【感想・ネタバレ】花神(上)のレビュー

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ネタバレ

Posted by ブクログ 2015年09月11日

時代は幕末。主人公は長州藩の軍師 村田蔵六(後の大村益次郎)。
蔵六はもともと医者なのだが、外国語に精通していることから抜擢され、蒸気船の製造や、長州藩軍師として、才能を発揮していく。

彼の役割はリーダーではなく、どちらかというと軍師・参謀。
軍隊の訓練・武器の調達・実戦における戦略立案を、理論立...続きを読むてて実行していく。時には冷酷な判断も選択しつつ。

読んだのは大学の頃だが、当時から蔵六の生き方にあこがれていた。
蔵六は、自分で望んだり周りにアピールしたりしたわけでもないのに、才能を認められ、やりがいのある仕事をどんどん任されていく。

今の私の仕事が、技術職でも地道な裏方作業が多いため、蔵六の環境にオーバーラップする面もあり、私にとって「花神」は司馬作品の中でベスト3に入る本である。

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ネタバレ

Posted by ブクログ 2021年04月25日

『坂の上の雲1』は読みづらかったがこちらは読みやすさはある。
司馬遼太郎の作品はあまり小説小説していないという理解で良いのかな。内容は面白いがこれプロの小説かよ、と思う点は多々ある。明治あたりの人物を垣間見るという点では良いのだろう。

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Posted by ブクログ 2019年04月20日

明治維新に軍師と言える人がいたとしたら、この人なんだろうなぁ。日本の戦を工業的、近代的に変えた人だと思う。

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Posted by ブクログ 2017年11月19日

「しかし私は先刻、自分で名乗っております」
「それは間違っている」
と奥山静寂はいった。
「自分で名乗ったからといって、私は信用しない。私の目で人相風体を見、これならたしかに洪庵先生のいわれり村田蔵六にちがいないと推量がついたうえで当人にたしかめてみるのだ。それが物事の窮理(科学)というものである」...続きを読む

「お前さんも頓狂な男だな」
敬作は、蔵六の人柄が、一見したところまったくちがっていることにちかごろ気づきはじめていた。敬作は
「頓狂」
ということばがすきで、ふだんしきりにつかっている。オッチョコチョイというほどの意味だろうが、敬作の妙なところは、親に孝、君に忠という倫理綱目と同列くらいの美徳にそれをあつかっているのである。
「人間は頓狂でなくちゃいけないよ」
 これが、口ぐせだった。敬作は、まじめくさった大人くさい、事なかれの常識的慎重さ(それが封建的徳目なのだが)だけで生きている連中が大きらいで、
「人間、ゆかなくちゃならないよ」
 と、つねにいう。どこへゆくのか、それはわからない。敬作が、深夜三里の峠をこえて炭焼小屋の急患の元に行ってやったりするのも、頓狂の心であろう。イネのことを想うと不安と悲しみで身も世もなくなるのも頓狂の心かもしれない。常識人はけっしてそうはならないのである。
「西洋の文明を興したのも、頓狂の心だ」
と、敬作はいう。
 天才とは頓狂人だが、西洋人はそういう者を愛し、それをおだて、ときには生活を援助して発明や発見をさせたりする。日本人は頓狂人をきらうから遅れたのだ、という。シーボルト先生も頓狂人だからはるばるヨーロッパにとって、未知の日本にきたのだ、という。なるほどそういえばそのようでもある、と蔵六はおもうのである。

(鳥がいる)
と、おもった。しかしもう一度この啼き声がきこえたとき、それはブリッジから海をのぞきこんでいる殿さまの笑い声だとわかり、貴人というものはああいう声をたてるのかと思った。思いあわせてみると、蔵六は草深い村にそだち、百姓身分からあがって、いまは宇和島候の背後に侍立できる身分にまでになった。この重苦しい封建身分制を突破できるのは「技術」だけであり、それは孫悟空の如意棒にも似ていた。
(妙なものだ)
と、蔵六はそのことを考えた。
 船が、うごいている。海が背後に押しやられ、へさきに白波が湧いている。平素心鬱なばかりの家老松根図書までが子供のような燥ぎ声をあげ、
「村田、すすんでいるではないか」
と、ふりかえって叫んだ。が、蔵六は悪いくせが出た。
「進むのは、あたりまえです」
 これには、松根もむっとしたらしい。物の言いざまがわからぬのか、といった。蔵六は松根からみればひどくひややかな表情で、
「あたり前のところまで持ってゆくのが技術というものです」
と、いった。この言葉をくわしくいえば、技術とはある目的を達成するための計算のことである。それを堅牢に積み重ねてゆけば、船ならばこのように進む。進むという結果におどろいてもらってはこまるのである。もし進まなければ、はじめて驚嘆すべきであろう。蔵六にいわせればそういうものが技術であった。

(ああ、ひよこの羽毛のようにやわらかそうなまつげだな)
と、蔵六はぼんやりおもった。
 蔵六の息が乱れている。蔵六はそれをこの期におよんでも整えようとした。かれは意志力の賛美者であり、自分を自分の意志で統御しきっていることに誇りをもち、快感をすら感じていた。同時に、人間関係における主題主義者であった。ということはたとえば、
「殿さまはえらいものです。学者は学問をすべきです。イネは弟子です。イネは一般論としては女性ではあるかもしれないが、私にとっては女性でも男性でもなく、弟子という存在です。師弟という関係以外の目でイネを考えることは、余計なことです。余計なことは自分はしません」
 というような信条をもつ男で、この信条をくずさずにいままで生きてきた。一見平凡なこの男が、ひょっとすると突っ拍子もなく風変わりな男であるかもしれぬ点は、このあたりであった。

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Posted by ブクログ 2017年05月05日

村田蔵六、のちの明治政府の軍事参謀、大村益次郎の生涯を描いた作品。

上巻では村田蔵六が家業である村医を目指して、地元長門の医者のところから大阪の蘭医の名門、緒方洪庵の適塾での日々を描く。
この時は軍事作戦家という側面は一切なく、医療と語学の世界を極めんとしている時代。

合理的な思考を持って射きる...続きを読む蔵六にとって人間関係の機微は不要であったが、それが故に周りからは孤立し、才はあるが疎んじられていた。
その孤独にそっと寄り添うシーボルトの娘、イネの存在に癒されます。

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Posted by ブクログ 2016年07月21日

村田蔵六(大村益次郎)が適塾で学んだ幕末から、軍隊を洋式化し新しい陸軍のトップになる明治までを描いた作品です。
蔵六は長州藩で代々村医者を務めた家の出身で、本来であれば軍のトップになる身分ではありませんでした。また、合理主義者の蔵六は優れた技術者である一方、人への配慮や情緒を著しく欠如した人物でもあ...続きを読むりました。
このような人物が活躍できた背景には、幕末から明治という激変の時代であったことと、そして桂小五郎というリーダーがいたことがあります。
ITの時代になって、技術の進歩を喜ぶとともに感じる不気味さを、蔵六という人物に見たような気がします。そして、桂小五郎のようなリーダーの必要性も感じました。

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