あらすじ
今や日本の大学は「冬の時代」、私大の四割が定員を割る中、大学の多くは市場原理を導入し、過剰な実学志向と規模拡大化に向かう。教養とは? 知とは? まさに大学の原点に立ち返って考える教育再生論。
※本書は『狼少年のパラドクス ウチダ式教育再生論』(二〇〇七年二月朝日新聞社刊)に新対談(第11章)を加えて改題したものです。
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Posted by ブクログ
少子化で多くの学部で定員割れを起こす時代を迎えた大学の在り方について、いつものようにブログベースをまとめた内田節と、文科省キャリアとの対談で構成。同じ教育論でも、東大を目指す「ドラゴン桜」と一見対極のようでありながら、真の『学び』について両者が述べていることは、実は同じだったりします。
Posted by ブクログ
内田先生シリーズを読んだ第二弾。
大学の現状と規制改革に伴う大学の変化を追った。
「自ら大学や授業がどうなっているかを律することで、自分たちを高める必要があることに気づく」がこの間の大学改革の目的だったのではないだろうか。
特に、教員がそう考えることで、もっといい大学作りやもっといい教育にしていこう、とする発想を作ろうとしたのではないか。→自分たちの自己満足で終わることなく。
市場原理を導入しよう、という企業人たちの想いを受け止めたくないがそれを交わそうとしたのが文部科学省で、もっと自分たちの取り組みを高めてもらうための方策を導入した、という風に書いてある。補助金もそこで傾斜配分される。
ウソではないのだろう。
でも、いまの大学が疲弊しているのは、結局その傾斜配分のせいなのではないか、という風にも思った。
では、いかにどこの大学にも予算を配分するか。でもやっぱり大学が頑張っていろんな魅力的な取り組みを行うしかないのかな・・・
Posted by ブクログ
自己評価に基づく大学改革に当事者としてかかわりながら、著者自身の見解が否応なく変化していく様子がそのまま記録されているところなどドキュメンタリーとして読んでも秀逸。とくに教育という面から大学の役割を改めて問い直す姿勢に見るべきものがある。ただ警察官のケツを蹴り逃げする話のすぐ後に「暴力は嫌い」と言われても、どうとらえていいのかわからないのだが、そんな「反権威・反権力」的な装いというのはなんとも居心地が悪いものだ。
Posted by ブクログ
まいど、内田先生には刺激をうけますね。間違いない。
本書は大学論ということもあり、一般的な、社会的なというよりは非常に限られた世界のお話になっている。
ただ、教育論という視点からもずばっとぐいっという話もあるのでそういう意味では、自己マネジメントやコーチングにも役立つ。
以下、引用
長年、武道の稽古をしてきてわかったことの一つは、技術上のブレークスルーは「そんなことができると思ってもいなかったことができてしまった」という経験だということです。それを目指して稽古していたわけではないのに、ある日不意に「そのような身体の使い方があるとは思いもしなかった身体の使い方」ができるようになる。できたあとになって、「私は今いったい何をしたのだ?」という問いが遡及的に立ち上がる。そして、「できてしまったこと」についての仮説やそれを名づける語彙が事後的に生まれる。真のイノベーションというのは「そういうもの」です。
結果が正確に予見されるイノベーションなどというものはこの世に存在しません。イノベーションというのは、「ぜんぜん違うことをしているうちに、もののはずみで(業界用語では「ケミストリー」と言いますが)、予想もしていなかったものが生まれてしまう」ということです。