あらすじ
これは、中世の老修道士アドソが、見習修道士時代の体験を回顧して綴った手記である。そこに記されていたのは、彼が訪れた、北イタリアの修道院で起きた連続殺人事件の顛末だった。アドソが付き従っていたのは、理知的て論理的で誰もが驚嘆する推理力の持ち主であるイギリス人修道士、バスカヴィルのウィリアム。彼とともにアドソは、修道院の誇る、迷宮構造を持つ謎めいた文書館に足を踏み入れることになる。本書は、初版刊行以来、エーコ自身が加えてきた数々の訂正、削除等をすべて反映したものになっており、巻頭には、そうした修正について、2012年版に作者自身が寄せた付記も収めた。
...続きを読む感情タグBEST3
このページにはネタバレを含むレビューが表示されています
Posted by ブクログ
p.113 "地獄というものは裏側から見た天国にすぎないような気がしてくる。"
p.203 "「頭脳に当たる部分は文書館の奥の書架だ、虫食いだらけではあるが」"
TVで映画を見て、小説を読んだ。この物語との出会いはそんなふうであった。
読み返して、記憶にあるほとんどが映画版であることに気づく。映画版の印象もあいまいになっていて、変態的な修道士が登場するなど、今思い返すと『ヘルレイザー』とかぶる。
当時十代だったかどうか覚えていないが学生だったことは確かで、タイトルの意味がわからなくて原作小説を読むことにした。読んでも分からなかった。明確な説明はなかったのである。
タイトルについて、本書下巻の「『薔薇の名前』覚書」に次のように記されている。
p.385 "『薔薇の名前』を書いたとき以来、読者から問い合わせの手紙が相次いで寄せられた。巻末のラテン語の詩句<ヘクサメトロス>は何を意味するのか、またなぜこの詩句が書名の元になったのか。私は答えてきた。これは十二世紀のベネディクト会修道僧ベルナール・ド・モルレー作『この世の儚さについて』から取った詩句であり、イマハイズコニ(ここから後に「それにしても去年<こぞ>の雪はいまどこにあるのか」というヴィヨンの詩句も取られた)という主題をさまざまに謳ったものである。ただし、ベルナールはよく使われる定型表現<トポス>(かつての英雄たち、栄えた都市、美しかった王女たち、そのすべてが無に帰する)に、失われてしまったこれらすべてのうちただ名前だけがいまに残されている、という考えをつけ加えた。ここで思いだすのは、アベラールが「薔薇ハ存在シナイ」という例文を用いて、失われてしまったものばかりでなく存在しないものまで言葉は語れるのだと示してみせたことだ。"
著者はこうも言っている。
p.387 "私の作品は、執筆途中には、別のタイトルがついていた。すなわち『僧院の犯罪』であった。"
謎めいたタイトルで読者を惑わす効果を狙ったものと見える。意味はあるようでない。ないようである。そういう受け止め方で良さそうだ。
p.40 八面体の建物、とある。遠目には四面体と見紛うとある。ちょっと想像できない。上空から見て八角形の建物が、遠目には立方体に見える、なら理解できる。僧院の外壁を上空から見た形は正八角形ではないが、八角形に近い形をしている。
正四角錐、すなわちピラミッド型は五面で、四つの三角形の面+一つの四角形の面で構成される。八面体は二つの正四角錐を底面でくっつけた形。外から見える面は全て三角形となる。四面体はどの面も三角形。八面体が四面体に見えるとすれば、八面体を構成する正四角錐のうちいずれかが埋没している状態になる。その状態なら正四角錐か四面体か、一瞥して区別はできない。だが、特に表記するようなことだろうか。
これは原文由来か翻訳由来か。八面体と八角形を示すイタリア語は似ているが、四面体と立方体あるいは六面体を示すイタリア語は似ていない。翻訳に際して八角形ではなく八面体と誤解したとしても、次に続くのが立方体に準ずる語であれば気付ける。となれば、原文由来か。
原文由来だとすれば。奈須きのこもそうだが、ひょっとして推理小説家は幾何に弱いのだろうか。建物のトリックを使うのに、幾何に弱くていいのだろうか。読み手も幾何に弱いから問題ないとかか。
初読のときには気づかなかったが、推理小説のフォーマットで書かれている。序盤のウィリアムはまるっきりホームズのようだ。
かつてはオカルトめいた神秘と背徳を、TRPGの目線で読んだように思う。今はホームズとルパンの混成物として読んでいる。
神にまつわることに無知であるがゆえに、それらは今も装飾としてしか認識できない。