あらすじ
遙か未来、銀河帝国の崩壊によって地球に帰還することを余儀なくされた人類は、誕生・死さえも完全管理する驚異の都市ダイアスパーを建造、安住の地と定めた。住民は都市の外に出ることを極度に恐れていたが、ただひとりアルヴィンだけは、未知の世界への憧れを抱きつづけていた。そして、ついに彼が都市の外へ、真実を求める扉を開いたとき、世界は……。
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Posted by ブクログ
この作品はどれだけパ...影響を与えたのだろう。テクノロジー関係もそうだが、VRゲーム、頭の周りを飛ぶ珍妙な生物、お供のロボット、ニュータイプ、さらに昨今の登山・キャンプブーム、局所的異世界ブームも先取りしており、挙げれば限りがなく驚異的な先見性だ。それにも関わらず、この作品の名をあまり聞かないのは不可解だ。その理由は、わざわざカンニングしたと名乗り出る者がいないのと同じなのではないかと疑っている。多分この作品ひとつで漫画アニメ映画ゲーム小説など1000作品ぐらいはカバーしていると思うので、非常にお得な一冊だ。
70年代ぐらいと予想したが、1956年発表という事実にもビビる。日本では白黒テレビなどが普及してきて、「もはや戦後ではない」などと言ってた時代だ。更に構想はそのずっと前だ。これがメンサ会員の力か。
他に知らないので間違っているかもしれないが、ネタ帳としてもそうだが――そのアイデアの提示の仕方を――漫画的な現代の冒険劇のフォーマット(目的地を移動してミッションを達成して、謎を解き明かし、次の目標を目指す物語のような)自体を確立したというのは言い過ぎか。しかも著者は設計図を書いた上に、ネジや釘まで自作して家を建てているようだ。
今でもこの内容のどこかを少し変えてジャンプにでも投稿すれば、絶讃ランキング急上昇に違いない。
もっとハードなものかと思ったら、意外にも硬質感のない平易な文章だった。ただ、翻訳は少し微妙で、もしかすると旧訳の方が良いのでは?という疑念でモヤモヤした。
表現は簡潔でそれぞれの詳細もあまり語らないので、各自勝手に想像するしかない。このシンプルさも、そこにある以上に真似できない理由だろう。
《ダイアスパー》なにやら地方のパチンコ店のような名前だが、この都市はクラウドサーバ、ストレージ、冗長性やデータの復元、インターネット、VRやVX、スパコン、AIなど、まさしく現代のIT・IoT技術に通じている。主人公は都市内において、情報流出を目論むウイルスのようだ。そしてやはりバックドアがあったりする。
てっきりこの都市の機構上で構築していくのかと思いきや、物語はどんどん外へ拡張する。展開はタイトで半分も過ぎてない内に当初の目途が立ち、この先どうするのかと思ったが、かなり斜め上から切り込んで予想外のところにポイントして展開していったので、けっこう先の読めない話だった。
主人公は抗えない初期衝動だけで行動し目的は外に出たいのみで、その先のことは考えない。外に出てすぐ帰りたいと言い出したり、村長もいきなりプレッシャーをかけたり人が悪く、序盤は少し苛々した。
やがて途中手に入れた強力な力で難局を打破し、雄弁を奮い相手を懐柔していく。ここらへんは、やはり異世界チートなんたらみたいな願望達成作品群を思わせる。
途中訪れた惑星には都市環境への重要な指摘があった。
DSP住民は生殖機能がないことから不死と引き換えに絶滅し死んだ存在だとしたが、群体生物のくだりを読んで、考えを改めた。これが生命と呼べるなら、人工知能もやがて生命と呼ぶ日がくるだろう。
完璧に近い都市の快適と安全は、逆に崩壊への恐怖が潜在し、必ずしも安定するわけではないという説明は興味深い。たしかに予測不可能性への耐性がないことは、脆弱性のはずだ。だから都市は必要最低限の犯罪要素を予め設定しているという。この発想は目からうろこだった。
リベラル色が相当強く、特に終盤の展開などは強烈なショックがある。この作風も日本人には相容れない部分だろう。
結論に至る経緯も釈然としないものがあり、プログラムされてたとはいえ、主人公の行動も強迫観念以外いまいち不明瞭だ。そもそもこれは自発的と言えるのだろうか。
取り敢えず、人間本来の性質の追求――愛情や自由が幸福であること――以外は納得する説明は特になかったと思う。
正直ここにはかなりの欺瞞があり、双方が困難であると語っているが、リスの人々は今までとほぼ変わらず全くと言っていいほど影響はない。恩恵もあるだろう。それに比べDSP側の変化は凄まじいものがある。
DSP側は先ず持っている生活の知恵、身体や精神力で劣り、非常に不利な条件を突きつけられている。
明らかに種族からして違い、種族間の能力差も大きい完全に異なる文化同士が、切迫した問題も理由もないのに融和するには不安要素が多すぎる。
しかしアルヴィンと中央コンピュータによってDSP民は強制的に変革への道を歩ませられる。
これは30年引きこもった人のところに突然ドカドカ押しかけ、外に引き摺りだして働けと言っているようなもので、そんな酷な話もない。
この革命は双方が高い知能や理性があるという前提条件の元に成立しているが、現実的に考えれば、聖域無き構造改革などと謳って構造自体を破壊した例もあるので、この流れはちょっと受け入れ難かった。上手く行っているのなら手を付けない方が良いこともある。
また、扇動者がDSP住民だということも罪深い。
特異タイプとは謂わば、保守の中から誕生したリベラルのことだった。自分が思うリベラル像はこの作品の主人公アルヴィンだと直感的に思った。
リベラルとは享受されたり習得するものというイメージは間違いだった。
淀みのあるところに必然的に生まれ、理想に向かい、とにかく行動、行動、行動である。
人類社会のデザインを構想し、取り敢えず絵が完成しても満足することはない。
強迫観念はDSP住民だけではなく、アルヴィンも一歩間違うと危険である。
アルヴィンの行動はDSP(リス)の住民が寛容だから許されているのであり、寛容はなにもリベラルだけの資質ではないことが分かる。
DSP住民はプライバシーもあまり無く、その意味では共感性も高いと言える。
更にリスは原始共産制のような共同体で、DSPも資本主義経済ではない。おそらく貨幣も銀行も無いのではないか。
もしこれらの性質を持ち合わせておらず、住人が強固に反発していたら過激な手段に出ていた可能性もある。
最終的にメモリーバンクを破壊する案も示唆しているが、作中にはないこの先の人類の発展模様に凶兆を感じるのは考え過ぎだろうか。
リベラル的経済政策で凋落した国を見ると、寛容のイデアに到達するのは何十億年かけても無理なように思う。あるいは科学や技術がそれを解決するのかもしれないが、現状それも阻まれている。
しかし、そんな心配は主題ではないとするのがリベラルなのだろう。
おそらくこの熾烈なリベラル体質が、いくら換骨奪胎したとしても、後続の作品がなにやらメッセージめいたものを残したまま中途半端に終わる理由であり、あまり語られない理由でもあるかもしれない。アイデアだけごちそうさまです。といったところだろう。
徐々に上昇して高みを目指し、そのピークから滑らかに滑空して着地するラストシークエンスの流れは流石だ。これがクラーク節か。
おそらく影響を受けたと思われる星を継ぐ者より高揚感も説得力もあった。まさに宗教だ。
後半は非常にキツイものを投げつけてくるが、停滞したサイクルの連続は同じ話題を何度も繰り返し続ける人のように、安堵感がある一方で成長は期待できない。やはりこれが念頭におくべき正しい道なのだろう。
最後にロボットが深宇宙へ飛ばさせられたのは哀しかった。
たまにリベラルっぽいことを言ってみたりするが、これを読んで所詮自分は保守的な人間だと分からせられた。これを心から楽しめる人はかなりリベラル度が高く、非常にリベラル力が試される挑戦的な作品である。
Posted by ブクログ
12年振りのアーサー・C・クラーク。コロナの影響でどこにも行けないゴールデンウィークだからこそ、ハードSFでどっぷりと世界観に漬かりたいと思い読むことにした。
タイトルからは内容の想像が湧かないが、主人公である少年、アルヴィンの冒険譚といったところ。ただし、少年の冒険とそれを通じた成長を描くだけではなく、物語は人類の今後と宇宙の終焉まで見据えた壮大な物語へと発展してゆく。そのダイナミズムに圧倒される上に、人生の歩み方に関する哲学的な問いまで吹っ掛けられる心地にもなり、視覚的にも精神的にもガンガン揺さぶりをかけてくる、長期休暇に持って来いの小説だった。
この物語の舞台は、超絶凄いコンピュータに都市の全てをコントロールされ、あらゆる苦痛から解放された都市「ダイアスパー」から始まる。管理される世界というと、レイ・ブラッドベリ『華氏451度』、オーウェル『1984年』、ザミャーチン『われら』、ハスクリー『すばらしき新世界』……と、ディストピアと称されるSFを想起する。
私もこのジャンルは大好きでよく読むのだが、読んだ感想として必ずといってよいほど思うのが、「この世界はこの世界で、幸せはあるんじゃないかな」ということだ。自由という言葉の意味などは相対的なものなのだから、自分の周りの社会や、直近の過去や容易く想像できる近未来と比較しているのに過ぎないのだと思う。そうであれば、これから先に上述したような小説の世界観が到来したとしても、それがあまりにも急激な変化でなければ、自明のものとして受容できるのではないか、と。
で、本小説においてはその思いが極めて強かった(まあ、ざっと調べる限り、ディストピア小説なんて呼ばれていないのだけど)。ディストピア小説でよくある設定として、しっかり管理している体だけど結局崩壊する、といった世界観がある。ソ連崩壊的な。
これと対照的に、本小説の都市「ダイアスパー」では、実に十億年もの気が遠くなるような年月を、綻びもなく維持し続けている。もちろん、不穏なことも書いてはある。そこには子どもが存在せず、失意や悲劇という過剰がない故に失われてしまった「想い」がある。都市の外に出ることに恐怖感を植え付けられている。それでも、人はそうした揺りかごですやすやと眠るような幸せの中で生活しているのだ。ユートピアと呼んでさえ良いと思う。この均衡を崩す存在としてアルヴィンがいるが、その存在すらも都市の成立時に意図して組み込まれたものであり、人類はアルヴィンのような人物が現れないダイアスパーを作れた、ということになる。
小説の終盤でアルヴィンが自分の行動が本当に正しかったのかと自問自答する描写があるが、これも尤もなことだと思う。彼が行っているのは、見方によってはユートピアの破壊であるし、十億年単位で平和を維持できるシステムなど、現実には未来永劫出現しないかもしれない。
巻末の解説には、「宇宙に広がり、より高度の知性を身につけようとすることこそが知的生命の証なのだ」(p.476)とあるが、そもそもこうした前提自体に違和感をおぼえてしまう。
でも、この物語を一人の少年の物語と見るならば、アルヴィンは、心の持ち方や生きていく指針を探し求めているだけだ。ダイアスパーとリスを繋ぐことの是非は置いておくとして、彼のそうした気持ちは素敵だなと思う。アルヴィンは確かにユートピアを破壊してしまったのかもしれないが、既存の社会を最適解だと考える必要はないのだし、完全なユートピアなど望むべくもない現実世界においては、こうしたエネルギーこそが世界を動かしてゆくのだろう。
この物語において、アルヴィンは子どもの象徴として描かれる。子どもがこうした気持ちを持つものだとするのであれば、子どもが生まれ続ける限り……生命が受け継がれてゆく限り、生命は変化し続けることを運命づけられているのかもしれない。
Posted by ブクログ
人間を含めたあらゆる物質が管理され、究極的に快適に完成された都市。その外側には何があるのか?と疑問をもつストレンジャー。彼の疑問すらも計算されたもの?という大きな謎がストーリーの根幹です。
唯一の欠点は、10億年の進化を経て登場人物のビジュアルが現生人類とかけ離れてしまっており、映像としてイメージしづらい点。
終盤、人類が地球から宇宙へ再出発を目指します。実はこれは古代文明のお話しで、この人類の子孫が我々である…というスジかと期待しましたがどうやら外れたようです。
Posted by ブクログ
最後がちょっと締まりない。
それでもこれが50年以上前に書かれたものだとすると、すごい先見の明を感じる。
尚、ヴァナモンド登場の必要性がよく分からない。
Posted by ブクログ
10億年後の未来.人類は銀河から撤退し,地球に閉じこもって永遠都市ダイアスパーを建設した.アルヴィンはダイアスパーの暮らしに違和感を感じ,都市の外の世界への探索を試みる.しかしそれは都市の市民達が恐怖とともに忌避する行為だった.ダイアスパーの外にはしかし,リスという全く違う考えをもった人々の住まうもう一つの都市があったのだ.そこでアルヴィンは銀河帝国最後の砦だったシャルミレインの湖で太古のロボットや巨大生物との邂逅を経て宇宙船を手に入れる.この宇宙船の登場シーンがまさにファイナルファンタジー.アルヴィンはリスで友人となったヒルヴァーとともに星間旅行に出発,「七つの太陽系」で驚異的な体験を重ねる.そこで高次生命体ともいうべきヴァナモンドと出逢う.地球に戻った彼らはダイアスパーとリスを結びつけて新たな時代を画すのであった.やや消化不良なところはあるが,後のクラークSFの源泉のような印象でした.