あらすじ
平凡なサラリーマンがある朝、巨大な虫けらに変身した状態で目覚める──。不条理文学の旗手か、不器用なサラリーマン作家か。新たなカフカ像にもとづく新訳と訳者解説によって、不朽の名作がよみがえる。
...続きを読む感情タグBEST3
このページにはネタバレを含むレビューが表示されています
Posted by ブクログ
良かった。あとがきや解説も含めて非常に後味の残る作品だった。
「変身」が、「一匹の巨大な虫」が何を指しているかは各々に任せられているとして、性役割的の歪さを女性の立場から描いた文章は現代では流行っていて非常にありふれたものになりつつある今、男性の立場からの生きづらさのようなものを描いたものは受け入れられづらくなっている印象になる。
いや逆なのか。男の視点からしか描かれていなかったからこそ、現代の潮流が女性の視点に寄っているみたいなことなのかな。
とにかく、すごく新鮮だった。
だからこそ村上龍は「すべての男は消耗品である」と述べた上で消耗品として生きていくことの覚悟を説いたわけで。
消耗され尽くした男は捨てられるのか。ともすれば寄生宿主として生きていた自分が、寄生虫になったとたん社会の(今回で言えば家庭内の)ゴミ同然の扱いを受けることに対して、僕は何を思えばいいのか。(今書いていて思ったけど虫って寄生虫って意味なのかな。カフカがどこの国の人なのか知らないし、原作が何語で書かれた作品なのかも知らないけど。)
両親や、妹への感情を過度に書かず、ただ淡々と彼らの描写に終止しているところに怖さを感じる。世界のすべてを事象として捉えていることに怖さを感じる。自分の苦しみや、自分の死すらも第三者というか神様?みたいな俯瞰の視点から書くんだろうか。
Posted by ブクログ
みなさんお久しぶりです。観想的やすこです。本書はホモ・サピエンスが築き上げた社会の不条理さや冷たさをグレゴール・ザムザの悲しき人生の末路を描写することで皮肉的に表現しているのです。グレゴール・ザムザは家族想いの健全な男性でした。両親と妹との4人での生活を支えるため毎日懸命に働いていました。しかしながらそんな彼が醜い蟲へ「変身」した途端に彼の家族もまた変わってしまったのです。家族たちは彼へと冷め切った目線を向けるように「変身」を遂げるのです。わたくしやすこ的解釈としては本書のタイトルはグレゴール・ザムザの穢れた蟲への変身を指しているのではありません。身の回りの状況が変わった途端に、態度をくるっと変えてしまう。相手がいままでしてくれた行為を鑑みずに。そのような人間の変わりようを指しているのであります。人間は思っているよりも冷たい動物なのかもしれませんね。以上観想的やすこでした。またどこかで会いましょう。
Posted by ブクログ
特に印象的だったのが、グレゴールの家族がもっと手頃な家に引っ越せば成り立つにも関わらず「良い家」に住み続けることの描写と、グレゴールという大黒柱が不在になったことで逆に家族がそれぞれに出来る仕事で家計を成り立たせていく描写。 与えられ続けた恵まれた環境を手放せない執着と、頼るべきところが無くなってもそれなりに現実を維持させ続けられる強かさを感じる。 人間の弱さと強さの両面が描かれていて、とても印象深く、何度も繰り返し読みたくなる。
人は何をもって他者をその人と見なすのかという点でも考えさせられる。 なぜ家族は虫になったグレゴールを彼であると認識できたのかというのも、その思考材料になりそう。朝起きたら家族がいなくなっていて代わりに巨大な虫がいたとすると、虫になったという解釈ではなく、虫に食われた、乗っ取られた、呪いで姿を変えられたなどと考えるほうが、虫になること自体よりは理解が通りそうな気が。。 考えれば考えるほど、人間の存在や営みについて思考が深まりそう。
Posted by ブクログ
グレーゴル・ザムザは巨大な虫に、変わってしまった。
虫に変身したことで、厳しい労働環境、家内で自分が働かなければというしがらみから解放されたようにおもわれた。しかし、「…ふたたび仕事にとりかかった(102)」から、虫となった今では生きる行為が肉体労働に値するほど大変である状態となり、解放されるどころか肉体的にも精神的にも不自由な、閉鎖的な狭い檻に閉じ込めまれてしまっており、字面での労働も虫としての働きも本質的には同義であるようなふうにも思えた。
商人として海外を飛び回わった過去と、虫として部屋の中を動き回っている今との、彼の周りに広がる世界がコントラストになっており、逆説的にこれまでの商人という立ち位置もあながち悪くなかったのではと思わされる。
兄はすでにいないが、巨大な虫こそが兄であると認識する家族。兄だと思っていた虫が死ぬことで、今残っている家族を見つめ直すことができたのが、グレーゴル目線では寂しくあるが、まさにグレーゴルだけが可愛がっていた妹に対する両親の印象が、(グレーゴルの部屋掃除や食事を出す+後半の精神的変化によって)子供から大人に変わり、家族の関係が前向きに変化している。
妹は虫を兄と認識し、機械的でありながらもいつか元の兄の姿に戻ることを期待しながら、虫とは認知しながらも可能な限り兄のためにと行動をしていた。
グレーゴルの理解者が妹→母(荷物の移動)→誰もいなくなると変化。徐々に疎外感が強まっていく印象。
みなが虫となったグレーゴルを、グレーゴルと認識すること。グレーゴル自身が虫となった事実を受け入れていること。
→ありえないことが事実起こっているという矛盾にも感じる状況であっても受け入れざるをえない。むしろ、その方が自分にとって都合の良い解釈ともなるから、という風に感じた。まさにこの世の不条理さ、非現実やありえないと一掃しようとしても事実起こっている現実は変わらないのであるということを伝えたいと感じた。
Posted by ブクログ
その身体を見てまず考えたことが、自分の仕事を行動についてなの?最初それ?冷静すぎないか?まずキモすぎて激鬱からの死だろ。さらに足やら背中やらから感じるであろう、その身体であるという感覚も相まって吐くと思う。
可哀想なまま終わった。最後も家族が虫の死を受け入れるのが早い。こうなった以上は死んでもらうしかこの絶望感は無くならないってみんな思ってたんやろうな。
面白かったです!
Posted by ブクログ
有名どころなので読んどくかと思い。
虫になって段々と体の能力や嗜好も虫化していくところが、気持ち悪くて悲しかった。
また、分かり合えない家族との距離も切なかった。
もう一方の主人公はグレゴール自身ではなく家族だったのかもしれないと最後の展開を読んで感じた。
あとカフカが恋人に毎日長文の手紙(調子いい時は複数通)送りつけて、数日返信なければ電報を打ち、すぐ他の女にもなびくというメンヘラ気質だったと知り、やはりこういう作品は一般人より感覚が繊細過ぎて病んでるくらいの人が書けるんだろうな〜と思った。
Posted by ブクログ
何回も読んでいます。
はじめは虫になった描写が何よりもきつかった。しかし読み返すたびに、主人公が死んだ後に前に進んでいく家族を見るのがきついなと感じます。
あんなに必死に繋ぎ止めようとしていた家族の幸せは、自分なしでも存在する。そしてそれを主人公は知らないまま。
後味の悪さと家族が幸福になっていく眩しさの対比がくせになっています。
Posted by ブクログ
朝起きたら虫になってしまっているって展開は有名ですがはじめて読んでみました。虫になってからの描写がすごいですね。虫になった本人が考えるのが服の事とか仕事の事とかってのが奇妙な感じですよね。そして彼に対する家族の変化も怖いですね。『ある戦いの描写』はちょっとわかりにくい感じですね。両方とも何回か読み返さないと難しいですね。