あらすじ
歯を食いしばり一日を過ごす。星を数える間もなく眠りにつく。都に献上する銅をつくるため、若き国人は懸命に働いた。優しき相棒、黒虫。情熱的な僧、景信。忘れられぬ出会いがあった。そしてあの日、青年は奈良へ旅立った。大仏の造営の命を受けて。生きて帰れるかは神仏のみが知る。そんな時代だ。天平の世に生きる男と女を、作家・帚木蓬生が熱き想いで刻みつけた、大河ロマン。
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Posted by ブクログ
長門の国から石を切り出し銅を造り都に運ぶ。
大仏様をどうやって造りあげていったのか。
詳しく描かれた工程を読みながらもっと知りたい事は検索しながら読みました。
奈良の大仏様をこの本を読み終えてから、又この都を造りあげた関わった人々に対して参拝したいですね。感慨深い本です。
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極上の銅を命懸けで掘り出し、精錬して鋳込む。若き国人も仲間と共に都に向かった…。奈良の大仏造りに身を捧げ、報われずに散った男達の深き歓びと哀しみを描く大平ロマン。
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久々にヒット!
地味な主人公だけど、奈良時代の話が克明に描かれていてその時代が目に浮かんでくるようだ。
箒木篷生って知らなかったけど、他の本も是非読んでみたい。
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私は先に「水神」の方を読んでしまったが、この「国銅」があって「水神」がある、そんなことが自ずと頓悟された。
非常によくできた二昔前ぐらいの連続テレビドラマを観ているかのようだ。
主人公の国人が絵に描いたような善人の模範で、周りの人々や環境にも異様なほど恵まれる、などといったフィクションならではの好都合も随所に見られるが、本作全体を貫き通す真っ直ぐな流れは揺らぐことなく、読者の真情に迫る。
物語の中には、謎もどんでん返しもトリックも出てはこないが、“生きる”とはどういうことなのか、そんな命題に真っ向から取り組み、そのプロセスを経て得られた著者なりの答えが示されている。
「水神」同様、作中に出てくるなんでもない食べ物の数々や、また医師ならではの見地から描かれた疾病の表現などが印象に残る。
大仏建立の具体的な方法についても、ここまでよく調べられたものだと感服する。
奈良登りの掘り口や釜屋、吹屋もそうだが、登場人物たちが働いている現場の暑さ寒さまで伝わってくるような臨場感だ。
Posted by ブクログ
ならの大仏建立の物語です。
銅を作り上げるまで。
銅を流し込んで大仏にするまで。
その過程を体験する一人の若者が苦役に耐えて成長する姿を描いています。
人生でほんとうに大事なものは何か。
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若い頃「師」と呼べるような人と出会えることは本当に幸せなことだと思う。
この物語に出てくる主人公「国人」もそのような出会いを経て次第に成長していく。
時には死者もでる程過酷な大仏建立の課役を務めつつ、様々な人との出会い、別れを乗り越えて「自分の仏」=アイデンティティを確立していく主人公の様子を、徐々に出来ていく大仏と平行させて描いている。
「国人」が次第に魅力的な人間に成長していく過程を「景信」をはじめ様々な個性あふれる登場人物や、大仏建立作業はもちろん、その他にも当時の都の様子、食べ物等の細かい風俗描写を織り交ぜて描いており、全く飽きずに読み進めることができた。そして最後には本当にさわやかな気持ちにさせてくれた。ちょっと悲しかったけどね。
飽食の今、なんでも手に入る今、この本に出てくる数々の質素な食事のなんと旨そうなことか。1冊の詩集からでもなんといろんなことが学べるか。
今の僕より国人の方が豊かな心のような気がする。精進精進。。。
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天平時代を生きた人達の物語。当時の社会状況が、ことこまかに描かれている。現代ではもう見られなくなった、さまざまな職種の人達も登場。渡来人、百済人もよく描かれている。船や橋、建物などの記述も鮮やかでとてもよい。当時の食文化も読み応えがあった。鮨などにいたっては、当時から1200年以上の時を経て、やっと世界中で食べられるようになったのであるから、釈迦の真の教えが世界にあまねく広まるのは、まだまだ先のことであろう。金曜の夜に馬鹿騒ぎをし、ジーンズを履いて犬を散歩させ、大型スクリーンを眺めて暇を潰し、果てには飲酒運転で暴走してしまう、至極退屈な現代の日本人達と、当時を必死で生きた天平人、どちらが幸せな日本の姿であったであろうか。といっても、日本人の行動が世界中から注目されているのは事実であろう。きのう乗ったルーズベルト島とマンハッタン島を結ぶケーブルカーの中でおもしろい会話を聞いた。「俺は、朝6時に起きて毎朝運動をしている。おまえはロシア時代に軍隊を経験しているから、朝、運動をしているのか?」「ああ、ストレッチをしている。」「日本人も朝、運動をしているそうだな。」云々。皆、鮨を食べて運動をして長生きしたいのでせうか。
下巻の詩句に
宴安消霊根
酖毒可不恪
無以肉食資
取笑葵與藿
というのがあった。大日如来も現代日本人には苦笑いであろうか。
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やっぱり帚木蓬生は面白い。固そうでそうでもなく、かと言って緩すぎず。文章に適度な重みがあっていい。
広国が死んだ辺りまでは、国人が課役から逃げ出していく話になるのかなぁ、と思いながら読んでいたんだけど、段々に国人は仏の教えに染まっていって、なんだか複雑。ただ、彼が信じているのは、ある意味、治世に利用されている仏教ではなく、本当に日本に伝わってきた仏典の中の仏教で、そこには私自身も共鳴できるものが多いとも思った。今、私の身近にある、世俗化した仏教ではなくて、日本に入ってきたばかりの仏教。涼やかな感じがする。
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奈良の大仏を作るために全国から集められる人々。その中で長門から竿銅を作っていた国人がやがて奈良で大仏を作り懸命に生きる姿を描写する。
習字や薬草についてなど探究しながらも長門に帰る日を夢見て。
昔の建造物には奴隷のように働いた一人一人がいたんだ、東大寺の大仏見に行くぞ。古代の旅の風景も興味深い。
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奈良時代に大仏像のための銅を作り出すために懸命働く若者たちの物語。全く明るい話はないが、懸命に生きる姿に清々しい思いも出てくる。色々な場面で登場する拍子歌が物語を少しだけほのぼのとした雰囲気にしてくれる。さて、大仏はどうなるのかの後編に続く。
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(上下巻通じての感想です)
奈良の大仏を作る物語ですが、時の権力者や僧侶の側からではなく、作業に直接携わる人足の側から書いています。大仏の材料となる銅鉱石の掘り出しから始まって、精錬し、地方から都へ舟で運び、大仏の製造鋳込みを行います。その作業過程の描写や働く人足たちの気持ちの記述は素晴らしかったです。
ただ、ちょっと残念だったのは主人公があまりにも体力的、知的、人物的に優れていたことでした。もっと庶民の姿で書いてあれば良かったのにと思いました。
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奈良の大仏を製作する為の、人足(力仕事をする作業員)の物語。
時代も環境、身分、境遇は違えども、現代の自分達と変わらぬ「人の感情」がそこにはある。いや、むしろ常に生死を意識しながら、己の体を目一杯に使う毎日だからこそ現代以上の強い「感情」がある。
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美しい景色と銅山での課役。そして奈良の大仏建立への挑戦。一人の人足の目線で語られる一大スペクタル歴史小説。天平の時代の彩る情景を思い浮かべる事が出来る美しい表現力。神の領域か。後半は味わって読もう♪
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奈良の大仏を作った人たちの話。
奈良の大仏の銅は長門からはるばる掘り出されて運ばれてきた。
それだけでもすごい物語だ。
掘り出された銅は船に載せられ、その船は人の力で漕ぐ。
そして集められた大量の銅をまた溶かす。
課役という半強制労働で各地から何万という人が集められ
大仏作りに加わった。
現代に例えたらどんな感じだろうか。
各地区で10人が徴兵され、連絡の一切取れない辺境に行かされて、
任期は3年なのか、5年なのか、
それともそこで死ぬことになるのか、それすらわからない。
言葉だって、今で考えたら外国語なみに通じないのではないか。
今、歩いて行くことは到底できないから、
せめて鈍行に乗って、奈良の大仏に会いに行きたくなる。
Posted by ブクログ
奈良旅行をきっかけに読み始めました。
この時代を描いた小説は珍しいのではないでしょうか…。
国人という青年を通して見た都、人間、そして仏の教え。
まっすぐで、一生懸命な国人は周囲の人をも優しくする。
彼のその生き方は、多くの人を揺り動かす。
厳しい生活や苦役の中でも、この話が苦しくなりすぎないのはそんな人の優しさを見ることができるからかもしれない。
Posted by ブクログ
奈良の大仏を作る話な上にこの表紙、受けるイメージはかなり渋めなのだけれど、おもしろい。意外に読みやすい。「仏像」を全く違う視点から見るきっかけを与えてくれるような逸品です。
Posted by ブクログ
2010年、平城京遷都1300年の記念すべき年に読んだ。
大仏建立の詔が聖武天皇によってなされたのは743年のことだ。
通常、大仏建立記は為政者の立場から、つまり聖武天皇•光明皇后•藤原仲麻呂•僧玄昉•行基の視点から語られる。
だが、本書は巨大大仏を実際に建立した一人の人夫の視点から描かれる。
市井の市民の視点を通すことで、時代背景がよりリアルに切実に感じられ、登場人物が生き生きと描かれることになるのだ。
主人公国人(くにと)に課せられた銅作りの苦役は悲惨極まりないが、その状況を易々と乗り越える主人公の心映えは純粋で美しい。
大仏建立に徴用され、長門国から奈良に向かうに当たっては、役人の庇護が有り安全に長旅をすることが出来る。
しかし、数年の苦役を辛うじて終えた後は、自助努力で故郷に帰りつかなくてはならないのだ、
使用価値のある間は大事にするが、使用価値が無くなった途端、国家権力は個人に無関心になる。
徴用された膨大な労働者によって大仏は建立されるが、労働が終わった後、労働者の殆どが、故郷に帰り着くことなく路傍に散っていったことを、歴史の教科書は教えない。
悲惨な物語にも関わらず、この小説が清々しいのは、主人公の無垢な心が色々なものを吸収して浄化し、周りの人々にも感化を与えていくからだ。
「大仏を作った者も仏」という悲田院の僧侶の言葉は、主人公の辿り着いた境地を語って感動的だ。
印象的に描かれるのは、行基上人の二人の弟子のコントラストだ。
ひとりは都から遠く離れた長門の国でたった一人巨大な磨崖仏を彫り上げる景信であり、今ひとりは豪華絢爛の中、物欲にまみえる大僧正だ。
ひとは、美しく生きることも、醜く生きることも出来る。
それを、市井の視点から、見事に描き切った大作だ。