あらすじ
〔死の島々〕ミッドウェー海戦で四隻の空母を失うなど日本軍は大打撃を受ける。一方勢いに乗る連合国は要衝ガダルカナル島に上陸。日本軍は死闘の末、撤退を余儀なくされる。一九四三年四月、連合艦隊司令長官山本五十六がソロモン上空で戦死、同七月、サイパン島玉砕。戦況は悪化の一途をたどる。
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Posted by ブクログ
第3巻は、ガダルカナルの攻防戦からサイパン島の陥落まで。ソロモン海をめぐる日米海軍の戦いは、知らなかったことも多く、日本側が相手の補給を断つ作戦を展開していたら、戦局は違う展開になっていたのかもしれないと感じた。
民間人を巻き込んだサイパン島での戦いの記述はあまりに悲惨で、どうしてこの時点で終戦の講和を結ぼうとしなかったのか、読みながら切歯扼腕する思いであった。
Posted by ブクログ
第3巻では、ガダルカナル島からサイパン島陥落までの流れを追う。日本にとって、ガダルカナルとは、最南端の領地であり、一方、アメリカにとっては、太平洋の主導権を握るうえで、重要な地点である。そのような関係から、両者は必死になって争った。とはいえ、ガダルカナル島は、シロアリやマラリアの発生と、とても人間が快適に過ごせる環境ではない。その為、日米がここをめぐって衝突した際、補給線の確保が重要であったのかは想像できる。ところが、日本軍はこれまでの戦いと同様に、兵站を怠り、精神論で乗り切ろうした。先ほど述べたように、ガダルカナル島は、そもそも人間が長期間いられる場所ではなかったため、当然、飢餓に苦しんだり、マラリアによる感染症など、敵国と戦う以前に、既に、敗北の兆しが見えていた。このように、過酷な環境の下で挑む戦いは長引くほど、悲惨な結果を招くにすぎない。その後、撤退を検討するようになるが、ここでも、現場と参謀本部との齟齬が生じる。ガダルカナル島の例に限らず、中央と実際に戦地で戦う者との対立は発生しており、本書で言及されるが、ラバウルの占領政策で有名な今村均は、中央の意向に反する行為だったためか、一時は地位が危うかったという。そして、いくたびも争いは継続し、サイパン島陥落を契機に、東条内閣は辞職になるが、その後も政府は混乱をきわめた。