【感想・ネタバレ】ひばりの朝 (2)のレビュー

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Posted by ブクログ

ネタバレ

平凡な人々の意識にのぼらないようなひとつひとつの些細な悪意あるいは無関心、無神経がひとりの人間を殺すにいたるまで
直視したくない醜さをまざまざと突きつけられる話だった

ひばりちゃんの家庭環境がアレでお箸の持ち方や鉛筆の持ち方がおかしいのが妙にリアルで、この先読者が満足するような気持ちの良いハッピーエンドにはならねえぞっていう絶望を感じる

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2015年11月04日

Posted by ブクログ

ネタバレ

「ひばり」に朝は訪れた。例え、どんな結果であろうとも。
オンナノコとオンナ。違いは、なんだろうか。それは、ある事実が伴うと考える人もいれば、人それぞれの主観的な問題でもある。
「ひばり」はオンナノコでいたかったのだろう。だけれども、周囲がそうさせてくれない。誰も救ってはくれない。出てくる人物の台詞に、吐気を覚えそうになるほどだった。しかし、それは私の中にもある部分だと思う。
“見てみぬふり”。気付かないでしていることだろう。
出てくると人物の中で、一番反吐が出たのは、「完」だ。
彼は“見てみぬふりもせず、ただ流されていく”。最低な野郎だ。
どんな気持ちであっても、関心を寄せるほうが、まだマシだ。

ヤマシタトモコは、淡々と『心の闇』を描いていく。
救いようがない話し、と片付けたくはない。誰にだって朝は訪れる。
そう、信じたい。

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2013年07月19日

Posted by ブクログ

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これは…… なるほど……
きのう、まだ2023年だった頃に作者の最新作『違国日記』を最後まで読み終えて、その翌日に、10年前、2021-2013年に連載・発行されたこの全2巻の作品を読んだのだけれど、そのあまりのギャップに驚くとともに、最終的には、なるほど確かにこの『ひばりの朝』の延長上に(『さんかく窓の外側は夜』や『花井沢町公民館便り』などを挟んで)、『違国日記』が位置するのだと、そのひとりの作家の経歴の連続性に納得させられた。

Wiiリモコンとかガラケーとか、2010年前後の時代特有のものが色々と登場して、その ”古さ” に慄いた。富子がひばりに対して内心でしようとした、windows OS(XPかVista辺り)での「ゴミ箱へ削除」演出とかも、あの時代でないとまず書かれないだろう。


上巻を読んだ時点で、(ひばり以外の)登場人物のあまりの露悪的な造形、性悪説っぷりにゲンナリしていて、おいおいどうするんだこれ、ここからよくあんなにキャラ全員が善性を持って、少なくとも倫理を追い求める善人であろうとしている『違国日記』を書くようになったなぁ信じられへん……と思っていた。

それが下巻に入ると、本当にギリギリのところで露悪からなんとか善性のほうへと切り返して踏み留まれるかに思われる展開を見せ、期待が高まったが、最終的には、むろん単なる露悪でもなければ、安易な「救われ」展開でも「改心」展開でもない、また別の方向へと突っ走って着地/逃避していた。私の語彙でいえばG=マルケスの『エレンディラ』展開と表現される、ある種とても王道な結末ではある。”夜明け”のほうへとひとり行ってしまったひばりがその後、幸せに暮らせたのかどうかは宙吊りにされている。

「詩」で物語を締めるやり方は当然に『違国日記』を思わせるが、既存の古典を引いた本作に対して、あちらはオリジナルで勝負していて成長を窺わせる。

また、ひばりを死なせもせず、しかしひとりぼっちで逃げ出させた(=”社会”に放り出させた)『ひばりの朝』の結末は、ある意味でとても誠実であると同時に、無責任でもある。だからこそ、そんなひばりの逃避先として『違国日記』での槙生と”朝”との共同生活を描いたのではないかと思った。

上巻の時点で、ま〜たエロゲとかによくある、「ミステリアスな魔性のヒロイン」を中心に配置して、彼女を取り巻く人々の群像劇によって次第に多面的に真相が明らかになっていく(=撹乱されていく)系の物語か……と嫌気が差していたが、しかし上巻の最後の「talk.7」で早くもひばり視点のエピソードを入れてきてくれたので、やっぱヤマシタトモコ信頼できるわ〜〜〜となった。まったく入れないとか、最後に満を持して持ってくるパターンとかが全然有り得てしまうなかで、半分いかないうちにちゃんと彼女が「魔性の女」なんかではないことを、本人の内側から宣言してくれたことのうれしさ。



> 「助ける」ってさ …どうやんのかな
> …どうなったら …あたしって ………助かってるのかな
> …あたしって 助かんの……?

その通り。これは「ひばり」というひとりの少女の問題ではない。彼女を取り巻くこの現代社会の構造の問題である。だから、例えばひばりに想い(性欲と分離はできない)を寄せているクラスメイトの男子が「助ける」ことなどできない。彼が本当はそんなの「できないってわかってて言ってる」事実以上に、そもそも「彼女ひとりを助ける」ことで解決する問題ではないのだ。
だから、誰かの善意がひばりを助ける展開にしなかったことは誠実だと思う。同時に、彼女を取り巻く人々が、まったく善意を持ち合わせていないのではなく、あと一歩で、1クリックで、なんらかの実行的なアクションに繋がっていたところまで丹念に描いていることもまた、素晴らしい。クラスメイトの相川勇くんの勇気ある行動・発言だって、確かに「忘れない」ものを彼女のなかに残しはしたのだ。それはひばりを救いこそしないものの、彼女が「死なない」ための助けには、ほんの少しは貢献していただろう。



この物語の、この”問題”の核心にもっとも迫りながらも、同時に「きっと誰にも救えない」と諦めてニヒリズムに陥っていまっているのはひばりの担任教師・辻先生である。ひばりのはとこ?であり、彼女が一時的な逃避先として選ぼうとしていた「完ちゃん」と並んで、もっとも彼女の抱える問題に気付いて手を差し伸べるべきなのに、それをしなかった罪深い大人だが、辻先生自身が複雑に絡み合う女性差別の中で精神的に摩耗している様子が描かれるので、やりきれない。

> ありきたりの言葉であなたたちがその狭い世界を罵るたび
> あなたたちが世界にどれほど美しく強堅で信ずるべき 善いものを求めているか
> いつも思い知らされるようです

> 敵と味方以外にも人間はいること
> きれいときたない以外のものごともあること
> 生と死以外の選択肢もあること
> 大人と子供以外の人間もいること
> 誰もきっとあなたたちに教えてはくれません
> 私も
> 大人は
> 自分がかつて子供であったことを忘れないと生きてゆけないのです
> だから私はあなたたちを助けません

辻先生のこの言葉を、生徒である未知花は屋上のシーンですでに見通しているのが良かった。

> あたしか ひばりか
> …カガイシャか …ヒガイシャ?
> …どっちか死んだら超ドラマチックであんたたち 皆 超スッキリするよね そうなんでしょ?

だからこそ、誰も安直に死ぬ展開にはしない。極端なバッドエンドでもハッピーエンドでもなく、この物語は終わっても、ひばりの、未知花の、彼女ら彼らの人生は続くのだと。そう思わせてくれる物語で良かった。「息を止めていたので平気でした」……まったく「平気」ではないそれを、このようにひばりに言わせてしまっているそれを私たちは深く痛感して恥じなければいけないが、同時に、それでも彼女は生き残ってくれたのだと、この言葉をまじない(呪い/祈り)のようにしてか、耐え抜いてくれたのだと、絶望と希望で両面を固められたそれそのものを呑み込まなければいけない。この漫画を読むとは、私にとってそういう体験だった。




子供に接する大人こそが、教師こそが、そして本当は親こそが、「そこから逃れる方法」を教えてやるべきだ。逃してやるべきだし自身が逃避先になってあげるべきだ。それは正論だが、同時に社会を構成するひとりひとりの大人という”個人”に責任を鋭く委ねるのではなく、個人の善意と勇気に賭けるのではなくて、あくまで社会構造の問題であると、きわめて政治的な次元の問題であると認識して向き合うべきだ、私たちひとりひとりが。無論、漫画という物語作品のメディアで、どこまで政治・社会を具体的に扱うことが出来るか、というのはまた個別的に難しい課題である。少なくとも、この『ひばりの朝』という漫画では、自身が広げたその範囲で出来ることをかなり誠実に描き切っているとは思う。が、同時に、これだけでは限界がある。それを作者も読者も認識しているから、『違国日記』という作品が書かれ、広く読まれるようになったのだろう。私は、この列島(極左フェミニスト高島鈴さんからの受け売りの言い方)の大衆の政治的状況に深く絶望すると同時に、それでも『違国日記』のような作品が広く読まれているのは本当に素晴らしいことだと思う。

昨日と今日で連続して読んだために、膨大なヤマシタトモコ作品の中でどうしてもこれら2作品のみをナイーブに結びつけてしまう思考になっていて申し訳ない。もっと、ヤマシタトモコ作品の全体像のなかでの位置付けや、そして他の作家の作品との関連も見通してこれからも読んでいきたい。


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2024年01月01日

Posted by ブクログ

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1巻でギシギシと軋み始めた関係が
2巻では明確な歪みとなって崩れ始める。
どんなに頑張ったって、食い違って、すれ違って。
「ご都合主義のハッピーエンド」なんて、馬鹿らしく思えてしまう。

『ひばりは、きっと死んだ。』
その解釈もあるということを、ここに来て初めて気付きました。
私は生きていると思います。願望ですが。
逃げて、そして生きていてほしい。
中学生や高校生までは、自分の周りが世界の全てだと思い込んでしまいがちですが
そうじゃないんだよ、と
本当に思っている以上に世界は広いんだよ、と
声を大にしてひばりに教えたい。

桜庭一樹さんの『少女七竈』に少し通じるものがありますが、
ここまで救いがないと、いっそ清清しいですね。


どこか遠い町に逃げることで、
彼女に本当の意味での朝が来ていたらいいな。

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2013年07月25日

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完ちゃん、いつかの私みたい。
自分の常識じゃないことは信じられない。頭から否定する。
結局誰もひばりを救えなかったんだな。

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2022年01月27日

Posted by ブクログ

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2巻になって、ヒバリの周りに少し優しさが届くけど、やっぱりちゃんと救うには至らない。高校卒業までじっと耐え続けるための少しの支えにはなったのか、ならなかったのか。
ヒバリは希望と共に高校卒業の朝を迎えたんだろうけど、未来がよくなりそうな気がしない。最後の方で、変な箸の持ち方をして惣菜を食べる場面がわざわざ入ってたり、最後の朝は薄い鞄一つで出掛けて行ったり。頭がそこまで良くなくて、生活能力もなくて、頼る人もいなくて、卒業後の準備もろくにしてなさそう。
あとがきで、これは怒りの物語だったんだ…とわかると、ヒバリの家出は、自分が生きていくためってより、怒りの表明だったのかもなと思った。

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2021年08月29日

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