【感想・ネタバレ】トニオ・クレーゲル ヴェニスに死すのレビュー

あらすじ

精神と肉体、芸術と生活の相対立する二つの力の間を彷徨しつつ、そのどちらにも完全に屈服することなく創作活動を続けていた初期のマンの代表作2編。憂鬱で思索型の一面と、優美で感性的な一面をもつ青年を主人公に、孤立ゆえの苦悩とそれに耐えつつ芸術性をたよりに生をささえてゆく姿を描いた「トニオ・クレーゲル」、死に魅惑されて没落する初老の芸術家の悲劇「ヴェニスに死す」。

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Posted by ブクログ

情景描写がすごく美しい。同じ芸術家をテーマにした2作だけどなんだか違う。自分と自分の外側と。芸術家も所詮人間。いい意味で。

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2025年08月03日

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ネタバレ

ショタコンの教科書だ…たまげたなぁ

大抵の小説が情景描写から入るところが、この作者は異次元の存在だから大抵美少年の描写から入る。まあドイツは美少年多いからね、しかたないね。
祖母が「いやらしい本だから読むな」というのでいついやらしくなるのかとページを捲るうちに読破してしまった。
それが、当たり前だけど素晴らしい。美少年が出てきて、虚しい片想いをしてノータッチで終わる。萩尾望都とか好きな人は好きじゃろ?こういうの。美しい思い出の片想いなんだなぁ。美少年は偉大なんだ。

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2025年01月03日

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ネタバレ

コロナ騒動でカミュ「ペスト」を読み、さて次はと本棚から取り出した。
「ペスト」よりもどちらかというと「ヴェニスに死す」や「ゾンビ」や「ノスフェラトゥ」など頽廃に惹かれるタチなのだ。
そもそもヴィスコンティ「ヴェニスに死す」は生涯ベストに入る。
(ちなみにヴィスコンティはカミュ「異邦人」も監督している。最近の読書をこっそり架橋していたのだ。さらにドストエフスキー「白夜」も入れて文豪映画化シリーズに入れておきたい)
それで読んでみて。

「ヴェニスに死す」
びっくりするくらい原作に忠実な映像化だったのだ。
というか小説を読むと映像が鮮烈に甦る。
違うのはアシェンバハの職業くらいか。
思うだに奇蹟の采配と執念が完成させた映画なのだろう。
ところで小説は映画と違い人物の内面に比重を置くが、本作の語り手は結構アシェンバハから距離を置いている。
とはいえ映像と重ねることでより立体的に迫ってきて、今回小説を読んで一番の収穫だったのは、
アシェンバハがはっきりと「疫病との共犯意識」を持っていたと書かれていることだ。「理性を越えた甘美な希望」とも。
老境迫る壮年が「あちらがわ」に行くきっかけはタジュウだが、その背中を押したのはコレラだったのだ。

「トニオ・クレーゲル」
は事前知識を特に入れず、流れで読んでみた。
が、まったく他人事とは思えないし、既視感たっぷり。
まずは絵柄。小説にこういうのはなんだが、はっきり萩尾望都先生の絵で浮かんだ。
そして既視感はヘッセ「車輪の下」からも。単純に似ているのだ。
少し離れるが宮沢賢治「銀河鉄道の夜」のジョバンニのカムパネルラに対する憧れも連想(ここまで行くと脱線だがのび太と出木杉をジョバンニとカムパネルラに重ねることもできそうだ)。
極私的には宝塚「激情ーホセとカルメン」(1999年の姿月あさと、花總まりを中心とした宙組による初演時)も連想。
要は生真面目な人物が劇的な恋に死ぬ話に、一言では言い尽くせない感情を抱いてしまう。
表面的には「激情」に比されるのは「ヴェニスに死す」なんだろう。「あちら側へ行く」話だから。
そして「トニオ・クレーゲル」は「芸術家」ー「市民」という対立軸を作った上で、「市民的気質を保つ芸術家」に落ち着こうという結論だから、ちょい違う。宮崎駿ふうに言えば「生きねば」に落ち着くのだ。
が、もはやここまで来たら死ぬも生きるも恋も鈍感もどちらも同じでどちらでもよいような地点に行きつくのではないか。
おそらくこの「遠くへきてしまった感じ」は萩尾望都先生も皆川博子先生も同意してくれるのではないか。
終盤に「あの男女」が再登場するが、「ただの似たカップル」という説もあるらしい、が、もう当人でも空似でもどうでもいいところに、トニオは来ているのだと思う。
選民思想インテリ向けに書かれている部分は確かにあるだろう。
が、決して凡人にも無縁ではない、というか思春期を一度でも体験した者には全然他人事ではないことが、書かれている。
構成も描写も多少退屈で迂遠なところはあるが、なんでもソナタ形式なのだとか。
この堅牢な構成には、再度注目しつつ読み返してみたいところ。
三島由紀夫や北杜夫など連想の幅も広がった。いずれ「魔の山」にも挑戦すべきだ。

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2020年05月14日

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まだトニオの方しか読んでいない。
芸術家を目指す俗人の話。小説って何でも小説になるんだなぁと思った。トニオがたまたま芸術家を目指していただけて、社会との接点を持つようになる若者の多くは、彼に似たような思いを抱くだろうと思うと、この話にはやはり普遍性がある。リザヴェータの迷える俗人宣告は痛快で、その前までのトニオがいとおしい。

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2014年03月27日

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何度読んだか忘れたが、読むたびに読み方が変わる。デカダンス、美のイデア、イタリア喜劇、国際観光都市に集う国ごとの面々の癖…また、細部に注目してもいい。マンの残酷なまでのユーモアは、読み手を常に試してくる。勝てなければ、出直して再挑戦する、それだけの価値のある作家、作品である。

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2013年03月05日

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サークルの後輩が卒論の題材にしてる(トニオクレーゲルの方)ということで読んでみました。
ただ外国の純文学は初めてだったので、特にヴェニスに死すの方はかなり読むのに苦労が。
ただ、これは…面白い!
正直作品全体の命題とかは全然把握しきれないんですが、示唆に富んだ言葉や表現の密度が桁違いで、凄まじく刺激的な時間を貰えました。
こういう本は何回も読み返すことが理解する上で前提な造りだと思うので、じっくり読み込んでいこうと思います!
この詩は完成せず、十分に仕上げられず、また、悠々として何か纏まったものに刻み上げられることがなかった。彼の心は生きていたからである。
後輩の卒論考察が楽しみだ。

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2011年12月25日

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ネタバレ

≪内容≫
『トニオ・クレーゲル』
孤立の苦悩と、それに耐えつつ芸術性をたよりに生を支えてゆく青年の物語。
『ヴェニスに死す』
水の都ヴェニスにて、至高の美少年に魅せられた芸術家の苦悩と恍惚を描いた作品。

≪感想≫
ヴィスコンティ監督の「ヴェニスに死す」がこの秋、ニュープリント上映されている。銀座テアトルシネマに職場がほど近く、原作を一度読んでから映画をみようと思い、本書を手にとった。

マンの初期の代表作2編。どちらも芸術家あるいは文士を主人公に据え、芸術とは何かを徹底的に追求し苦悩する姿を描いている。

「ヴェニスに死す」は映画のイメージ(というか、ビョルン・アンドルセンのイメージ)が頭から離れず、独立した作品として読めていないとは思うが、それでも良い意味で、映画が原作のイメージを高めてくれたような佳作だと感じた。少女ではなく少年に魅了され、自滅に至る姿がとても面白い。もう手に入れることのできない刹那的な美への憧憬には、なんというか「凄み」を感じる。

本書にはもう一作、「トニオ・クレーゲル」が収録されていて、これが非常に面白い作品だった。「ヴェニスに死す」と同様に芸術家の苦悩がテーマとなっているが、アシェンバハが崩壊に向かう一方で、トニオのほうは苦悩の先に芸術家としての新しい地平を見出していく。トニオが故郷の街を訪れる場面やハンスやインゲボルグと再会する場面が非常に悩ましく、その中で揺さぶられるトニオの心情が痛いほど伝わってくる。

この物語にもっと早く出会っていたかったと思う一方で、今だからこそ感じ入るものがあったのかもしれないとも思う。何度も読み返してみたいと思わせる、良作。

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2011年10月24日

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言い忘れていました。この2篇に関しては、岩波文庫よりもこの新潮文庫の訳文のほうに、私は慣れているのでした。そして、岩波の「トニオ」に載せた「リザヴェータさん」はこっちのほうで、つまり岩波では「リザベタさん」でしたね。やっぱり、リザヴェータさんのほうがいいな。その1点だけでも、こちらを私の底本にしたいと思います。さて、まだ『魔の山』や『ブデンブローク家』のことを載せていないではないか、と言われそうですが、あれらには、まだ登攀していないのですよ。逃げるつもりはありませんけれど、きっとそのうちに、ね。約束します、運命の女神の許す限りにおいて。

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2011年07月19日

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『トニオ・クレーゲル』…これほどまでに全編一字一句余すところなく共鳴できる作品は、これから先二つと出会えないと思う。感受性が最も鋭敏な思春期の頃に出会えてよかった。今ままで読んだことのある中で恐らく最も好きな本。
『ヴェニスに死す』…当時の私には語彙があまりに難解すぎて途中で断念。別の訳者(名前失念)の訳で最近読み直したが読むペースが遅すぎて噛み締められなかったのでまた読みたい。

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2012年01月03日

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ネタバレ

読み切った!やったあ!という気持ちが強い。

どちらも芸術家を主人公とした話で、その精神性がフォーカスされている。自分を俯瞰する視線から絶対に逃れられないことについての嘆きはよくわかる。そういう人が芸術家なりえるということも。「ヴェニスに死す」はここから脱しようという老年の男の話である。芸術家というか、何かを創ることにその心を捧げている人というのはめちゃくちゃ人間な気がすると思った。
どちらの小説も純粋な読み手(創るということをしない人)が読んだら、どんなふうに思うのだろうか。

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2021年07月23日

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大作「魔の山」の前に、トーマス・マンの雰囲気をつかもうと思って読んだ。「ヴェニスに死す」は別の訳で読んだので割愛。「トニオ・クレーゲル」は魔の山を読む前に読むには丁度いい小説だと思う。多少、観念的で暗中模索気味な読書になるが、読み通せば感じるものはある。傷口が拡がるような感覚じは読み通して良かったと思えるものだし、再読しがいのある作品だと思う。三島的感性というよりも芸術や青春に対する憧れや愛着といったものを見つめている。途中少し集中が切れそうになったが読み終えてよかった。読み通す価値のある小説だと思う。

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2017年12月18日

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トーマス・マン。
とにかく長大・重厚な作品を書いた大作家という印象だが、本書は比較的ボリュームの軽い、中編を2編収める。
とはいえ、ここにも「過剰なる叙述の片鱗」と言ってもいいような、詳細かつ細部に分け入っていく、畳みかけるような描写がある。
2編に共通しているのは、「決して混じりえぬものへの憧憬」とでも言えようか。。

『トニオ・クレーゲル』は一人の芸術家の半生を描く。謹厳な父に、異国から嫁いだ、夢見るような母。周囲に完全に溶け込むことのない一対の観察する目のような少年時代が印象的である。少年トニオが愛したハンスは、トニオよりも乗馬友達の方がお気に入りだ。長じて詩人となったトニオが女流画家に当てた手紙はそのまま、マン自身の芸術論であるように思える。
『ヴェニスに死す』では、気分転換にと大作家がヴェニスを訪れる。やはり旅行に来ていたポーランド人一家の中に、端正な顔立ちの少年がいた。ギリシャの美少年を思わせるような中性的な美しさを愛で、老作家は密かに見つめ続ける。生ぬるい風に消毒薬の匂いが混じる。死の伝染病が流行しているが、当局が伏せているらしい。この地を去るべきだと思いつつ、少年に魅せられた作家は、そこを離れることができない。

「美」を見出し、描き出すのは「芸術家」だが、「美」そのものを体現するものは、それを描写する必要を持たない。「芸術家」は「美」の一番の理解者でありながら、「美」自体になることはできない。「美」は自身が「美」であるがゆえに、「芸術家」が「美」を求め、それを捉えようと苦しみ、遂に手中にする喜びを、真に理解することはない。
かくしてこの片恋は、永遠に片恋のまま。
『ヴェニスに死す』では、間接的にではあるが「美」への愛のため、「芸術家」は命を落とす。ある意味、幸福な結末であるようにも見えるし、辛辣な喜劇のようにも見える。途中からは引き返せない道であることがありありと見えることから、一直線に奈落へ落ちていく悲劇のようにも見える。
読むたび印象が変わりそうな、万華鏡のような不思議な世界である。


*トーマス・マンといえば思い出すのは北杜夫。敬愛するマンの「トニオ・クレーゲル」から筆名を「北”杜二夫(とにお)”」とし、読みにくいため「杜夫」に改めたのはよく知られる話。代表作の1つである「楡家の人々」もマンの「ブッデンブローク家の人々」に影響を受けたものとのこと。

*「ヴェニスに死す」は学生時代にヴィスコンティの映画を見ました。当時は、不健康で退屈、と思ったのですが(^^;)、先日、オペラ仕立てのものを見たら存外おもしろくて原作を読んでみる気になりました(映画とオペラの作品の出来不出来ではなく、自分の方が年を取ったということだと思うのですが)。

*水の都、ヴェニスは、実際に感染症の蔓延に悩まされていたんでしょうかね。このあたりもちょっと追ってみたいような。

*マンは後年、反ナチスの姿勢を明確に打ち出していきます。金髪・碧眼という本二作で描かれる美の象徴はそのまま、ヒトラーの賛美した「アーリア人」的容貌であるようにも思えます。その重なりが余計に許せなかったのかもしれない、とちょっと思ったりします。

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2015年08月13日

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ドイツの作家トーマス・マンが1903年に発表した"トニオ・クレーゲル"と1912年に発表した"ヴェニスに死す"を収録。どちらも映画されており、特に"ヴェニスに死す"は有名な作品です。どちらも芸術家を主人公にした作品で、作中ではそれぞれが苦悩する姿が描かれます。"トニオ・クレーゲル"は、作者自身の自伝的内容らしいが芸術に対する苦悩と思春期特有の苦悩が上手く結びつきあって、彼の独白に共感しやすさを持たせていると感じた。"ヴェニスに死す"は同性愛(BL?)的な視点で読んでみるのも一興かと。

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2014年06月30日

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薦められて読んでみた本。面白かったなあ。
芸術か実生活か、直感か理性か…

『魔の山』の時にも感じていたのだが、トーマス・マンの筆致は強くてシリアスでありながら、どこか諧謔的で、一寸とぼけたようなところがあると感じるんだよね。そこが好き。テレビ「ドラゴンボール」のナレーションみたいなところがありはしないか?
満足です。
そして、推薦者がコレを推す意義もひしひしと伝わってきました。

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2013年01月04日

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ヴィスコンティの映画は大好きで、初原作。いつか読もうと思っていたもの。
やっぱり原作秀逸。映画の映像美はいわずもがなだけど、こちらはこちらで面白いというもの。
トーマスマンは初めて読んだけれどもこのねちっこくてどこまでも深い穴倉のなか。みたいな感覚すき。
美に対する哲学というか思想?。この羨望の気持ち、よく分かる。
激しい葛藤、世紀末のような大混沌。ひとから見れば恐ろしいほどに滑稽。

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2012年11月14日

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二作カップリング本。
どちらも芸術家の苦悩を描いているが、質が異なる。
前者は若い作家が「文学とは、創造とは?」と思い悩むが、
後者は分別のある大成した老作家が旅先でトラップに嵌まってしまう話。
読み比べるのも楽しい。
ところで、学生時代、サークル仲間に「貸して~」と請われて渡したこの本、
とうとう返ってきませんでした。
借りたものを返却しないまま音信を絶つってぇのは、どういう了見なのかね?
で、後日、岩波文庫の『ヴェニスに死す』を改めて購入したのでした。

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2012年09月24日

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ネタバレ

ある芸術家の生き様の軌跡。
肥大化し膨れ上がった自意識、彼の思想は、極限まで高められた内省に源泉を持つ。
凡人と才能ある人々を区別することの意味。むしろ区別するという行為自体が極めて凡人的なのかもしれない。
悩める俗人。


「恋が人を豊かにし、生き生きとさせることを知っていたからだった。」

彼が愛したのは、容姿端麗で、活発な青年とブロンドのお転婆娘。彼らは詩を軽蔑する。
彼は叶わぬ恋に身を焦がす。そしてそれが彼の内的な自己否定であり、彼らに愛され承認されることによる自己肯定への欲求なのかもしれない。

「なぜなら幸福とは、と彼は自分に言って聞かせた。愛されることではない。愛されるとは嫌悪を交えた虚栄心の満足に過ぎない。幸福とは愛することであり、また、時たま愛の対象へ少しばかりおぼつかなくても近づいていく機会を捉えることである。」

言って聞かせた。ここに彼の歪な愛が垣間見える。

「春は最も醜悪なる季節なり」
春は想い出や感情の優しい部分を引き出す。そしてそれは醜悪なことなのだ。

「全てを理解するということは全てを許すということでしょうか」

「認識の嘔吐と言いたいような何かがあるんですよ、リザヴェータさん。ある事柄を見抜くだけでもうそれが死ぬほど嫌になってしまう。」
人生なんて認識の嘔吐の連続でしかない。それでも人生を愛するとはどういうことなのだろうか。

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2012年06月09日

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早朝に変なことつぶやいてたらツイッターのフォロワーさんにオススメ頂いたトニオ・クレーゲル。
ちょっと難しい言葉があったけど、勧めてもらった理由は納得しました。まあ自分は迷える俗人というか迷えるクズですけど。自分とは何であろうか?とかマジョリティーに中々属しない人なんかは共感する部分がありそうな。

ヴェニスに死す は美しい話だけど恐ろしいなやっぱり。苦悩の追求と陶酔の狭間の文学って感じ。映画版を昔これまた人に勧められて観ました。当時はおっさんドーシタみたいに思って凄い映画だとは思ったけど中身は理解できてませんでしたけど、今は少しはわかるような気がします。

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2011年10月09日

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難解。高校の時はヘッセなんかもたくさん読んだ。この、日本語訳に更に現代語訳がないと真に理解には到らない気もするけれど…それは多分、しない方がいい。

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2011年02月24日

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作者の芸術家観が窺える。トニオ君の鬱屈した少年期は、現代のオタ・非コミュな人達には痛いほど分かるのでは。ハンスとインゲは「リア充」ってやつですね。


「春は仕事がやりにくい。これは確かだ。ではなぜなんでしょう。感ずるからですよ。それから、創造する人間は感じてもいいなんて思い込んでいる奴は大ばか者だからですよ。」

「あなたが言うべきことをひどく大切に考えていたり、そのことのために心臓をあんまりどきまぎさせたりすれば、まず完全な失敗は間違いない。悲壮になる、センチメンタルになる。それでどうなるかというと、何か鈍重な、不手際で大真面目な、隙間だらけの、鋭さを欠いた、薬味のはいっていない、退屈平凡なものが生まれるだけ」

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2010年10月22日

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厳めしい文学者、貴族の称号を持つグスタフ・アシェンバハはある日の散歩途中、突然旅への誘いに見舞われた。理性的な彼は芸術に倦んで、疲れたからだ。はたして、内面の旅でもあり、ヴェニスへ導かれる旅の始まりだった。

映画「ヴェニスに死す」を私は先に観た。よくわからなかった。

その後、ヴェニス、すなわちヴェネツアを訪れたことがある。まるまる2日間、街を、路地をさ迷いサン・マルコ広場でゆっくりとし、リド島にも渡った。

行ったと行かないではかくも認識がちがうものものなのか。当然だが文学「ヴェニスに死す」は描こうとしているころのものが、ヴェネツアの風物と深いかかわりを持っている。

行った人はわかるだろう、水に浮かんでいるまぼろしのような古い建物、丸い屋根。あの運河の臭気、ゴンドラのまがまがしさ。100年経っても変らないその姿。

「ヴェニスに死す」だから、最後は死ぬのだが何ゆえにか?文学の香ただようミステリーと言ったら失礼だろうか。芸術もミステリアス。

ギリシャの時代から極めてきた美の究極はどこにあるのか。感性は理性をも覆うのか。若さに老いは脆いのだろうか。

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2021年09月10日

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ネタバレ

表題のとおり2作品を収録。
どちらの作品も共通しているのは、主人公は文芸家(詩人・作家)で、叶わぬ恋をしており、叶うところまでいかないところに美や陶酔を感じている。と、これだけ書くとなんだか進展がなさそうな感じがするが、実際進展がない。ストーリーとしてはあまりメリハリがないが、その一瞬一瞬の詩的表現が耽美的でどちらかといえばそこを楽しむ話だと思う。
進展のない話だが、ここで下手に主人公がアクションを起こして失敗して・・・なんて展開になると逆に野暮な気もする。
『ヴェニスに死す』では美少年をストーキングしたり、かなりアウトに近い行動もあるが、ギリシャ神話すらも持ち出して表現する己の恋心情の圧倒的詩的表現によりなんだかそのあたりぼんやりグレーにまでぼやかしている効果もあると思う。名声を得た作家からラストへの変化は本人にとっては本望なのだろうが、どことなく哀愁誘うのはなぜだろう。

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2018年06月13日

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祖母がこれは面白いからと熱烈に勧めて来たので、読んだ一冊。
何とか読んだものの、当時の私には難し過ぎて何だか良く理解できなかったというのが正直なところ。
「トニオ・クレーゲル」の方はほとんど記憶に残っていないです…
そして、「ヴェニスに死す」は何て暗い話なんだろうと^^;
ヴェニスは美しき水の都だと思ていたのですが、この本では臭く不吉な雰囲気の街として描かれていてちょっと驚いた記憶があります。
読後、祖母に良く分からなかったと言ったら、2回3回と読み返せば理解が深まると言われたのですが、気力がなくてまだ再読はしてません。
でも、いずれもう一度読みたい一冊であることは間違いないです。

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2017年08月03日

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表題二篇が収録された本作。『ヴェニスに死す』が読みたくて手に取りました。
初老の芸術家アシェンバハは旅行先のヴェネツィアに滞在していたところ、同じホテルにポーランド人家族が居るのに気付く。その家族のなかに美少年タージオ(タジュ)を見つけ、一目で心を奪われてしまう。アシェンバハは遠目から海辺で姉たちと遊ぶ少年をじっくりと眺める時間が至福となり、次第に少年の後ろを付けたり、視界に入ることに喜びを感じるようになる。

アシェンバハの行動は傍から見れば変態的です。自分の子どもほどの年齢の少年に熱を上げ、自らを滅ぼす道へ突き進んでいきます。
ではアシェンバハにとって少年に出会ったことは破滅の始まりだったのかと聞かれるとそうには思えません。アシェンバハは少年に“完璧な美”を見出すことになりました。それは芸術家にとっては本望であり、不思議と純愛に映ります。
陶酔、耽美。そんな妖しげな世界観に引き込まれる作品でした。

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2016年02月06日

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『トニオ・クレーゲル』
「普通の人」とはどんな人か、「普通でない人」はどんな人か、「才能のある人」と「才能のない人」はどちらに属するのか、そもそもすべては別のカテゴリとして別れているものなのか、そして自分はどこに当てはまるのか。
自分がどうあるべきか分からなくなり不安になったことのある人に読んでほしい一篇。
10代のうちに読んでいたらもっと精神的に成長できたかもなぁと感じた。

『ヴェニスに死す』
アシェンバハが「美」に呑み込まれていく様は底なし沼に足をとられた人のようだった。終盤の狂気っぷりは物語としてはとても面白かったけれど、人としてはさすがに気味が悪かった。
現代でいうならアイドルにハマって築き上げたすべての関係・立場を捨ててもそれを追いかける人、みたいな感じ(笑)



どちらも感情と思想・感性と理性・美と倫理など相反するものの間で葛藤する人の話。
二篇の内容から、どちらとも決めつけず、極端に揺るがない程度の自分らしさをもつべきだと考えさせられた。

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2013年07月16日

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美少年に溺れていく初老の芸術家。設定はともかく、映画のせいか、マーラー?の音楽が何とも「緩く包んだ」作品。美少年の気に留めようとするアッシェンバッハに、美を追求するはずの芸術家の頽廃が愚かしくも映った。

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2011年10月23日

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美と倫理、感性と理性、感情と思想のように相反する二つの力の板ばさみになった芸術家の苦悩と、芸術を求める生を描く初期作品集。

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2011年09月08日

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トニオ・クレーゲル。興味がなくても読むと言ったハンスとのやりとり。此処にあって、横にあって、でも結局あっちにある。挟まれた感覚と迷い。

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2011年08月31日

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おどおどしながら女装しているしてるくせに、辺りを舐め回すように見ているトルストイ似爺の姿しか浮かんでこない。
迫り来た現実に怯え、美しい少年に憧憬する逃避。
その姿は滑稽過ぎて哀切故、鼻でせせら嗤うことしか私には出来ない。

使われる言葉、観察眼などは美しいと思うのだが、ここには僕の求める美学が全く無いのである。爺死ねて良かったじゃん。来世、ヴィーナスのような美しい乙女になれるといいね、

でもまた老いるよ。

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2011年02月27日

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 「トニオ〜」の話は観念的で、芸術と俗物のせめぎあいが美しく光る話。貴族の生活、芸術家の旅・・・それは定住民と遊牧民といった比較になぞらえることもできるだろう。どうして人はこの二者択一を迫られるのだろうか。もっと自由に生きる方法はないものか。
 「ヴェニス〜」・・・こんな美しい話に出会ったのは久しぶりだ。話の筋を平たく言えば、作家のおっさんが旅先で美少年に魅せられてストーカーをし、その美をひたすら讃える・・・と言ってしまえるが、これだけではこの話の良さが分からない。読みすすむうち、美少年とイタリアの美しい景観に吸い込まれていくこと請け合い。選び抜かれた言葉、一つ一つの言葉が、輝いている。ゴンドラが、海に映る日の輝きが、目に浮かぶ。本書を読むと、映画も観たくなる。

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2010年09月25日

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