【感想・ネタバレ】親鸞(しんらん) 激動篇(上) 【五木寛之ノベリスク】のレビュー

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Posted by ブクログ

ネタバレ

本シリーズの始まりとなる青春篇を読み終えたのが2020.3.22、続編となる本作を手にするまでに約2年と半年。

先日、著者の別作品を読み終えた時に何かに吸い寄せられるように自然と本書に手が伸びました。

今が本書を読む時ということなのでしょう。

と言うことで久々の再会となった親鸞ですが、いやはや面白い。

無知故にどこまでが史実なのか、全くわかりませんが、仮に全てがフィクションであったとしても純粋に読み物として読み応えがあります。

京を追放され、妻である恵信の故郷である越後に流された親鸞。

1年の労役を務め上げながらも法然の教えを守ろうと人々に念仏の心を伝えようとする。

そんな中で出会った外道院と名乗る謎の僧と彼と行動を共にする多くの世間から見放された人々。

果たして外道院は敵なのか、それとも味方なのか。

そんな中で親鸞が命を懸けて始まった雨乞いの祈祷。

7日間飲まず食わずでただ念仏を唱える親鸞の祈りは、祈祷の終了を知らせる太鼓の音と共に終わることに。

守護代の戸倉はその場で親鸞をニセ坊主と呼び、部下に捕らえよと命ずる。

集まった聴衆に親鸞を石でうつように叫ぶも誰も石を手にすることなく立ち去ろうとしたまさにその時、天から鳴り響いた雷鳴と共に2ヶ月ぶりの大雨が降り出した。

戸倉の怒りをかった親鸞とその仲間達は外道院により助けられ、命をつなぐ。

同じく戸倉に命を狙われる外道院はなんと戸倉の息子からの密告により、すんでのところで危機を脱する。

外道院と離れ家に戻った親鸞、下巻ではどのような展開が待ち受けるのか。

楽しみに読み進めていきます。



説明
内容紹介
京を追放された親鸞は、妻・恵信の故郷である越後に流されていた。一年の労役の後、出会ったのは外道院と称する異相の僧の行列。貧者、病者、弱者が連なる衝撃的な光景を見た親鸞の脳裡に法然の言葉が去来する。「文字を知らぬ田舎の人々に念仏の心を伝えよ」。それを胸に親鸞は彼らとの対面を決意する。


親鸞の冒険、未知の異界へ!
波乱を乗り越える勇気とはなにか。

京を追放された親鸞(しんらん)は、妻・恵信(えしん)の故郷である越後に流されていた。一年の労役の後、出会ったのは外道院(げどういん)と称する異相の僧の行列。貧者、病者、弱者が連なる衝撃的な光景を見た親鸞の脳裡に法然の言葉が去来する。「文字を知らぬ田舎の人びとに念仏の心を伝えよ」。それを胸に親鸞は彼らとの対面を決意する。
内容(「BOOK」データベースより)
京を追放された親鸞は、妻・恵信の故郷である越後に流されていた。一年の労役の後、出会ったのは外道院と称する異相の僧の行列。貧者、病者、弱者が連なる衝撃的な光景を見た親鸞の脳裡に法然の言葉が去来する。「文字を知らぬ田舎の人びとに念仏の心を伝えよ」。それを胸に親鸞は彼らとの対面を決意する。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
五木/寛之
1932年福岡県生まれ。朝鮮半島より引き揚げたのち、早稲田大学露文科に学ぶ。PR誌編集者、作詞家、ルポライターなどを経て、’66年『さらばモスクワ愚連隊』で小説現代新人賞、’67年『蒼ざめた馬を見よ』で直木賞、’76年『青春の門』(筑豊篇ほか)で吉川英治文学賞を受賞。’81年より一時休筆して京都の龍谷大学に学んだが、のち文壇に復帰。2002年にはそれまでの執筆活動に対して菊池寛賞を、英語版『TARIKI』が2002年度ブック・オブ・ザ・イヤースピリチュアル部門を、’04年には仏教伝道文化賞を、’09年にはNHK放送文化賞を受賞する。10年に刊行された『親鸞』は第64回毎日出版文化賞を受賞しベストセラーとなった(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

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2022年09月07日

Posted by ブクログ

ネタバレ

念仏に求められるものが、地方に流されたことで違ったものになった。

人は生きるためには殺生せずにはいられない悪人であるという前提で、底辺に暮らす人々がその業を背負う仏であるという解釈は、悲惨な境遇の人を、本人の、前世の、先祖のせいにしがちな人民にとって、どこか救いのある考えに思えた。自らを生き仏としたあたり、権力を欲した外道院の限界であるように思う。

念仏は仏にご利益を依頼するものではない。しかし、「世のならい」という法然の教えと、目の前で違うことを人々に納得させるため、親鸞は雨乞いを決意する。一番の動機が「捨身」であることに気づき、念仏にふける親鸞は、これまでとはまた考え方が滲んでいて、やはり修行者であると気づかされる。

念仏の意味が民衆に伝わったかはわからないが、結果だけを見て民衆が激怒しなかったあたり、小さな問いかけは成功したと思う。

『雨を乞うための念仏ではない。仏の姿を観るためでもない。わが身の極楽浄土を願う念仏でもない。自然に体の奥からあふれでてくる念仏である。』

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2013年10月31日

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ネタバレ

前半は越後編。
京の都から、恵信の故郷であり、且つ、叔父の統括する越後に流人として送られた親鸞。物語は新潟の浜での外道院との遭遇から始まる。ここから外道院と親鸞との不思議な親交が始まる。親鸞を警戒し、味方にならぬのなら除こうとする外道院、外道院から河川の権利を収奪せんとする役人側という展開。色々な権謀術数の中、不思議なことが多々起こり、物語は進む。その中で徐々に念仏者を増やしていく。その途中から流人としての罪を許される。
後半は関東編。
一方で鴨の河原で親しくした河原房浄寛改め香原崎浄寛に招かれ関東へ赴く。関東でも領主の政治的計らいから、布教に勤め、その輪を拡大していく。その間にも自己の存在や念仏のあり方に悩み続ける親鸞。その信念の揺らぎに合わせてそれを試すように現れる黒法師。そしてその危機を助ける礫の弥七。そんな構図が出来上がっていく。
最後は恵信が越後に一時的に去り、親鸞は風雲急を告げる京都に上る覚悟を決める。

外道院と浄寛との親交のあり方が面白い。それぞれに親鸞という人物を信じ、影日向に親鸞を助ける姿がとてもいい。
また、親鸞の進行を試すように現れる黒法師と危機一髪の時に必ず現れる弥七はセットで物語を盛り上げてくれる。
読んでいくうちに念仏のあり方とは?という点も勉強になる。

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2018年08月06日

Posted by ブクログ

ネタバレ

 親鸞が越後で流人として過ごし、そこを出て常陸の国で教えを広めるまでの話である。

 人々は生きるために戦い、殺生を重ね、だましあい、争いあってその日を生きなければならなかった。世間で悪とされる行為を、だれが避けることが出来ただろう。そして、人々は死後の地獄を恐れた。無間地獄の恐ろしさを世に広めたのは仏門の僧たちである。生きて地獄、死んで地獄。救いを求めて仏にすがろうとすると、よろずの仏はみな、差し出された人々の手を振り払って去っていく。お前達のような悪人を救うことは出来ないと。去っていく仏達を見送り、呆然と立ちすくむ人々に向って、法然上人は力強く語りかけたのだ。あれをみよ、すべての仏達が去っていく中に、ただ一人、こちらへむかって歩いてこられる仏がいる。あれが阿弥陀仏という仏だ。よろずの仏に見放された人々をこそ救う、と誓って仏となられた方なのだ。

 釈尊が入滅された後、その教えは歌として人々に記憶され、伝えられたという。それを偈という。仏の教えは、はじめは文字に書かれた経典としてではなく、歌としてくちずさまれ、暗記され、人々に手渡されていった。たしかに、ながい文章は覚えにくいが、それを音や韻を踏んで、歌としてなら覚えやすい。

 法然上人が山を降りて念仏を説かれた頃、人々の中からこんな歌が生まれた。今様というものだ。「はかなきこのよをすぐすとて、うみやまかせぐとせしほどに、よろずのほとけに うとまれて、ごしょう わがみをいかにせん」

 はかなきこのよをすぐすとて、とは、人と争い、人をもだまし、その日その日を必死で何とか生きていくために、ということだ。うみやまかせぐとせしほどに、とは、世間もろもろの生業だ。田畑を耕すもの、商いするもの、戦いに日をおくることもみな海山稼ぎの仕事。なにもかも、はかなきこの世を生きんがため。百姓も虫を殺さずに田を耕すことは出来ない。また、稲や野菜には人に食べられようとして実をつけるわけでもない。山川草木すべてに命があると思えば、人間というのは他の命をいただくことでしか生きられない悲しい存在だ。よろずのほとけにうとまれて、とは、業の深い暮らしの中で、人々は仏にすがろうとするが、どの仏も海山稼ぎの者たちには首を振って相手にしてくれない。お前達のような業の深い者達は救うことが出来ないと。普段から殺生を重ね、善い行いもせず、きびしい修行もしない者たちが何を今更、とすがる手を振り払って去っていってしまう。そして取り残された人々は、われらは神や仏にすら嫌われているのだと、どうしようもない気持ちでため息をついている。そういう切ない歌だ。

 そこへ法然上人という方が現れたのだ。山を下りられた上人は、人々に語りかけた。よろずの仏に疎まれた人々よ。絶望することは無い。聞きなさい、ここに阿弥陀仏、という特別な仏がいる。その仏は、よろずの仏に疎まれし人々をこそ救う、と誓って仏になられた唯一の仏なのだ。他の仏に見放された人々を救うのが、自分の役割だと固く誓って仏になったのが阿弥陀仏。苦しみ、おびえ、悲しんでいる人々に、われに答えよ、と呼びかけられる。そして、自分のほうから人々のところへ歩み寄って、手を差し伸べて言われる。さあ、この手につかまれ、そして、共に光の中に歩み入ろうと。ただ念仏せよ、と、法然上人は言ったが、念仏をしても決して背負った荷の重さが軽くなるわけではない。行き先までの道のりが縮まるわけでもない。だが、自分がこの場所にいる、この道を行けばよい、そして向こうに行き先の明かりが見える、その心強さで再び歩き出すことが出来る。念仏とはそういうものだ。阿弥陀仏という仏様は、この世につらく生きている切ない心に向けて照らす光なのだ。

 念仏とは、依頼祈願の念仏ではない。阿弥陀様、お救いください、と念仏するのではないのだ。後生に浄土へいけますように、お願いします、阿弥陀様、という念仏ではないのだ。お救いください阿弥陀様ではないのだ。念仏とは、自分が既にして救われた身だと気づいたとき、思わず知らず口からこぼれ出る念仏なのだ。ああ、このような我が身が確かに光に包まれて浄土へ迎えられる。なんとうれしいことだ。疑いなく、そう信じられたとき、人は、ああ、ありがたい、とつぶやく。そして、全ての人々と共に浄土へ行くことを口々に喜び合う。その声こそ、真の念仏なのだ。あなたも、わたしも、身分も、修行も、学問も、戒律も、すべて関係なく、人はみな浄土に迎えられるのだ。地獄へ落ちたりはしない。そのことを確信できたとき、念仏が生まれる。ただ念仏せよ、とは、それをはっきりと感じ取り、ああ、ありがたい、とよろこぶべし、ということだ。だが、信が先、念仏が後、ということではなく、時には、念仏する中で生まれてくる信がある。

 易行念仏の教えはやさしいが、真実の信なくしては意味がない。阿弥陀仏を信じ、浄土を信じ、悪人である自分が必ず救われる、と固く信じることが大事なのだ。この世界に見えないものをみる。それは幻かもしれない。夢かもしれない。しかし、信じたときにそれは真実となる。死ぬまで念仏に出会うこともなく、おのれの悪を悔やむこともなく、阿弥陀様さえあざ笑いながら一生を終えるものこそ、この世でもっとも哀れで惨めな者だ。おのれの悪を自覚できるとか、深く懺悔するとか、念仏を信じるとか、そんなことを最後まで拒む悪人こそ真の悪人。その悪人を悪人のまま救うというのが大悲であり、阿弥陀仏だ。念仏する者も、それを信じない者も、等しく人は浄土に往生するということだ。だが、それは信心する者も、しない者も同じどいうことではない。見えない阿弥陀仏を心から信じ、念仏する者は、いま、そのとき新しい人間に生まれ変わるのだ。無間の闇におびえて生きていた自分が、じつは無限の光に照らされている、阿弥陀仏という仏に抱きしめられて浄土へ往生する身なのだ、と確信できたとき、人は臨終を待つことなく救われる。しかし、念仏と出会わなかった哀れな人は、死んで後に救われる。だが、信を得たとき、その人は生きたまま、直ちに救われる。ひとしく往生するとしても、そこが違うのだ。

 そして、親鸞は、ついに10数年いた常陸の国も去ることになる。都では、法然上人亡き後、上人の遺体を掘り出して鴨川に流そうとする者や、念仏の弾圧に奔る人、法然門下の派閥を争う人、など、見るに耐えない有様だという。親鸞は60歳を過ぎていた。妻は越後に行くことにし、親鸞は京へ向う。

全2巻。

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2018年05月18日

Posted by ブクログ

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(上下巻の感想)親鸞聖人が島流しにされて越後で過ごす日々から、縁あって関東で布教をした頃を描いた作品。

青春編を読まずに読んでしまいましたが、十分楽しめました。難破船を使ったライバル役のアジト、大捕物のようなハラハラするシーンなど、読んでいてわくわく、ドキドキするような演出も多く、とても読みやすかったです。

作中では、越後でも関東でも、地縁がほぼないところから布教を始めるなか、一癖も二癖もある土地の人たちと出会い、交わることで、だんどんとその地に根を下ろし、念仏を伝えるということに苦心しながらも努めている親鸞の様子が丁寧に描かれています。

目指す方向は似ていても、信仰のあり方の違うライバル、地方の様々な有力者、不遜な武士、詐欺師のような男や、かつて人を殺めたことのある男…。親鸞のまわりに現れるキャラクターたちは、誰もが印象的で、人間味にあふれています。
仲間を増やし、ライバルと張り合い、別れてはまた新たな土地を尋ねる親鸞は、まるで少年漫画の主人公のよう。お坊さんの静かな生涯ではなく、まさに激動の活劇を見ているような気分になりました。

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2021年02月28日

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