感情タグBEST3
Posted by ブクログ
美知花の「子育て、失敗、残念でした。」
が、私の中で一番ヒットしました。
分かるんだよな…親の子育ての何が悪かったのか。当の親は分かってないけど。
誰かが感じた事のある、何らかの怒り、逃れる事が出来ない呪いなんかが分かりやすく描いてありましたねー。
ヤマシタ先生のおっしゃる「怒り」は、私の今感じている世の中への「恨み」にとても似ていて、代弁してくれたみたいで、仲間を見付けたようで、すっごい共感。
というか、ヤマシタ先生…ナチュラルに病んでるな…。うん、それが深いところまで根が張っていて、病院に通う程じゃないんだけど、常にちょっと暗いところから世の中を見てるというか。
さて皆さんが予想してるひばりの朝ですが、私は朝は来たと思ってます。
卒業するまで息を止めてやり過ごしたんだから、それなりの目標があったんだと思います。
例えば家出とか。
学校は卒業しないと就職も出来ないですからね。
計画的に、確実に、逃げる為の算段をしていたのではないでしょうか。
卒業式を一日ずらして母親に教えたってのも、一緒に卒業式に出て一緒に家へ帰るというシチュエーションを作らない為。
それまでは目を閉じて、息を止めて、口を閉ざす。
自分の小さい世界の全てを裏切る為に。
それは、ひばりの復讐で、解放なんだと思う。
私には出来なかった。
多分、ヤマシタ先生も出来なかったんじゃないだろうか。
もっと早くに気付いて、もっと早くに逃げ出せれば良かった。
静かな怒りを形にして復讐を遂げたひばりに、希望のようなものを感じる。
「私がわるい」と言っていたひばりが、「私はわるくない!」と叫んだ時に、彼女の世界の全てのものと決別したのだと思う。
心からの叫び。本当は自分ではなく、他の誰か、力ある誰か、ここから助け出してくれる誰かに言って欲しかった。並木がちょっと言ってたけど手は差し伸べてもらえなかったしね。
全部の拒絶。一人で生きていく決意。もう誰にも期待しない。死と同等の別れ。世界との別れ。そんなものがあの一言にあると思う。
良いラストだった。
私も世界を裏切る準備を始めたいと思う。
Posted by ブクログ
平凡な人々の意識にのぼらないようなひとつひとつの些細な悪意あるいは無関心、無神経がひとりの人間を殺すにいたるまで
直視したくない醜さをまざまざと突きつけられる話だった
ひばりちゃんの家庭環境がアレでお箸の持ち方や鉛筆の持ち方がおかしいのが妙にリアルで、この先読者が満足するような気持ちの良いハッピーエンドにはならねえぞっていう絶望を感じる
Posted by ブクログ
およそ、およそ生死とは関係ないような、ごくごくごくごく普通の風景が。
少しずつ少しずつ少しずつ少しずつ命を削り取っていって、
決定的な、致命的な、
そんな一撃は、何気なく、世界に溢れた、ほんの一言、
一人の行動、
一つの考え、
それの積み重ね。
人生はクロースショットではハッピーエンドだがロングショットではバッドエンドしかないのかぁ。
あー、この、ヤマシタさんの不安定な、フワフワとした緊張感が、とても刺激的で、面白い。
怒りか。
あー、何が出来るんだろう。
Posted by ブクログ
“I must be gone and live, or stay and die.”
これがすべてなんでしょう。
日本語訳よりも、原文のほうがわかりやすい。
最後だけは、息を止める目的が違ったんだろう。
自分の心をごまかすためでなく、他人を欺くために使った、と。
その先なにが待つのかはわからないけど。幸せでいてほしいなんて無責任に思うのは、この作品に出てくる大人達と一緒かもしれないし。
Posted by ブクログ
人がイメージする自分と私が思う自分は違う。その狭間に転がり落ちてしまうと本人は息をすることすら出来ない。ヤマシタトモコは『HER』でもその姿を描いたが、場所を中学校に移したことでますます大人たちの不条理さ、若さゆえの残酷さが主人公を追い詰めていった。
大人びた、という言葉は冷たいと思う。性格に対してにしろ肉体に対してにしろ、幼ければ許される余地を殺してしまう。身勝手に無自覚的にそれを行い、善意ぶる人々の姿を鏡に写して見せるそんな漫画だと思う。
Posted by ブクログ
久々にトラウマのように残りそうな漫画。色んな場面で思い出してしまいそう。
ひばりも、ひばりの周りの一人ひとりも、すべての人の気持ちがわかってしまう、から、嫌な気持ちになる作品だった。すごい作品だった。
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やったね、やりきったね。もう傑作すぎる!
1巻で示されたささやかな悪意と醜い善意とが絡み合い物語は事態 は進行するが、何ひとつ状況は変わらず、何ひとつ解決しない。事態を展開させる可能性はことごとく芽のうちに摘まれる。この無力感この救いのなさ。
今年のベストはもうこれに決まりかなあ。
Posted by ブクログ
久しぶりに、「読むべきじゃなかった」と思わされた一冊。しかも、つまらない、のでなく、漫画としてレベルが高いのだからお手上げである
鳥肌が立った、悪寒に襲われた、とかレベルじゃなく、単純に吐き気を催してしまうほど、人間のおぞましい一面が、これ以上に無いほど、濃厚かつ高密度で描ききられてしまっている
ヤマシタ先生の繊細に見えて、読み手の心を抉れる暴力性も滲む画が、緻密なストーリーに拍車をかけている
これは下手をすると差別発言になってしまうかもしれないんだが・・・女ってのは、とんでもなく汚らしいモノを、あんなに柔らかくて触り心地の良い肌の下に隠してるんですねぇ。容貌とか性格抜きで、怖い女は怖い、と思い知りました
第一巻であれだけ怖い目に遭ったのに、どうして懲りずに、第2巻を買い、読んでしまったのか、私。どうやら、既にヤマシタ先生の甘くて苦い毒を舐め続けなければならぬ体質になってしまっていたようだ・・・・・・ホントに、恐ろしい漫画家です、ヤマシタトモコ先生
心が脆い読み手が読んだら、一発で人間不信に陥っちゃうレベル。しかも、逆に、現時点で人間不信の気がある読み手なら、「世の中、こんな人間ばかりじゃない」と人間信に反転させちゃうだろう
『ひばりの朝』、とことん、極めて救いの無い、いえ、誰も救われず、救わない、恐ろしい漫画です、だから、皆、読んでください・・・この震えを誰かに伝染さない事には、嫌悪感で喉が詰まりそうなんで
Posted by ブクログ
「私の感じていたいろいろな怒りを詰め込んだ」
1巻で読むのをやめなくてよかったと思う。
ラストは、消化不良という声もわかるけれど、そもそも「消化」とはなんなんだろう。
無意識にフィクションに求めているもの、現実に存在しない「オチ」、色々なことがよぎる。
「あたしかひばりか ・・・カガイシャか・・・ヒガイシャ?
・・・どっちか死んだら超ドラマチックで あんたたち 皆
超スッキリするよね そうなんでしょ?」
Posted by ブクログ
「ひばり」に朝は訪れた。例え、どんな結果であろうとも。
オンナノコとオンナ。違いは、なんだろうか。それは、ある事実が伴うと考える人もいれば、人それぞれの主観的な問題でもある。
「ひばり」はオンナノコでいたかったのだろう。だけれども、周囲がそうさせてくれない。誰も救ってはくれない。出てくる人物の台詞に、吐気を覚えそうになるほどだった。しかし、それは私の中にもある部分だと思う。
“見てみぬふり”。気付かないでしていることだろう。
出てくると人物の中で、一番反吐が出たのは、「完」だ。
彼は“見てみぬふりもせず、ただ流されていく”。最低な野郎だ。
どんな気持ちであっても、関心を寄せるほうが、まだマシだ。
ヤマシタトモコは、淡々と『心の闇』を描いていく。
救いようがない話し、と片付けたくはない。誰にだって朝は訪れる。
そう、信じたい。
Posted by ブクログ
これは…… なるほど……
きのう、まだ2023年だった頃に作者の最新作『違国日記』を最後まで読み終えて、その翌日に、10年前、2021-2013年に連載・発行されたこの全2巻の作品を読んだのだけれど、そのあまりのギャップに驚くとともに、最終的には、なるほど確かにこの『ひばりの朝』の延長上に(『さんかく窓の外側は夜』や『花井沢町公民館便り』などを挟んで)、『違国日記』が位置するのだと、そのひとりの作家の経歴の連続性に納得させられた。
Wiiリモコンとかガラケーとか、2010年前後の時代特有のものが色々と登場して、その ”古さ” に慄いた。富子がひばりに対して内心でしようとした、windows OS(XPかVista辺り)での「ゴミ箱へ削除」演出とかも、あの時代でないとまず書かれないだろう。
上巻を読んだ時点で、(ひばり以外の)登場人物のあまりの露悪的な造形、性悪説っぷりにゲンナリしていて、おいおいどうするんだこれ、ここからよくあんなにキャラ全員が善性を持って、少なくとも倫理を追い求める善人であろうとしている『違国日記』を書くようになったなぁ信じられへん……と思っていた。
それが下巻に入ると、本当にギリギリのところで露悪からなんとか善性のほうへと切り返して踏み留まれるかに思われる展開を見せ、期待が高まったが、最終的には、むろん単なる露悪でもなければ、安易な「救われ」展開でも「改心」展開でもない、また別の方向へと突っ走って着地/逃避していた。私の語彙でいえばG=マルケスの『エレンディラ』展開と表現される、ある種とても王道な結末ではある。”夜明け”のほうへとひとり行ってしまったひばりがその後、幸せに暮らせたのかどうかは宙吊りにされている。
「詩」で物語を締めるやり方は当然に『違国日記』を思わせるが、既存の古典を引いた本作に対して、あちらはオリジナルで勝負していて成長を窺わせる。
また、ひばりを死なせもせず、しかしひとりぼっちで逃げ出させた(=”社会”に放り出させた)『ひばりの朝』の結末は、ある意味でとても誠実であると同時に、無責任でもある。だからこそ、そんなひばりの逃避先として『違国日記』での槙生と”朝”との共同生活を描いたのではないかと思った。
上巻の時点で、ま〜たエロゲとかによくある、「ミステリアスな魔性のヒロイン」を中心に配置して、彼女を取り巻く人々の群像劇によって次第に多面的に真相が明らかになっていく(=撹乱されていく)系の物語か……と嫌気が差していたが、しかし上巻の最後の「talk.7」で早くもひばり視点のエピソードを入れてきてくれたので、やっぱヤマシタトモコ信頼できるわ〜〜〜となった。まったく入れないとか、最後に満を持して持ってくるパターンとかが全然有り得てしまうなかで、半分いかないうちにちゃんと彼女が「魔性の女」なんかではないことを、本人の内側から宣言してくれたことのうれしさ。
> 「助ける」ってさ …どうやんのかな
> …どうなったら …あたしって ………助かってるのかな
> …あたしって 助かんの……?
その通り。これは「ひばり」というひとりの少女の問題ではない。彼女を取り巻くこの現代社会の構造の問題である。だから、例えばひばりに想い(性欲と分離はできない)を寄せているクラスメイトの男子が「助ける」ことなどできない。彼が本当はそんなの「できないってわかってて言ってる」事実以上に、そもそも「彼女ひとりを助ける」ことで解決する問題ではないのだ。
だから、誰かの善意がひばりを助ける展開にしなかったことは誠実だと思う。同時に、彼女を取り巻く人々が、まったく善意を持ち合わせていないのではなく、あと一歩で、1クリックで、なんらかの実行的なアクションに繋がっていたところまで丹念に描いていることもまた、素晴らしい。クラスメイトの相川勇くんの勇気ある行動・発言だって、確かに「忘れない」ものを彼女のなかに残しはしたのだ。それはひばりを救いこそしないものの、彼女が「死なない」ための助けには、ほんの少しは貢献していただろう。
この物語の、この”問題”の核心にもっとも迫りながらも、同時に「きっと誰にも救えない」と諦めてニヒリズムに陥っていまっているのはひばりの担任教師・辻先生である。ひばりのはとこ?であり、彼女が一時的な逃避先として選ぼうとしていた「完ちゃん」と並んで、もっとも彼女の抱える問題に気付いて手を差し伸べるべきなのに、それをしなかった罪深い大人だが、辻先生自身が複雑に絡み合う女性差別の中で精神的に摩耗している様子が描かれるので、やりきれない。
> ありきたりの言葉であなたたちがその狭い世界を罵るたび
> あなたたちが世界にどれほど美しく強堅で信ずるべき 善いものを求めているか
> いつも思い知らされるようです
> 敵と味方以外にも人間はいること
> きれいときたない以外のものごともあること
> 生と死以外の選択肢もあること
> 大人と子供以外の人間もいること
> 誰もきっとあなたたちに教えてはくれません
> 私も
> 大人は
> 自分がかつて子供であったことを忘れないと生きてゆけないのです
> だから私はあなたたちを助けません
辻先生のこの言葉を、生徒である未知花は屋上のシーンですでに見通しているのが良かった。
> あたしか ひばりか
> …カガイシャか …ヒガイシャ?
> …どっちか死んだら超ドラマチックであんたたち 皆 超スッキリするよね そうなんでしょ?
だからこそ、誰も安直に死ぬ展開にはしない。極端なバッドエンドでもハッピーエンドでもなく、この物語は終わっても、ひばりの、未知花の、彼女ら彼らの人生は続くのだと。そう思わせてくれる物語で良かった。「息を止めていたので平気でした」……まったく「平気」ではないそれを、このようにひばりに言わせてしまっているそれを私たちは深く痛感して恥じなければいけないが、同時に、それでも彼女は生き残ってくれたのだと、この言葉をまじない(呪い/祈り)のようにしてか、耐え抜いてくれたのだと、絶望と希望で両面を固められたそれそのものを呑み込まなければいけない。この漫画を読むとは、私にとってそういう体験だった。
子供に接する大人こそが、教師こそが、そして本当は親こそが、「そこから逃れる方法」を教えてやるべきだ。逃してやるべきだし自身が逃避先になってあげるべきだ。それは正論だが、同時に社会を構成するひとりひとりの大人という”個人”に責任を鋭く委ねるのではなく、個人の善意と勇気に賭けるのではなくて、あくまで社会構造の問題であると、きわめて政治的な次元の問題であると認識して向き合うべきだ、私たちひとりひとりが。無論、漫画という物語作品のメディアで、どこまで政治・社会を具体的に扱うことが出来るか、というのはまた個別的に難しい課題である。少なくとも、この『ひばりの朝』という漫画では、自身が広げたその範囲で出来ることをかなり誠実に描き切っているとは思う。が、同時に、これだけでは限界がある。それを作者も読者も認識しているから、『違国日記』という作品が書かれ、広く読まれるようになったのだろう。私は、この列島(極左フェミニスト高島鈴さんからの受け売りの言い方)の大衆の政治的状況に深く絶望すると同時に、それでも『違国日記』のような作品が広く読まれているのは本当に素晴らしいことだと思う。
昨日と今日で連続して読んだために、膨大なヤマシタトモコ作品の中でどうしてもこれら2作品のみをナイーブに結びつけてしまう思考になっていて申し訳ない。もっと、ヤマシタトモコ作品の全体像のなかでの位置付けや、そして他の作家の作品との関連も見通してこれからも読んでいきたい。
Posted by ブクログ
とても素晴らしい作品に出会えた。
自分で選んだ訳ではないのに、
見た目で判断されることの理不尽さ。
誰もひばりのことを見ていない。
目立った行動をする子でないし、
教室では孤立している。
彼女は身体的特徴だけで
性的に消費され、嫌われている。
怒ったっていいはずだ。
でも彼女は怒らない。1日、1日をただ無難に、静かに過ごす。
自分が悪いんだと思いながら。
悲しくなり、腹がたった。
Posted by ブクログ
二巻完結。ラストは読者の自由な解釈に委ねられていると思うけれど、私はアンハッピーエンドととらえた。
肉感的な身体をもったことで孤立していくひばりちゃんのことをちゃんと理解している人がいなくて、周りには嫉妬、憎しみ、性欲、無神経さがひしめいていて読んでいて辛かったけど、人が心のどこかで少しは持ち合わせている感情だと思った。それを思いきり突き付けられた気がしたから辛かったのかも。とにかくずっしりと重たい作品でしたが、心に残る作品。それにしても、ひばりちゃんを救える人はいなかったのかなぁ…。
Posted by ブクログ
富子ちゃんが好き。完ちゃんはほんと無理。
善人は一人もいなく、でも悪人も一人もいない。リアルで悲しく後味の悪い話。ヤマシタ先生の最後のあとがきが好きです。
Posted by ブクログ
未熟な精神は耐えることが出来ない。
早熟な体が晒される欲望の視線に。何気ない悪意に。想像力のない無神経さに。そして、運悪くひばりには逃げ場がないのです。
欲望も悪意も、好意や善意と分かち難く人間が内包するもの。否応なく付き合っていかなくてはならない。世の中は純粋な黒も白も無く、灰色の濃淡だから。
上手く対処できるようになるまで、心が育つまで、支えになる居場所があったら良かったのにと思います。
希望のないラストでは無かったと信じたいですね。
Posted by ブクログ
懐かしきがんじがらめの暗黒期。一人で生きていく選択まではできず、見逃してくれと毎日祈り、息を殺して何も見ず感じずひたすら痛みを誤魔化して耐えるしかない未成熟期。血の繋がりとか頭から信じている人間に迂闊にしゃべったら死ぬ。先生は醜い人間の1人。手を差しのべてくれる聖人はいるのか。神は気まぐれ。
懐かしい。
あの時こうしてればと思うことしきり。その解決策はそれを通過しなければわからなかったのかもしれない。と、簡単に思えるのはもう大人だからー。
ま、性的虐待までなかったけど。もっと苦しんでいる人がいるのよなんて意味ないんですけどってねー。おお、ムカついてきた。取り敢えずこれだけでも絶対言わないようにしよう。
いやー懐かしい気持ちに浸れた。理不尽な大人カテゴリーに入れられないように忘れないようにしたいね。
Posted by ブクログ
え、、、これって、そういうこと、、、?やめてー、、、。よかったのは希望どおり彼女が憲人とつきあったらしいことでしょうか。完ちゃんたまらん。引き金を引いたのは、しかし、さかのぼると富子になってしまうんだろうか。考えるとひたすら頭痛いです。とりあえずヤマシタさんすげーってことで。
Posted by ブクログ
「形ある物はいつか壊れる」なんて言葉がありますけれども、これに続く文言によって意味合いが全く違ってきますよね。ヒバリちゃんは救われたのか。
まあ、ぶっちゃけ救われるわけがないと勝手に思っています(笑)。そう簡単に救われて堪るか、っていう変な意地もありますが、現実的にも救われた人間ってあんまりいない。だからこそ、人生をどん底から這い上がってきた一部の人間はTVで取り上げられたり、偉人に成ったり、とにかく有名になる。それ以外である意味救われる人間ってほとんどいないのではないでしょうか? いつしか慣れていって、それこそ「息を止めて」「平気」なように思い込んで生活している人がたくさんいるんではないかな。
ただ、それを抱えていても人間は死なないし、朝が何度もやってくる。だから、ヒバリちゃんは救われはしなかったけど、なんとか生活しているんじゃないかな。そうだといいなあ、と思います。
Posted by ブクログ
1巻でギシギシと軋み始めた関係が
2巻では明確な歪みとなって崩れ始める。
どんなに頑張ったって、食い違って、すれ違って。
「ご都合主義のハッピーエンド」なんて、馬鹿らしく思えてしまう。
『ひばりは、きっと死んだ。』
その解釈もあるということを、ここに来て初めて気付きました。
私は生きていると思います。願望ですが。
逃げて、そして生きていてほしい。
中学生や高校生までは、自分の周りが世界の全てだと思い込んでしまいがちですが
そうじゃないんだよ、と
本当に思っている以上に世界は広いんだよ、と
声を大にしてひばりに教えたい。
桜庭一樹さんの『少女七竈』に少し通じるものがありますが、
ここまで救いがないと、いっそ清清しいですね。
どこか遠い町に逃げることで、
彼女に本当の意味での朝が来ていたらいいな。
Posted by ブクログ
矛盾や関心、決め付け、欺瞞など誰かに対して思うことは鏡のように自分を映しとることが描かれた作品でした。
相手の中の何を見るか。世の中には自分と合わないと思う人は数多くいます。僕は話す人を選ぶ方だとおもいます。なぜなら、相手に対してどこかしら自分と似通ったところを見つけて相手に話しかける質だからです。今作品では様々なキャラクターが相手を見ているようで相手の中にいる自分を見つけられず苛立っているように見えました。わからない、わかってほしい、わかりたくない、色んな拒否の形を描き、その時の思いを忘れていく。身勝手な奴らばっかりのようでしたが、そうやって生きていくしかない人生もあるのかなと考えさせられました。自分は相手に何を求めているのかなぁともうそろそろちゃんと考えないといけない歳になりつつあるのかなぁ。
あとがきでヤマシタ先生はこの作品に怒りをぶつけたと書いていました。悪人になるのは簡単だけれども善人になるのは難しい世の中。相手が掴み取る掴み取らない関係なく、手を差し出すぐらいはしてあげるべきなのかなと思う今日このごろ。
Posted by ブクログ
キツい。読み終えてなおキツい。
でも読むべくして読んだ作品という感じ。
ヤマシタトモコ作品の言葉の鋭さは知ってたけど
あまりにも刺してくるわ救いがないわでキツい。
表情や目線のねっとりした動きに吐き気を催す。
ゆっくりと殺される感触。至って普通の日常。
ひばりは今後どんな大人になっていくのだろう。
不安だし、不穏。
Posted by ブクログ
2巻になって、ヒバリの周りに少し優しさが届くけど、やっぱりちゃんと救うには至らない。高校卒業までじっと耐え続けるための少しの支えにはなったのか、ならなかったのか。
ヒバリは希望と共に高校卒業の朝を迎えたんだろうけど、未来がよくなりそうな気がしない。最後の方で、変な箸の持ち方をして惣菜を食べる場面がわざわざ入ってたり、最後の朝は薄い鞄一つで出掛けて行ったり。頭がそこまで良くなくて、生活能力もなくて、頼る人もいなくて、卒業後の準備もろくにしてなさそう。
あとがきで、これは怒りの物語だったんだ…とわかると、ヒバリの家出は、自分が生きていくためってより、怒りの表明だったのかもなと思った。
Posted by ブクログ
1巻を読んだのは5年くらい前。そうかー、こう終わってたか。何も変わらず救いとなるものも見いだせず、とても息苦しくモヤモヤする。目を逸らしているものを突きつけられる感じ。キツいですね、落ちてるときは避けたい物語(^^;。
Posted by ブクログ
こんなにも大人がいて、真実を知っている人もいるのに誰もひばりを助けられなかった。それが悲しい。けどもし自分だったら、ひばりを助けられるだろうか。何もできないような気がしてくる。ひばりはいろんなものに縛られている気がした。
希望が見えない。
Posted by ブクログ
嗚呼なんて気持ちの悪い。
男性も。女性も。
自分のエゴイズムを押し付けあう大人と子供に、吐き気しか催さない。
息を止め続ければ救われる。どうにかなる。我慢し続ければいつかきっと。
何故無理をし続けなければいけないのか。自分が無理をしていると思わなければ解決はするのか。そんなはずはない。
「あなたよりももっとつらい想いをしている人たちはいる」
とか、なんて押し付けがましい気持ちの悪いせりふなのだろう、と思う。
当人にとっては≪今≫≪まさに≫≪直面しているできごとが≫≪忌避したいものなのだ≫ということが、何故世の中はわからないのか。
何故なら当人ではないからだ。
意味のない吐き気のする言葉ばかりが羅列され救いはなく現実は無情にもつきつけられ涙を落とすくらいしかどうにもない歯がゆさは消し得ない。
おぞけ。だがしかし多くの人が読んで衝撃を受ければいい。美しく飾り立てるその裏の現実を直視して絶望するがいいさ。
Posted by ブクログ
人間の薄暗い、無自覚な醜さや卑怯さを静かに暴く作品。
ヤマシタさんはあとがきでそれを呪いと言っている。
決して気持ちのいい作品ではないが誰しもある程度は感じたことのあるものが描かれていると思う。
Posted by ブクログ
絵がなぁ…
もっと丁寧で繊細だったらなぁ…
私の理解力が悪いのかもしれないけど、
よく分からんかった。
ひばりはかわいそうだけど、
自分で何とかしようともせず、
味方だっているのに。
私は好きじゃない。
Posted by ブクログ
未遂の未遂、くらい。でもどうしようもなく息苦しくて、こわくて、それを相談できる相手もいなくて、相談しても何も変わらなくて、……息苦しくて、みんな平穏をこわしたくなくて、わかりやすい生き方がラクで。
いっそ罪が顕在化していれば、もっと簡単に助けを求められた?もっと簡単に、助けようと動けた?
能動的に誰かに害を成そうとし続ける人って、とても少数の人だと思う。そもそも、他人に深く干渉しようとする人が少数だろうと。
何か嫌な事件が起きた時、何かできたことがあったかもしれないのに、と後悔する人がいる。
でもいくらその可能性があったって、誰も何もしない。それは、多分ありふれた話。
息苦しくてつらい。ひばりの未来を想像することができない。
(追記。)
ヤマシタ先生の怒りは、手を差し伸べる勇気のない大人、ただ我慢して狭い世界しか知らずに逃げ場に気付けない子供、どちらにもあるのかもしれない。後者に怒りを向けるのは酷だとしても、でもやはりそういうことへのもどかしさは、怒りと名付けてしまうものかもしれなくて。
中二病の話
この作家は、名作と駄作の落差が大きい。
いわゆる中二病の話。暗い。言いたいことは伝わるけど、隔靴爬痒という感が残る。
扱い切れないなら安易に選ぶな、と思う題材。
これは駄作だと思う。