あらすじ
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江戸へ赴いた白狐魔丸は、城からただならぬ気が漂ってくるのを感じる。その気の正体を調べていたさなか、事件は起こった。江戸城内で浅野内匠頭が吉良上野介に斬りつけたのだ。その場に居合わせた白狐魔丸はとっさに体憑依の術をかけ内匠頭の手を止めたが、そのことから事態は思わぬ方向へ転がっていくーー。浅野家家臣の大石内蔵助や大高源吾、吉良家の家来・清水一学ら様々な立場の武士がそれぞれの思いを抱きつつ、否応なく一つの流れに巻きこまれていく悲劇を、狐・白狐魔丸の目を通して描く。
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Posted by ブクログ
やっぱり好きだなぁ、白狐魔記。 前作で「白狐大仙(びゃっこだいせん)」な~んていう大層なお名前を白駒山の仙人から授かった白狐魔丸だったけど、やっぱりそんな立派過ぎる名前よりも白狐魔丸の方がしっくりきます。 これは白狐魔丸が持っているある種の素直さ、可愛らしさ、まっ直ぐさによるところが大きいのではないかしら??
今作は表紙からしても、タイトルからしても赤穂事件を扱っているのは読む前から明らかだったけれど、太平の元禄時代に江戸城から漂ってくるという邪気に関して言えば KiKi がイメージしていたものとは大きく異なっていました。 読む前にはこの邪気は吉良上野介と浅野内匠頭との間のスッタモンダによるものかと想像していたんだけど、太平の世ゆえの、そして徳川家独裁体制の中での大名家と幕府との間のパワー・バランスみたいなものに端を発している邪気という発想は KiKi にとってはちょっと意表をついていたのと同時に、読んでみて説得力のあるものでした。
白狐魔丸が人間社会を徘徊する際に化けるのは多くの場合が「白犬」か「人間の商人」というのは以前のシリーズからお馴染みだったけれど、今作は「生類憐みの令発令中」という状況下での「犬姿」なので、そこから出てくる物語にも説得力があり、安心して楽しめるサイドストーリーが多かったようにも感じました。
前作で白駒山の仙人様がご帰還あそばされたことにより、雅姫(つねひめ)の存在感は薄くなってしまうのかなぁ?と心配していたんだけど、結局せっかくご帰還なったものの1人でフラリと旅に出てばかりいる仙人様よりも、本人曰く「白狐魔丸とは格が違う狐」である雅姫の活躍ぶりは相変わらずでした。 もっともこのやたらと目立つ雅姫がいったいどんな風にして、白狐魔丸同様の(いやそれ以上の)霊験あらたかなお狐様になられたのか?に関しては、今作でも全く語られなかったんですよね~。 このシリーズの中のどこかでそのあたりの「雅姫はいかにして今の雅姫になったのか?」が語られることはあるんでしょうか??(笑)
浅野内匠頭の初登場シーンはちょっと意表をつくものでした。 もともと KiKi 自身は浅野内匠頭という人物に関してあまり好印象を持っていなかったし、今風に言えば「切れやすいタイプ」の人だったんじゃなかろうかと思っていたようなところはあったんだけど、こうもあっさりとそのイメージ通りの人物で描かれちゃうと、それはそれで唖然としてしまいました。 でも、白狐魔丸のセリフじゃないけれど、どんな事情があったにしろ殿中で刃傷事件を起こし、後のこと(領国のこと、お家のこと、そして家臣団のこと)をまったく考えていないようなお殿様はダメだよなぁ・・・・・。
さて、時代は元禄まで下ってきちゃったわけだけど、次はどの時代へ行くんでしょうか?? 逆に言えば現代まで残された時代もそうそう多くはなくなってきちゃったわけで、そこに一抹の寂しさを感じます。 と同時に、武士の時代をず~っと訪ね歩いてきた白狐魔丸が現代の日本人を目にしたら、どんな感想を持つのかに無性に興味がかきたてられます。
Posted by ブクログ
ついにきた!
ニアミスだけど、触れてくれない厳しさよ!
他のレーベルなら触れてくれたろうおいしさなのになぁ。市川桜花としての魅力は小桜シリーズの方がやっぱり上ではないでしょうか。あちらもまた読み返します。
あ、ハンスまさかとか思ったけど全然そんなことなかった。
宿に居残りいいなぁ。
好みな顔が現れず退屈そうな雅姫。
こちらも、赤穂浪士には親しみを感じる派なのですが、確かにそう言われると…、内匠頭お前…、となりますね。
やっぱり一本筋の通ったお狐さまの意見。
うわーんさらっと時代下っちゃって、小桜でてこなくて残念です。
Posted by ブクログ
またまたやってしまいました…。これもシリーズものだったのですね。
ですが、これまでの経緯が説明されていたので、読み易かったです。 シリーズを通して白狐魔丸(狐)の「人間探求」の物語らしいですが、白狐魔丸の素直さやまっすぐさがかわいいなぁと思いました。今回は赤穂浪士の討ち入り。好奇心から関わってしまった白狐魔丸の目を通しての武士観察は面白かったです
Posted by ブクログ
毎回思うけど、「白狐魔記」って児童書のくくりだけど・・・
大人の読者に対して書いてる感があるくらい、歴史を勉強した者にとってはメチャ面白い。
白狐魔丸は武士が嫌いだけど、今回は武士があふれている江戸に来て、しかも浅野と吉良の松の廊下事件から討ち入りまでの事件に係わる。
やはり根底には武士の死への美学への疑問かなあ。
人はどんな身分でもどんな立場でも命を大事にしなきゃね。
Posted by ブクログ
この巻で白狐魔丸は江戸に出て、そこで忠臣蔵の物語の現場に立ち会うことになります。江戸城に忍び込んだり、吉良邸に忍び込んだりなどして重要な場面を目撃しはしますが、赤穂浪士や吉良側の内側にはほとんど入り込まないし、赤穂に場面を移したりもしないので、江戸に当時生きていたらこんな風に見えたんではないか、という言わば忠臣蔵を外側からリアルタイムで見た町人感覚を大事にした描き方をしているようです。それは、歴史というものは伝聞と推測で作られた物語であって、特に忠臣蔵のように人形浄瑠璃や芝居で脚色された物語は、現実とは似ても似つかぬものになっているものだということをどうやら本巻の裏テーマにしていることによって選ばれた方法であるように思います。
本巻で何度か繰り返して語られるもう一つのテーマは、切腹すれば目的や結果の成否は問わず正義となる、という侍の生き方・責任の取り方への疑問です。白狐魔丸シリーズを通して武士は嫌いだと言ってきたわけですが、巻によって武士への視線の温度には高低があるように私には見受けられました。この巻ではその点、だいぶ冷たかったです。
こういったようなこだわりのテーマをもって書かれたと思われる本巻では、作者自身、読者を楽しませることすらよりも、これらのこだわりを意識的に優先したんではないかな、と私は思います。というのは、町人から見て忠臣蔵は、なかなか討ち入りに来ない間延びした出来事だった、ということを結局本書では書いていて、読者にもその感覚を追体験させているわけで、それが本書の中だるみになっています。そこで中だるみを防ごうとするならば、やはり白狐魔丸も赤穂に舞台を移して、大石たちの葛藤にも立ち会うとか、そうしなくても江戸で赤穂と関係を持ったオリジナルキャラをもっと活躍させるとかなんかやりようがあったし、斎藤洋にはそれができたはずです。なので、それをしなかったのは、斎藤洋の故意だったのではないかと私は思います。
とはいえ、うちの子は楽しんだみたいですね。特に最後のあたりは面白かったと言っていました。死ねば正義という侍の生き方はいやだ、と言って違和感を感じたのも成果ではないでしょうか。私はこの本を読んで、天草の乱の頃から生きている人がまだいた頃だった、というのと、生類憐れみの令が行われていた時期だった、ということなど、別々に習ってはいても私の頭の中では全然つながっていなかった事柄が、当時の江戸の空気感みたいな感じで知ることができたのも嬉しかったです。