あらすじ
ウンベルト・エーコ/ジャン=クロード・カリエール
老練愛書家2人による書物をめぐる対話。
「電子書籍元年」といわれる今こそ読んでおきたい1冊!
インターネットが隆盛を極める今日、「紙の書物に未来はあるのか?」との問いに、「ある」と答えて始まる対談形式の文化論。
東西の歴史を振り返りつつ、物体・物質としての書物、人類の遺産としての書物、収集対象としての書物などさまざまな角度から「書物とその未来について」、老練な愛書家2人が徹底的に語り合う。
博覧強記はとどまるところを知らず、文学、芸術、宗教、歴史と、またヨーロッパから中東、インド、中国、南米へとさまざまな時空を駆けめぐる。
この対談は、マーシャル・マクルーハンが「グーテンベルクの銀河系」と呼んだ書物の宇宙への温かい賛辞であり、本を読み愛玩するすべての人々を魅了するでしょう。すでに電子書籍を愛用している人だって本書を読んで紙の本が恋しくならないともかぎりません。(ジャン=フィリップ・ド・トナック 「序文」より)
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Posted by ブクログ
装丁とタイトルだけで買って長らく積読していたが、やっと読み終わった!!対談、ということなので話があっちこっちいったりと読みにくさもあり、少しずつ読んだけどめちゃくちゃ面白かった。
タイトル的に絶滅するかもの話をするのかと思いきや、残るって前提で話が進んでいく感じで、そうだよねぇって嬉しくなる。絶対この本棚の本たちは死ぬまで持ってるだろうなっていう根拠のない確信がある。
本って無条件に崇拝されていて確からしさが保証されているような気がする(そう教育されてきた?)し、必読の名著!みたいに言われたりするけど、偉大な残されなかった本も、馬鹿阿呆間抜けが書いていていてもの残されてきた本もある。様々な解釈や脈絡が付与されてきた本もある。そう思うと、好きに読めばいいんだよなとあとがきにあったような強迫観念から救われる気持ちになる。インターネットやSNSのよくわからん情報に疲れがちなこの頃なので、うわぁ超好きってなりました。
だいぶ知識不足が否めないのでまだチャレンジしたい1冊。エーコさんの本も読みたい!
Posted by ブクログ
書物という切り口で、二人の知的巨匠がそれぞれの文化観や歴史観を語り合う対談(電子書籍より紙の方が、というような、タイトルから勝手に想像してしまった薄い内容ではない)。膨大な書物コレクションを有している二人だからこそ発せられる、紙に印字された書物そのものの意味や価値、というのは本当に興味深い。特に、それを読む必要は必ずしもない、というチャプターは面白い。
引用したい文章はいくつもあるが、エーコの一文。知る、知識を得る、ということが、インターネットの発展した現代においても、絶対的に必要なことである、というメッセージは、自分も耳が痛いところです。
「何かを暗記しているということが、知的な優越性につながる場合がある・・知っておくことで、ある種の知的自律性を確保できます」(P106)
「最大多数の人間が過去を知るべきかというご質問でしたら、答えは「はい」です。過去を知ることはあらゆる文明の基盤です」(P418)
訳者のあとがきもかなり綺麗にまとまっている。
「世にあるすべての書物一冊一冊が旅路のようなもの・・書物というものを、過大評価も過小評価もせず、ただ素直に愛おしみ、気負わず気楽に人生に取り入れる方法と、それによってもたらされる豊かさを、本書は手加減なしに教えてくれる。
世界中の名所旧跡を見尽くすことが不可能だからと言って、旅することを諦める旅人がいるだろうか」(P464)
Posted by ブクログ
タイトルのイメージから、デジタル化されたものに言及されているように感じるが、そうではない。
タイトルと内容はあまり関係ないように思えて、実は確かに紙の書物について言及しているので面白い。
実によく考えられたタイトルだ。
本好きの雑談。
要点メモ:
・勉強のやり方や資料のまとめ方、探し方は、それぞれをこなしていかない限り身につかない。それぞれをこなすのが最善の方法。
・一日十冊読めと記載された記事をみるたびに、その必要はないと考える。効率のよい読書のやり方は、十冊読むよりも参考文献を数多く使用している本一冊を読むことである。
・一つの物事を十の違う方法で調べて、検討するくせをつける。おのずと、情報の正誤がわかるようになってゆく。
Posted by ブクログ
愛書家による本にまつわる対談集。こういうのがエスプリが効いた掛け合いとでも言うのでしょうか。
原題直訳の『本から離れようったってそうはいかない』もなかなか良い感じ。
邦訳タイトルはかなりおどろおどろしく、衝撃的ですよね。
著者の片方、ウンベルト・エーコは薔薇の名前やフーコーの振り子のタイトルだけ知ってた作家さんであり学者さん。
フーコーの振り子と言ったら上野の科学博物館ですわー。
そのうち読んでみたいです。薔薇の名前は文庫版がないみたいで残念。
『保存すべきものを保存するための当てになるツールが、今日なかなか見つからない(p93)』って、ほんとその通りで、だから私が積極的に電子書籍を買わない理由にもなってます。
つい昨年も電子書籍のサイトがサービス終了で、全ての購入品が見られなくなりますなんていうニュースもありましたし。
数年単位で買い換えて更新しなきゃいけない電気機器を使わないと読めないというのがどうもね…。
音楽に関してはカセットからMD・CD・iPodを経て今はマイクロSDカードとパソコンに集約したかなぁ。これはもう他にどうしようもないので。
USBメモリもマイクロSDカードも平均寿命3年くらいらしいですよ。
あと自分で焼いたDVD-Rなどもメーカーに寄りますが、10年保たないとか。
一転、物質としての本ならいつでもパッと手にとってめくれば済むのが強み。
まぁ物質としての本も寿命はあるのですけど、手持ちの本は私の寿命くらいはだいたい持ちそうなのでそれでいいです。
本の寿命で思ったんですけど、50年以上前の文庫より最近のラノベ系文庫の寿命の短さといったら!
発行から10年も経ってない物でも、すぐぱかっとのど割れするんですよ。ノリが弱いのかなんなのか。
一応修復できなくはないですけども。
電子書籍だと検索できるなら便利かな?あとふせん。
歴史的な話ではパラケルススの痕跡本の表現が素敵でした。
『刺繍のように丹念に書きこまれた手書きの文字と印刷された活字が調和して、全ページがレース編みさながらです(p160~161)』
あと行商本。何かどっかの本で読んだ気がします。
コンキスタドールは許すまじ。
意外と愛書家の方でも台詞だけの飛ばし読みすることがあるって所にびっくり。
現代っ子の動画倍速視聴みたいなものですねぇ。
『雇用の問題に誰もが頭を抱えている現代社会では、手工芸の分野に活路を見出す若者が増えています。これはイタリアでは明らかな事実で、おそらくフランスやその他の西欧諸国でもそうだろうと思います。(~中略~)五十年前に同じ仕事をしていた人々は、高等教育にたどり着かなかった人が多いので、その手の本は読まなかったでしょう。つまり今の人たちは高等教育を受けたうえで、手仕事の世界にのめりこんでゆくんですね。(p307)』
これは地味に共感出来る話。もういまや、学校卒業して誰もが安定した会社にお勤めなんて夢を見ている時代じゃないんだよなって気がしてます。
もっと一次産業や二次産業にも目を向ける教育が子供の頃から必要なのかも。
それと続けるのにしんどくならない作業改革ですかねぇ。
文庫で出たら手元に欲しい一冊でした(文庫ガチ勢なので。
Posted by ブクログ
フランスとイタリアの「老練愛書家」2人よる対談。タイトルからみて、紙の書物は絶滅するのか?という問題意識で手に取りましたが、それに関しての2人の答えは一貫していて、それよりも、ありとあらゆる情報が入手可能になった現代、私たちはどう情報と向き合ったらいいのか、本質的な示唆に富んだ視点が盛りだくさんで学びが多かったです。
・これから求められるのは、考えをまとめて結論を導く技術、真偽を確かめられない情報をチェックする方法
・書くという行為は常に危険を伴ってきたし、今でも変わらない
・過去がそのままの姿で我々のもとに届くということはまずない
・我々自身が情報提供者になり、善意で悪気なしに情報をねつ造することだってある。修正するには、延々と検証しつづけるしかないが、苦労が多すぎるので、結果的に野放しになる
・映像は人を欺く
・自己顕示は何によっても止めることができない
そのほか、面白かったのは、インターネットの方が先に姿を消す可能性だってある、とか、そもそも私たちが学んだのは傑作や偉大な歴史に偏っていて、それも「敵や馬鹿や間抜けが書いた」結果であるものが多いし、それよりも「珍説愚説」の方が豊穣で示唆に富む、とか。
こうして当たり前に、前提としてとらえてきたことを逆から見る気持ちよさ、というか、常識が揺さぶられる、何とも言えない爽快感を味わいました。
もう一つ、衝撃だったのが「誤りとか、思い違いとか、ばかばかしさとか、そういうものにどうしようもなく惹かれるんです。くだらないことが大好きなんです」と言い切っていたお二方。珍説や嘘が書いてある本を集めているのだそうです。その潔さといったら。
全体を通して、世界の広さと深さ、そして希望を感じさせてくれる本でした。
でも基本的に長くて読みにくいので、★は4つ!