あらすじ
華氏451度──この温度で書物の紙は引火し、そして燃える。451と刻印されたヘルメットをかぶり、昇火器の炎で隠匿されていた書物を焼き尽くす男たち。モンターグも自らの仕事に誇りを持つ、そうした昇火士(ファイアマン)のひとりだった。だがある晩、風変わりな少女とであってから、彼の人生は劇的に変わってゆく……本が忌むべき禁制品となった未来を舞台に、SF界きっての抒情詩人が現代文明を鋭く風刺した不朽の名作、新訳で登場!/掲出の書影は底本のものです
...続きを読む感情タグBEST3
このページにはネタバレを含むレビューが表示されています
Posted by ブクログ
読んでて何となく1984を思い出した。
全然ストーリーラインが違うものの、世の中で何かを考えたり大衆に向けた正解を鵜呑みにすること、答えが一つである世界の怖さを描いている気がしたため。
主人公が殺してしまった上司は死にたがっていたのか、彼は本に詳しく博識なのになぜ昇火士をしていたのか、という点が気になった。
昇火士をしている人が、本を燃やしつつ本を手放したくない人たちへ罪悪感を持つくだりで「皆一度はこうなる」といった旨の話があったから、本について考えてしまい、世の中の境界に疑問を持つ人が出やすい仕事なのかなと思った。
少女と出会って楽しいと思っていた主人公は、最初からもう世界の正解から外れてしまう運命にあったのかもね、とも思う。
もう一度読もうかな、と思った。
Posted by ブクログ
家に火をつけて楽しんでいるシーンから始まり驚きましたが、どうやらこの世界では本を所持していたらいけないらしいので、家に火をつけていた主人公モンターグはお仕事中だったようです。所謂焚書。それでは人々はどう暮らしているのか?「ラウンジ」という参加型の放送を楽しみ、「巻き貝」というイヤホンみたいなものをずっと耳につけています。現代と同じような生活ですね。レイ・ブラッドベリはこのような未来を予測していたのでしょうか。現代への風刺かな?と思える物語でした。面白かったです。
Posted by ブクログ
ハインリッヒ・ハイネがその著書「アルマンゾル」で「本が焼かれるところでは、いずれ人も焼かれるのです」と記し、1933年5月10日にフンボルト大学にあるベルリン・ベーベル広場でナチス学生が反ナチス的図書と勝手に決めつけた2万冊の本を山のように積んで焼き捨てた。日本は第2次世界大戦中に北京の精華大学でナチスの10倍である20万冊の本を焼いた。今も共和党州であるテネシー州の州都ナッシュビルで同じように焚書が行われたが、トランプ狂信者のMAGAが遅れた野蛮な南部で本を焼いている。そのような現代だからこそこの小説を読む意義がある。
違法とされた本が燃やされ、その本が隠されている家も燃やす未来で、主人公ガイ・モンターグは本を燃やす役人=昇火士をしている。ある日、いつものように違法の本を見つけ、その本が隠されている家も焼き払う。その時、その家の住民が焼ける家で焼身自殺をする。これに衝撃を受けたモンターグはこっそり本を家に持って帰る。映画だとデヴィット・コパフィールド。
この時代は、人々は新メディアたる映画やテレビしか観ないようになり、本は関心を持たれなくなった。現代は頭の悪い人々がyoutubeのショート動画しか見ないが、それと同じだ。本は人々を混乱させ精神疾患の元凶とされ焼かれる対象となった。
モンターグは妻のミルドレッドに本の重要性を説くが、ミルドレッドは理解しない。また、モンターグはファーバーという本が禁止される前には英文学の教授をしていた人物と会う。
そうこうしているうちにモンターグが本を持っていることがバレて、同僚の昇火士から本と家を「お前が焼け」と言われ、逆にそれら同僚を焼き殺す。そこから逃げ、ファーバーの案内で知識人集団と会う。この人達は頭の中に本の記憶を持つことで本の知識を生存させてきた。小説の中ではそういう方法があることになっている。その人達と記憶や知識の共有をしている時に、核戦争がはじまり、一夜でモンターグが住んでいた都市が全滅し、住民は死滅する。モンターグ達は生き残る。その後、モンターグ達は廃墟の年に戻り、社会を再建する。
この小説は1953年に書かれ、つまり赤狩りの最中に書かれた。ソ連への恐怖から扇動政治家ジョセフ・マッカーシーに扇動されアメリカが思想弾圧を行っていた時期だ。日本ではレッドパージがあった。これに触発されて書き始めた。
ブラッドベリは芸術至上主義者でマッカーシーのような反知性主義を徹底して嫌った。またマッカーシーや赤狩りを支える一般市民も嫌った。だから本を焼こうとする昇火士も本を焼く社会を支える市民も全員焼き尽くした。
後にマッカーシズムが終わり、1994年にはポリティカル・コレクトネスが表現の自由の敵、と言っているが、恐らくブラッドベリは自由が好きで、自由に表現できない社会やそんな社会を支える一人一人の人間を許せないのだろう。ポリティカル・コレクトネス自体は表現の自由には反しない。誰かを差別しなければ表現できないならそれは表現ではなく、人権侵害で犯罪だ。強盗や詐欺や麻薬売買の権利は誰も持たないことと同じだ。
だがブラッドベリがこの本の結末に書いたように、本を焼く連中こそ焼き尽くさなければならない。
Posted by ブクログ
本を作ること、所有すること、読むことを禁止された世界の話。
本が禁止された世界で考えることをやめる人々の様子が事細かに描かれ、現代と似たものがあると思い、恐ろしさをおぼえました。
考えないから、本は悪だと疑いもせず、なぜダメなのかを知ろうとしない。
誰もがスマホを持ち、本を読む人が減った今、深く考えることが減ったように感じます。
「国民には穀物生産量1位を当てるクイズを出しておけ」とモンターグの上司の言葉がありました。
現代でもランキング形式のクイズ番組が増えたように感じます。
当たると嬉しいけれど、それがなぜ1位なのか実はあまりよくわかっていない、知っているだけということが多い。
本は自分が主導権を握ることができる旨の言葉がありましたが、テレビ(作品中のラウンジ壁)や音楽(巻き貝)は確かに簡単に快楽を得ることができるけど自分が主体ではなく受動的なもの。
対して本はいつ、どこで、どんな風に読むかも自分次第、読む状況によって感じ方もそれぞれ。
考える余地がかなりあります。
現代のテレビ、スマホ=悪ではないが、うまく付き合っていかないと考えない人間になってしまうなと危機感を感じました。
また時間をあけて再読したい作品でした。
焚書の広まったディストピア
米国のSF巨匠レイ・ブラッドベリ氏の作品。
本が禁制品となり、本を焼く職業である"昇火士"のモンターグが主人公。
本を焼く立場である彼だが、とある少女クラリスの出会いからモンターグに心境の変化が生まれる。
単純な情報統制としての焚書だけでなく、人に処理できない量の情報の氾濫など、
現代にも通じるテーマも含まれたディストピア物の傑作の一つ。
Posted by ブクログ
「書物を燃やして、いろんな考えを制限する」という仕事に誇りを持っていた主人公の隣に引っ越してきた少女が、主人公の考えを変えさせていくというのが大まかな流れで、この少女の出現がこの小説のキーだと思っています。
消火士ではなく、昇火士という名前でちょっと笑っちゃいました。思いっきりのディストピアの世界観の中でのストーリーで面白く読ませていただきました。1953年にこの小説が発表されて70年以上経ちますけど、昔からよくこういう考えを思いつくよなってつくづく感じます。
Posted by ブクログ
今から70年ほど前に書かれた未来の形なので、レトロな未来感はあるけど、それはおいといて面白い。中盤まではファイヤマンとしての生活、社会構造や価値観の掘り下げなので、現代の物語構成に慣れてる人からするとテンポが遅すぎるし、序盤に出てきた少女の後半の影響を期待してしまうかも、そして後半に出てきた老人達や本の記録についてのところは、斬新だし面白いけど、その設定も説明的で少々活かしきれてない気もする(あの結末としては重要ではある)。エンタメ性は低く全体的には退屈なのだけど、そんなこと別にいいや。というくらい哲学、思想、設定がとても面白い。あと、好き期待は分かれるあろうけど地の文の力は圧倒的にすごい。本が読める社会で良かったなぁと思う。
Posted by ブクログ
表現が難しい!
ディストピアは好きだが結構読むのに苦戦した。
本があると、異端思想が発生し、不幸な人が出てくるから燃やすべしという世界の話。
本が人の考え方に影響を与えるのはめちゃくちゃ分かるから、まぁそういう考え方(本がない方が統制された幸福を構築できる)になるのかぁ、
Posted by ブクログ
【あらすじ】
本を法律で禁止された世界。本を燃やす〈昇火士〉のモンターグはある日の仕事終わりにクラリスという少女に出会い、世界のおかしさに気づいていく。
【感想】
冒頭はノリノリで本を燃やしていたモンターグだけど本当はそうじゃなかったんだよね。だから自宅の空調機のグリルに本を隠し持っていたし、後々モンターグの助けとなる老人、フェーバー教授と出会っていたけど報告してなかった。
しかしハラハラしたな〜〜モンターグに変わるきっかけを与えたクラリスとのバディで何か始まるかと思いきや、ある日車に轢かれて死んだと妻のミルドレッドからあっさり言われて終わりだし、フェーバー教授と再会して今度こそこのバディでなんとかし始めるかと思いきや色々とモンターグが耐えきれなくて(妻のミルドレッド含め皆が刺激的な娯楽に麻痺して考えることをやめてるのでモンターグがウワーッてなる気持ちはわかる)仕舞いに自宅は燃やされ、〈昇火士〉のベイティー隊長を殺して逃げ回る羽目に。これどう着地するんだ…と思ってたら、都市部でおたずね者となり渡り鳥労働者として漂泊するフェーバー教授の仲間にモンターグが合流したところで話は終わってしまう。
でも現実だって世の中を変えようとしたってすぐには変えられないし、最後、モンターグたちは川を上流に向かって歩き始めるんだけど、これが世界が葬り尽くそうとした〈本〉、先人が蓄積してきた知と記憶を辿り始めたことを示しているとしたら。フェーバー教授の仲間の台詞的にも希望をもたせる終わり方のような気がする。
以下、フェーバー教授の仲間の台詞
↓
「昔、キリストより前の時代だが、不死鳥という愚かな鳥がいた。(…)その鳥は、自分を焼くたびに灰のなかから飛びだしてくる。まったくおなじ姿で、ふたたび生まれてくるんだ。われわれも似たようなもので、おなじことを何度も何度もくりかえしているが、われわれにはひとつ、不死鳥が持ちえなかった美点がある。われわれは、自分がいまどんな愚行を演じたか知っているという点だ。われわれは過去一千年のあいだにどんな愚行を重ねてきたか知っているのだから、それをつねに心に留めておけば、いつかは火葬用の積み薪をつくって、そのなかに飛びこむなどという行為を止めることができるはずだ。(…)」
今こうしている間にも戦争や虐殺が世界各地で起きている。ミルドレッドらのように娯楽に目を眩ませ考えることを放棄してしまわぬようにしたい。