あらすじ
あたかも一万年も生きるかのように行動するな。生きているうちに、許されている間に、善き人たれ──ローマ皇帝でストア派の哲人マルクス・アウレーリウス(121-180)。多端な公務に東奔西走しつつ、透徹した目で自らを内省した記録は、古来、数知れぬ人々の心の糧となってきた。神谷美恵子の清冽な訳文に、新たな補注を加えた。(改版)
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Posted by ブクログ
善い人間のあり方如何について論ずるのはもういい加減で切り上げて善い人間になったらどうだ。(第10巻 16)
もっとも高貴な人生を生きるに必要な力は魂の中にそなわっている。ただしそれはどうでもいい事柄にたいして無関心であることを条件とする。(第11巻16)
最初悲劇というものは、人生途上の出来事を人に思い出させるために演ぜられたものであった。またこういう出来事は自然にこういうふうに起るものであることを示し、舞台の上で演ぜられることが諸君を魅了する以上、同じ事柄がもっと大きな舞台の上で起ったとしても、これを苦にしてはならない、ということを考えさせるためであった。
なぜならば、舞台で見るところによれば、こういう出来事はこういうふうに起らねばならぬことであり、「ああキタイローンよ!」と叫ぶ者といえどもやはりこれを耐え忍ばねばならないのである。(第11巻6 ※「オイディプス王」について言及している)
マルクス・アウレリウス帝
・マルクス・アウレリウス帝(ローマ帝国最後の五賢帝)のパルティア戦役→勝利→
帰還兵たちが新感染症(天然痘か麻疹と言われている)をローマに持ち込んだ=『アントニヌスの疫病』→
6000万人のローマ帝国で、1000万人の人が死亡→急激な人口減少→ローマの経済力の減退→
国家の安全保障に揺らぎ→ゲルマン民族がドナウ川口境を脅かすようになっていく。
・マルクス・アウレリウス帝「まもなく土は我々全てを覆い隠してしまうだろう。
次に土自身も変化し、更には次から次へと無限に変化して行く。
この変化と変形の波の動きと、その速さを考えて見る者は、諸々の死すべきものを軽蔑するに至るであろう。
全て君の見ているものは、まもなく消滅してしまい、その消滅するところを見ている人間自身も、
まもなく消滅してしまう。極めて高齢に達して死ぬ者も、結局は夭逝した者と同じことになってしまうであろう」
・マルクス・アウレリウス帝の死→ローマ帝国衰亡の始まり→
かつては享楽的で世俗的であったローマ帝国→三世紀にはキリスト教的(禁欲的で来世的)な雰囲気に変わった→
「神々はローマを見放した」「それならキリスト教だ」→
キリスト教「肉体の死を恐れてはならない」「魂を滅ぼすことのできる方、即ち神を恐れなさい」
「疫病による死は現世からの解放であり、キリスト教徒を天国での新たなる生へと導くものである」
→キリスト教徒は死や感染を恐れず病人を看護し、病院の経営も行った→
キリスト教の勝利→ローマの滅亡→中世の時代へ。
Posted by ブクログ
マルクス・アウレリウス帝が従軍中などに独り自分のために書き綴った「自省録」。短い文章や警句のようなものがひたすら並んでいるが、内容は生死や他人の行い、苦痛・怒りや悲しみなどの感情への執着を捨てること、理性=自然にしたがって生きることなどストア派らしい似通ったところが多く、そんなに読みづらくはなかった。というか、今まで読んできたストア派のセネカやエピクテトスより読みやすく感じたし、一番良かった。訳も良いが、訳者神谷美恵子の書くとおり、彼自身が思想を実践するためにもがき苦しんでいる姿があるからこそ、生きた思想の躍動感が生まれているからなのだろう。神谷氏はストア派の思想が現代において倫理学以外は力を失っているし、倫理学も忍耐を養うにはよいが、人生をつくりかえるような大きな力がないということを指摘したうえでこのように言うのである。
「しかしこのストア思想も、一度マルクスの魂に乗り移ると、なんという魅力と生命とを帯びることであろう。それは彼がこの思想を身をもって生きたからである。生かしたからである」
実際に自省録を読んで、本当にその通りだと思わされた。読んでいると自然に自分も襟を正すような気分になる。
先に読んだ「『自省録』のローマ帝国」ではマルクス・アウレリウスの哲学は政治に影響なく、マルクス帝の個人的な思想の範囲にとどまっていたという話があったが、その個人的な部分がいかに大きいことか(他人への寛容や公共への奉仕を繰り返し書いていたあたり政治に影響がないとも思われないが)。解説本を読んでいた時とは、実際に自省録を読んだことで大きく印象が変わった。また読みたいと思う。
Posted by ブクログ
人に読ませるために書かれたものではないので、日記状で箇条書きのような形なのが
細切れで流れのある書物ではない為読みづらく感じるところはある。
逆に比較的さくっと読めるという利点でもある。
以下抜粋メモ(多少の簡略化あり)
公益を目的とするのでないかぎり、他人に関する思いで君の余生を消耗してしまうな
あたかも一万年も生きるかのように行動するな。
君の肉体がこの人生にへこたれないのに、魂のほうが先にへこたれるとは恥ずかしいことだ。
手など体の一部を切り取られて、残りの肢体から少し離れたところに横たわっている。起ってくる事柄をいやがったり、他の人たちから別になったり、非社会的な行動を取ったりする者は、それと同じようなことを自分にたいしてするわけである。君は自然による統一の外へ放り出されてしまったのだ。君は生まれつきその一部分だった。ところが現在は自分で自分を切り離してしまったのだ。ただし君は再び自分を全体の統一にもどすことが許されている。
不正は不敬虔である。なぜならば宇宙の自然は理性的動物を相互のためにこしらえ、彼らがそれぞれの価値に応じて互いに益し合うようにしたのであって、決して互いに害し合うようにはこしらえなかったのである。嘘つきもまた同じ神にたいする不敬虔である。