【感想・ネタバレ】ビスマルク ドイツ帝国を築いた政治外交術のレビュー

あらすじ

一九世紀ヨーロッパを代表する政治家、ビスマルクの業績は華々しい。一八七一年のドイツ帝国創建、三度にわたるドイツ統一戦争での勝利、欧州に同盟システムを構築した外交手腕、普通選挙や社会保険制度の導入――。しかし彼の評価は「英霊」から「ヒトラーの先駆者」まで揺れ動いてきた。「鉄血宰相」「誠実なる仲買人」「白色革命家」など数多の異名に彩られるドイツ帝国宰相、その等身大の姿と政治外交術の真髄に迫る。

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Posted by ブクログ

ネタバレ

 19世紀プロイセン及びドイツの稀代の政治家、オットー・フォン・ビスマルクの評伝。

 ビスマルクの主な功績としては、帝政ドイツの成立、そしていわゆる「ビスマルク体制」と呼ばれる、同盟網の構築によるヨーロッパ政治秩序の二つが挙げられるだろう。しかしながら本書を紐解けば、これら二つの功績が必ずしもビスマルクの意図した通りに進んだわけではなかったことに気付く。

 前者については、もともとビスマルクは北ドイツにプロイセンの覇権を確立する「大プロイセン主義」を標榜していた。しかし、19世紀のナショナリズムのうねりに抗うことができず、結局オーストリアを排除した「小ドイツ主義」という形でのドイツ統一に踏み切らざるを得なかった。

 後者についても、フランスを孤立させドイツの安全保障を確保するという点までは、ビスマルクの狙い通りであった。しかし、その外交と同盟網は、あくまでも「その場しのぎ」の産物でしかなかった。また、秘密外交に基づく複雑な同盟網の全貌を把握しているのはビスマルクとその周囲の一握りの人間という、極めて脆弱な秩序だったのである。

 ドイツの統一過程と、ビスマルク期の外交がわかりやすくまとめられてあり、近代ヨーロッパ外交史を理解する上で、大変有用な一冊。

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2022年01月13日

Posted by ブクログ

ネタバレ

「ドイツ統一を成し遂げた英雄」「ヒトラーの先駆者」など、様々な評価がなされてきたビスマルク。現在その評価はある程度落ち着いているものの、著者は神格化でも断罪でもない、等身大のビスマルク像に迫ることを目的としている。
ビスマルクはユンカーの父と、官僚一族の母との間に生まれた。この生い立ちが、後のビスマルクに多大な影響を与えることになる。ベルリン大学で破天荒な学生生活を送った後、ビスマルクは官吏への道を歩み始める。しかし、失恋や母の死を機にユンカーの世界へと足を踏み入れる。だがそこでも物足りなさを感じたビスマルクは、代議士となり政界へと進出していく。ちょうどこの頃、生涯の伴侶となるヨハナと結婚する。
1848年パリで二月革命が起きると、自由主義の波はドイツにも達しベルリンで三月革命が発生する。ドイツ国民の間にナショナリズムとドイツ統一の機運が高まる中、ビスマルクはこの「下からの統一」にあくまで「反革命の闘士」として立ち向かう。だが、保守的な思想を掲げながらも議会や新聞など革新的なものを巧みに利用するところが、ビスマルクの優れた点だった。
プロイセン首相となったビスマルクは当初、ドイツ統一に否定的だった。だが、オーストリアとの対立が高まる中で、ビスマルクは民衆のナショナリズムや統一の機運を利用する道を選んだ。フランスのナポレオン3世とも巧みに渡り合いながらデンマークと戦いシュレスヴィヒとホルシュタインを手に入れると、ついにオーストリアとの対決に臨む。オーストリアを下したプロイセンはオーストリアを締め出し、北ドイツ連邦を形成する。こうしてビスマルクは、自由主義勢力主体ではないあくまで「上からの革命」を達成したのだった。
オーストリアとの対決に臨むうえで「小ドイツ主義」をとったことは、図らずもビスマルクにドイツ統一を目指させることとなった。そのうえで障壁となるのがバイエルンを中心とする南ドイツとフランスだった。スペイン王位継承問題に端を発する対立からフランスとの間で普仏戦争が起こると、プロイセンを中心としたドイツはナポレオン3世を引き摺り下ろし、フランスを破った。バイエルンのルートヴィヒ2世らを説得して南ドイツも併合し、名実ともにドイツ帝国が成立する。だが、このときフランスから奪ったアルザス・ロレーヌが、その後の両国に禍根を残すこととなる。
ヴィルヘルム1世を皇帝として船出したドイツ帝国において、ビスマルクは帝国宰相として内政・外政で辣腕を振るう。
内政においては各種社会保険制度を整える一方、社会主義者・カトリックを弾圧した。彼の政策が「アメとムチ」と呼ばれる由縁であり、「国家の敵」を生み出すことが「ヒトラーの先駆者」と評される由縁となる。
外政については、「誠実な仲買人」を自認し、網の目のような同盟関係を築いていく。フランスの孤立化を目的として主にロシアを繋ぎとめるこの政策はヨーロッパの勢力均衡に寄与する反面、ドイツ自身をがんじがらめにするものでもあった。この同盟関係は考え抜かれた「緻密なもの」であるか「急場しのぎなもの」であるかは、意見の分かれるところである。
ビスマルクは最終的にヴィルヘルム2世との対立により辞任することになるが、その後急速に民衆の支持を得て神格化が進んでいく。それは特に、第一次世界大戦へと突き進んでいく中で強まったと言える。ビスマルクがいなくなったことでタガが外れ、世界大戦へと突き進んでいったという見方がある一方で、ロシアに対する接し方に見られるように、ビスマルク時代に世界大戦の萌芽がつくられていたという見方もある。

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2025年11月27日

Posted by ブクログ

ネタバレ

内容(「BOOK」データベースより) 一九世紀ヨーロッパを代表する政治家、ビスマル クの業績は華々しい。一八七一年のドイツ帝国創 建、三度にわたるドイツ統一戦争での勝利、欧州 に同盟システムを構築した外交手腕、普通選挙や 社会保険制度の導入―。しかし彼の評価は「英 霊」から「ヒトラーの先駆者」まで揺れ動いてき た。「鉄血宰相」「誠実なる仲買人」「白色革命 家」など数多の異名に彩られるドイツ帝国宰相、 その等身大の姿と政治外交術の真髄に迫る。

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2015年02月04日

Posted by ブクログ

ネタバレ

鉄血演説がビスマルクにとってはマイナスだったと言うのは驚き。鉄血宰相と呼ばれるイメージから重厚で全て計算ずくで動いていたのかと思っていたけど、実は危機をなんとか凌いでいた感じだったのは意外。ビスマルクのイメージが大分変わった読書だったけど、なんとなく物足りないと言うか微妙な感じではあった。

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2025年09月20日

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