あらすじ
ソロー(一八一七―六二)は、ウォールデン湖畔の森の中に自らの手で小屋を建て、自給自足の生活を始めた。湖水と森の四季の佇まい、動植物の生態、読書と思索――自然と共に生きた著者の生活記録であると同時に「どう生きるべきか」という根本問題を探求した最も今日的・普遍的なアメリカ文学の古典。湖とその周辺の写真多数を収める新訳。
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Posted by ブクログ
孔子「これを知るをこれを知ると為し、知らざるを知らざると為せ。是れ知るなり」p25
家を建てるのに要した諸々の費用。p91
一片の良識のほうが、月の高さほどもある記念碑よりも後世に残す値打ちがある。p106
「この世に幸福な者がいるとすれば、それは広大無辺の地平線を自由に愉しむ者たちだけなのだよ」p156
一日一日が、これまでけがしてきた時間よりも早くて、神聖で、曙光に満たされた時間を含んでることを信じない人間は、結局、人生に絶望しているのであり、暗さをつのらせてゆく坂道を転落しているのである。感覚的な生活がいったん中断されたあと、人間の魂、いや、むしろ魂の諸器官は、毎朝活力を取り戻し、そのひとの「霊性」は、ふたたび気高い生活を営もうと努力するのである。 p160
【朝、起きているということ】p161
『ヴェーダ』にも、「すべての叡智は朝とともに目覚める」とある。詩や芸術、もっとも美しく記念すべき人間の行動は、この時間にはじまる。
道徳の向上とは、眠りをふり払う努力にほかならない。
肉体労働をやれる程度に目覚めている人間ならいくらでもいるが。だが、知性を有効に働かせることができるほど目覚めている人間となると百万人にひとりしかいない。
【森で生活をした理由】p162
私が森へ行ったのは、思慮深く生き、人生の本質的な事実のみに直面し、人生が教えてくれるものを自分が学び取れるかどうか確かめてみたかったからであり、死ぬときになって、自分が生きてはいなかったことを発見するようなはめにおちいりたくなかったからである。人生とはいえないような人生は生きたくなかった。
迷子になってはじめて、つまりこの世界を見失ってはじめて、われわれは自己を発見しはじめるのであり、また、われわれの置かれた位置や、われわれと世界との関係の無限のひろがりを認識するようにもなるのである。p304
「政(まつりごと)をおこなうのになぜ刑罰を用いる必要があろうか?徳を愛せ。さすれば民もまた徳を慕うだろう。君子の徳は風のごとくであり、小人の徳は草のごとくである。風が草の上を吹き渡れば草はなびく」『論語』p307