あらすじ
中年のしがない下級役人マカールと、天涯孤独な娘ワルワーラ。二人は毎日手紙で励ましあい、貧しさに耐えている。互いの存在だけを頼りに社会の最底辺で必死に生きる二人に、ある日人生の大きな岐路が訪れる……。後のドストエフスキー文学のすべての萌芽がここにある! 著者24歳のデビュー作、鮮烈な新訳!
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Posted by ブクログ
子ポクロフスキーとワルワーラの友情(恋?)がめっちゃ素敵でした。ワルワーラのイタズラ(誤解)にポクロフスキー激怒、からの、母を看病するワルワーラを優しく支える……という流れが美しかった。
ポクロフスキー、最初は自分の本に触られるのめちゃくちゃ大嫌いだったのに、ワルワーラさんと仲よくなってからは自分から本を貸してんじゃんか〜!!!! 愛情表現! いや普通に、人に勝手に触られるのは嫌だけど自分から貸すのはアリってこと? どちらにせよよい。
ポクロフスキー……。なんでこんなに悲しい最後なんだ……。
ゴルシコフもワルワーラも最後、最後〜!!
マカールとワルワーラの親子愛に似た友情関係は好きだった。お互い独善的な気配が強く見せるものの、思いやりあっている感じがあった。
この後2人はどうなったんじゃろうか。ものすごく破滅の香りがしているが……。
表紙デザインいいなあ。
書簡形式だからなんだろうけど、「!」マークが多い気がした。
ドストエフスキー、「!」をよく使うイメージをめちゃくちゃ勝手に持ったけど、気のせい?
「!……」という連なりもドストエフスキーの特徴だよね。これすごい好きです。(メリメでもあったから海外文学あるあるだったりする? ドストエフスキーとメリメに何か関連性がある? 気になるぞ!……)
Posted by ブクログ
面白かったし心を動かされた。これがデビュー作とのことだが、もう完全に仕上がっている!という印象だった。
若い女性と中年男性の文通というだけなのに、飽きることなくふたりのやり取りを楽しめた。慎み深く、多くを望まず、教養を感じさせるワルワーラの文体が好みだ。
それとは対照的に、刹那に感情的に生きている雰囲気のマカールだが、ページが進むにつれだんだん整った文章になっていく。この変化や成長を見ていると、技巧的に書かれた小説だということがわかってくる。
長い手紙での交流は、友人の枠を超えたものに感じられた。ワルワーラの結婚が決まってからの文章は、なぜだか胸に迫るものがあり涙してしまった。こんなに別れを悲しんでいるふたりの感情は、手紙でしきりにふたりが言う通りに、愛なのだろう。貧乏で明日もどうなるかわからない中、尊重し合える者同士の唯一の心の支えだったのかな。
Posted by ブクログ
ドストエフスキーの「貧しき人々」を読んでみた。「古典文学」の魅力に取りつかれつつある?(笑)。そもそも「古典文学」の定義はどうなのか?
日本文学では「近代文学」に対し、江戸以前のものを「古典文学」と呼ばれるのが一般的らしい。が、ともかく、日本に限らず、世界の「名作」と呼ばれるもの、時代を越えて、歴史に名を残した作家たちの作品と出会ってみたくなってきた(もちろん再会も)。
今回のきっかけもツヴァイクの「四人の巨匠」を起点として、3人目の巨匠ドストエフスキーを選んだが、まずはビギナーとして、氏の処女作であり、しかも輝かしいデビューを果たしたという本作を選んでみた。
最初の「訳者(安岡治子さん)まえがき」は貴重だ。この作品にまつわる背景を簡潔に説明してくださっている。
「『貧しき人々』は、一八四六年に二十四歳のドストエフスキーが発表した処女小説です。舞台はペテルブルグ、四十七歳の下級官吏マカール・ジェーヴシキンと、若くして両親を失った薄幸の娘(おそらく十八歳ぐらいの)ワルワーラ・ドブロショロワ(愛称ワーレンカ)の半年にわたる往復書簡の形で書かれています。マカールは・・・。一方ワーレンカは・・・。」と
もちろんのこの二人の主人公が貧しい生活の中でお互いの貧困生活にもがき、なかなか抜け出せないという生活が描かれているが、そのなかに、お互いに対する思いやり、あるいは愛情が描かれ、また周囲の人たちへの感情(怒りとか悲しさとか)も描かれており、総じてドスエフスキーが見事に、当時のロシア社会の様子を描き出した作品でもあるようだ。
このドストエフスキーの処女作は、世に出る前に、何度も推敲が重ねられたようで、そして本作が完成した際に、それは詩人ネクラーソフの目にとまり、さらに偉大な批評家ベリンスキーに「この小説は、今まで誰も考えたこともなかったほど鮮やかに、ロシアの生活と人物の神秘を明かしてみせた。これは、我々が手にした初めての社会小説だ」と言わしめたことからも明らかだ。
往復書簡の場面は、4月8日の春先から9月30日の秋口まで。この約半年に二人が交わした書簡が小説を構成している。こういう往復書簡形式の小説は、それまでもあり(探してみるのも興味深い・・・)、ただしこの時期ではやや時代遅れの感があったようだ。
本作だが、この半年の間、ほぼ前半からずーっと二人の貧しい生活の描写が続き、謙虚で相手を思いやる気持ち、むしろ自己犠牲に近いと思われるほどの思いやりの会話で、「貧しい生活の中にも美しい心」というものを感じつつも、「この年齢差の二人の愛情とはどういうものなのか」とか、「たった庭をはさんだだけのお隣さん同士なのに、どうして直接会わないで、書簡交換ばかりしているんだろう」とか、「貧困からの脱出は難しい反面、そういう貧困の中になんとか喜びを見出そうとしているな」とか、読者に様々な考えを想起させてくれる。当時のロシアの社会は、むしろこのような姿が典型的だったということだ。
考えてみれば、年齢差の愛情の在り方や、コミュニケーションの在り方にふと疑問を持った自分も、いま目の前の社会を見てみると、SNSを通じた様々な愛情の形があり、会社の隣の席同士でメール交換をしている実態があり、時代に応じた姿がありうるんだなとも思えた。
そして、小説は後半から終盤にかけて、一気に急展開し、たった半年の月日の流れの中で、これほどまでに変わるのかという結末へと進んでいく。人の心も、環境がかわることで影響を受け、変わってしまう現実というものがある。しかしながら、環境がかわっても変わらない「大切なもの」があるということも、この作品は教えてくれているようだ。
訳者のあとがきの中で述べられている、「身を削られるような極貧を体験する中で、二人の主人公が結局知り得たのは単純な真実である。幸せをもたらすのはお金ではない。人生に喜びを与えてくれるのは、互いの不幸を思いやり相手の幸せを心から喜ぶことのできるような隣人をもつことなのだ。貧困が広がる中で、人と人との繫がりがますます希薄になっている現代にこそ、もう一度読み直されるべき小説ではなかろうか。」との言葉は、読後の自身もそう思う。
本作は、ドスエフスキーの処女作ではあるが、作中に出てくるゴーゴリやプーシキンなどの作品のプロットは絶妙だそうで、自分のような素人には、まだまだそこまで読み取れなかった。ただ、巻末の「ドスエフスキー年譜」をみて、本作が世に出る前年に、ドストエフスキーはバルザックの本の翻訳をしていたようで、「文学の世界はつながっているんだな~」と感じた次第です。
Posted by ブクログ
金持ちが気まぐれに差し出す金は慈善として高く評価され人々の心を打つが、貧乏人が必死に自分を削ってまで少しだけ金や物を与えても、感謝されることは少ない。主人公は見栄っぱりで、お茶にも入れなくていい砂糖を入れるタイプの初老男性。彼には大切な娘のように思っている親戚の女性と手紙のやりとりをして、己の貧しさを理解しながらも、一番大切なお金をその女性にこまごまと差し出していた。それは真心からくる優しさであり、彼女に優しい人間だと思われたいからだった。しかし、彼女はお金がない生活に耐えきれず結婚を決意してしまう。もう手紙のやりとりはできない。主人公らのささやかな友情も、最後には良い思い出の終着点としてしか残ることはない。お金があれば幸せになれるとは限らないが、お金がなければ何も始まらない。孤独と貧しさの中で、彼はもう幸せを見出せない。