あらすじ
イラク北部にあるコーチョという小さな村。少数派の宗教、ヤズィディ教徒たちが貧しいながらも日々を平和に暮らしていた。
しかし、忍び寄る紛争の影が、平和を少しずつむしばんでいく。
そしてついにあの日、イスラム国の一群による襲撃が行われた。そして待っていたのは、
自分のすべてを踏みにじられる、性奴隷としての地獄の日々だった――
戦争犯罪の被害者として、「武器としての性暴力」の実態の告発と根絶を訴え続けた著者が、筆舌に尽くしがたい自らの体験を、圧倒的な臨場感で語る。
イスラム国による他教徒への虐殺や性暴力・暴力の実態とは。
彼女が決死の覚悟で逃れ、イスラム国支配地域の現状を世界に向けて発信するまでに、彼女を支えた人々とは。
今、世界でもっとも注目されるノーベル賞平和賞受賞者の自伝、ついに翻訳刊行。
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Posted by ブクログ
第一部の幸せな日々、
しかし常に脅威に晒されるイラクという国家、
不穏な事件、暗転、
第二部は辛すぎて部分的にしか読めず、
逃亡に成功し、
第三部で脱出叶い、母と似た人を見た瞬間で
読み溜めてきた感情が、私もナディアと一緒に放出されるかのようだった。
脱出を助けてくれたナーシル、その家族の善行。
そしてエピローグ。テロリスト達に対する絶え間ない戦いを続ける、勇気あるナディア。
本当にこんな残酷なことができる人間がいるんだ、
宗教って利より害の方が人類にとって大きかったのではなかっただろうか。
日本人には、どれだけ語られても本質的な意味でどの宗教のことも理解できないと思う。
人種、民俗、住んでいる国家や周辺国家の征服者によって
人間たちの都合のいいように作られてきたもののように思えてしまう。
性善説、性悪説はどちらも信じない。
やはり人間、生まれ持った中身と環境の問題だ。
Posted by ブクログ
ノーベル平和賞受賞の自伝であり、ISISの暴虐の記録。ヤズィディ教徒はクルド人によるペシュルメガと呼ばれる民兵に見捨てられた後、異教徒としてイスラム国に改宗を求められる。従わない男たちは殺され、女はサビーヤと呼ばれる性的搾取を主とする奴隷として売買された。作者のナディア・ムラドは、その性奴隷の現場からの逃亡に成功し、この本の内容を語っている。
成熟した統治機構の成立には、多くの国で、利害や価値観が対立する民族、宗教、あるいは、地理的背景をアイデンティティとした集団の戦争行為を経験している。日本ですらも例外ではない。いまだ未成熟な文化、国家は領内外に対立を孕み、戦争や紛争、テロリズムと隣り合わせである。まして、そこに信仰が絡み、悪事を正当化する戒律の独自解釈まで可能として改宗を迫るならば、その主体は、やりたい放題だ。まして、武力を背景にしている。悪夢である。
商品として売買されるナディア。そのお店のような場所で発見したパソコン。結果的にそれは壊れていたのだが、彼女が思ったのは、これで世界に発信できるのでは。フェイスブックが使える、と。読みながら、リアルと物語が交錯する。これは昔話ではない、現在進行形の惨劇である。
目を伏せず、読まなければならない。そして、自らの良心のありかと、正しい判断の所在を再確認するきっかけに。権力による欲望の自在化を許さぬ、悲劇の無い世界へ。
Posted by ブクログ
アフガニスタンとイスラム国の問題がホットニュースで流れる中、なぜ多くの国民が自国アフガニスタンを離れようとするのか。イスラム国とは何か。本書は、イラク北部にあるコーチョという小さな村に生まれ育った、女性ナディアの衝撃の体験を綴った作品である。少数派の宗教、ヤズディー教徒達が、貧しいながらも平和な日々を暮らしていた。しかし、湾岸戦争やイラク戦争の戦後処理の民族・宗教対立の中で、平和な生活を少しずつ蝕み、ついにイスラム国の一軍による襲撃が始まり、家族はばらばらとなり、青年男性達は銃で処刑されるジェノサイド。若い女性は拉致され、人身売買、性奴隷として凌辱され、兵士達に輪姦される。著者ナディアも繰り返し身体的暴力と性奴隷の中で、偶然にも逃亡に成功し、奇跡的に良心的イラク家族によって、兄の元に逃げ切り、そして犠牲になった同じ民族達の救助に奔走し、世界に告発し、2018年ノーベル平和賞を受賞する。世界でも日本でも、そしてスラム系勢力の男尊女卑、家父長制、ミソジニー(女性蔑視)を自身の体験を元に、丹念に告発するが、著者の勇気と行動力に敬意を表したい。
個人的にではあるが、アジア・太平洋戦争史を学ぶ中で、日本軍の蛮行である戦時性暴力と全く同じ構図が世界に未だに続いていることに、大きな嘆きを禁じ得ない。
Posted by ブクログ
イラク北部にある小さな村・コーチョ
少数派のヤズィディ教徒たちがつつましく平和に暮らす村
ある日の突然のISISによる襲撃。
略奪と破壊、そしてジェノサイド(集団殺戮)と女性の人身売買
しかしそのニュースは世界に報道されることはなかった…
この本は、そんな恐ろしい体験をし、それでも自分の体験を世界に語ることで、こんな体験をする女性を「最後の一人」にしたいと活動するナディア・ムラドさんのノンフィクション
あまりの残酷さになかなか読み進むことができなかった
ページをめくるたびに様々なことを考えさせれ
女性として悲しみと憤りを感じ、
都合のいいことばかり唱えるイスラム国に怒りを感じた。
ISISでは占領した土地に住む女性を性奴隷(サビーヤ)として売買、または贈り物として扱うことができる…
そんなことを認める神様なんて絶対にいない!!
ISISだとか、イラクだとかシリアだとかクルディスタンだとかニュースでは聞くけど、日本に住む私たちにとっては「どこか別の国の戦争」というような感じで見ているのではないだろうか?
恥ずかしながら、私はそうでした
こんなひどいことが2000年になっても
まだ起こっている…
そしてそれを知らない人が私を含め、多すぎる…
著者のナディアさんは自分自身が受けたひどいできごとを世界に発信しつつイスラム国を大量虐殺と人道に反する罪で国際刑事裁判所の法廷に立たせるために現在も活動している。(2018年にはノーベル平和賞を受賞)
もし私がナディアさんのような過酷なできごとを体験したら…勇気をもって行動できるだろうか?
女性として本当に勇気がいる活動だと思う。
そして、彼女の戦いは今も続いている。
世界中が彼女の戦いを知ること
ISISが一体どういうことをしてきたのか…
知るということが戦うことの一歩になる
小さな声でも訴え続ける…
勇気をもって立ち向かう…
戦う一歩は小さくとも
それは大きなムーブメントにつながると信じたい
Posted by ブクログ
壮絶、凄惨。
宗教が暴力の正当性に利用され、
女性はここでも弱者であり、
これまでの紛争でも、証言していないだけて、こういう行為は起きていたのかもしれない。
この読後感を適切に表す日本語が出てこない。
ただただ、衝撃である。
無知であることは、なんと罪深いことか。
Posted by ブクログ
※評価できない本
現実に起きたことだと思うと、心が痛すぎてたまらない。
善人でいたい。誠実でいたい。
ナディアムラドさんは戦った。それは、正しいことだと言える。
Posted by ブクログ
衝撃的な内容だった
ヤズィディ教という宗教マイノリティの教徒というだけで、成人男性は殺害し、女性は奴隷のように虐げられレイプし続けたISIS
これが2014年のイラクで実際起こった、いまも問題として残っている事実
アメリカに蹂躙された多民族国家イラクにおいて、反帝国主義としてイスラム教からISISのような存在が生まれることは理解できる、フセイン時代の権力者が再び国を治めようと企むのはわかりやすいけど、ISISはただ街を荒廃させ同じ民族を恐怖で封じ込めようとした
ISISもイスラム教の教義に従っているというのが腹立たしい、アッラーの名の下に人を殺して街を破壊するなんて
大家族で育ったナディアは6人の兄をはじめ、多数の仲間を殺され、自身も人間の尊厳を奪われる残酷な日々を生き抜いた
よく自殺しなかったと思う
なんのために生きてるのかわからなかっただろうけど、それはヤズィディ教徒として大天使タウセ・メレクに忠誠を誓ったから
ISISの帝国主義と他民族に対する憎悪、ヤズィディ教徒の仲間を奪ったISISへの憎悪…
自分だったらどうするか考えさせられる、果たしてナディアやナディアを助けた人たちのように悪に耐え正義を行えるだろうか
平和や平等は当たり前じゃない
Posted by ブクログ
原作で呼んだ。
ISのリサーチをした時にナディアムラドさんの存在を知りこの本をNobel Prize Museumで買えたのは本当に幸せだった。あまりにも凄まじい彼女の人生。人間の最も卑劣な面と最も尊い面の両側面がきちんと描かれている。でもこれは台本ではなくてノンフィクション。彼女の人生なんだ。先進国の利益にならない地域におけるMinorityの劣悪な実態にスポットライトはあたらない。だからこそ1人でも多くの人がこの本を手に取り、この本に書かれているような地獄絵図が日常と化した世界が存在していることを知ってほしい。
Posted by ブクログ
★の数で評価をすることにいつもより大きい抵抗感を持ちながらも、できるだけ多くの人に読んでもらえるかもしれないという思いで5つつけました。ナディア個人が遭ってしまった残忍で理不尽な体験について書かれているだけでなく、その出来事がISISやその他の様々なグループがせめぎあっているイラクにおいてどういうパワーバランス・政治地図・地理的歴史的背景に基づき起ったのか(起こっているのか)、ということの解説にもかなりページが割かれていたので、信仰や宗教心についてゆるやかな認識と経験しか持っていない日本人読者である私にとってもいくばくか状況が想像できる気がしました。長く続いてきた小さく密度の濃いコミュニティの伝統というか価値観について、そのコミュニティの外の人間が良い悪い・古い新しいという判断を勝手にすることは余計なお世話というか失礼なことと自覚しつつ、ヤズィディ教聖地の指導者である男性が形式ではなく本質を志向しようと努め、「自らの意志に反してそうされてしまっただけなのであるから(本来の信仰からすると逸脱してしまった存在になってしまった)彼女らを我々はヤズィディ教の信者として受け入れる」という旨を、公式な見解として出したことが分かって、良かったと思いました。ナディア本人は自らの意志に反してされたことではあるけれどヤズィディ教の教義信義を外れてしまったので、脱走して生き延びだけれどもヤズィディ教のコミュニティに受け入れられなかったとしても仕方がないと書いていましたし、これはなかなかすごいことなのだろうと想像しました。うまくまとめられませんが、多くの人に読まれることを願います。
Posted by ブクログ
THE LAST GIRLーイスラム国に囚われ、闘い続ける女性の物語―。ナディア・ムラド先生の著書。2018年にノーベル平和賞を受賞されたナディア・ムラド先生の実体験を綴った一冊。罪のない一般市民に対してこれほどまでに残虐で傲慢、傍若無人な振る舞いをイスラム国兵士たちへの怒りを覚えるし、イスラム国が一日も早く壊滅されることを願います。ノーベル平和賞の名にふさわしい一冊。
Posted by ブクログ
金額¥1,800 413頁のギュッと濃い内容の一冊です
読む前から、きっと読んでも気持ちの良い本であるはずがない事はわかっていました
そしていざ読んでみるとやはり気持ちの良い本ではありませんでした
少しずつ少しずつ澱のように鉛のような重たいものが心の中に沈殿していくような、何かが少しずつ腐敗して嫌な臭いを放ってくるようなそんな本です
しかしそれが実際に世界のどこかで起きた出来事であり、力の弱い女性や子供、マイノリティの宗教を弾圧して良い理由にはならないことを認識しなくてはいけないと思わせる力を持った本です
世界中で起きている悲惨な出来事の被害者を著者であるナディア・ムラド氏が最後の女性-LAST GIRL-になりますように祈ります
Posted by ブクログ
全く知らなかったヤズィディ教徒たちに降りかかったイスラム国の非道.そこから逃れて声をあげたナディアの勇気に感動しました.第1章,危険をはらみながらも,小さな村で大家族が笑いあって暮らす幸せに,次の第2章を読んでその喪失に言葉もありません.そして彼女を助けたナーシル達も本当の勇者です.みんなに読んでほしい本です.
Posted by ブクログ
イラクの少数派宗教、ヤズィディ教徒である著者が、イスラム国に家族を虐殺され、自身も性奴隷として壮絶な苦しみを受けた自伝。
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イラクでイスラム国によるヤズィディ教徒の大虐殺があったのは2014年頃。
男の人たちや高齢の女性たちは殺され、若い女性は思春期前でも性奴隷にされる。
男の子たちはイスラム国の兵士として育てられ、洗脳される。
家族はバラバラ。
家族のつながりが日本よりもずっと強いのを感じられるので、なおさら胸が痛くなります。
あまりの壮絶さにノンフィクションだと思いたくなりますが、れっきとしたフィクションであり…。
・
ただ一方で、紛争というものはあまりにも複雑で、すぐにどうにかなるものでもないこともよく分かりました。
だけどその中には宗教が違っても命をかけて救ってくれる人々がいたりする。
一般の人々が、知らない者同士命の危険を侵してでも助け合っている。
こうしている今も、無名の英雄たちがいるのだと思うと
なんだか胸が締めつけられます。
Posted by ブクログ
非常に辛い内容だった。
私が日本でのんびり暮らしている間に、これほど過酷な体験をしている女性がいた。
今も世界のどこかで、理不尽な目にあっている人々、私の目には見えてない人々。
戦争、紛争下では性暴力が武器となる事実。
宗教によって弾圧される人々。
隙を見て脱走し、ある家族によって匿われ、安全な場所まで付き添われ、生き残った家族に再会でき、本当に良かった。母親、兄などたくさんの家族を殺され、故郷が破壊され、心身をズタズタにされ、それでもナディアさんは生きていて良かった。この先も彼女はそう思って生きていってほしい。ぬくぬく、ゴロゴロしてる私が言える立場ではないのだけれど。
Posted by ブクログ
私たち日本人が、戦争を70年ちょっと前の、過ぎ去った昔であり、フィクションのように感じている21世紀。
テレビでわずか数秒流される、それも芸能人のしょうもない恋愛話よりずっと小さな枠で、「あなたには関係ありませんけどね」とでもいいたげなニュースの中に。
今もこんな恐ろしい出来事が起きている。
同じ時代、同じ地球上で。
戦争というものはただ覇権や勢力、資源を争うものなら単純で、
宗教が絡んでくると戦いは魂の殺し合いになっていく。
そこまでさせる、宗教って、いったいなんなんだろう、と思ってしまう。
Posted by ブクログ
昨年ノーベル平和賞を受賞した人権活動家ナディア・ムラド。授賞式をテレビで観たとき、若い女性には不似合いな、絶望を湛えた眼差しが印象に残った。受賞理由は、戦争および紛争下において、武器としての性暴力を根絶するために尽力したこと。この本には、彼女の想像を絶する体験が綴られている。
2014年、イスラム国はイラク北部のヤズィディ教徒の村を襲撃した。ヤズィディ教は、古代から続く一神教の宗教マイノリティで、教徒たちは山岳地域に集まって、貧しくも平和に暮らしていた。ナディアは当時21歳の学生で、敬虔なヤズィディ教徒の大家族と仲良く暮らし、将来の夢をみる普通の女の子だったが、ある日突然悲劇は訪れる。
イスラム国の兵士は村人を一か所に集め、男性と年配の女性を虐殺、若い女性と年端のいかない男の子をさらって街を破壊した。ナディアも、姉や義姉、姪、甥らとともにイスラム国の制圧する地に強制的に連れて行かれ、性奴隷として売買されて、兵士からレイプと暴行を繰り返される。人間としての尊厳を傷つけられ、生きている意味を失う日々。しかし、わずかな隙を見つけて脱走、命からがら兄のいるクルディスタンに辿り着く。命こそ助かっても、たくさんの愛する家族を失ったナディアの心は、壊れたままだ。だが、今なおイスラム国に囚われている大勢の女性や子供達を救うために活動することに、ナディアは生きる意味見出す。
この著書を読むためには、私たちは想像力が必要だ。イラクとシリア、ヤズィディ教、売買される性奴隷、難民…私たちの日常からはあまりに遠くかけ離れている。理解するには、何度も地勢図を見返す必要があった。それにしても、人間はなぜ、繰り返し残酷な営みを行うのだろうか。そして、今起こっていることを見過ごしている私たちもまた残酷だと思うと、胸が痛い。
Posted by ブクログ
ISISのことは実際に見聞きしていたけれど、これほど残忍でひどいことを行なっているとは知らなかった。人々の私生活の中に恐怖が迫りこむ恐ろしさをしみじみと感じた。ある日突然自分がナディアと同じ目に遭ってしまったらどうなるだろうか、平和ボケしている私たちは必読の本だと思う。
知る事から始めよう
表紙を目にしただけで読む勇気がかなり必要だった。自分の娘と歳のそう変わらない子達に起きた出来事。それが自分の家族に起きたとしたらと考えるだけで涙が溢れてくる。
世界は2度も愚かな戦争をしたが、これだけ通信も発達した現代でも未だに世界にはこんなに悲惨な事が起こっているのかと愕然とした。
それと共に自分1人の無力さも痛感した。だけど、とにかく知る事から始めるしかない。
世界中の全ての人たちが安心して人間らしい生活が送れる日がくる様、切に祈る次第である。
Posted by ブクログ
たくさんの人に読んで欲しい。その一言に尽きる。
ヤジディ教徒のジェノサイドが行われていたこの時期、ナディアが苦しんでいたこの時期、私は普通の生活をしてた。当たり前のことだけど、こういう話に無頓着になりたくないなぁと改めて思った。
Posted by ブクログ
ISISが行なっている残虐行為は沢山あって、遺産の破壊や残虐な"処刑"などかあるけれど、こうしたセンシティブな問題は被害者自身が声を上げない限り気付かれないことが多い。本書でナディアさんが書いていたように、宗教的心情から非人道的な行為の被害者であっても声を上げたくない、上げるのが怖いということもある。それを踏まえると彼女の行為は気高くそしてどこか少し切なさすらある。ISISが弾劾されるのを強く望む。
Posted by ブクログ
読み進めるストレスが強すぎて、ページをめくる手が震えてしまった。途中、気分も悪くなってしまい、その日の夜は乱暴される夢を見て泣いてしまった。怖かった。
この本に書いてあったことが、実際にムラドさんが経験したことだと、まだ受け入れられない。
私は日本でのほほんと暮らしていていいのか?という罪の意識と、でも私には世界を変えることなんて何もできないもんという言い訳と、でもやろうと思ったら小さなことでもできるでしょ?という批判と、私だって自分の生活を守りたいのよ!という開き直りと…いろんな気持ちでぐちゃぐちゃになった。
Posted by ブクログ
非常に重い内容であるが、翻訳の配慮か途中で投げ出すことなく読めた。
このような体験をする女性が私で最後になるためにと付けられた書名。心身ともに疲労困憊し、途中で生きることを諦め、命は助かったものの抜け殻になる人もある被害者の中から、彼女のような人権活動家が出たことは奇跡だと思う。
日本の人材不足は明かであるが、外国人材の導入も不信感が拭えないし、移民問題を積極的に考えている人がどれぐらいいるのかわからない。国内の問題に翻弄されてばかりでなく、私たちはもっと世界に目を向けなければならないと考えさせられた。
Posted by ブクログ
あまりに生々しく辛い。
残酷で酷い現実が今も起きていると痛感した。その痛みをより多くのひとが知ることが大事だと思う。
どこでも起き得る時代だからこそ、ドイツのような難民受入など世界で協力し共存していくことがこれから必要となってくるのだと思った。
Posted by ブクログ
イスラム教徒過激派による少数派信者に対するジェノサイドを経験した女性の悲劇の物語。
彼女の生い立ちからISISの襲撃、その後の性奴隷にされた日々、決死の覚悟で逃げ出してから今日の活動までを赤裸々に綴っている。
小説を読んでいるようでハラハラした。
コンゴの医師の本を読んだ後だったから、不謹慎にも「アフリカよりはマシでは?」と思ってしまったが、圧倒的に違うのは、アフリカでの性暴力はあくまでも違法であるのに対し、この著者が経験したことはイスラム国では合法だったこと。
合法的に裁判所の手続により性奴隷にされるというのは異様である。
男性が男性であるが故にこの世界から性暴力を根絶するのは難しいのかもしれない。
この著者も自身に起きた悲劇全て(家族が虐殺されたことなど)を話したいのに、人はレイプのことばかり聞きたがるというのがその証拠だと思う。
この女性は強く賢く勇敢なのだと思うが、一点だけ賛同できない考えがあった。
ISISの襲撃や暴力を黙って見ていた人達を憎むことはちょっと違うと思う。
暴力に立ち向かうにはそれなりに勇気と力が必要だし、自分に利害がなければなるべく関わらないようにしようと考えるのが人間である。
他の宗教や考え方を受け入れない姿勢は著者の宗教に起因があるのかもしれない。
しかし、そういう考えが争いの火種になり、今日の紛争や性暴力の原因になっていることを私たちは知る必要がある。
Posted by ブクログ
本当のイスラム教の教えを知らなければイスラム教という世界三大宗教の誤解を招きかねない内容だと思うので、読む前にイスラム教とはどういう宗教なのかということを知っておいたほうがいいと思います。
この本を読むとイスラム教自体に嫌悪感を覚えるかも知れません。
内容的には奴隷や拉致をされた人たちの話なので、そういった人たちが書く内容としては『ありきたり』かなぁと思いました。
Posted by ブクログ
ISISは他の宗教を信仰することを許さない。人々へ改宗を迫り、拒否すれば殺されるか未婚女性はサービヤ(性奴隷)として売られていまう。さらに彼らはレイプを自身の快楽や征服のためだけではなく、ヤズディ教の女性を宗教社会的に破滅させるための手段として使っているところが残酷すぎる。「ISISがなぜレイプするのか。ヤズディ教徒の未婚女性によって、イスラム教に改宗させられ、処女でなくなることがどれほどの打撃になるかをISISは知っている。だからこそ彼らは私たちがいちばん恐れていること、つまり私たちのコミュニティと宗教的指導者が、私たちが帰っても受け入れないことを利用したのだ。(本書より抜粋)」ISISがイスラム教以外の宗教を消そうとする行為は、ナチスによるユダヤ人迫害を思い出させる。これも多くの被害者が長らく声をあげられずにいたが、本書のナディアさんのように生き延びて世界へ発信する勇気を持つ人が増え、ISISが法の裁きを受けることを祈るばかりだ。
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平和に暮らしていた家族が 宗教差別によって 戦争に巻き込まれ奴隷(サビーヤ)としてイスラム国による家族の虐殺や性暴力、暴力の中もがきながらも亡命を果たし、同じことが起こらないよう 権利擁護団体ヤズタを立ち上げ活動するまでの話
Posted by ブクログ
イラク北部の小さな村コーチョ、少数派ヤズィディ教徒が暮らしていたが、ISISが村人を大量殺戮、若い女性を連れ去り奴隷として虐待する。犠牲者のサバイバー、ナディアが自身の経験を語る。ISISを告発し、こんな経験をする人をなくすために。
非人道的抑圧は許せない、維持コストも高くつく、と思いました。
Posted by ブクログ
シーア派やスンニ派、クルド人、アラブ人など、聞いたことがあっても、それがどのように対立構造を生んでいるのか分からないので、とても難しかった。
また日本にいると、宗教で争いが起こるというのも、理解できなくて、想像することも難しい。
宗教によって争いが起こるのなら、そして争いが嫌なんだったら、その信仰をやめたらいいのではないか?と思うのは、日本人だからなんだろうなあ。
Posted by ブクログ
映画『On Her Shoulders』鑑賞後に読んだ。
映画の中で、語られていた内容が、より生々しく詳細に記されている。自伝というにはあまりにも激烈な、これぞノンフィクションと言った内容。
非常によく書けている文章、あるいは構成で、
第一部では故郷の村コーチョの平和な日常と、やがてそこに忍び寄るISISの様子が描かれ、第二部が核心部分、ISISによる大虐殺、サービア(性奴隷)としての日々、そして決死の脱出までが。第三部は脱出行の成功、生き残った家族との再会、そして再生への物語が希望を伴って描かれる。
見事なまでの出来栄えに、共著のジャーナリスト、ジェナ・クラジェスキの手腕が存分に揮われたのだろうと拝察する(映画を見た時のアマル・クルーニー弁護士の存在、アメリカ資本による制作などの背景が、ふと頭をよぎらんでもない・苦笑)。
いろいろ思わないでもないけど、雑念を吹き飛ばすほど、記述内容は過酷で迫真(?)だった。
彼女たちが信じるヤズィデ教の教義はよく分からないが、運命論的な世界観を有しているイメージが強い。あるいは来世を信じる輪廻転生を教義に持つことから、おそらく(想像ですが)、辛酸を極めた現状にはある種の諦念か、希望を来世に託す選択をしがちではないかと感じていたが、ナディアの徹底したした「生」への固執、執念には、痛いほど感銘を受けた。これは、ひとえに、母の教えによるところが大きいのではないだろうか。
ISISに村を侵略され招集されるときに、姪にかける言葉も母の口癖だった。
“「心配いらないからね」と声をかけた。「全部うまくいくから」。それは母の言葉だった。“
ISISに拘束される前、万にひとつの可能性に賭け、生きる希望へと繋がる術を伝授するのも母親だ。
“母は、ヘズニとサウードの携帯電話の番号を暗記しておくようにと私たちに言った。「もしかしたらあの子たちに電話しなくていけないかもしれないから」と言って。だから私は、いまでもふたりの電話番号をそらで言える。”
ISISに拘束された日々に思い出すのも母のことだった。
“私は母のことを考え続けていた。人生の中で起こるどんな悪いことも自殺を正当化する理由にはならない、と母はいつも言っていた。「神様が引き受けてくださるんだって信じないといけないよ」。悪いことが起こると母は決まってこう言った。(中略)母は私が生きることを心から願っていた。だから私には死を選ぶことはできなかった。”
ヤズィデの教義より、彼女を支え、守ってきたのは母の教え、存在そのものだったのではないだろうか。
彼女の強い意志、信念、そして機転と勇気もあってのことではあるが、奇跡的に脱出に成功し、生き永らえた彼女の伝える言葉は、周囲の様々な思惑が絡んでいるとはいえ、重く貴重なものだ。
また、彼女は、過酷な体験を経て、自分の言葉の重要性も学んでいることも本書を読んでうかがい知れた。それはISISの支配を脱した検問所での受け答えがビデオに録られ政治的プロパガンダに利用された際のことだ。
“私の話は、もちろんいまも私個人の悲劇だと思ってはいるけれども、ほかの誰かの政治の道具にもなりうるのだと、このことがあってすぐに学んだ。とくにイラクのような場所ではそうなのだ。自分の発言にはもっと慎重になるべきだった。なぜなら言葉は受け取る相手によってはちがう意味にとられ、あなたの発言はいとも簡単にあなた自身に向けられる武器になってしまうことがあるからだ。”
故に、本書の記述、映画の中で見た、彼女の発言に信ぴょう性が増したというわけではないが、斜に構える前に、まずは真摯に耳を傾けようという気にもなった。
“私たちが自分の体験をどこかで話すたび、テロリストからいくらかでも力を奪っているように感じている。”
少女に、こんな思いを抱かせる大罪を国際社会は許してはいけい。
協力者と共にISISからの脱走を果たせた翌日の記述が胸を打つ。こんな夜明け、少なくとも私は知らない。知らないでいたい。
“「怖がらなくてもいい朝」。私は言った。「きれいなところだね」”