あらすじ
あたかも一万年も生きるかのように行動するな。生きているうちに、許されている間に、善き人たれ──ローマ皇帝でストア派の哲人マルクス・アウレーリウス(121-180)。多端な公務に東奔西走しつつ、透徹した目で自らを内省した記録は、古来、数知れぬ人々の心の糧となってきた。神谷美恵子の清冽な訳文に、新たな補注を加えた。(改版)
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Posted by ブクログ
君も常に君の信条を用意して神のこと人間のことを理解し、些細なことといえども全てこの両者間の相互の関連を意識しつつおこなえるようにしておくがよい。思想について迷うな。私の人生は宇宙と比べれば一瞬のなんてことないことなのだから、外部からの刺激に腹を立てたりせずに内に集中するべきであろう。外的の理由で苦しむとき、そのこと自体ではなくそれを自分がどのように捉えるかといったところで苦悩や不幸に傾くのではないだろうか。それに対しても穏やかな気持ちを保てるのだとすれば、それは不幸には至らないのでは。自分自身で変えられない自然の原理で訪れる外的な出来事に自己を惑わされるのではなく、自分の判断や行動に意識を向けるべきであろう。
説教くさい言葉は嫌いだ。だからこそ、自分自身と向き合い自分自身に残している手記である本書はすっと心に入ってくる。
外へ外へ求めるときは迷ってるときな気がする。半年前のアホみたいに旅行してた時期しかり。外に答えを求めるな。内に集中せよ。
Posted by ブクログ
善い人間のあり方如何について論ずるのはもういい加減で切り上げて善い人間になったらどうだ。(第10巻 16)
もっとも高貴な人生を生きるに必要な力は魂の中にそなわっている。ただしそれはどうでもいい事柄にたいして無関心であることを条件とする。(第11巻16)
最初悲劇というものは、人生途上の出来事を人に思い出させるために演ぜられたものであった。またこういう出来事は自然にこういうふうに起るものであることを示し、舞台の上で演ぜられることが諸君を魅了する以上、同じ事柄がもっと大きな舞台の上で起ったとしても、これを苦にしてはならない、ということを考えさせるためであった。
なぜならば、舞台で見るところによれば、こういう出来事はこういうふうに起らねばならぬことであり、「ああキタイローンよ!」と叫ぶ者といえどもやはりこれを耐え忍ばねばならないのである。(第11巻6 ※「オイディプス王」について言及している)
マルクス・アウレリウス帝
・マルクス・アウレリウス帝(ローマ帝国最後の五賢帝)のパルティア戦役→勝利→
帰還兵たちが新感染症(天然痘か麻疹と言われている)をローマに持ち込んだ=『アントニヌスの疫病』→
6000万人のローマ帝国で、1000万人の人が死亡→急激な人口減少→ローマの経済力の減退→
国家の安全保障に揺らぎ→ゲルマン民族がドナウ川口境を脅かすようになっていく。
・マルクス・アウレリウス帝「まもなく土は我々全てを覆い隠してしまうだろう。
次に土自身も変化し、更には次から次へと無限に変化して行く。
この変化と変形の波の動きと、その速さを考えて見る者は、諸々の死すべきものを軽蔑するに至るであろう。
全て君の見ているものは、まもなく消滅してしまい、その消滅するところを見ている人間自身も、
まもなく消滅してしまう。極めて高齢に達して死ぬ者も、結局は夭逝した者と同じことになってしまうであろう」
・マルクス・アウレリウス帝の死→ローマ帝国衰亡の始まり→
かつては享楽的で世俗的であったローマ帝国→三世紀にはキリスト教的(禁欲的で来世的)な雰囲気に変わった→
「神々はローマを見放した」「それならキリスト教だ」→
キリスト教「肉体の死を恐れてはならない」「魂を滅ぼすことのできる方、即ち神を恐れなさい」
「疫病による死は現世からの解放であり、キリスト教徒を天国での新たなる生へと導くものである」
→キリスト教徒は死や感染を恐れず病人を看護し、病院の経営も行った→
キリスト教の勝利→ローマの滅亡→中世の時代へ。