【感想・ネタバレ】トニオ・クレーゲル ヴェニスに死すのレビュー

あらすじ

精神と肉体、芸術と生活の相対立する二つの力の間を彷徨しつつ、そのどちらにも完全に屈服することなく創作活動を続けていた初期のマンの代表作2編。憂鬱で思索型の一面と、優美で感性的な一面をもつ青年を主人公に、孤立ゆえの苦悩とそれに耐えつつ芸術性をたよりに生をささえてゆく姿を描いた「トニオ・クレーゲル」、死に魅惑されて没落する初老の芸術家の悲劇「ヴェニスに死す」。

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Posted by ブクログ

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ショタコンの教科書だ…たまげたなぁ

大抵の小説が情景描写から入るところが、この作者は異次元の存在だから大抵美少年の描写から入る。まあドイツは美少年多いからね、しかたないね。
祖母が「いやらしい本だから読むな」というのでいついやらしくなるのかとページを捲るうちに読破してしまった。
それが、当たり前だけど素晴らしい。美少年が出てきて、虚しい片想いをしてノータッチで終わる。萩尾望都とか好きな人は好きじゃろ?こういうの。美しい思い出の片想いなんだなぁ。美少年は偉大なんだ。

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2025年01月03日

Posted by ブクログ

ネタバレ

コロナ騒動でカミュ「ペスト」を読み、さて次はと本棚から取り出した。
「ペスト」よりもどちらかというと「ヴェニスに死す」や「ゾンビ」や「ノスフェラトゥ」など頽廃に惹かれるタチなのだ。
そもそもヴィスコンティ「ヴェニスに死す」は生涯ベストに入る。
(ちなみにヴィスコンティはカミュ「異邦人」も監督している。最近の読書をこっそり架橋していたのだ。さらにドストエフスキー「白夜」も入れて文豪映画化シリーズに入れておきたい)
それで読んでみて。

「ヴェニスに死す」
びっくりするくらい原作に忠実な映像化だったのだ。
というか小説を読むと映像が鮮烈に甦る。
違うのはアシェンバハの職業くらいか。
思うだに奇蹟の采配と執念が完成させた映画なのだろう。
ところで小説は映画と違い人物の内面に比重を置くが、本作の語り手は結構アシェンバハから距離を置いている。
とはいえ映像と重ねることでより立体的に迫ってきて、今回小説を読んで一番の収穫だったのは、
アシェンバハがはっきりと「疫病との共犯意識」を持っていたと書かれていることだ。「理性を越えた甘美な希望」とも。
老境迫る壮年が「あちらがわ」に行くきっかけはタジュウだが、その背中を押したのはコレラだったのだ。

「トニオ・クレーゲル」
は事前知識を特に入れず、流れで読んでみた。
が、まったく他人事とは思えないし、既視感たっぷり。
まずは絵柄。小説にこういうのはなんだが、はっきり萩尾望都先生の絵で浮かんだ。
そして既視感はヘッセ「車輪の下」からも。単純に似ているのだ。
少し離れるが宮沢賢治「銀河鉄道の夜」のジョバンニのカムパネルラに対する憧れも連想(ここまで行くと脱線だがのび太と出木杉をジョバンニとカムパネルラに重ねることもできそうだ)。
極私的には宝塚「激情ーホセとカルメン」(1999年の姿月あさと、花總まりを中心とした宙組による初演時)も連想。
要は生真面目な人物が劇的な恋に死ぬ話に、一言では言い尽くせない感情を抱いてしまう。
表面的には「激情」に比されるのは「ヴェニスに死す」なんだろう。「あちら側へ行く」話だから。
そして「トニオ・クレーゲル」は「芸術家」ー「市民」という対立軸を作った上で、「市民的気質を保つ芸術家」に落ち着こうという結論だから、ちょい違う。宮崎駿ふうに言えば「生きねば」に落ち着くのだ。
が、もはやここまで来たら死ぬも生きるも恋も鈍感もどちらも同じでどちらでもよいような地点に行きつくのではないか。
おそらくこの「遠くへきてしまった感じ」は萩尾望都先生も皆川博子先生も同意してくれるのではないか。
終盤に「あの男女」が再登場するが、「ただの似たカップル」という説もあるらしい、が、もう当人でも空似でもどうでもいいところに、トニオは来ているのだと思う。
選民思想インテリ向けに書かれている部分は確かにあるだろう。
が、決して凡人にも無縁ではない、というか思春期を一度でも体験した者には全然他人事ではないことが、書かれている。
構成も描写も多少退屈で迂遠なところはあるが、なんでもソナタ形式なのだとか。
この堅牢な構成には、再度注目しつつ読み返してみたいところ。
三島由紀夫や北杜夫など連想の幅も広がった。いずれ「魔の山」にも挑戦すべきだ。

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2020年05月14日

Posted by ブクログ

ネタバレ

≪内容≫
『トニオ・クレーゲル』
孤立の苦悩と、それに耐えつつ芸術性をたよりに生を支えてゆく青年の物語。
『ヴェニスに死す』
水の都ヴェニスにて、至高の美少年に魅せられた芸術家の苦悩と恍惚を描いた作品。

≪感想≫
ヴィスコンティ監督の「ヴェニスに死す」がこの秋、ニュープリント上映されている。銀座テアトルシネマに職場がほど近く、原作を一度読んでから映画をみようと思い、本書を手にとった。

マンの初期の代表作2編。どちらも芸術家あるいは文士を主人公に据え、芸術とは何かを徹底的に追求し苦悩する姿を描いている。

「ヴェニスに死す」は映画のイメージ(というか、ビョルン・アンドルセンのイメージ)が頭から離れず、独立した作品として読めていないとは思うが、それでも良い意味で、映画が原作のイメージを高めてくれたような佳作だと感じた。少女ではなく少年に魅了され、自滅に至る姿がとても面白い。もう手に入れることのできない刹那的な美への憧憬には、なんというか「凄み」を感じる。

本書にはもう一作、「トニオ・クレーゲル」が収録されていて、これが非常に面白い作品だった。「ヴェニスに死す」と同様に芸術家の苦悩がテーマとなっているが、アシェンバハが崩壊に向かう一方で、トニオのほうは苦悩の先に芸術家としての新しい地平を見出していく。トニオが故郷の街を訪れる場面やハンスやインゲボルグと再会する場面が非常に悩ましく、その中で揺さぶられるトニオの心情が痛いほど伝わってくる。

この物語にもっと早く出会っていたかったと思う一方で、今だからこそ感じ入るものがあったのかもしれないとも思う。何度も読み返してみたいと思わせる、良作。

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2011年10月24日

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ネタバレ

読み切った!やったあ!という気持ちが強い。

どちらも芸術家を主人公とした話で、その精神性がフォーカスされている。自分を俯瞰する視線から絶対に逃れられないことについての嘆きはよくわかる。そういう人が芸術家なりえるということも。「ヴェニスに死す」はここから脱しようという老年の男の話である。芸術家というか、何かを創ることにその心を捧げている人というのはめちゃくちゃ人間な気がすると思った。
どちらの小説も純粋な読み手(創るということをしない人)が読んだら、どんなふうに思うのだろうか。

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2021年07月23日

Posted by ブクログ

ネタバレ

ある芸術家の生き様の軌跡。
肥大化し膨れ上がった自意識、彼の思想は、極限まで高められた内省に源泉を持つ。
凡人と才能ある人々を区別することの意味。むしろ区別するという行為自体が極めて凡人的なのかもしれない。
悩める俗人。


「恋が人を豊かにし、生き生きとさせることを知っていたからだった。」

彼が愛したのは、容姿端麗で、活発な青年とブロンドのお転婆娘。彼らは詩を軽蔑する。
彼は叶わぬ恋に身を焦がす。そしてそれが彼の内的な自己否定であり、彼らに愛され承認されることによる自己肯定への欲求なのかもしれない。

「なぜなら幸福とは、と彼は自分に言って聞かせた。愛されることではない。愛されるとは嫌悪を交えた虚栄心の満足に過ぎない。幸福とは愛することであり、また、時たま愛の対象へ少しばかりおぼつかなくても近づいていく機会を捉えることである。」

言って聞かせた。ここに彼の歪な愛が垣間見える。

「春は最も醜悪なる季節なり」
春は想い出や感情の優しい部分を引き出す。そしてそれは醜悪なことなのだ。

「全てを理解するということは全てを許すということでしょうか」

「認識の嘔吐と言いたいような何かがあるんですよ、リザヴェータさん。ある事柄を見抜くだけでもうそれが死ぬほど嫌になってしまう。」
人生なんて認識の嘔吐の連続でしかない。それでも人生を愛するとはどういうことなのだろうか。

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2012年06月09日

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ネタバレ

表題のとおり2作品を収録。
どちらの作品も共通しているのは、主人公は文芸家(詩人・作家)で、叶わぬ恋をしており、叶うところまでいかないところに美や陶酔を感じている。と、これだけ書くとなんだか進展がなさそうな感じがするが、実際進展がない。ストーリーとしてはあまりメリハリがないが、その一瞬一瞬の詩的表現が耽美的でどちらかといえばそこを楽しむ話だと思う。
進展のない話だが、ここで下手に主人公がアクションを起こして失敗して・・・なんて展開になると逆に野暮な気もする。
『ヴェニスに死す』では美少年をストーキングしたり、かなりアウトに近い行動もあるが、ギリシャ神話すらも持ち出して表現する己の恋心情の圧倒的詩的表現によりなんだかそのあたりぼんやりグレーにまでぼやかしている効果もあると思う。名声を得た作家からラストへの変化は本人にとっては本望なのだろうが、どことなく哀愁誘うのはなぜだろう。

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2018年06月13日

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