あらすじ
一九世紀ヨーロッパを代表する政治家、ビスマルクの業績は華々しい。一八七一年のドイツ帝国創建、三度にわたるドイツ統一戦争での勝利、欧州に同盟システムを構築した外交手腕、普通選挙や社会保険制度の導入――。しかし彼の評価は「英霊」から「ヒトラーの先駆者」まで揺れ動いてきた。「鉄血宰相」「誠実なる仲買人」「白色革命家」など数多の異名に彩られるドイツ帝国宰相、その等身大の姿と政治外交術の真髄に迫る。
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Posted by ブクログ
ビスマルク
ドイツ帝国を築いた政治外交術
著:飯田 洋介
中公新書 2304
プロイセン(プロシア)がなぜ、ドイツになったかがよくわかる1冊です
おもしろかったです
プロイセンの豪農(ユンカー)であった、ビスマルクが、いかにして、ドイツ帝国の宰相になったのか
ビスマルク(1815-1898)以来、ドイツは、西欧世界の焦点の1つとして、二つの大戦をはじめとして様々な戦争をおこしてきた強国になった。
気になったのは、以下です。
中世以来ドイツの地は、
神聖ローマ帝国
プロイセン
ナポレオンが、ドイツに統一国家建国のきっかけとしてナショナリズムを持ち込んだ
ビスマルクは、伝統的要素、革新的要素を併せ持つ二面性を有していた
小ドイツ主義、ビスマルクは、オーストリアを除く、ドイツ連合を目指していた
反墺、反仏、親露、新生ドイツは、微妙な外交上のバランスのもとに、ビスマルクが調整を重ねてきている
<ドイツ連邦>
1815 ウィーン会議で神聖ローマ帝国に代わって発足した国家連合組織である
1848 パリで革命が勃発 ドイツ連邦でも革命が起きた、いわゆる三月革命である
1849 ビスマルク プロイセン議会下院選挙に当選、代議士としてのキャリア始まる
1851 ビスマルク ドイツ連邦議会のプロイセン代表として、フランクフルトに参事官⇒公使として赴任
ビスマルクは、オーストリアの格下としてプロイセンが処せられるのを良しとしなかった
以後、反オーストリアとなる
1853 クリミア戦争 ドイツ連邦は関与せず、プロイセンは中立を保つことに
1859 イタリア統一戦争
1862 国難にあたって、プロイセンへ帰国、プロイセン首相ビスマルクが誕生、「鉄血宰相」
1863 アルヴェンスレーベン協定 プロイセン、オーストリア、ロシア ⇒ポーランドの封じ込め
シュレースヴィヒ・ホルシュタイン問題:デンマークとの領土問題
1864 ドイツ・デンマーク戦争
1866 普墺戦争 ⇒ プラハ講和会議 ドイツ連邦から解体、オーストリアから離脱、北ドイツ連邦創設
<北ドイツ連邦>
1868 スペイン革命 フランスを封じ込めに
1870 エムス電報から、独仏戦争が始まる
1871 パリ陥落 フランクフルト講和条約 アルザス・ロレーヌをドイツに割譲、賠償金50億フラン
<ドイツ帝国>
1871 ヴェルサイユ宮殿で、ドイツ皇帝ヴィルヘルム1世が即位、ビスマルク体制が始まる
ドイツ帝国とは、22の君主国+3つの都市国家の連邦国家である
1873 三帝協定 ロシア、オーストリア・ハンガリー、ドイツにおける友好条約
1875 ヘルツェゴヴィナ農民蜂起
1876 セルビア、モンテネグロ、ロシアがオスマン帝国に宣戦、露土戦争
1878 露勝利、ベルリン会議
セルビア、モンテネグロ、ルーマニアの独立
オーストリア・ハンガリーは、ボスニア・ヘルツェゴヴィナの管理権
イギリスは、キプロス島の管理権
ロシアは、サラビナ地方の領有 ⇒ しかしロシアの大ブルガリア抗争はついえた
⇒三帝協定は破棄され、ロシアはドイツを恨むことに
1879 独墺同盟
1881 三帝協定復活
1882 ドイツ、オーストリア・ハンガリー、イタリアの三国同盟
1890 新皇帝ヴィルヘルム2世と衝突し、ビスマルク引退
以後、ビスマルクは、ドイツの英雄として、ビスマルク神話が生まれる
ビスマルクは、強国ドイツを創始した、宰相となった
ドイツは以降、ヨーロッパに大きなプレゼンスを発揮することとなる。
目次
まえがき
第1章 「破天荒なビスマルク」として―ある若きユンカーの苦悩
第2章 代議士として―政治家ビスマルクの「修業時代」
第3章 外交官として―外交家ビスマルクの「遍歴時代」
第4章 プロイセン首相として―革命を起こされるよりは起こす
第5章 北ドイツ連邦宰相として―「プロイセンの政治家」から「ドイツの政治家」へ
第6章 ドイツ帝国宰相として―ビスマルク体制下のドイツ帝国
第7章 「誠実なる仲買人」として―ビスマルク体制下のヨーロッパ
第8章 カリスマ的存在へ―フリードリヒスルーでの晩年
あとがき
参考文献一覧
ビスマルク年譜
ISBN:9784121023049
出版社:中央公論新社
判型:新書
ページ数:272ページ
定価:860円(本体)
2015年01月25日発行
Posted by ブクログ
本書を読むまではビスマルクに関する基礎知識がほとんどない身でした。帯にも書いてあるとおり、ビスマルク=鉄血宰相、というイメージしかなかったのですが、本書を読んで全然違うイメージを持つようになりました。本書によればビスマルクはドイツ統一を政治目的として掲げていたわけではなく、あくまで保守的な価値観からプロシアの強大化を目指し、プロシア強大化の帰結(あるいは手段)としてドイツ統一がなされたという解釈です。また本書を読む限りにおいてはビスマルクが最も卓越していたのは政治外交術ということで、その反対に内政面では全然思惑通りに事が進まなかった、といった話も記述されていて興味深く読みました。
なるほどこういう風にビスマルクを解釈できるのか、と納得できた反面、おそらくビスマルクという人物は、批評家が簡単に表現できるような人物ではなく、本書で記述されているビスマルク像も「ワン・オブ・ゼム」なのだろうなという印象は持ちました。違う批評家が書けば違うビスマルク像が説得力を持ってあらわれる、という具合に。本書の冒頭に、ビスマルクは性格が全く異なる父と母のもとで育ち、その両方の特質を引き継いだ、というような記述がありますが、まさにこれこそがビスマルクを1つの枠にはめて語ろうとすることを困難にしているのではないでしょうか。それゆえにどのビスマルク像が他よりも「正しい」ということはなさそうである、というのが本書を読んだあとの印象です。
Posted by ブクログ
19世紀プロイセン及びドイツの稀代の政治家、オットー・フォン・ビスマルクの評伝。
ビスマルクの主な功績としては、帝政ドイツの成立、そしていわゆる「ビスマルク体制」と呼ばれる、同盟網の構築によるヨーロッパ政治秩序の二つが挙げられるだろう。しかしながら本書を紐解けば、これら二つの功績が必ずしもビスマルクの意図した通りに進んだわけではなかったことに気付く。
前者については、もともとビスマルクは北ドイツにプロイセンの覇権を確立する「大プロイセン主義」を標榜していた。しかし、19世紀のナショナリズムのうねりに抗うことができず、結局オーストリアを排除した「小ドイツ主義」という形でのドイツ統一に踏み切らざるを得なかった。
後者についても、フランスを孤立させドイツの安全保障を確保するという点までは、ビスマルクの狙い通りであった。しかし、その外交と同盟網は、あくまでも「その場しのぎ」の産物でしかなかった。また、秘密外交に基づく複雑な同盟網の全貌を把握しているのはビスマルクとその周囲の一握りの人間という、極めて脆弱な秩序だったのである。
ドイツの統一過程と、ビスマルク期の外交がわかりやすくまとめられてあり、近代ヨーロッパ外交史を理解する上で、大変有用な一冊。
Posted by ブクログ
私の中でビスマルクは「ドイツ統一を推し進めた人物」というイメージがあったが、この本を読んで、一概にそうとは言えないのだということが分かった。
彼は生粋のプロイセン・ユンカーで、伝統に執着し、あくまでもプロイセンを大国とするために動いていた。
その手段としてドイツ・ナショナリズムを利用し、北ドイツにおけるプロイセンの覇権を確立させることに成功したが、同時に、元々は意中になかったドイツ統一事業に手を染めることになっていく。
目的を達成するために利用したことで、逆に振り回されているようにも見える様子は、これまでの彼のイメージとは違っていた。
そして彼は「伝統」と「革新」という二つの要素を持ち合わせていたのだということを知った。
本書は、あとがきにあるように『一時期のように彼を弁護して著しく称揚することもしなければ、徒(いたずら)に批判して弾劾することもせず、最新の研究成果を踏まえつつ、一次史料に即して実証的かつ公平に論じながら、彼の実像あるいは等身大の「素」の姿を描くべく努めて』おり、フラットな立場からビスマルクを見ることができたように思う。
また、噛み砕いた解説により、読者が置いてけぼりにならず、初心者の私にも分かりやすかった。
Posted by ブクログ
軍事力を背景に武断的な政治を行っていた印象のあるビスマルクだが、本書でそのイメージは払拭された。
当然軍事力、秘密外交を駆使し、プロイセン、ドイツのナショナリストとしてその力を振るうのだが、
決して完璧ではなく、思い通りでもなく、かろうじて母国の安全を作り出すため 苦心を重ねる様は、やはり大政治家であったと感じる。
本書は従来のイメージにとらわれず、一次資料や最新の研究を元に、著者の考察をふくめてビスマルクの実像に迫っていく。19世紀を知る上ではずせないビスマルクの概ねの姿を簡潔に理解できたと思う。
Posted by ブクログ
オットー・フォン・ビスマルク。鉄(兵器)と血(兵士)こそが国力であるという有名な演説で鉄血宰相と呼ばれ、ヒトラーの前の時代のドイツを代表する政治家だ。強面なヒゲの風貌に加えて、皇帝とケンカして政治家を引退するエピソードもあり、傲慢な独裁者というイメージだが、通して見ると彼の人生の歩みは堅実だ。
田舎の地主からスタートし、プロイセン国の代議士、外交官を経て、首相に。皇帝ヴィルヘルム1世に忠誠を尽くしながら、周辺の小国を率いて、ドイツ連邦を形成。やがてはドイツ帝国へ。
ヒトラーのようにイケイケドンドンでひたすら領土拡大を目指すのではなく、適切なスピードで自国を発展させるビスマルクのバランス感覚に感心する。隣接する2大強国フランス、オーストラリアとの駆け引きやヴィルヘルム1世との関係は絶妙だ。
本書で描かれるビスマルクは優れた外交、戦争センスを持ちながら、その能力に溺れずコツコツとドイツの発展に尽くした冷静な政治家。彼が唯一、我を忘れたのが、皇帝ヴィルヘルム2世との対立と政治家引退。
Posted by ブクログ
・マキャベリスティック&近代的政治手法&政治的反射神経の良さ
・ビスマルクの脱神話化、等身大のビスマルク
・鉄血演説、普仏戦争後の対応、ルクセンブルク危機、エムス電報事件、ドイツ皇帝即位宣言式、植民地政策の理由らへんが面白い
Posted by ブクログ
「ドイツ統一を成し遂げた英雄」「ヒトラーの先駆者」など、様々な評価がなされてきたビスマルク。現在その評価はある程度落ち着いているものの、著者は神格化でも断罪でもない、等身大のビスマルク像に迫ることを目的としている。
ビスマルクはユンカーの父と、官僚一族の母との間に生まれた。この生い立ちが、後のビスマルクに多大な影響を与えることになる。ベルリン大学で破天荒な学生生活を送った後、ビスマルクは官吏への道を歩み始める。しかし、失恋や母の死を機にユンカーの世界へと足を踏み入れる。だがそこでも物足りなさを感じたビスマルクは、代議士となり政界へと進出していく。ちょうどこの頃、生涯の伴侶となるヨハナと結婚する。
1848年パリで二月革命が起きると、自由主義の波はドイツにも達しベルリンで三月革命が発生する。ドイツ国民の間にナショナリズムとドイツ統一の機運が高まる中、ビスマルクはこの「下からの統一」にあくまで「反革命の闘士」として立ち向かう。だが、保守的な思想を掲げながらも議会や新聞など革新的なものを巧みに利用するところが、ビスマルクの優れた点だった。
プロイセン首相となったビスマルクは当初、ドイツ統一に否定的だった。だが、オーストリアとの対立が高まる中で、ビスマルクは民衆のナショナリズムや統一の機運を利用する道を選んだ。フランスのナポレオン3世とも巧みに渡り合いながらデンマークと戦いシュレスヴィヒとホルシュタインを手に入れると、ついにオーストリアとの対決に臨む。オーストリアを下したプロイセンはオーストリアを締め出し、北ドイツ連邦を形成する。こうしてビスマルクは、自由主義勢力主体ではないあくまで「上からの革命」を達成したのだった。
オーストリアとの対決に臨むうえで「小ドイツ主義」をとったことは、図らずもビスマルクにドイツ統一を目指させることとなった。そのうえで障壁となるのがバイエルンを中心とする南ドイツとフランスだった。スペイン王位継承問題に端を発する対立からフランスとの間で普仏戦争が起こると、プロイセンを中心としたドイツはナポレオン3世を引き摺り下ろし、フランスを破った。バイエルンのルートヴィヒ2世らを説得して南ドイツも併合し、名実ともにドイツ帝国が成立する。だが、このときフランスから奪ったアルザス・ロレーヌが、その後の両国に禍根を残すこととなる。
ヴィルヘルム1世を皇帝として船出したドイツ帝国において、ビスマルクは帝国宰相として内政・外政で辣腕を振るう。
内政においては各種社会保険制度を整える一方、社会主義者・カトリックを弾圧した。彼の政策が「アメとムチ」と呼ばれる由縁であり、「国家の敵」を生み出すことが「ヒトラーの先駆者」と評される由縁となる。
外政については、「誠実な仲買人」を自認し、網の目のような同盟関係を築いていく。フランスの孤立化を目的として主にロシアを繋ぎとめるこの政策はヨーロッパの勢力均衡に寄与する反面、ドイツ自身をがんじがらめにするものでもあった。この同盟関係は考え抜かれた「緻密なもの」であるか「急場しのぎなもの」であるかは、意見の分かれるところである。
ビスマルクは最終的にヴィルヘルム2世との対立により辞任することになるが、その後急速に民衆の支持を得て神格化が進んでいく。それは特に、第一次世界大戦へと突き進んでいく中で強まったと言える。ビスマルクがいなくなったことでタガが外れ、世界大戦へと突き進んでいったという見方がある一方で、ロシアに対する接し方に見られるように、ビスマルク時代に世界大戦の萌芽がつくられていたという見方もある。
Posted by ブクログ
高校で世界史選択以外の人でも耳にしたことがあるかと思われる「ビスマルク」。名前は知ってるけど実際何をしたかは意外と知らない人も多いかと思う。ドイツ統一を果たした偉人だというイメージが私にあった。 本書の中で随所に筆者がビスマルクの政治的手腕に賞賛している箇所がある。ビスマルクは本来であれば対立する概念である「伝統」(右派)と「革新」(左派)の両輪を兼ね備えた人物である。ビスマルクはプロイセン人でありプロイセンの覇権を拡大した一方で19世紀で社会保険制度を導入している。しかし、失敗も多かったのが意外だった。
Posted by ブクログ
社会保険政策の始まりとされるビスマスク内政にふと興味を持って買ってみた。ビスマルクの生涯を考察する本だったので、社会保険政策に関する記述は少なめだったけど、高校の世界史を思い出しながら興味深く読めた。目的を達成するための手段の選択(近代的な広告手法やナショナリズムの利用など)と天才的な外交「術」に彼の特徴を見出すとともに、崇拝され、第一次世界大戦も経て神聖化された人物像を見つめ直し、客観的に考察している。内政外政において、全ての施策がうまくいった訳ではなく、むしろ当初の想定とは違う結果を招きながらも、場当たり的に対処していったみたい。
Posted by ブクログ
厳格で、外交も戦争も内政もできる、強烈なリーダーシップを持ったカリスマ的指導者、それがビスマルク。読む前のイメージはめちゃくちゃかっこよかった。
実際どんな人物なんだろうと期待に胸を膨らませて読んでいたら、上に書かれたようなイメージと全く違うのだ。当時の時代に流されず保守的であるし、内政も外政も思い描いたとおりにいっていない。引退してからも政治に顔を出してくるややこしいおじいちゃんエピソードもめちゃくちゃ人間的だ。
だからといって、19世紀最大のドイツの政治家であることは間違いないし、政治手法やトラブルに対しての対処をこの本を通じて詳しく知ることができた。
筆者はあとがきで、それまで抱いていたビスマルク像をアップデートしてほしいという思いを持って書いたと語っている。等身大のビスマルクを知れる、いい本だった。
Posted by ブクログ
ビスマルクは伝統的なユンカー支配制度を守る志向を強く持ち、帝政の維持を第一とし、それらを守るために近代が生み出したナショナリズムを利用しつつ、自由主義勢力に対しては警戒を崩さない政治家。ドイツ統一、オーストリアやロシアとの微妙な関係の構築、フランスとの対立関係、また植民地獲得など、20世紀前半のドイツの骨格をすべて作り上げたともいえる。
ビスマルクはむしろ状況の変化に対応する術(クンスト)を持っていた政治家との評価。外で発生した変化に対し条件反射的に対応することができた「政治的天才」。
Posted by ブクログ
ドイツ建国の立役者、19世紀最大の政治家とも言われたビスマルクの生涯について、最新の研究成果をふまえて記したもの。自分は高校センター世界史レベルの知識しかなく、若い頃のエピソードなどは面白く読めた。政治家になってからについても、一歩間違えれば崩壊してしまいそうなヨーロッパで、なんとか国をまとめるために四苦八苦している様子が、これまで抱いていたビスマルク像と異なっていてそのギャップもよかった。
ただ逆に、研究的な視点から見てるせいか褒めることが少なく、彼のどこがすごかったのかわかりにくくなっている点はあるように見えた。
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生誕200年にあたる本年に、これまでの研究を踏まえつつ毀誉褒貶の激しい政治家・ビスマルクを論じた新書。分量はそれほど多いわけではないが、ビスマルクの一生涯を手際よくまとめてくれている。とりわけ、同時代人や後世の人間が付与したビスマルクのイメージを相対化するために、ビスマルクの「素顔」に迫るとして、彼の考えと実行された政策を関連づけて説明している。著者によれば、ビスマルクは普通選挙の提案やドイツ統一など、19世紀の国民国家思想を奉じていたように見えるが、それはあくまでも、ドイツではなくプロイセンを強大化させるために選択された手段にすぎず、彼の目的や国王に対する忠誠心は、むしろユンカーらしい保守的なものであった。したがって、ビスマルクの政治家としての才能は、時代に即応した政治理念のために活動したことではなく、プロイセンの強化という目的のために保守や革新といった枠にとらわれずに手段を選択したことにあるとされる。それに加えて、外的状況からの刺激に対して、しばしば急場しのぎであったとはいえ、上手く対応することができた(例えばドイツ統一後の外交政策)のが、彼の政治の「術」であったとされる。ビスマルクを取り巻く国内政治・国際政治の動向についてもまとまった解説がなされており、19世紀後半のドイツ政治史を学ぶ上でも良書だと思われる。
Posted by ブクログ
内容(「BOOK」データベースより) 一九世紀ヨーロッパを代表する政治家、ビスマル クの業績は華々しい。一八七一年のドイツ帝国創 建、三度にわたるドイツ統一戦争での勝利、欧州 に同盟システムを構築した外交手腕、普通選挙や 社会保険制度の導入―。しかし彼の評価は「英 霊」から「ヒトラーの先駆者」まで揺れ動いてき た。「鉄血宰相」「誠実なる仲買人」「白色革命 家」など数多の異名に彩られるドイツ帝国宰相、 その等身大の姿と政治外交術の真髄に迫る。
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鉄血演説がビスマルクにとってはマイナスだったと言うのは驚き。鉄血宰相と呼ばれるイメージから重厚で全て計算ずくで動いていたのかと思っていたけど、実は危機をなんとか凌いでいた感じだったのは意外。ビスマルクのイメージが大分変わった読書だったけど、なんとなく物足りないと言うか微妙な感じではあった。
Posted by ブクログ
ドイツ帝国国家、明治維新の政治家(特に西郷隆盛、伊藤博文)がこぞってビスマルクの行革や軍備の近代化を模倣した、と言われる。伊藤博文の国家統一では帝国議会、法律など中央集権国家構築であり、西郷隆盛の軍事統制もその例だ。ビスマルクと言えば「鉄血宰相」鉄と血による解決を演説し、三つの戦争で勝利:デンマーク戦争(1864年)、普墺戦争(1866年)、普仏戦争(1870-1871年)からドイツ帝国国家を構築したのは有名だが、帝国議会での政局では思うような賛同を得れなかった。だが、フランスとの勝利では50億フランを課すことで様々な国内での政策、法律を制定し通貨の統一、社会保険保障政策も実りを見せた。また対外的政策では隣接するロシア、オーストリア(ハンガリー)、フランス、イタリアなどとは互いの領域を確保するべく同盟を結び、晩年にはイギリスとの対峙から植民地政策にも乗り出した、とある。ビスマルクの皇帝に対する忠誠と行動力、決断力、更に政策を次々に打ち出す天才的な発想には驚くばかりだ。
日本の政治家と比較しても始まらないが、平凡でマンネリ化した政治から変化に対応した活動的な政治家を期待したい。
Posted by ブクログ
恥ずかしながら、ビスマルクなる人物を
深く知らなかった。
ちらっと、歴史の授業で習ったか、
どこかの書籍で登場してて、
名前を知ってる程度の知識。
なるほど、今のドイツの礎を
築いた人だたんですね。
Posted by ブクログ
一般的には、鉄血宰相と言われイメージが先行するビスマルクの人生を綴った1冊です。
文章が少し硬いせいもあるのか、回りくどい部分もあるけど、傲慢でワンマンな政治家というより、"プロイセンの1ユンカーがプロイセン存続の為にオーストリアを手玉に取り、フランスを撃破し、ドイツ存続の為に同盟を重ねがけして言った"と言う視点にすることでより等身大のビスマルク像が浮かび上がって来ます。
この人は"自分のスケールには身に余る19世期のヨーロッパの混乱をその外交センスと上からの革命を為すと言う信念だけで、時に自己を通しながら1つの形にして行ったのだ"、と。
丹念にその半生を見ていくとこのイメージはスンナリと腹に落ちて来ます。
因みにビスマルクの業績について、この本だけだと読むのに時間がかかるのでまずはYou Tubeで簡単な歴史を見てみると良いと思います。