。そして、そんな三人の生活風景の描写はさらに強烈です。『洗濯物が畳まれなくても、所定の位置にしまわれなくても、綿埃が野球ボール大になっても、風呂場の排水口にもずく状に髪の毛がたまっても、人は、難なく生きていかれるのだった』と安堵する泰子。生活能力がない人間が集まった先にどんな生活が繰り広げられるのか、そのある意味での恐ろしさを垣間見る一方で、泰子が言うように、それでも『難なく生きていかれる』、それが人間なんだ、と人間のある意味での生命力の強さに不思議な納得感を感じました。
そんなこの物語は、作品後半になってだらしなさに対する嫌悪感を上回るように、角田さんらしい人の内面に向き合うような言葉が頻出する中に展開していきます。それは、智視点と、泰子視点に切り替わりながら展開していた物語がまさかの直子視点に切り替わることが一つの起点となるものでした。様々な小説で奇妙奇天烈な設定がされた人物が描かれることはよくあります。あまりに強烈な性格の人物、やることなすこと意味不明とも思える人物、そんな人物にも心というものはあるはずですが、そんな人物の心の内に踏み込む作品はあまりないと思います。この作品では直子がまさしくその位置を占める人物です。そんな直子に視点が移動するという衝撃。怖いもの見たさという言葉の先に進んでしまったその視点の移動。しかし、そこに読者が見るのは、奇妙奇天烈な人物の狂った精神世界などではありませんでした。どこか淋しげに、どこか世の中を俯瞰しているようなそんな直子の内面を垣間見ることのできるその視点の移動。そして、直子は語ります。『あのとき、とかね、いくら考えてもどうしようもないだろ、だったらそんなことを考えないで、今日一日をなんとかして終わらせるんだ、そうすっと明日になるからね、私はさ、そういうふうにしか考えたことがないから』というその独白。そんな直子は『直子さん、いつから直子さんは直子さんだったんだと思う?』と聞かれてこんな風にも答えます。『直子だろうが直子じゃなかろうが、東京にこようが父親がいなくなろうが、逃げようが追いかけようが、はじまったらあとはどんなふうにしてもそこを切り抜けなきゃなんないってこと、そしてね、あんた、どんなふうにしたって切り抜けられるものなんだよ、なんとでもなるもんなんだよ』。直子という奇妙奇天烈で正体不明な人物の生き様を感じさせるようなこの表現。そして、物語は、予想外な、それでいて予想通りの展開の中に幕を下ろします。こんな生き方はしたくないし、身近に接するのも嫌になる、でもその一方でこんな風に生きる人生というのも、それはそれでありなのかもしれない。自由に生きる、生きたいように生きるという生き方を体現しているような直子。決してあんな風にはなりたくないと強烈な拒絶反応を感じる一方で、直子の自由さを羨む思いを感じながら本を閉じました。
『ふつう、人は…自身の現実を変えないよう、変えさせられないよう、他人の現実を変えないように、注意して生きている。でも、この母子はそうではない』という強烈なキャラクターの存在が物語を強引に牽引していくこの作品。『生きていくというのは、他人の人生に闖入し、一変させ、とりかえしのつかないことを次々と起こし、後片づけを放ってまたそこを出ていく、そういうものだと思っている』という母と子が他人の人生の有り様を次々と変えていく様を見るこの作品。
一見、どうしようもないとしか思えない人物たちの内面を垣間見る物語の中に、『ふつう』とは何なのだろう、という疑問とともに、人の生き方の多様さと、それでも生きていける人間のたくましさをそこに見た、そんな作品でした。
Posted by ブクログ
この小説にはいわゆる世間一般の「ふつう」とはかけ離れた登場人物が3人登場します。
母・直子、その息子の智、そして幼い頃、智と一緒に住んでいて後に智の妻となる泰子 現実離れした生活を送る人達、読んでいて決して心地よい気持ちにはなれませんが何故だか先が気になって読み続けてしまう魅力がありました。
それぞれの登場人物の設定がしっかりしていてその心理描写も巧みで脳内映像で絶えず動いていました。
感動出来る類の小説ではないけれど人間模様の面白さを感じた1冊です。
Posted by ブクログ
結局今の自分を作っているのは自分。
環境のせいにしたくなるのも自分、ひねくれた思い込みは自分で解ける呪いなのだなと。面白かった。
そして、はじまったらもう以前には戻れないこと
はじまったら終わるってことはなくて、なんとしても切り抜けなきゃいけなくて、しかしどうにでも切り抜けられるということ
直子の生き方は「どうにでも切り抜けられる」と考えている人のそれそのもので、それに私は少しばかり勇気づけられたように思う。
泰子が、どうか幸せになりますように。
Posted by ブクログ
自分だけがおかしい、ひねくれてる…なんて悩みは周りを知らないだけなんだと思った。
みんな、同じように悩んでるし、失敗しちゃうし、望む方向と違う方に進む羽目になったりする。
でもそれが人生なんだろうなぁ。
進み出したら、毎日乗り切っていくしかなくって、明日の為に今日を過ごして。
とても人間らしくて、主人公達に共感できてしまう。
日々を精一杯過ごすって人それぞれだけど、どんな形であれ素敵だなと思う。
でも、関係なくなると意外と人間関係ってあっさりしていたり。
平凡って思ってる人達の中にも日々の心の揺れや変化ってあるんだなぁ。
そして個人の背景にはいろんな人が存在しているって気づくとなんだか大切さに気付ける気がする。
Posted by ブクログ
奔放な母と放浪のような生活をして大人になった智。妻が出ていった家に残された娘の泰子と一時期一緒に暮らしていた。
大人になった智が会いにやってきた事から、泰子の生活は変わりだす。
解説の小池昌代さんの、直子の自由に一瞬嫉妬する。そして多くの女は、そんな直子に育てられた不幸の色気を持つ智に惹かれるのだ。に物凄く共感。
普通の生活が、一番難しいのかも。
Posted by ブクログ
特別なことはいらない、当たり前を続けることが生活をつくりあげる。
「一緒にいたい」「この人となら生きていける」と互いが思うには、「生活を一緒に、一生続けていけるかどうか」。
幼い時から人当たりがよく、いわゆるモテるとされて来た男性を軸に展開される話。数年つきあってきて、そろそろ結婚しようかと思った矢先振られた言葉は、「怖くなってきた。普通の生活が普通じゃない」と言われる。その意味がわからず、仲のいい女性に相談しその解を聞くと納得すると同時に、自分の過去の家庭環境のせいだと振り返る。「例えば人が3食ご飯をとることが普通と思ってても、あなたは毎日お菓子でも平気でしょう?そういうのが怖いって感じる」。男の母親は住まいを転々として生きるために男頼りに暮らしてきた。そのため「続ける」「積み上げる」ことは重要でないという価値観が生まれてしまった。
「普通に生活する」ということは、個々人全く異なる。育った環境が違う性格が違う2人が、一生一緒に暮らしていくには、地味で華やかでなくても、普通と互いが思う生活を繰り返していけるかどうか。特別な日に特別なことをするよりも、日常を心地よく暮らしていける方が、幸せに近いのかと思った。
Posted by ブクログ
作中で、智のことを「根無草」と表現した文があった。
それはそうかもしれないけど、そもそも生まれたときから根っこなんてなかった直子・智親子。
正直、「よく生きてこられたなぁ」と思った。随分と「ただれた人生」だったーーー(汗)
感じたことのない感情で胸焼けして、何故か麦茶をガブ飲みしたくなった。
読み進めている最中、直子だけが突出して「モンスター」みたいに錯覚したが、実はこの作品に出てくる女性達、ほぼ全員おかしいと気がついてから、一気にページを捲る手が止まらなくなった。
どこか狂気を孕んでいて、常識という枠なんて最初から知らない・または気付かないふりをしているような気もする。
そして、それぞれの女性達の特徴は、少なからず誰しもが抱く感情・言動だと感じた。
非常識な他人の行いのせいで、人の人生が捻じ曲がるなんて、実はそうそうあることではなく、
むしろそれはただのきっかけにすぎず、本当は自らの選択でいかようにも転がるものなんじゃないか。
作中の泰子の心情にはそう書かれていて、あー作者が言いたいのはここだと思って、共感できた唯一の内容だった。
直子のような根無草人生を羨ましいと思う人は、実は相当数いるんじゃないか。
知らない・考えない・差し伸べられた手は全て掴む…楽だし悩むことなんてなさそうで、実に「簡単」に見えるからだ。
それをしないからこそ、「一人前の大人」だし、自分を律するというのは、一生をかけた努力と習慣の連続なのだと思うからだ。
初の角田光代作品がこれでよかったのだろうかww
次にどんな本を読むべきか、読後感はとても複雑。
Posted by ブクログ
歪な家族の物語。
主人公は自分の人生について深く考えず、後先考えず、流れに乗ってなんとかなるだろうと思っている、そんな登場人物たちを見てて危なっかしいなと思いながらもスラスラと読み終えた。
そして親が親なら子も子だと主人公を見て思った。
育った環境ってこうも影響するのか、と。
自分の親を見て嫌悪感を抱いている主人公も、側から見れば嫌悪感を抱いてしまう部分がある。
自分の周りにはいないタイプのひとの物語だったので読んでる途中も読み終えた今も不思議な気持ち。
こうして小説を通していろんな人間を知れるのは面白いなとも思った。
Posted by ブクログ
【2024年119冊目】
幼少期より母親と共に他人の家から家へと移り住んでいた智は、プロポーズをした恋人に「あなたには生活ができないと思うから」と逆に別れを切り出されてしまう。モテはするが、長続きしないことに薄々気づき始めた智は、唐突に子どもの頃一緒に過ごした泰子に会いに行くことを決意する。自らのルールに従って突き動いていく登場人物たちの人生の行方は。
ずーっと、膜に包まれたような感覚で読みました。理解はできるけど理解ができない、みたいな不思議な感覚。登場人物たちの心理と自分があまりにも乖離していて「そうか、私は生活ができる人間なのかもしれない」と思ったり。
かと思えば、智が母親に抱く負の感情に共感してしまい、こちらまで憂鬱、暗い気分になったりもしました。
不思議な雰囲気の小説です。よく映画にしようと思いましたね、かなり難易度高いと思います。単純な家族の小説ではないですから。
あと、お酒飲み過ぎないようにしよ…って思いました。ほどほどに。
Posted by ブクログ
子供が育つ環境って大事。何が普通かわからずに育った人間は、普通に生きることが難しい。
何かが始まったら終わるってことはない。どんなふうにしてでも切り抜けなければならない。そしてどうとでもなる。
かつて、私もそう思ったな。
Posted by ブクログ
書き出しから面白くてこれ短編集だったら寂しいなーって思ったら違くて嬉しかったけど後半にかけて面白さ減っていった
家に住ませてくれる人について行って家で何もしない直子とその息子の話
色んな人の家を転々とする不思議な親子
その二人がいっとき暮らしてた家にいた息子と同じ歳の女の子を忘れられず30を超えて探し出して会いに行き子供授かるのもすごい
起こること全部色々常識的におかしいけどまぁあり得ないことでもないことな微妙なラインなのがなんか面白かった
こういう普通から少しかけ離れたところに暮らしてる人たちの話
ひたすら直子が謎なのがいい
Posted by ブクログ
幼い頃少しだけ一緒に暮らした智が突然現れる。そこから、「普通」に暮らしていた泰子の生活が変わっていく。
泰子を始め直子、一代。みんなたくましい。
それに比べて、男性陣はみんなほわほわして優しい。
直子はダメダメだけど、どんな時にも誰かに助けてもらえる。何か人を惹きつける不思議な魅力があるんだろうね。
何かが始まったら終わることはない。始まったら切り抜けなければならない。でも、どんなふうにしても切り抜けられる。なんとでもなる。って直子の言葉良かった。
Posted by ブクログ
2023/1/5
人間にとってルールはあった方が生きやすいものなのかな。
毎日お風呂、食事は3回、掃除は綺麗に。
直子がもしルールを守る生き方をしていたら、白髪になるまで生きられなかったんじゃないかな。
「もし」を考えずにただ1日を生きてきた直子。
主人公は直子じゃないけど、直子のことばかり考えてしまう。
Posted by ブクログ
星3つにしたが読むタイミングによって4つや5つになるんだろうと感じた。
感情移入したくなる登場人物が現れない。むしろ「わたしはこうはならない、なりたくない」と感じる人物ばかり現れる。
一方で嫌悪感に近いものがあるにも関わらず物語に惹かれていくのは何故だろう。登場人物たちの改心を求めて? いや彼らは改心しない。このまま生きていく。そうわかっていても惹かれる。何に?怖いもの見たさ?
たぶん登場人物たちの行く末が気になる、その一点かもしれない。だからこそ、行く末を知った上でもう一度読み返して時に自分がどう感じるか知りたいと思った。
「ふつう」を知らない人たちとして書かれている登場人物たちの言う「ふつう」。結局は、私たちも「ふつう」とは何かを考えてそれに寄せているのをまざまざと感じさせられてざらっとした気持ちになった。
Posted by ブクログ
この作品を読んでいる途中で、なんとなく村上春樹っぽいなぁと思った。現実には本当はないんだけど、そんな世界をスタイリッシュに描いたような。
女性同士の確執を描いた時はすぐ理解できるんだけれど、男性を描くと何か少し不自然に感じる。
作品としては、これはこれでアリなんだと思うから悪くはないと思うけど、なんとなく入り切れない。
「ふつう」ではない、自分が、と言うのは、自分もそういう人間だとやっぱり思うので、共感はできるんだけれども、なんていうか。
Posted by ブクログ
久しぶりの角田光代さん。
人生初って、こういう感じでいつの間にかこうなってた、みたいな、この人のせいでとかじゃなくてみたいなところってあると思わされた。
面白かった。
Posted by ブクログ
結局「業」には逆らえないのかもしれない。
こうなりたくないと意識しすぎることで逆にその結末を呼んでいるのではないか、そんな風に思えた。