あらすじ
わたしの名はジョーナ。いまプエルト・リコ沖のサン・ロレンゾ島にいる。“パパ”モンザーノの専制政治に支配されるこの島で、『世界が終末をむかえた日』の著者となるべきわたしは、禁断のボコノン教徒となったのだ。 “目がまわる、目がまわる”世の中は複雑すぎる。愛するサン・ロレンゾ一の美女モナが、世界中のありとあらゆる水を氷に変えてしまう〈アイス・ナイン〉が、柔和な黒人教祖ボコノンが、カリプソを口ずさむわたしのまわりをめぐりはじめる――独自のシニカルなユーモアにみちた文章で定評のある著者が、奇妙な登場人物たちを操り、不思議な世界の終末を描いた長篇。
...続きを読む感情タグBEST3
このページにはネタバレを含むレビューが表示されています
Posted by ブクログ
序文
本書には真実はいっさいない。
「〈フォーマ(無害な非真実)〉を生きるよるべとしなさい。それはあなたを、勇敢で、親切で、健康で、幸福な人間にする」
ー『ボコノンの書』第一の書第五節
p32
"実験だよ"
p34
人間は父の専門ではなかったからです。
"今や科学は罪を知った"
"罪とは何だ?"
p37
「これは私事です。たんなる恋愛事件です。ぼくは後悔してはいません。何が起ころうと、それはぼくとズィンカとのことで、みなさんには関係ありません」
p88
「おかしな旅の誘いは、神の授けるダンス・レッスンである」
p157
自分の本に索引をつけるのは素人作家のすることだ、とも言った。
p219
真実は民衆の敵だ。
p233
「わたしが何かしたのですか?」
「これからするんだ」
p251
「成熟とは苦い失望だ。治す薬はない。治せるものは強いてあげるとすれば、笑いだろう」
p300
「過去の正確な記録がなかったら、人間はどうやって将来起こすかもしれない重大な過失を避けるというのか?」
p301
"よし、世界を滅ぼしてやる"
初ヴォネガット。超好き。
村上春樹やたくさんの作家に多大な影響を与えたヴォネガット。敷居が異様に高くなっていたことを反省せざるを得ないくらい軽やかで面白い。
うまくは言えないけれど、この作品の持つどこか荒廃とした雰囲気がこれまで読んだいくつかの作家作品、映画などにあったような錯覚を覚える。不思議な体験。この本に全部詰まってるのでは、とも。
ここ最近、宗教についてよく考えるので、本作にある角度で読むと逆に新鮮にも感じる。パワーワードの連発は好みが分かれるところもあるかもだけど、端的に詩的に読み取れるそれらの言葉は皮肉と風刺に満ちていて、それが読んでいるときの爽快感にもなっている、と私は感じました。
他の作品もちびちび読み進めたいと思った次第。
Posted by ブクログ
好きだ〜〜
ボコノン教の宇宙からの視点が皮肉が効きまくってて最高だったな
私が好きなのは戦闘機が墜落して宮殿が壊れてアイス・ナインで世界が凍結するシーンです
Posted by ブクログ
甚だ奇っ怪な小説。
まえがき
「本書には真実はいっさいない。」「〈フォーマ〉を生きるよるべとしなさい。それはあなたを (略) 幸福な人間にする。」(p4)
※フォーマ=無害な非真実
これがこの物語を端的に表している。
ジョークやユーモアが私たちを豊かにしてくれる。
中身は荒唐無稽の極み。
「世界が終末をむかえた日」について、謎の宗教・ボコノン教徒の男、自称ジョーナが語る。その述懐が人を食ったような、あまりにもヘン。
原爆研究者、フォーニクス・ハニカー博士が開発した究極兵器‘アイス・ナイン’を巡り、カリブの小国サン・ロレンゾ共和国を舞台に破茶滅茶が巻き起こる。
世の中に意味が無いものがあっても良いではないか。私はそんな風に捉えたが、無理して意味を求めなくても良いように思うのであまり考えないようにする。
猛烈に好きな作品。
23刷
2021.2.8
Posted by ブクログ
吉野朔実が子どものときに読みたかった本として挙げていたため、興味を持って読むことにした。どうしてこれを子どものときに読みたいと思ったのだろう、と疑問に思ったが、確かに小さな頃に見ていれば、価値観というか見方がひっくり返ったかもしれない(?)。
最初はただの普通の話だと思っていたが、空想の島「サン・ロレンゾ」が出てくるにつれ、段々と不思議な世界に突入していく。一般人がアイス・ナインという一歩間違えば大量殺戮兵器にもなり得るようなものを持っていて、この道具を個人の好きに使ってしまって、きな臭くなっていく。ハニカーの子どもたちに対しては、良心もある程度の分別もあるけれど、私欲も勿論持っている人間なんだな、と思った。天才はどうなのか知らないが、一般人がこういった危ない兵器を利用しようとすると、最初から大きな自体にはならないが、小さなところから波紋のように大きく影響が広がっていくと分かった。
読んでいて一番気になったのは、ボコノン教から見る宗教のあり方(この宗教は独裁があるからこそ島民の心に平和と歓喜をもたらす)だった。宗教と社会的平和は共存できないのだろうかと考えるに至った。
おそらく話の内容は世界全体に通じることなんだろうけれど、世界規模で急に書き出すと、規模が大きすぎて問題が浮き彫りになりにくいのだと思う。それをサン・ロレンゾという小さな規模の社会(小さな世界?)の出来事として書くことによって、宗教や戦争は何なのかという問題と答えが、読者(というか私)に考えやすく、自分や作者なりの答えが見つかりやすくなっているように思った。
Posted by ブクログ
「キャット・クレイドル」の名は、宇宙船の名として知った。『宇宙英雄物語』の最終話にぽっと出てきたキャラの愛機だ。ぽっと出のキャラだが紅龍を逮捕するなどの活躍をしており、もっと活躍する予定のキャラだったらしいことがおまけページに書かれている。
別の機会に同名の小説作品が存在することを知った。
本を手に取るまで『タイタンの妖女』の著者の作品であることを知らなかった。知ってしまえば期待は爆上がり。クールに虚無を積み重ねていく語り口調はパラニュークや『パルプ・フィクション』を思わせるもので、発表順からすれば影響を与えたかもしれない側となる。
短いエピソードの連なりで物語は構成されている。外堀が少しずつ埋められていくような、完成図が見えないジグソーパズルが全体像を想像させないまま次第に出来上がっていくような。読んでいる最中はとても幸せだった。
しかし、どうにも期待をかけすぎたようだ。美しいクライマックスであるとは思える。しかし、完璧な結末とは思えない。